常花高校女子バスケットボール部
「待てぇ! 愛、夢!」
体育館に声が響く。俺の幼馴染みの茅野空は、後輩の星宮双子を追いかけ回していた。
「……お前ら飽きねーな」
空も、星宮双子も。飽きているのは俺だけかなんて思う。そう思うほど、この三人――厨二病と双子はよく喧嘩をしていた。
「待てと言われて待つ奴はいない! そうでしょ夢!」
「愛の言う通り! 僕らはお前に絶対屈しないから!」
「はぁぁああ?! ふざけるな! 絶対ぶっ殺す!」
……これが現役女子高校生の喧嘩か。
「……はぁ、何やってんだよもう」
「お前も結構大変だな」
我妻は苦笑いでボールを放った。そのボールは弧を描いてゴールに入った。
「まーな」
「昔から茅野はあぁなのか?」
新たなボールを持ち、我妻は空へと視線を移す。
「いや。ちげーよ」
自主練よりも双子を追いかけることに時間を割いている空を、俺も見る。
「昔は……もっと……」
そこまで言って、本当に一瞬だけ――目頭がじんわりと熱くなった。
『あんた全国の五強に選ばれたんでしょぉっ?! 東雲の奴らを止めてよぉ!』
『ッ! またあの橙乃と紺野が……!』
『わかってる……!』
けれど、点差は無情に開いていく。最後は、空以外全員諦めたような顔をしていた。
『試合に勝てなかったの、あんたのせいだからね!』
『やっぱ五強は五強でも、〝東雲には勝てない〟ってことなのよ!』
諦めた奴らが何を言ってるんだよ。男の俺は、結局何も言えなかったが。
『おい』
倉庫で一人啜り泣く空に声をかける。そんな空にも、俺は何も言えなかった。
『…………フッフッフッ』
『はぁ?』
膝を抱える空から、変な声が漏れる。
『……我は、強い。我は、負けない』
ブツブツと呟く空に、俺は幼馴染みの異常さを初めて感じた。それは、すべてが終わった中三の夏の出来事だった。
*
『あんた! パスくれよ!』
『……ッ!』
けれど、彼女がパスを出したのは夢ではなかった。その時、終わりを告げるブザーが鳴る。私たちは僅差でその試合に負けてしまった。
『なぁあんた! なんであの時僕にパスを出さなかったんだよ!』
控え室で夢の怒声が聞こえてくる。私も夢の隣に立って彼女を責めた。
『いい加減にしてよ!』
けれど、力強くロッカーを叩いたのは短気な夢ではなく彼女の方だった。そんな彼女に、何故かチームメイトの全員が同調する。
『私はねぇ! 〝あんた〟じゃないの! ちゃんとした名前があるの! 私の名前星宮は知ってるの?!』
わなわなとこちらを睨む彼女。けれど、怖くない。
『それとこれとは別の問題。やはり敗因は貴方にあるんだから……』
夢は悪くない。そう言おうとした矢先だった。
『……もうやってられないよ』
『そこの双子、自己中すぎぃ』
『……ッ?!』
『なっ……!』
聞こえた台詞は、複数だった。同調した全員からそんな言葉を浴びせられた。
……正しいことを言ったはずなのに、何がいけなかった? その日を境に、私たちはレギュラーから外された。
*
「先輩敬えぇぇえ!」
「誰が先輩だ誰が!」
「あんたしつこい!」
ギャーギャーと喚きながら、三人はまだ走る。
「高崎? 昔はなんだって?」
「ッ! ……い、いや、なんでもねぇよ」
当時苦しんでいた空に何も言えなかった俺は、あまりにも情けない男だった。そんな自分が大嫌いで、込み上げてくる何かを我妻には見せまいとそっぽを向く。その時、体育館の中を見つめる新入生と目が合った。
「誰だ?」
「……あっ、すみません! 勝手に!」
丁寧にお辞儀をして、おずおずと顔を上げる。
「バスケをやっているみたいだったので……」
新入生は、我妻の持つボールを羨ましそうに眺めていた。
「そんなとこにいないでこっち来いよ。やりたいんだろ?」
そう言うと、新入生は靴を脱いで上がってくる。その間、走っている三人から一瞬たりとも目を離さなかった。
「あぁー……。あいつらのことは……」
「先輩たち、なんだか楽しそうですね」
「……は?」
気にするなと言おうとして、耳を疑った。
「……目が、とてもきれいに輝いています」
そう言う新入生の目は、再び羨ましそうだった。
……楽しそう? そんなこと、一度も考えたことはなかった。
言われて改めて三人に目をやる。飽きもせず喚く三人は、子供のようにはしゃいでいるようにも見えた。
「確かに、喧嘩するほど仲が良いとは言うけどな」
我妻が納得したように頷く。〝飽きもせず〟という言葉を繰り返していた俺だったが、〝楽しそう〟と思ったことは一度もなかった。
