第四話 棘
「幼馴染みの拓ちゃんがね、まだ進学先を教えてくれないの〜」
ホットココアを飲みながら、私は英ちゃんに愚痴をこぼす。
「ねぇ、英ちゃんどう思う〜?」
季節は冬の終わり。受験も終わり卒業間近にも関わらず、拓ちゃんは未だに私に進学先を教えてくれなかった。
「……んなの俺が知るかよ。ぶっ飛ばすぞ」
「うぅ〜……」
私は「そうなんだけどさぁ」と返し、机に顔をくっつけて暖を取る。
「……教えてくれないって、悲しいじゃん」
英ちゃんは、「そうかよ」と呟いた。そしてずずずとコーヒーを啜る。そういえば、みんなはどこの高校に行くんだろう。
バスケを辞めたなら、強豪校には行かないだろうか。誰と誰が同じ高校なのだろうか。……考えてもわからない。迷宮入りだなぁ。
「けどよぉ」
「……え?」
声がして、顔を上げる。てっきりもう何も言わないものだと思っていた。
「……教えてくれないってことは、そういうことなんじゃねぇの?」
「…………え?」
*
『そういうことなんじゃねぇの?』
ラッキーアイテムのサボテンを持ち、貝夏高校の廊下を歩く。入学式に相応しい桜は満開だった。
「……あ、英ちゃん!」
英ちゃんの予想に半信半疑な私は、英ちゃんから目を逸らす。
「ぶははっ! ちょっ、サボテ……ン……?!」
何がおかしいのか、英ちゃんはお腹を抱えて大笑いをした。むっとしたけれど、私は無視を決め込んで英ちゃんと話を続ける。
「……つか、それ式になったら絶対に教室に置いてけよな……ぶぶぶっ!」
「英ちゃぁんっ!」
サボテンの植木を落とさないように英ちゃんのお腹を叩こうとすると、別の笑い声が廊下に響いた。
「ちょ……っ! まさかのサボテ……うそでしょ……?! ふふっ、くくくっ!」
「……ふっ……ふふっ!」
「なんで二人も笑うのぉー?!」
「いやいや笑うだろ」
我が子を笑われたような気持ちになった私は思わずサボテンを抱き寄せる。
「いったぁい!」
棘がお腹にちくちく刺さると、三人は涙目になって大笑いした。
*
入学式が終わり、準備をしていた私たちは正門前の道に並ぶ。何故なら、ここでこれから部活動勧誘が始まるからだった。
「うぅ……と、取れないぃぃ……」
「あほか。もっと自分の頭で考えろ」
「……随分と胸に刺さったなぁ」
制服に刺さったサボテンの棘をちまちま抜いていると、二人が呆れた顔をする。
「窓辺ぇ……」
窓辺に助けを求めてみるけれど、窓辺に首を真横に振られた。窓辺なら笑わずに助けてくれると思っていたけれど、窓辺も相当薄情な人間だなぁ。
「悪いがサボテンは専門外だ。あんまり好きじゃない」
「そんなぁ〜! 頭がいいんだから頑張れば助けられるんじゃないのぉ〜? なんとかしてよぉ〜!」
「無理だ。頭の良さとサボテンの棘の抜き方を知っているのは関係ないだろう」
肩を落とし、制服を見る。ぼろぼろで、明日も着れるかどうかわからない。……いや、絶対に着れない。
「おっ、一年の集団がぞろぞろ来たぞ」
「……はぁ。茶野は奥の方にいろ。一年に見られたら恥だろう」
「はぁ〜い」
北原の指差した方向に足を向けようとすると――視界の隅で、緑色の何かが動いた。
「ッ!?」
頭を固定したままでいると、それは人であることがよくわかる。英ちゃんの予想が脳裏を過ぎった。
『――ウチに来るってことだろ』
そんな英ちゃんの予想が。
「拓、ちゃん……?」
拓ちゃんは何食わぬ顔でその大通りを歩いていた。目が合うと、ふっと勝ち誇ったように口角を上げられる。
「……ッ!?」
「あぁ。やっぱり、監督の言う通りウチに来たか」
「だなぁ。どんな物好きなんだか」
二人の真横を通り過ぎ、私は拓ちゃんの元へと駆け寄った。拓ちゃんはほんの少しだけ驚き、ちょっとだけ笑う。けれど、すぐさま恐怖した表情に変わり一瞬で避けてきた。
「なんでっ?!」
「なんでもあるかっ! なんなんだその制服は! 俺に棘をつける気か?!」
