成清高校女子バスケットボール部
「ねぇ、《魔術師》の琴梨ちゃんだよね?」
成清高校の入学式の日、あたしは見知らぬ先輩に話しかけられた。
「……そうですけど」
不意に、東雲の入学式を思い出す。天然猫被り先輩に出逢ってしまったせいで、あたしの人生は変わってしまった。……その茶野先輩に雰囲気が似ていたのだ。
「やっぱり! はじめまして、私は暁香。成清の女バスの主将をしてるの」
満面の笑みで黒髪を揺らす、暁先輩。その先輩とは対照的に、あたしは眉を顰めた。
「その先輩があたしになんの用ですか? ……言っときますけど、バスケ部には入りませんよ」
「……どうしても、駄目?」
暁先輩にその気はないのだろうが、瞳をうるうるとさせて見つめてくる。ほぼ同じ身長なのに、上目使いされた気分だ。
「駄目です」
「じゃあ……」
「1on1もやりませんよ?!」
その先の台詞を予知して、あたしは全力で遮った。
*
水色の髪を揺らしながら去っていく琴梨ちゃん。それを見届けた私は、側にある体育館に足を運んだ。
「ゆーずちゃーん。フラれちゃったー」
「あぁ、だろうね」
壁に寄りかかり腕を組んで私に相槌を打ったのは、同じ三年で副主将の笹倉柚。
「そもそも、放っておけばいいでしょ。東雲の人間なんて、どこも相手にしているだけ無駄」
けれど、吐き捨てるように言う柚ちゃんに私は思わず反論した。
「佐竹君がね、東雲の青原直也君を獲得したんだって」
「は……?」
「だから、欲しいなーって。女バスにもそういう子」
柚ちゃんは、納得したようなしてないような微妙な表情を浮かべている。
「そんなの、私たちがいるからいらな……」
「本当にそう思う? 私たちの世代のあの五人にも、琴梨ちゃんを含めた〝東雲の幻〟にも、《死神》が率いていた〝東雲の魔物〟にも。彼女たちに、私たちだけで勝てると思う?」
「ッ!」
私の言葉に、柚ちゃんは押し黙ってしまった。少しだけ意地悪をしてしまったかな。ごめんね。でも。
「それにね、いくら柚ちゃんが反対したってもう遅いんだよ。〝東雲の魔物〟のうちの二人が、成清に入学したの」
「はぁっ?! 何それ、聞いてない!」
「だろうね」
柚ちゃんのさっきの言葉をわざとらしくリピートさせる。〝東雲の魔物〟がいると聞いて、彼女は機嫌を悪くした。
「香、わかってんの? 〝東雲の魔物〟は、《死神》と共にコートに立った奴らのことを言うって。〝東雲の魔物〟が《死神》と共にバスケをしたから、たくさんの怪我人を出したんだって……!」
「……わかってるよ、柚ちゃん」
東雲として優勝した五人が全員いなくなった頃、突如として現れた〝東雲の魔物〟。一見ラフプレーをしているようには見えないし、目撃者がいるわけでもないけれど、数多の怪我人を出したのは事実。
「そんな〝東雲の魔物〟と一緒にバスケなんてできないし、バスケを捨てた〝幻〟なんかともできない! 私は、あの五人も、〝東雲の幻〟も……〝東雲の魔物〟だって認めないから!」
そんな彼女たちに柚ちゃんが拒絶反応を示すのは、無理もなかった。
*
春風がアタシたちを撫でるように吹く。……花粉飛んでそうだな。
「わっ、スカートが……!」
たいして吹いてもいないのに、親友の沙織はスカートを抑えた。
「……沙織」
多少呆れもしながら、純粋な《愚者》は羨ましいとも思う。
「ん? 何? 葉月」
「……別に。それよりも、沙織はアタシと同じ学校で良かったの?」
沙織は一瞬きょとんとし、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「勿論!」
「アタシたち以外の〝東雲の魔物〟は、全員別の学校に行ったのに?」
「〝東雲の魔物〟って……。そもそも四人しかいないし、一人裏切ったじゃない」
耳に髪をかけながら、《愚者》という通り名を持つ沙織は苦笑いをした。
「だから、いいんだよ」
「…………あっそ」
そう言って、アタシは中学生だった頃の〝東雲の魔物〟を思い浮かべた。
二年前の全中は酷かったな。コートに立った瞬間に浴びせられる罵声。《愚者》、《戦車》、《塔》、《力》、そして《死神》。いくら酷い試合をするからって、アタシたちはまだ中学生だ。それに加え、アタシたちはそんなことしていない。
相手が勝手に怪我をするだけ。けれど、誰もそれを信じてはくれなかった。だから次第に、アタシの心は荒れていったのだ。
『自分ら、ウチの仲間に何してんねん!』
ベンチから聞こえてくる怒声。
『なら、アンタがコートに立てば?』
何も知らず、試合にも出ず、好き放題言う関西の女。アタシは、そんな奴らが大嫌いだ。
『白、メンバーチェンジです!』
『仲間の仇は、ウチがとる!』
『……威勢がいいね』
『仇って、私たちは何も……!』
『……蛍、もう、誰に何を言っても無理だよ』
その試合。アタシたちは、当然のように勝って彼女たちの前から去った。
「…………」
『……蛍、もう、誰に何を言っても無理だよ』
沙織のその言葉がアタシの心に突き刺さる。
「……きっと、大丈夫だよ」
なのに、沙織は肯定した。
「……何が」
《戦車》という通り名を背負ったアタシは、《愚者》を軽く睨む。
「私たちはもう高校生。成清高校の生徒。だから、きっと――きっと、一緒にやろうって言ってくれる人がいるよ!」