「……言われてみれば、そうかもな」
一瞬、空が心の底から笑ったような気がした。
「ふざけんなこのへっぽこ双子!」
……気がしただけかもしれない。
「……いいなぁ。楽しそう」
だが、新入生はまたそう言った。そうか? とも思うが、この新入生の台詞は切実そうに聞こえていた。
*
「あれ? ねぇリン、髪切った?」
廊下でばったりと会った直後にそう言った洸は、小首を傾げる。
「あ、えぇ……。その、切りました」
肩より下に伸びていた髪を、私は昨日美容院に行って肩まで切った。誰がどう見てもすぐにわかるほどに思い切ったそれは、イメチェンということではない。
「いいじゃん。ショートなの初めて見たけど似合ってる」
「ありがとうございます、洸」
二人で常花高校の中庭を歩いていると、不意に自分のスマホが震えた。
「電話……? 誰から……って、え?!」
「あ、トリちゃんじゃん」
「洸、すみません。ちょっと……」
「うん、いいよ。出てあげなよ」
洸に断って電話に出る。緊張する。喉がからからに渇く。私は琴梨に何を言えばいいんだろう。
「……琴梨?」
未だに半信半疑だった。
『久しぶり。元気そうじゃん』
声を聞いただけでわかるのですか、琴梨は。
「……まぁ、そうですね。で、何か用ですか?」
『あたしさ、もう一度バスケするんだ』
「……え?」
……バスケをする? あの琴梨が? そう思ったら、急におかしくなって笑ってしまった。
『えっ? えっ?! ちょっ、何?!』
明らかに混乱しています、とでも言いそうな琴梨の声は、さらに私のツボにはまる。
「ふふ……! あははっ!」
『ちょっ、何よ! 何かおかしい?!』
次に聞こえてきた声は、怒声だった。
「すみません……。実は、私もなんです」
『えっ?』
「だから、私も……もう一度バスケをするんです」
『ッ! それって、つまり……!』
琴梨の言葉を、私が繋ぐ。
「えぇ。もう一度会えますね」
その理由は、言い訳にしかならないでしょうけど。
「……琴梨」
『うん……』
「また会いましょう」
『インター・ハイで!』
こんな約束ができるなんて、考えられなかった。私は私の道を歩いて、彼女は彼女の道を歩く。そう思っていたのだから。
『琴梨ちゃん! その言葉、本当?!』
『え……?』
急に、琴梨ではない声が聞こえる。
「……琴梨? そこに誰かいるんですか?」
「ねぇ、電話まだぁ〜? 長くない?」
退屈そうに、洸が私の服の袖を軽く引っ張る。
「すみ……って、思い出しました! 琴梨ぃ!」
『えぇっ?! なっ、何!』
「貴方! あの伝言はなんですか!」
……思い出しただけでも腹が立ちます!
『伝言……? って、あれか! ――ってことは紫村に会えたんだ! よかっ……』
「あの伝言、そっくりそのまま貴方に返しま……」
瞬間、何故か向こうから通話が切られてしまった。洸が駄々をこね始めたから、私も仕方なく通話を切る。
「リン、さっさと行こー」
見れば、飴玉を口に入れた洸が私のことを待っていた。
「……えぇ。そうですね」
この話の続きは、インター・ハイで。そんな未来を思い描き、私は洸と一緒に体育館を探した。
「……あ、ここですね」
東雲にも負けないほどに大きな体育館。お父様の手紙の通り――だけではないけれど、私はバスケ部に入部することを決めていた。
「ふーん」
そうやって、洸は興味なさそうに声を漏らす。そんな洸の手を繋いで、私は体育館の方へと引っ張った。
「ッ?!」
「…………」
体育館の中まで見える位置に来ると、誰かがバスケをしている。意識をそれに持っていこうとすると、きゅっと手に込められる力が強くなった。
「リンから手を繋ぐなんて珍しいよねー」
それは、洸から出た台詞。いつも以上に和やかな雰囲気で、ご機嫌であることが伺える。
「ッ?!」
「別に照れなくてもよくない? リンってそういう基準謎だよねぇ」
一瞬にしてむすっとなる洸は、やはり子供っぽい。
「……いつまでもそんなだったらこれからどうなっちゃうんだろうな〜。僕知らないよ〜?」
けれど、洸は意味深な台詞を吐いて大人っぽい余裕さを見せた。
「よくわかりませんが、駄目です!」
繋いだ手を離そうとするけれど、洸が離そうとはしない。
「だーめ。僕の許可なく離さない」
そして、洸が私の手を引っ張った。洸のゴツゴツした手が男の人らしくって、心拍数が一気に上がる。それとも、洸だからでしょうか?
