第四話 失うこと
なんだかんだで次の日になってしまった。リンが今住んでいる家は青森のどっかにあるから、僕や千恵と違って寮生活ではない。だからすぐに会いに行けるというわけではなく、一日も経つと昨日に比べて会いたいという気持ちが薄れていった。
ちょっと冷静になった今だから思う。むやみに会いに行ってこれ以上嫌われるのがごめんなのだ。けれど、留守番電話の最後の台詞が今になって脳内に響いていた。
「うちの高校、部活動が盛んなんだねー」
「なんであんたがここにいるの。邪魔なんだけど」
目の前の席に座っている千恵は、部活動紹介の冊子を見つめている。
「いやぁ……違う土地に住んでいる人たちに話しかけづらくって」
苦笑いを浮かべる千恵に苛立ちを覚えながら、僕は帰る準備をする。
「僕、もうかえ……」
「あ、うち茶道部あるんだ。確か中学にもあったような……」
「ッ?!」
「ん? どうしたの? 洸くん」
不思議そうに僕を見上げた千恵の手から冊子を奪い、部室の位置を確認。そして、僕はそれを千恵に押しつけて教室を飛び出した。
*
「広いですね……」
第一印象はそれだった。和室の構造は東雲のものと似ているけれど、きちんと掃除がされてある。茶道専用の道具もたくさん置いてあり、それぞれに名前が書かれてあった。……きっと、部員がたくさんいるのでしょう。けれど、今日は活動日ではなかった。
外から見るだけと思って来てみたけれど、鍵がかかっていなくて勝手に入室して今に至る。
「……畳のいい匂いがしますね」
そういえば、洸がよく畳に寝転がっていましたね。
練習を時々サボるようになってからは、来る頻度が日に日に上がってきていって――悲しいような、嬉しいような、複雑な気持ちになってしまったことを覚えている。……今さら、好きだと気づいても遅いはずなのに。まだ彼が私のことを好きなのでは? そういう淡い期待を持つこともあって。そしてそんな自分が嫌になる。
『ねぇ〜、お腹すいた〜』
『へぇ〜。僕、この抹茶は結構好きかも〜。どこのやつ?』
『やっぱり――ここにいた」
「ッ!?」
聞こえてきた声に振り返ると、やはりそこには洸がいた。
「……こっ、洸?!」
「…………あのさぁ」
「……は、はい?」
妙に落ち着いている洸を前にして、驚いていた私も徐々に落ち着きを取り戻していった。その洸は、何を言うのか考えているように視線を逸らす。
「……昨日、なんで青森に来たかってリンが聞いたじゃん?」
「……は、はい」
「僕、わかったんだよね」
その先の台詞を言おうとして、洸が口を開いた。
「ま、待ってください!」
「……は?」
少し傷ついた表情をする洸を見て、少しだけ罪悪感が込み上がってくる。ぐさぐさと刺されたように心が強く痛むけれど、言わなきゃ。
「すみません! その話、長くなりますか?」
「……うん、多分」
「では……!」
私は、視界に入っていた座布団の山を指差した。
「座って話をしましょう!」
その刹那、洸が呆れたような表情をした。
二枚座布団を取って、一枚を洸に渡す。座布団に座れば、何故か洸は黙ってしまった。
「こ、洸……?」
おかしい。こうしたらすぐに話してくれるかと思ったのに。
「……何も考えてなかったんだよね、僕も」
ぼそっと、俯いていた洸はそう呟いた。
「えっ?」
「青森に来た理由なんてないし。ここに来たのも、推薦が来たから来たってだけ」
「…………」
……やはり、期待しただけバカでしたよね。私。
「でも」
「……でも?」
「強いて言うなら、リンの…………できるだけ、リンの近くにいたいと思ったから」
それじゃ理由になんない? と、洸は私を見つめる。
「なんで……そんな……」
……近くにいたいだなんて。その台詞は言葉にはならなかった。
お願い。……私を、持ち上げて落とさないで。私はもう、何も失いたくないから。
「――やっぱ僕、リンのことが好きだからさ」
気持ち悪いかもしれないけれど。洸はそうつけ足して俯く。
「……ッ!」
張り詰めていた何かが、洸の言葉で消滅したような気がした。
*
「――やっぱ僕、リンのことが好きだからさ」
気持ち悪いかもしれないけれど。そうつけ足す。
今までの僕は、どこか普段の僕じゃなかった気がする。悩みだとか、迷いだとか、そんな感情を一切抱くことなく生きてきたような人間だから。けれど、リンのせいでそういう感情が理解できるようになってしまった。そして思う。うじうじするのは性に合わない。……一度フラれているんだし、何度言ったって同じだよ。きっと。
同じというのは、結果じゃなくて告白の代償のことだった。失ったものなんて何もない。一回目はキツかったけどね。
「ちょっ……!」
ぼろぼろと、リンが目から涙を零す。僕、そんなにマズいこと言った? やっぱ、告白は駄目だった? 二回目って気持ち悪かった? そもそも青森に来た時点で駄目だった?