こんな私たちだけど、きっと、大丈夫。沙織がそう言って笑った。……甘いな、と荒んだアタシの心は言う。
けれど、少しだけ――少しだけそうであってほしいと願った。
「……そうだといいね」
小さく、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で。らしくもない涙は見せまいと、そっぽを向き。呟いたアタシの叫びは、風に乗って消えていった。
*
「あ、ウサミーン! ユイユーイ!」
豊崎高校の敷地内で、二人に駆け寄る。ウサミンは笑顔で、ユイユイはしかめっ面で俺を迎えた。
「宗一郎くん、おはよう」
「おはよ、黄田」
「おはよ〜」
「あ、あの……宗一郎くん? お仕事の件はどうなったの……?」
控えめに、ウサミンが俺に聞く。それを聞いて俺は彼女のことを思い出した。
「勿論断ったよ! それよりも俺、コトに会ったんだよね〜!」
俺の口からコトと聞いて、二人の顔に驚きが広がる。
「琴梨に?! あんた、琴梨にどこで会ったのよ!」
「事務所で会ったんだよ。コト、《Tears》を作曲したアーティストらしくて……」
「《Tears》……。そっか、琴梨ちゃんだったんだ……」
「あぁ、なんか納得したわ……。てか黄田、それって私たちに言ってよかったの? 《Blue Bird》って顔出ししてないじゃない」
「あ」
すると、二人があからさまに呆れ顔をした。
「おはようさんっ!」
振り返ると、俺らに手を振るメイメイと目が合った。俺たちはほぼ同時におはようと返し、彼女も仲間に入れる。
「自分ら、さっきからなんの話しとるん?」
好奇心丸出しで聞くメイメイに、俺らはゆっくりと顔を合わせた。
「……そうね。とりあえず、あんたには関係ない話よ」
そして、真っ先に口を開いたのはユイユイだった。
「なんやそれ、ウチだけ仲間外れかいな! 一緒に《死神》と戦った仲やんけ!」
「私とちぃちゃんの元チームメイトの話よ」
「誰やそれ。《魔術師》と《策士》のことを言うとんの?」
「そういえば、琴梨ちゃんはどこの高校に行ったかわかるの?」
ウサミンに聞かれ、俺はコトが着ていた制服を思い出す。
「……確か、あの制服は成清だったかな」
「成清って、〝東雲の魔物〟が二人行ったところやん」
「ッ!」
「し、〝東雲の魔物〟……? 何それ……」
ウサミンがおずおずとメイメイに尋ねた。確かにそれは俺も気になる。
「……ただの《死神》の腰巾着や」
けれど、その言葉に俺だけが首を傾げていた。
*
入学式から一ヶ月以上の時が経った。仮入部期間も終わり、一年生は本格的に練習を始める。その中には、〝東雲の魔物〟と呼ばれたの二人もいた。
「……私が本当に欲しいのは、琴梨ちゃんなんだけどなぁ。柚ちゃん、二人を睨んじゃ駄目だよ」
「……別に睨んでない」
「んー……。梅咲監督、説得しに行ってもいいですか?」
「琴梨って、確か水樹琴梨よね?」
「はい。そうですけど……?」
「そうねぇ。妹がお世話になってるし……いいわよ。行ってきなさい」
「軽っ! ってか、監督妹いたんだ……」
「えぇ。それはもう……自慢したいくらい可愛いわよ!」
「行ってきまーす」
私は聞かなかったことにして体育館を出た。振り返ると、柚ちゃんがドン引きした表情で監督と話している。
……監督、シスコンだったんだ。新たな発見を胸に秘め、私は一歩踏み出した。
*
「直也! あんたまたサボって何してんの!?」
「うるせぇなぁ。お前は俺の母親かよ」
「何か文句あんの?」
「大ありだ、部活入ってねぇくせに」
「これからバスケ部に入るんだ!」
「……あぁ、そういえばそうだったな」
目の前で寝そべる直也は、青々とした空を見上げている。
「あ、そうだ」
それを見て、あたしはやるべきことを思い出した。取り出したスマホに表示したのは、親友である凜音の名前だった。
数回のコール音の後、一年ぶりに聞いた彼女の声。
『……琴梨?』
それは、驚きに満ち溢れていた。
「久しぶり。元気そうじゃん」
『……まぁ、そうですね。で、何か用ですか?』
「あたしさ、もう一度バスケするんだ」
『……え?』
すると突然、電話越しに笑い声が聞こえてきた。
「えっ? えっ?! ちょっ、何?!」
『ふふ……! あははっ!』
「ちょっ、何よ! 何かおかしい?!」
心の底から笑う凜音に出逢えるなんて、こんなの初めてかも……。そう思って、戸惑いと同時に嬉しいとも感じていた。
『すみません……。実は、私もなんです』
「えっ?」
『だから、私も……もう一度バスケをするんです』
「ッ!」
その瞬間、あたしの中で衝撃が走った。
「それって、つまり……!」
『えぇ。もう一度会えますね』
あれから会いに行けなくてすみません、そうつけ足しながら凜音がまた笑う。
『……琴梨』
「うん……」
『また会いましょう』
「インター・ハイで!」
言うと、凜音と言葉が被った。私たちはまた声を出して笑い、長らく味わっていなかった空気を味わう。
「琴梨ちゃん! その言葉、本当?!」
「え……?」
振り返ると、爆睡している直也と異様に瞳を輝かせた暁先輩がいた。
『……琴梨? そこに誰かいるんですか?』
『ねぇ、電話まだぁ〜? 長くない?』
暁先輩に驚いていると、電話の奥から別人の声が聞こえてくる。この声って……すっごい聞き覚えがあるけど誰だっけ?
