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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
廃屋寸前物語
23/88

第一話 脆く崩れる

『おとうさま、これはなんですか?』


 私は、両手でないと持てないほどの大きさの丸い物を指差す。


『それはバスケットボールだよ』


 お父様は、低いけれどどこか落ち着くような声色で私に教えてくれた。


『ばすけっとぼーる?』


 豪華な絨毯の上に置かれ、違和感しか感じさせないそれをお父様は軽々と持ち上げ微笑む。


『そうだ。お前もやるか?』


『うん!』


 当時はよくわからないままに頷いた。今となっては、当時の判断が良かったと思えることが幸いだ。


『強くなるんだぞ? 他の家の人間に負けぬように――』


 強くなれ、そう言われた私は毎日のように練習していた。言われるがままに、他にもいろいろなことをやった。……人一倍、努力もしたんだ。


『え、そんなの一回やればできるじゃん』


 琴梨ことりにそう言われても、私は努力することをやめなかった。そして私は、強くなりすぎたんだと思う。そう思っていた。あの日、茶野さの先輩に負けるまでは。


『世界は広い。近所の大会で圧勝したからって思い上がりもいいとこだよ』


 茶野先輩に、そう言われるまでは。


『……じゃあ、もっと強くなる』


『もう、負けません……!』


 にっと口角を上げて、茶野先輩は両手を広げる。


『ようこそ、東雲しののめ中女子バスケットボール部へ!』


 ゆいに、うさぎに、琴梨に、私。そして最後に茶野先輩。そして、白樺しらかば先輩とまだ見ぬたった一人の幽霊部員。このチームで、私たちはあの全中を勝ち抜いた。


「何故ですかっ、お父様!」


 木製のデスクを力強く私は叩く。けれどお父様は、微塵も驚かず――ただ無駄に豪華な椅子に座っていた。


「何故……っ、何故、私がバスケを辞めなければならないのですか?!」


 ――バスケを辞めろ。それが、ついさっき聞かされたお父様の意見だった。


「私たちは全中でも優勝したんですよ?! 私たちのチームはこれからなんです! だというのに……」


「……だから、なんだと言うんだ?」


 開かれた瞳の奥は、ただただ闇が広がっている。


「ッ!?」


 私はそれに、臆してしまった。


「……お父様じゃないですか。私に、バスケをやれと……仰ったのは……!」


 途切れ途切れになおも反抗するけれど、お父様は聞く耳を持たない。……その時、私はすべてを悟った。

 私は、親に逆らえるほど大人ではないのだ――と。





 茶野先輩が引退した翌朝、私は琴梨を呼び出した。


「私、退部します」


 前置き等は面倒くさい上に回りくどい。


「……は?」


 唐突に言えば、琴梨の目が点になった。……まぁ、予想の範囲内だけど。


「ちょっ、え? 何かの冗談?」


「違います。私が冗談を言ったことがありますか?」


「や、ない……けどなんで……!」


「私は――」


 少し逸らしていた瞳で、琴梨を真っ直ぐに捉えてみる。そして、一昨日悟ったことを告げた。


「――親に逆らえるほど大人ではありませんから」


「……そう」


 琴梨の視線が下がったのを見て、私は「では」とだけ言う。


「……待って」


 真横を通りすぎた直後に、声がした。


「……はい?」


「……あたしも、辞める」


 その瞬間、堪えていた涙が自分の頬を伝っていった。

 私は慌てて琴梨に背中を向け、「そうですか」とだけ辛うじて答えて去っていく。歩きながら、私は流れた涙を無理矢理拭った。拭い終わった後の手は、ポケットの中の紙切れを掴んだ。


『バスケを辞めた後、ここにいけ』


 それは、一昨日お父様から渡された物。場所を確認した後、握り潰し、ポケットに戻した。……まずは、退部届けを顧問に渡さなければいけませんね。……いや、授業が先ですね。

 遅刻ギリギリに教室に行けば、やはり空席が目立っていた。


 一つは、入学式以降一度も学校に来ていない幽霊部員。一つは、不登校の唯。隣のクラスでは、うさぎの席が空いているように見えるはずだ。そして、琴梨もいつもの元気がなかった。

