第五話 十を贈る
「お兄ちゃんお帰り〜!」
ソファに寝そべり、シャクシャクとアイスを食べる真子。誰に似たのか、行儀悪くぱたぱたと足を動かしている。
「……あぁ、ただいま」
だらしないと諭すのも、最早不毛な争いと化した。だから、俺は特に何も言わずに鞄を置いた。
「お兄ちゃんさぁー」
うつ伏せから仰向けに体勢を変えた真子は、くるくるとアイスの棒を弄ぶ。
「……なんだ」
「私らってさぁ、〝イトコ〟いるじゃん?」
「あぁ、いるな」
何故その話題を持ち出したのかは不明だが、俺は答えた。確か、俺と同い年の女だったはずだ。昔引っ越して以来長らく会ってはいないが。
「そのイトコの進学先がね……」
興味もない話題を軽く流しながら、冷蔵庫からお茶を取り出す。グラスに注ぎ、俺は一口飲んだ。
「……貝夏なんだってー」
「ゴフッ?!」
「なっ?! お兄ちゃん汚なーい!」
むせながら、吹き出したお茶を拭こうとティッシュを探る。
「ちゃんと拭いてよねー」
その言い方が、あまりにも幼馴染みの灯に似ていた。だから妹を甘やかすのかと思った。
「それにしてもさぁ、灯お姉さんもお兄ちゃんもイトコも貝夏って、一体なんの偶然なんだろ……? お兄ちゃんはまぁわかるけどさ?」
ぼふっとクッションに身を任せ、腕を組む真子。俺はわかるって一体どういう意味なんだ。
「ん〜、私も秀徳行こっかなー」
止めておけとも思ったが、どうせ誰とも学年が被らないなら大差はないかと思い直す。拭き終わった雑巾を洗い、棒にかけた。
「あ、そーだ! お兄ちゃーん!」
「今度はなんだ……!」
どうせろくでもない話だろうが、無視すれば後々面倒だと知っている俺は聞く。
「そろそろ灯お姉さんの誕生日じゃん! 今年らどうするの?! 今年も渡せなかったじゃヘタレの王様だよ?!」
「……ッ!」
ざわっと鳥肌が立った。確かに真子の言う通りだった。脳裏に、一年前の出来事が浮かび、俺の心を苦しめる。
『英ちゃんが……』
行き場のない想いを胸に自室の机の引き出しを開ければ、そこには〝九個の渡せなかったプレゼント〟がしまわれていた。
*
〝十個目〟の誕生日プレゼントを鞄にしまいこんだ俺は、体育館の扉を開ける。
「あっ、拓ちゃん!」
放課後となった今、男バスの部員たちが練習をしていた。
「……で、お前はここで何をしているんだ」
「えっ?」
パチパチと目を瞬かせ、首を傾げる幼馴染みの灯。そして、「……あれ、言ってなかったっけ」の一言で俺はすべてを察した。
「私、今男バスのマネージャーやってるの」
「…………なんでだ」
原因はやはり橙乃たちなのだろうか。こいつがなんらかの責任を感じているのだとしたら――
「ん〜……成りゆき、かな?」
――だとしたら、それは間違っている。
「なら、そんな顔はするな」
「え……?」
ショックだったのは灯の方だったはずなのに、俺まで何故か体が重くなる。
「……変、だった?」
一瞬だけ、悔しそうで怯えたような表情を灯がした。そんなことは言えなかった。
*
「本音を言え」
普段ならこの台詞の前にため息があるはず。なのに、今日だけはなかった。それが狡かった。
「本音って……」
「なんで男バスでマネージャーをやっている。……お前は毎日、練習してただろ」
何故か、拓ちゃんの方が悔しそうな表情をした。拓ちゃんは、頑張ったら頑張った分だけ自分に返ってくると思っている。だから、私が報われないと知って同情したのかもしれない。
「橙乃たちが原因か? なら、それは違うからな」
「違うって?」
あながち間違いでもない推測に、私は淡々と返す。勝手に同情された私の声は、刺々しかった。
「お前はあいつらのことを信じていないのか?」
「ッ?!」
「お前は、自分さえも信じてないのか?」
次々に出てきた拓ちゃんの台詞に、私は言葉を返す間も持てなかった。
「前に言っただろう。お前の人を見る目は、他の何よりも信じられる。俺はそう思っていると」
「……そういえば、そうだったね」
まさか、二度も言われるとは思ってもみなかったな。
「お前自身が選んだんだろう。あいつらは、全員必ずコートに戻ってくる」
もう、悔しそうな表情はどこにもなかった。真っ直ぐで、だけどどこか矛盾していた。
「みんなさぁ、頑固なんだよね〜」