『すみ……って、思い出しました! 琴梨ぃ!』
「えぇっ?! なっ、何!」
とりあえず直也を踏んでいると、耳元で凜音の怒声が聞こえる。
『貴方! あの伝言はなんですか!』
「伝言……? って、あれか!」
確か、数ヵ月前に紫村に頼んだ――
「――ってことは紫村に会えたんだ! よかっ……」
『あの伝言、そっくりそのまま貴方に返しま……』
なんか説教されそうだったから、あたしは急いで通話を切った。すると、暁先輩があたしに抱きついてくる。
「琴梨ちゃーん! バスケ部に入ってくれるんだねー!」
「……あぁ。はい、まぁ……」
この人、こんなキャラだっけ? 思ってたのと違って少し戸惑う。
「じゃあ、行こう!」
行こうと言われ、半ば引きずられるようにあたしは体育館の中へと入れられた。
「梅咲監督ー!」
暁先輩に呼ばれて振り返った監督は、どこかで見たことがある顔をしている。
「暁!」
「香ー!」
暁先輩を香と呼んだ先輩らしき人は、何故か半泣き状態だった。……何があった、この人たちに。
「来たのね、水樹。じゃあ、全員集合!」
監督は、お腹から出した声を体育館に響かせた。それを合図にして、さっきまで練習していた人たちが集まってくる。
「……さて。今さらだけど、みんなに挨拶をするわ」
今さらなの?! そう思って辺りを見るけれど、本当に今さらだったのか同じ一年たちが驚いたような表情をしていた。
「私の名前は、梅咲理緒。ここ成清の監督をしています」
「梅咲って……」
あたしの呟きが聞こえていたのか、監督はあたしに向かってウィンクをした。
「私からみんなに言うことは、ただ一つ」
監督の言葉に、常に笑みを絶やさない暁先輩もさっきまで半泣き状態だった先輩も表情を引き締める。
「――無敵であれ」
それは、あまりにも無茶な命令だった。
舞ちゃんの姉である梅咲監督の話も終わり、あたしは体育館の壁に体を預ける。そして、練習を再開する部員を眺めた。……このチームであたしはこれから凜音と戦うのか。不安でしかなかった。
「アンタ、何しかめっ面してんの」
休憩中なのか、つり目がちな新入生が話しかけてくる。
「……て、もしかしてあんた東雲出身?」
「そうだけど?」
「久しぶり、水樹さん」
「あ……」
にこっと微笑んだのは、同じクラスだった北浜さんだった。
「久しぶり!」
あたしは体育館に来て初めて笑う。その瞬間、ただならぬ視線を感じて震えた。
「ッ!?」
「……あぁ、またあの先輩か」
「……あの先輩ね、私たちのことよく睨んでくるの」
徐々に徐々に振り返ると、さっきまで半泣き状態だった先輩がこちらを睨んでいた。
「って、こっちに来る?!」
「私は、認めないから」
「……え?」
あたしは数回まばたきをして、北浜さんと――確か東藤さんに視線を合わせた。
「そんなこと言わないの!」
そんな先輩を抱き締めたのは、暁先輩。
「この子は笹倉柚。うちの副主将だよ」
「え、そうなんですか!?」
副主将と聞いてあたしは慌てて背筋を正す。そして、改めてあたしを囲んだ先輩や同級生たちを見て――驚いた。この人たち、他の人より雰囲気が違う。
「……なら、認めさせますよ」
笹倉先輩よりも鋭く、東藤さんは先輩を睨んだ。
「そうだね」
黒く笑う北浜さん。
「ふんっ」
「……へぇ」
「みなさん、意外と強そうですね」
思ったことを素直に言うと、全員から睨まれる。……あぁ、不安なんてどこにもないじゃん。
「じゃ、すぐに認めさせてあげますよ!」
このチームなら、凜音とだって戦える。あたしはそう確信した。
成清高校女子バスケットボール部。――始動ッ!