みるみる内に赤く腫れるリンの瞳は、咄嗟にリンが腕で隠した。
「…………ね、ねぇ、リン……」
「……私、も……」
「……は」
聞こえた言葉に、僕はそんな言葉で反応した。……今、なんて? なんて言った?
「……本当は……! 二年前から……私も、洸のことが好きだったんです……!」
好き、という単語に心がバカみたいに反応する。そして、泣きじゃくるリンにじゃあなんで僕のことをフッたんだって怒りをぶつけたくなってきた。……ただ、耳にこべりついていた「助けて」が僕のそれを消し去った。
同時に、どうしようもなく目の前のリンに対して何かを言わなくちゃと思ってしまう。なんて言えばいいんだろう。僕はリンのことをそんなに知っているわけじゃない。けれど、そんなリンのことがずっとずっと好きだった。
無意識なのか意識したのかはわからないけれど、気づいた時には腕が伸びていた。……あの時、ガラクタだと思っていたのに。その腕は、あっさりとリンのことを抱き締めた。
「ッ!?」
「……わかったから、もう泣かないでよ」
一瞬、二年前のあの日と重なった。
和室でぼろぼろ泣き出すリンに、僕が思わず頭を撫でてしまったあの日。
ありがとうって言われたけれど、思わずした行為を認めたくなくて否定した。だけど、おかしそうに笑われたのを今でもよく覚えている。多分、あの時から好きだった。
僕があの日、リンを泣かせたんだっけ? いや、勝手に泣いた。多分そう。そうだと思う。
「ごめんなさい……! ずっとずっと、ごめんなさい……っ! 冗談だなんて言って、ごめんなさい……! 本当は……凄く、嬉しかったのに……!」
その後、ぽつぽつとリンが自分の話をし始めた。
大切なものを失うことが怖いって言ってた。家のことも話してくれた。父親や母親のことも聞いた。小さな肩なのに、重たいものを背負っているんだと思った。
逆に僕は、リンよりも大きいのに何も背負っていないんだと思い知らされた。
「ねぇ、もう落ち着いた〜?」
助けて、リンがそう言った意味がなんとなく理解できた頃、彼女の嗚咽がなくなった。……胸の辺りがなんか湿ってる。だけど、離そうとは思わなかった。
「……はい」
服越しにリンの吐息を感じる。今さら、それが擽ったい。
「……あのさぁ」
「……なんですか?」
ぎゅっと、セーターを握られた感触がした。その縋りつくような行動をするのが意外すぎて、甘えてんのかなって思って、そうだといいなとも思った。
「僕たち、両想い?」
一瞬、時間が止まった気がした。聞こえてた雑音も、不思議と聞こえなくなってくる。
「……はい」
「じゃあさぁ……」
まだ、雑音は聞こえない。洸の声しか聞こえない。できることなら、もう二度と聞こえないでほしい。
「……リンのこと、触ってもいい?」