第三話 手の中のプレゼント
一週間後、懐かしの東雲中の門を跨ぐ。葉桜の前を素通りすると、男バスが使っている体育館が姿を現した。
「相変わらず大きいな〜」
放課後とあってか、部活動中の後輩たちの声がここまで聞こえてくる。遊びに行きたい衝動を堪え、私は早速職員室へと向かった。
「失礼しま〜す」
職員室の扉を開ければ、ぬっと大きな誰かが行く手を阻んだ。
「ッ!?」
後退りすると、その正体がよく見える。
「……せ、先生?!」
「あぁ、茶野さんかぁ。久しぶり」
ぼりぼりと頭を掻き私を出迎えてくれたのは、三年の時の担任だった。私は小塚先生を目で探し、彼がいないことを問う。
「あぁ、小塚先生は今年度から他所の中学に行っちゃったからね」
「えっ?! そうなんですか?!」
小塚先生は女バスの顧問だった人。私はその監督をしていたこともあり、かなりお世話になっていたのだけど。
「そうそう。残念だったね、茶野さん」
「……そうですね。じゃあ、先生でもいいです! 母校訪問に来ました!」
「でもいいって何、でもいいって。茶野はそういうとこ相変わらずだなぁ」
「あははははっ、変わりませんよ〜」
陽気に笑い、貝夏高校のパンフレットが入った封筒を手渡す。担任だった人に聞いても仕方ないかもしれないけれど、私は思い切って尋ねてみた。
「……ところで、先生?」
「ん?」
「……女バスって、今どうなっているんですか?」
「え?」
担任は髪に触れ、困ったように頬を掻いた。この顔は知っている顔だ。私は彼を急かす。
「……みんなのことは知ってます。だから、大丈夫です」
言ったけれど、何が大丈夫なのか自分自身でもわからなかった。
「そっか。……けれど、今の女バスは廃部にはほど遠いよ?」
「えっ?」
言われ、私は体育館へと足を向けた。そこではバッシュの音がする。そんな体育館を扉をそっと開けた。
半年前まで思い切っりバスケをしていた、懐かしの体育館。その場所に、顔見知りが一人だけ。
「唯ちゃん……!」
二十人はいる生徒の中で、一際目立つ橙色の髪。私の、一番最初にできた仲間。
「……って、あれ?」
部員ではない、監督でもない。スーツ姿の青年がじっとみんなの活動を見ていた。
(誰?!)
見てはいけないものを見たような、やるせなさが混み上がってくる。
(変な人、じゃないよね? だよね?)
自問自答を繰り返していると、監督だと思われる別の人が声を上げる。
「そろそろ休憩しよっかー!」
「はーい!」
「竹藤監督ー! さっきのシュートどうでしたー?!」
元気よく返って来る返事が体育館に響く。聞いたこともないその残響に涙が出た。
部員が多くて嬉しいけれど――みんながいなくて悲しい。多分、一番そう思っているのは唯ちゃんだ。私が泣いてどうする、そう思って頬をつねる。すると、青年が動き出した。
「お嬢様、スポーツドリンクでございます」
「ま、松岡……! 恥ずかしいからやめてよ……!」
……え? お嬢様? 言われてみれば、執事っぽい格好をしている。思い返せば幽霊部員は社長令嬢だったような。
あの子がそうなのかな。銀色のポニーテールを靡かせて、執事から飲み物を拒む銀之丞さん。その腕は細く、肌は白かった。なんか貧弱そう、そう思ったのは間違いではないと思う。
「大丈夫でございます、お嬢様! ちゃんと人数分ご用意致しました!」
その辺は抜かりない、とでも言いたげに執事さんはどや顔をする。
「……マジで?」
わらわらと執事さんに群がる部員の中で、一人だけぽつんと突っ立った少女がいた。……唯ちゃんだった。
居心地が悪そうに、半年前のように自分で飲み物を作り飲んでいた。あの頃はマネージャーなんていなくて、全部自給自足状態。それでも、あんな顔して作ってはいなかった。
執事さんに視線を戻すと、見事に部員を手懐けているように見える。女性の監督も、心を開いているようだった。
「……ここで何をしている、灯」
「えっ?!」
振り返ると、部活着姿の拓ちゃんがいた。
「学校を間違えたのか?」
「そんなわけないってわかってるでしょ〜!?」