転がってきたボールを広い、指一つでそれを回す。
「だけど、変な所でとても脆い。凄く人間らしくって、私は好きだよ」
ボールを拓ちゃんに投げ渡すと、彼は難なくそれを受け取った。
「それを受け入れられる人、信頼できる仲間に出会えれたなら――戻ってくるかもね。まぁ、私、なんでみんなが辞めたのか知らないんだけどさ」
自虐的に笑い、もう何年も会っていないみんなのことを思い浮かべた。
「……いつか、知れるといいな」
小さく頷いて、改めてどうして自分がバスケをしていないのか考えた。
「……やっぱりさ、一人は嫌なんだよね」
言葉にして、やっぱりそうだと私は頷く。これが正解で、たった一つの真実だった。
「私が中一だったの頃に当時の先輩が全員卒業して、一人になったの拓ちゃんは知ってるでしょ?」
「……あぁ」
短い返事に、拓ちゃんの思いが全部込もっているような気がした。
「そしたら、全然試合できなかった。高一になってそれを思い出して、みんなが退部したのを知ったら――もうそれは、トラウマになってた」
コートに立ったら《暴君》なんて呼ばれていたらしいけれど、私だって普通の人間だ。人並みに傷つく。
「だからここでマネージャーを?」
「それでも、バスケは好きだから」
会話はそこで終わった。微妙な空気だけを残して、拓ちゃんは無言で手元のボールを見つめる。
「なら、もう一度やろうよ! バスケ!」
「……まだ、間に合う」
「えっ?」
ステージの裾で私たちを見ていた二人に気づいた。共に部活着姿で、何故ここにいるかという疑問よりも先に出てきた台詞は「いいの?」だった。
「もっちろん! 私たちはいつでも大歓迎だよ!」
「……ずっと、灯のこと待ってたんだからね」
「それって……」
「昨日の敵は今日の友って言うでしょ? ……まぁ、二年くらい経っちゃったけどね」
私にまだ、バスケをする資格があるのかな。あるのなら――
「――私、またコートに立ちたい」
本当はとっくにわかっていたのかもしれない。トラウマはとっくに癒えていると。だけど踏み出す一歩がなかった。確信がなければ、勇気がなければ、私は何もできなかった。
(あの日正門に立った〝確信〟は、占いだった)
それももう、三年も前の話だった。時は、確かに経っていた。
「やりたいならさっさとやれよ。見てて苛々するんだよ」
「え、英ちゃん?!」
いつの間に休憩になったのか、三年の三人が近くに来ていた。何故か、大きな箱を隠し持って。
「なん……」
刹那、ぱぁんっという音が鳴る。……あぁ、そういえば――ちょうど一年前にもこの音を聞いたな。側に来るみんなを見てそう思った。
楽しそうに「せーの」誰かが言うと、「お誕生日おめでとう!」と個性豊かな祝いの言葉が贈られる。だから栞ちゃんと春ちゃんはここにいるのか、この箱はそういうことなのか。
「ふふっ……!」
謎がとけると面白いものだ。拓ちゃんだけは唖然としていて、そこがまた面白かった。
「みんな、ありがと〜」
次々と誕生日プレゼントが贈られる中、気づけば拓ちゃんが消えていた。そういえば、生まれてから一度も拓ちゃんから誕生日プレゼントを貰った記憶がないな――。私は毎年あげているけど。
ずきんと、気づいてしまった心は痛んでいた。
*
「じゃ、お疲れ様でした〜」
五人だけではなく、部活の後輩たちも祝ってくれたプチ誕生会はなんとも充実した時間だった。
私は自転車を取りに行こうと、学校の駐輪場へと急ぐ。
「……あれ?」
その時、人影が見えた。
「……遅い、馬鹿」
むすっとしたような声が聞こえる。拓ちゃんは読んでいた本を閉じて視線を上げた。
「さ、先に帰ってたんじゃないの?」
慌てて駆け寄れば、「そんなわけないだろう」と呆れた顔で腕を組まれる。
「言ってくれればよかったのに……」
申し訳ないと思うのと同時に、嬉しいとも思う自分。
「言うわけないだろう。お前の……誕生日なんだからな」
つんとした声。沈む夕日。少し赤い頬。拓ちゃんもいれば良かったのに――そう心の中で呟いた。
「帰ろっか」
どうせ帰り道は同じなのだから。当たり前だとでも言いたげに、拓ちゃんはため息をつく。自転車に鍵を挿せば、拓ちゃんがサドルを無言で上げた。
「また二人乗りするの?」
「その方が早いだろ」