 ……徐々に、チームがバラバラになっていく。茶野先輩が引退した女バスは、半年前と同様に廃屋と化していった。




 放課後。意を決して職員室の扉をノックする。


「……失礼します」


 入室してすぐに、散らかった小塚こづか先生の机とその張本人が視界に入った。


「相変わらず目に毒な机ですね」


「なんだ藍沢あいざわ、入って早々ひっでぇなぁ」


「えぇ、よく言われます」


「んで? どうした?」


 ポリポリと頭を掻きながら私を見る小塚先生は、これから私が何をしようとしているのかを知らない。


「これを提出しに来ました」


 私は、鞄から取り出した封筒を女バスの顧問の小塚先生に見せた。


「本気か……?」


 瞳が鋭くなり、声色も低くなる。


「はい」


 それでも、お父様に比べたらたいしたことではなかった。


「あっそ、りょーかいりょーかい。で、藍沢はこれからどうすんの?」


 急に話題を変えてきた小塚先生に驚きつつも、私はお父様に指示された部活動名を口にする。小塚先生はそれを聞いた瞬間、とんでもないことを口にした。


「おい、藍沢……。その部活、廃部寸前だって聞いたぞ……?」


「えっ……?」


 信じられない。けれど、この目で見るまでは信じない。

 私は東雲の廊下を歩き、一度迷ってようやく辿り着いた。


「ここが和室……」


 障子の紙がなくなったような、木製の大きな扉を見つめる。木で組み立てられたようなそれの中は外からだと丸見えだった。


『つか、茶道部は部員がゼロだった気が……』


 元顧問――いや、小塚先生の言う通り、鍵を開けて中に入れば活動日だというのに人の気配がまったくなかった。


「……けれど、お茶を点てるのに必要な道具は揃っているんですね」


 首を振り、ため息をついた。お父様の指示で茶道は幼少期から習っているから、勝手に準備をし始める。

 広い和室にいると、教室からの雑音は一切聞こえず。凄まじい虚無感が私の全身を襲いかかった。


「……だから茶野先輩は、あんなに必死だったのでしょうか」


 バスケは五人いないとできないけれど、茶道ならば最低でも一人いればできる。私に、必死になる理由などなかった。





「あ〜あ、今日も部活かぁ〜」


「いきなりなんだ、紫村しむら。何か文句あるのか?」


「今別にクマさんに話しかけたわけじゃないんだけど?」


「なんだと……?!」


 僕は長いため息をつく。てくてくと廊下を歩きながら、なんとなくそこで会ったクマさんと一緒に体育館に行く途中だった。

 その為には長い廊下を歩かなきゃいけなくて、正直面倒くさい。


「まぁまぁ、そう怒んないでよ。カルシウム足りてないって言うの? こういう時ぃ」


「うるさい。余計なお世話だ」


 クマさんは怒ってそっぽを向いた。僕は僕でクマさんの相手をしなくていいから別にいいけど。


「あ、たくちゃーん! 今から部活ー?」


「うるさい」


「ぶー、拓ちゃんのケチー!」


 ……あ、クマさんの幼馴染みのセンパイだ。名前忘れちゃったな、誰だっけ。


「ケチじゃない!」


 口うるさいクマさんの相手をしてくれて助かるけれど、このセンパイもセンパイでうるさいんだよなぁ。


「私もバスケしたーい!」


 あーあ。うるさいうるさい。あっちの方から体育館に行っちゃおっと。


「お前はいい加減受験に集中しろ!」


 クマさんは幼馴染みのセンパイと話してるし、いっか。そう思って僕は一人道を逸れた。


「……何ここ」


 気づけば僕は、校舎の一番端に来ていた。目の前の扉には四角い穴があって、中がすごくよく見える。


「……ふぅん。こんなとこあるんだ」


 マンモス校だし知らなかったなぁ。うちの学校は遊園地みたいで、そういうところが面白いから好きなんだけど。


「お邪魔しまーす」


 好奇心に負けて開けてみた扉の奥は、ちょっとした廊下になっていた。そこを歩けば、左側に畳の部屋があって――


「……えっ、ひ、人……?!」


 ――そこに、同い年くらいの女……ていうか藍沢凜音りんねがいた。


「あ、どーも」


「え、ちょっ……えっ?!」


 凜音は僕には理解できない物を持っていて、僕には理解できないことをしている。傍に置いてあった抹茶が、さっきまで匂っていた匂いの正体だと思った。


「もしかして、紫村さんも入部希望なんですか?!」


「は?」


「嬉しいです……! まさかこんなに早く来てくれるなんて!」


 何この人。信じらんないくらい喜んでるんだけど。けど、凜音がこんなに喜んでるのって初めてかもしれない。全中で優勝したあの時でさえ周りの目を気にして大人しくしてた方だったし。