ぽかぽかと叩こうかと思ったけれど、思い直す。「拓ちゃん、あの人は誰」その変わりに尋ねた。
「あぁ、銀之丞の執事の松岡一真か。銀之丞が退院したばかりだからと、つき添いとして学校に来ることを特別に許可されているらしい」
「え? え?」
入ってきた情報量が多すぎて、私は思わず聞き返した。
「退院したばかり……?」
一番気になったのは、そこだった。
「だから、一年間バスケができなかったと聞いている。……銀之丞だろ、女バスの幽霊部員は」
そして納得した。どうりで貧弱だと思ったわけだ。
「けど、私あの執事さん嫌いだな」
「嫌い……? なんでだ」
*
「なんでだ、って……」
俺の疑問に、灯は心底不思議そうに首を傾げる。
「……だって、人間味がないんだもん」
「ッ!」
ぞくっと、背中に悪寒が走った。灯の目は、すべてを見透かすかのように聡明であった。
「目が笑ってない。心も、全然読めない」
前に一度だけ灯がこの目をしたことがある。それは、一年前の入学式だった。今思えば、あの瞬間に選別していたのかもしれない。
「……お前がそう言うのなら、そうなのかもな」
すると、灯の目が元に戻った。
「拓ちゃん、私の言うこと信じるの?」
「言うこと、というよりは目だ。お前の人を見る目は、他の何よりも信じられる」
「何それ」
くすくすと灯が笑う。普段なら間延びするような台詞でも、あいつはそのまま言って笑った。……それは、二重人格者のようだった。
頭の中がお花畑かと思えば、中三で監督をするという偉業を成し遂げた。不気味と言えば不気味に見える、とんでもない化け物だ。
「拓ちゃ〜ん! 私、男バス行きた〜い!」
灯は駆け寄り、俺の隣に立つ。ほんの少し開け放たれた扉の奥で、驚いた顔の橙乃と目が合った。……だが、橙乃は視線を外してすぐに見えなくなる。
「なんでだ」
俺も視線を灯に向け、怪訝そうに眉を顰めた。
「……なんとなく?」
「断る、帰れ」
これ以上この場にいたくない一心で、俺は歩を早める。灯は「じゃあ、正門で待ってる」とだけ言って先を走った。
「待て、馬鹿」
「ん?」
足を止める灯の影を踏み潰し、俺は灯の手を握り締める。
「まだ肌寒い。そのまま正門にいたら風邪を引くぞ」
そのまま引っ張り、仕方なく二人で体育館へと向かった。
「拓ちゃん、やっさし〜」
「今日だけだ」
くすっと灯に笑われる。子供扱いされているような気がした。
*
二年生になり、また桜が咲く。英ちゃんはクラス表を確認し、げんなりとした表情になった。
「……げげ。まーた茶野と同じクラスかよ」
「またって何よぉ〜」
「北原とは窓辺は別クラスか」
「えっ、無視?」
英ちゃんは私を無視してクラス表を眺める続ける。私はそれを無視して言葉を続けた。
「その二人とクラス違ったらミーティングとか手間かかりそうだねぇ〜」
「……ま、そうだな」
英ちゃんは一年前と同じように、さっさと教室へと歩き出していった。
「やっほ〜、受験生」
窓枠に腕をつく拓ちゃんに向かって、私は声をかける。拓ちゃんはどことなく不機嫌そうだった。
「受験は嫌?」
「……そういうわけではない」
「拓ちゃんはさ、どこの高校受けるの?」
「お前には絶対に教えない」
さっきからどんな話を拓ちゃんに振っても会話が続かない。
「じゃあ……聞いてよ。今日ね、クラスメイトの英ちゃんが……」
頑張って話題を変えてみたら窓を閉められた。
「なんでっ?!」
しばらくの間閉まってしまった窓を眺める。けれど、一向に開く気配はなかった。
……今日はやめとこ。夜風のせいで鳥肌が立ち、私も渋々窓を閉める。そしてパーカーを上に羽織り、バスケットボールを持って庭に出た。庭に出ると、私が作ったバスケットゴールがある。
占いと同じくシュート練習も日課としていた私は、軽くストレッチをした。
「……あ」
いつも拓ちゃんと話している窓とは別の窓から、拓ちゃんがこっちを見ていた。私が微笑むと、拓ちゃんはふいっとそっぽを向く。
「……頑張れ〜、受験生」
囁くように言い、私はボールを投げた。もう私は女バスの人間じゃないけれど――