自転車に跨がった拓ちゃんの服の裾を摘み、私は彼の後ろに乗る。もう、二人を邪魔する棘はなかった。
自転車は危なげなく進む。風がとても心地よかった。前とは違い、夕暮れ時の二人乗りで私は自然に微笑んでいた。
「拓ちゃん」
「なんだ」
普段よりも小さめに名前を呼べば、拓ちゃんには聞こえてたらしく返事をくれた。
「……ありがと。今日は、本当に最高の誕生日だった」
こつんと拓ちゃんの背中に頭をつけた。拓ちゃんの匂いがして、心臓の音がとてもうるさい。目を閉じれば、雑音が消えた。
「……まだ終わってないだろ、馬鹿」
昔聞いたことのある台詞が、私の鼓膜を震わせる。いつだっけ――拓ちゃんとの思い出がありすぎて、私はすぐに思い出せなかった。
三年前……冬に言ってたな。中学生活はまだ終わっていない、そう拓ちゃんは私に言っていた。
「そうだね。……まだ、終わってないね!」
私は精一杯そう返した。
*
三十分はあっという間だった。三年間が早いと感じるのなら、当然と言えば当然だろう。
じゃあ、また明日ね。
「……ウチに寄っていかないか?」
そう言う前に、拓ちゃんがこっちを見向きもせずに私を誘った。そういえば、いつからか遊びに行かなくなったな。向こうもウチに遊びに来ず、時の流れを物語っている。
「お言葉に甘えて、寄っちゃおうかな!」
私たちにしては静かな時間を過ごした反動だからか、わざとらしく元気に言った。自転車を緑川家の庭に置き、拓ちゃんは無言で扉を開ける。
「お兄ちゃーん? 帰ってきたのー?」
ぱたぱたとリビングから顔を出したのは、すっかり成長した真子ちゃんだった。
「あっ、灯お姉さん?!」
棒つきアイスを床に落としかける真子ちゃんは、信じられないといった表情で私を見る。どこか拓ちゃんに似ていて、本当に兄妹なんだなと強く思った。
「上がって上がってっ! ほら、お兄ちゃんぼさっとしない!」
なんだか凄く強気な性格の真子ちゃんに押されつつ、私はある部屋に拓ちゃんと共に入れられる。……拓ちゃんの部屋、何年ぶりだろ。
ほぼ毎日向かいの自室で見ていた景色とは異なっていて、何もかもがリアル(なんだけど)だった。
「い、いいの? 私、勝手に? 入っちゃったけど……」
拓ちゃんは気難しそうな表情をしていたけれど、吹っ切れたように「適当に座れ」と勉強机の椅子に座る。
ベットしか座る場所ないじゃん……。そう思って恐る恐るベットに座ったけれど、拓ちゃんはちらっとこっちを見ただけですぐに逸らした。相変わらず小綺麗な部屋で、無駄な私物がどこにあるのか全然わからない。
無意識のうちに私は白いリボンを弄った。これは、最初で最後の拓ちゃんからの贈り物だった。
「……おい」
「ん? 何? 拓ちゃん」
目が合った。拓ちゃんは迷いのない真っ直ぐな瞳で私を見た。
「な」
に。そう言う前に、拓ちゃんは私の手に袋を押しつけていた。見れば、可愛くラッピングされてある。
「これ……! もしかして……!」
どくんと心臓が跳ね上がる。
「……まだある」
拓ちゃんはどこから出してきたのか、計十個の袋や箱を私にくれた。
「拓ちゃぁぁあぁん!」
嬉しすぎて、半分泣きながら拓ちゃんのことを抱き締めた。拓ちゃんは私を拒むことはせず、ただただ好きなようにさせている――気がする。
このまま時間が止まってもいい。止まらなくても、それはそれで私は多分幸せだ。
「――拓ちゃん、大好き」
「ッ!」
ぴくっと拓ちゃんが反応する。「拓ちゃんは?」そう聞いた。どんな反応をするんだろう。
「……一度しか言わないからよく聞けよ」
「ん? うん」
「……俺も好きだ」
「本当に?」
わざと上目使いで拓ちゃんを見れば、顔を真っ赤にされて逸らされた。恥ずかしくなって、私は急いで下を向く。
「なし。やっぱり今のなし!」
必死に噛まずにそう言えば、「本当だ」ではなくて「十年も前からずっとだ」と返された。そんな聞いてもいないことを答えられた。
「拓ちゃんそれ狡い」
むっとすると、「お前が言うな」と顎を軽く上げられる。今日の拓ちゃんは大胆だな、心の中だけで思って目を閉じた。
本当に触れるだけ、唇に微かに熱を感じる。
「ふふっ」
私は笑って、拓ちゃんの頭を優しく撫でた。
――貴方に出逢えて、本当に良かった。