ばっと真新しい鞄を盾に、私から距離を取る拓ちゃん。
「むむむ……!」
そんなに警戒されてしまったら、何か仕掛けたくて体がウズウズとしてしまう。
「やめろ、馬鹿。その辺に埋めるぞ」
ぽかっと丸まった画用紙で頭を叩かれた。
「あいてっ……! もぉ〜、英ちゃんっ! 何するのさぁ!」
「……ッ!?」
「英ちゃん、人の頭は叩いちゃダメなんだよ?!」
「よく言うぜ、何かあれば人の腹すーぐ叩くくせによぉ」
「えっ、あっ……! うぅ……」
正論を言われた私は、この後何を言っていいのかわからずに嘘泣きをしようかと企む。
「あーあ、まーた始まったよあいつらの喧嘩」
「喧嘩するほど仲がいいってやつか?」
「拓ちゃ〜ん! 助けて〜! 英ちゃんがいじめてくるよ〜!」
抱きつくのは止めるけれど、助けを求めようと振り返ると――拓ちゃんは唖然とした表情で私たちを見ていた。
「……た、拓ちゃん?」
呼び掛ける。拓ちゃんは全然反応しない。
「お〜い!」
少しだけ不安になって、顔の前で手を振った。
「……ッ!」
「大丈夫? ぼーっとしてたよ?」
「あ、あぁ……」
反応はしたけれど、心ここにあらずといった感じで拓ちゃんは頷く。
「…………おい、緑川。お前、こいつの幼馴染みなんだろ?」
英ちゃんに話しかけられた拓ちゃんは、この時だけ瞳に熱を一瞬宿した。
「だったら、こいつを家に送っていけ」
「え……?」
英ちゃんが右手をぽんと私の頭に置き、何故か「頑張れよ」と囁いてくる。北原と窓辺は、不思議そうな表情で私たちを見ていた。
「ほら、部活動勧誘中だろ? 他の部活の邪魔になるし、さっさと始めよーぜ」
英ちゃんの言葉を受けて少しだけ納得したように頷いた二人は、声を上げて勧誘する。いいのかなと思いつつも、この服でこれ以上ここにはいたくなかったし――拓ちゃんと一緒に帰りたくもあったから私は頷いた。
「じゃ、お言葉に甘えさせていただきま〜す」
軽く敬礼し、サボテンと鞄を持って立ち去っていく。途中で自転車を取りに行き、正門へと向かった。
拓ちゃんはちゃんと待っていてくれたけれど、他人の振りを決め込んでいるようだった。
「拓ちゃんは歩き?」
「……あぁ」
雑音に呑まれそうな微妙な返事を聞き分け、にっと私は笑い「自転車に乗る?」と尋ねる。
「断る、馬鹿」
今度ははっきりと聞こえた返事に不満を抱きつつも、顔には出さないで拓ちゃんの隣まで走る。
「でもさ、乗った方が早いよ?」
私を一瞥する拓ちゃんに、またもや何故だか期待した。拓ちゃんは黙って鞄を籠に入れ、私から自転車を奪う。
「えっ?」
拓ちゃんはため息をつき、私に向かってこう言い放った。
「お前が俺を乗せるんじゃなくて、俺がお前を乗せるんだ」
一瞬にして理解できた長台詞に、私は心も奪われた。
「拓ちゃんかっこいい……!」
とは言ったけれど、「好き」とは言わなかった。そっと手を胸に当てると、脈が早まっているのがわかる。
『頑張れよ』
その意味がわかったような気がした。
「……ほら、早く乗れ」
「サドル上げなくていいの?」
「……さっさと上げろ」
「はいはい」
……拓ちゃんって、そういうところたまに抜けてるよね。そんな部分に愛しさを感じながら、私はサドルを上げた。
*
「あまり近づくな!」
「なんでよぉ〜!」
「棘に決まっているだろ馬鹿!」
「いいじゃ〜ん!」
自転車に二人乗りしながら口論を繰り広げる。真っ昼間というのもあってか、全然ムードを感じなかった。
「うぅ……」
なんだかんだで自宅についた私たちは、自転車から降りる。互いに無言で制服を整え、自らの家の門に手をかけた。
「じゃあね、拓ちゃん」
「あぁ」
普段はしない、可愛いと思われる笑顔を作る。拓ちゃんは私を一瞥しただけで、さっさと家に入ってしまった。
「あれ……」
作ってるって思われたかな。このまま門の前にいるのも不自然だから、私もさっさと家に入る。私の制服を見たお母さんは、悲鳴に近い声を上げた。