そう思った時、体育館は目の前にあった。
「……あ、洸くん! 凜音ちゃん!」
中から聞こえてくる声の方向に視線を向ければ、東雲中の時に一緒だった西宮千恵さんがいた。
何かに安心したかのように、ほっと一人で一息ついている。そんな彼女から視線を外せば、三人の先輩が中を全力で走り回っていた。……確か、入学式の時の先輩方ですよね。呆れて、はぁ、とため息まで出た。
*
「もう一回言ってみろ、双子め!」
何度こうやって喧嘩をしただろう。同じスタメンなのに、顔を合わせてみればこれ。
「厨二!」
「あほ!」
それでも、中学の頃に比べたらマシだと思う。あの頃は、建前だけでバスケをしていた気がから。いざとなって本音を言われて、傷ついたことを覚えているから。……こうやって、本音でぶつかり合っていたら何かが変わったのだろうか。
「フッフッフッ、言うことはそれだけか愚民!」
「私はっ! 自己中だって言われた!」
「えっ? ちょっ、愛?! 何言って」
「えっ……?」
瞬間、愛から今までとは違う台詞が出てきた。
「そうかもしれない! けど、あんたはそうやっていつも反論してくる!」
「…………」
「私たちにいちいち構う、あんたはバカだ!」
*
「私たちにいちいち構う、あんたはバカだ!」
言った。言ってやった。一瞬、中学の頃の記憶が脳内を過ぎり、何故か目頭が熱くなった。……いつか壊れる絆ならば、最初から壊れていればいい。
そう思っていたのに、この厨二――主将は、ずっと私たちのことを見ていた。見てくれていた。そして、今も追いかけてくる。
「そうだ! あんたはバカだ! なんで……なんで僕らに構うんだ! いっそ、蔑んだ目をされた方が良かった!」
夢が鼻声だ。見れば、夢は泣いていた。
「夢の言う通りだ。私たちに過度に構うあんたはなんで、他のメンバーよりもなんで、こんな私たちのことを……」
「あんたらだからだよ!」
「ッ?!」
被された台詞に、涙腺が崩壊したような感覚が走った。
「本音を言うあんたらだから、信用できる! 我は……」
「そこまでです、先輩」
震え声から一転。落ち着いた声が聞こえてきた。
「……ん? 何故三人とも泣いているのですか?」
小首を傾げたのは、藍色の髪の新入生――藍沢凜音だった。
*
「みっともないと思います。先輩方、後輩になめられたら一体どうするつもりだったんですか?」
その後輩の凜音ちゃんが、三人の先輩を体育館の床に正座させて説教をし始めた。その三人の先輩たちは、何故か気恥ずかしそうに俯いている。……さっき何か叫んでいたけれど、それのことかな? 私にはよくわからないけれど。
ステージでは、我妻先輩と高崎先輩、そして洸くんが話をしている。……何か私、すごく浮いているような。
だだっ広い体育館でぽつんと一人立っていると、中学の頃を嫌でも思い出してしまった。
《死神》と呼ばれた主将の蛍に、その執事の松岡一真さん。……松岡さんがいたから、私たちは〝四天王〟とも呼ばれるようになったんだっけ。そして、私には《力》という通り名をつけられた――。
「フッ。なめられるものなら、なめればいい。百倍にして返してやる」
「……不満だけど、厨二に同意」
「僕も。やれるならやってみろ」
「……貴方たち、人として何かズレてませんか?」
確かに、三人共日本語が変――
「――いや、凜音ちゃんも敬語ばっかでいろいろと変だよ?!」
「え」
余程ショックだったのか、凜音ちゃんは固まって動かない。
「あぁ、ごめん! なんかごめん!」
「い、いえ。正論過ぎて少し驚いただけです」
盲点でした、と真面目に反省する凜音ちゃんはバカがつくような真面目さだった。……この部活、変人しかいないのかなぁ。
「あの、みなさんバスケ部なんですよね?」
バラバラに返答する先輩方に、一抹の不安を覚える。
「……強いんですか?」
「当たり前だ。我のチームだか……」
「バカにしてる?」
「証明しようか?」
それって、これからバスケをするってこと? そんな急に無理――。
「なら、いいのがそこにいますよ」
凜音ちゃんが指を差したのは、洸くんだった。
*
「凄い……」
男バスと先輩方がミニゲームをした結果、負けはしたものの男女差をものともしていなかった。
「洸相手にここまでですか……」
と、凜音ちゃんも驚いている。その時、自分のスマホが鳴った。その出てきた名前を見て驚く。
『……もしもし?』
「主将……」
『元、でしょ?』
「何か用?」
『……ん。ちょっとね』
その声は何故か苦しそうだった。
『……本当に、私に勝ってくれるの?』
「怪我人を出さずに、ね。安心してよ! 最高のチームに出会えたから!」
『……ッ!』
「だからもう、試合で泣かないで?」
『……ごめんね。ごめんね、千恵ちゃん』
そこで通話は切れてしまった。
「一年! 今度は全員でやるぞ!」
「わかりました!」
「はい!」
松岡さん。あの日の約束は守るよ。
――常花高校女子バスケットボール部。始動ッ!