「ささっ、早くこちらに!」


 見た目とは違い、意外にある力でぐいぐいと押される。


「ちょっ、何? 意味わかんない僕そんなのじゃないし……! ていうか敬語で喋るのもやめてくんない?! 僕そういうの嫌いだし聞いててうざいんだけど!」


「え……?」


 ぴたっと一気に押されなくなり、僕は少しだけ後悔した。男バスにいた時の調子で言っちゃったけど、凜音とはそんなに仲良くないし距離感を間違えてしまったかもしれない。


「……お父様が、こうしろって。すみません、私タメ口無理なんです」


 首を後ろに回して見下ろせば、苦笑いを浮かべた凜音が立っていた。


「……あっそ」


 見ていられなくなってすぐに逸らす。こんな風に落ち込むこともできるんだ。高飛車お嬢様って感じだったのに。


「っていうか、なんか入る流れになってるけど僕入んないからね?! そりゃ男バスの練習はめちゃくちゃ面倒だけどさ、あっちの方が数百倍も面白そうだし!」


「えっ!?」


 すると、今度は物凄く悲しそうな表情をされた。……まぁ、同情はしないけど。


「なんなの? そっちが勝手に勘違いしたんでしょ?」


 いろいろとムカついたからちょっと当たってみた。そういうところが良くないんだってみんなからは言われるけれど、そう簡単に改善されるような性格もしていない。


「私、紫村さんの話も聞かずに……いきなりすみませんでした」


 あれ、意外と物わかりがいい。ちょっと助かったかも。


「別にいいし」


 けど、罪悪感が半端ないのはうざったかった。


「ならば、何故和室に? ここは学校の端っこですし……まさか、迷ったんですか?」


「はぁっ?! 違うし! 方向音痴じゃないし!」


 体育館の方を指差そうとするけれど、部屋の隅に座布団が置いてあるのを見つけて僕の思考は全部そっちに持っていかれた。


「……もういい。僕ちょっと寝るから」


「はぁっ?!」


 倒れるように寝転んで、手で座布団を引き寄せる。学校ではなかなか寝そべる場所がないからか、物凄く落ち着くことができた。

 あ、畳のいい匂い。ヤバい、僕この部屋結構好きかも。目を閉じそんなことを思っていると、別の匂いがした。仕方なく目を開ければ、僕を睨んでいる凜音と目が合う。


「なぁに?」


「それはこっちの台詞です! いきなりなんなんですか紫村さんは! とにかく起きてくーだーさーいー!」


 僕を引っ張ろうと凜音が手を伸ばした時、僕はあるものを見た。凜音の手を躱してそれを握ると、凜音は「きゃっ?!」っと声を漏らす。


「――ここ、タコできてる」


 しん、と部屋が静かになった。目の前の凜音は目を見開き、口をぱくぱくとさせている。


「なん……っで……わざわざそんなことを……!」


「別に? 意外とちゃんと練習してたんだなぁって」


「ッ!」


 そして、僕は今初めてまともに凜音を見た。髪の毛は肩までの長さで、他の女と比べて筋肉もちゃんとついてる。

 やっぱり、さすが全中を優勝しただけはあるな。僕たち男バスも優勝したけれど。


「まぁいーや。ねぇ、お腹すいた。何か食べる物ないの?」


 凜音は数回まばたきした後、笑いながら和菓子を差し出す。あ、美味い。表情に出てたのか、また凜音に笑われた。




 あの後、無断で部活を休んだ僕は、ケンやクマさんに叱られた。叱られるのはヤだったけど


『今日は楽しかったです。……ありがとうございました、紫村さん』


 僕も楽しかったし、まぁいっか。

 和菓子も美味しかったし、また行ってやってもいいかもね。そんなことを一人で思った。


こう! ちゃんと話聞いてる?!」


「ん? 何か言った? ケン」


「聞いてなかったな」


「なにさ。クマさんだって幼馴染みのセンパイと話してて遅刻してたじゃん」


「してない。根拠もなくふざけたことを勝手に言うな」


「え〜……」


 そうなの? あんなにべらべらと話してたのに。


「……あ、ユイだ。またこっちに来たの?」


「何よ、来ちゃ悪い?」


 最近男バスの体育館に来ては、一緒に練習をするようになったユイ。あれ、ていうか凜音、なんであんなとこに一人でいたんだろ。女バスって確かユイ以外辞めたって話だったけど、そっか。凜音も辞めたことになっているからか。


「ユイ、ウサちゃんやトリちゃんの他に……」


「今日もやろう、橙乃とうの!」


 僕の言葉は、ケンが無邪気に遮った。

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