「――好きなものは、やっぱり好き」
すぱんっ。と、ボールは弧を描き綺麗に入った。
翌日の放課後、私はマネージャーの仕事をする。
「茶野って、意外とスポドリ作るの上手いよな」
「今さら何〜?」
頬を膨らませれば、英ちゃんはそれを躊躇なく押した。
「……ぶっ」
「ぶはっ! おまっ、その顔……!」
「英ちゃんのバカぁ〜!」
笑いこける英ちゃんに飛びかかると、呆れたような声が聞こえてきた。
「……お前ら、早くスポドリ作ってくれ」
「あ、北原」
渋々と英ちゃんから離れ、粉を取り出す。すると、北原の後ろからひょこっと栞ちゃんが顔を出した。
「国島と灯って本当に仲がいいよねぇ」
「……同感」
「ッ!? お、お前ら?!」
北原と栞ちゃんは幼馴染みらしく、顔を見合わせて笑い合う。春ちゃんは首にかけたタオルで顔を拭いた。
「女バスも休憩中?」
「うん。だから、春と遊びに来たんだ」
「……けど、そっちも休憩中みたいだね」
ステージに座る二人は、体育館全体を見回す。ライトに当たった部活着が私にとっては眩しく見えて、思わず目を細めた。
(……みんな、今頃何してるのかな)
半年前、唯ちゃんも退部したと私は拓ちゃんから告げられた。その時、拓ちゃんになんて言ったのかは覚えていない。
へぇ、だったかもしれない。やっぱり、だったかも。手を動かすけれど、目はバスケットボールを追っていた。
なんだかんだで男バスに入って、今さら女バスっていうのもな……。そう思う。それに、ほんの少しトラウマでもあった。
「……あれ、英ちゃんと北原は?」
さっきまで隣にいた二人を探す。「知らない」と言いながら、栞ちゃんと春ちゃんは目を泳がせていた。……嘘つくの下手だなぁ。
作り終わったスポドリを左に寄せ、振り向いた刹那――破裂音が体育館に響いた。
「え……」
「ハッピーバースデー!」
にこっと栞ちゃんが笑顔を浮かべる。よく見ればそれはクラッカーで、英ちゃんと北原が握っていた。
「ほらよ、俺らから」
「ケーキもあるぞ」
「えぇっ?!」
目の前に運び込まれたケーキとプレゼントの山に驚きつつ、祝ってくれた嬉しさが込み上がってきて私は泣く。こんな誕生日は生まれて初めてだった。
*
「お兄ちゃん、いつになったらそれ渡すの〜?」
中学年となった真子は、憎たらしく言い放つ。俺は真子を睨み、それを机の中にしまった。
「そうやってまた隠す〜! 私、お兄ちゃんが何年も前からそうやってるの知ってるんだからね〜?!」
数年前のあどけなさはどこへいったのか、真子は俺の机の中を開けようと躍起になった。
「お前には関係ないだろう」
「大ありだよ! 灯お姉さんが私の本当のお姉さんになるかならないかそれにかかって……」
「そんなわけないだろう」
真子の襟首を持ち、廊下へと放り投げる。この部屋にも、机にも、鍵をかけた方が良さそうだな。
「拓ちゃ〜ん」
「…………」
振り返り、窓を見る。その奥にぼんやりと人影が見えた。
「……なんなんだ」
窓を開けると、灯が笑顔でラッピングされた袋を持っていた。
「…………」
いつもなら無言で窓を閉めていたが、今日だけは閉めるわけにはいかない。灯に見えないように机の中から取り出して、俺はそれを後ろに隠し持った。
「はいこれ、おすそ分け〜」
「……その箱丸々こっちに寄越す気か?」
半ば呆れながら片手で受け取ると、「誕生日プレゼントでたくさん貰ったの〜」と、灯が嬉しそうに頬を緩ませた。
「ッ!」
「他にもね、英ちゃんから……」
……また、英ちゃんか。灯が高校に入ってから、幾度となく聞いたその名前。話の内容からして容易に男だとわかる奴だが、どんな奴なのかは知らない。嬉しそうに話すものだから、昨日はつい話の途中で閉めてしまった。
「……拓ちゃん? 聞いてる?」
「ッ?! あ、あぁ……」
いつ言おうかと悩む。だが、今年も終わりそうにない話を黙って聞くことしかできなかった。
「じゃ、おやすみ〜」
閉められた窓をしばらく眺め、俺は右手のプレゼントと左手のお菓子の箱を交互に見た。