第五話 心の答え
「――俺とつき合ってくれよ」
…………オレトツキアッテクレヨ?
「ッ、はっ、はぁっ?!」
意味がわかった途端、体中がぶわっと熱くなる。それはもう、布団を剥ぎ取りたくなるほどに。
「言っとくけど、俺はマジだからな」
いつになく真剣な表情の直也。ただ跨がっていただけなのに、気づけば直也の両腕が顔の真横に置かれていた。
これは……床ドン?! じゃなくて!
「あああああのっ、直也ぁ?!」
体中から変な汗が出てくる。着ていたはずのブレザーはハンガーに掛けてあり、今のあたしはワイシャツのみ。これ、絶対に脇汗とかヤバいヤツ! あたし今絶対に汗臭い! そんなの嫌すぎる――!
って、嫌すぎる……? あたしは、床ドンよりも汗臭いって思われる方を嫌がっているってこと……?
「ひゃっ!?」
「熱いんだろ? そもそも具合悪くて運ばれたんだから取っとけよ」
そう言いながら直也にリボンをあっさりと取られ、ボタンを二個だけ外される。
「なっ、直也?!」
確かに熱いけど……! 具合も悪いんだろうけど……!
そして直也は、取ったリボンを端に置いて息を吐き――
『とうちゃ〜く!』
――素早くあたしの上から下りた。
『まったく、初めからこうすれば良かったのに』
『いやー、めんどくさくて?』
『……す、すみません』
『まぁいいわ。そこのベットに横になってなさい』
『……はい』
『さてと。水樹さんはどうなったかしら』
「ッ?!」
「やっ、やべぇ……!」
瞬間、傍に立っていた直也が慌てた。コツコツと先生の足音が近づいてくる。何してんのってくらいに直也はもたついており、閉められていたカーテンはあっさりと開いた。
「……あら、起きてたの」
「はっ、はぃぃい! すみません!」
声が裏返ったぁぁ……! 布団顔まで引っ張りたくなるのを堪え、あたしは必死に笑顔を作る。
「ん、大丈夫? なんかさっきと比べて顔が赤いようだけれど」
「えぇっ?!」
確かにあたしの体は熱い。慌てて両頬に触れると自分の手汗が頬につく。
「ちょっと汗ばんでいるわね……。熱いなら、リボンとボタンを外したのはいい判断よ」
あたしのリボンは、直也のおかげでちょこんとベットの上に置かれてある。そして、ベットの下には――直也が息を潜めて隠れているのだ。
「あっ、あはははは! そうなんですよ!」
棒読みがしんどい。あたしってこんなに演技ができないのか。なんでここだけ器用じゃないんだ。
「……? そう。じゃあ、もうしばらく休んでいなさい」
「は、はーい!」
先生によって閉められたカーテンの揺れを観察しながら、あたしは見えない直也を罵った。ゆっくりと這い出てきた直也の鳩尾をなるべく音を立てずにぶん殴り、声が出せない直也はしばらく傍らで悶絶する。
時間が経つと、痛ぇじゃねぇか! とでも言いたげな表情をしながらあたしに抗議の視線を向けてきた。
あたしはふんっとそっぽを向き、ベットに座る直也に耳を貸すように人差し指を出す。
(今度はなんだよ)
(なんだよじゃない。あたしのギターはどうしたのよ)
(はぁ? んなの屋上に置いてきたに決まってるだろ)
(はぁっ?! もぉー、何してんのよあほ!)
(うるせぇな! お前とあれ持ってこんなとこまで来れるかよ!)
……た、確かにそれは直也の言う通りだ。ギターはそんなに軽くない。言ってしまえば人二人分かもしれない。
(…………あ、ありがと)
(今度はなんだよ)
(……まだ、お礼言ってなかった気がするから)
恥ずかしくて、布団で顔を隠した。けれど、直也は不機嫌そうな表情をしてあたしの布団を自分の方へ無理矢理引っ張る。
(あっ……!)
(別にたいしたことはしてねぇよ。それより、告白の返事を聞きてぇんだけど)
そして、真っ直ぐな瞳であたしを見つめた。何それ、直也のことだからどうせ適当なことを言ったんだろうなって思ってたのに……それだけ真剣って言いたいの? あたし、自意識過剰になってないよね?
(……そ、それは……その)
(目ぇ逸らしてんじゃねぇよ)
(ぁぅぅ……)
直也の腕が起き上がったあたしのことを抱き寄せる。直也の匂いと、どっちのものかはわからない汗の匂いがした。
(水樹が好きだ)
耳元で囁かれる。
(なっ、なんでそんな急に……!)
揶揄っているようで、最後の最後まで認められない。
(ついさっき気づいた。俺は、お前のことしか女扱いしたことねぇってな)
(は、はぁ……?! 何それそれだけ……?!)
(充分だろ)
断言されると、もう他の音は聞こえてこない。胸がドキドキして、壊れそうになる。もしかして、これが恋というものなのだろうか。
どうやらあたしは、このたった数分で直也に恋をしてしまったらしい。いや、気づかされてしまったらしい。だから、あたしもこの想いを直也にきちんと伝えたい。
(……少し、考えさせて)
だから今返事をしなかった。直也は、わかったとだけ呟いた。
自宅に帰り、自室で半壊したギターを眺める。それは、数時間前の出来事だった。
『エンペラァアァァー!』
慌てて駆け寄り、無数の傷がついてしまった紅色のギターを抱き締める。
『うっ……! うぅ……!』
小さかった頃。それこそ、あたしがバスケを始めた頃からずっと傍にいた〝エンペラー〟という名のギター。このギターであの《Tears》も作曲したし、これからもエンペラーで作曲するつもりだった。
『…………』
視界の端で、直也が居心地悪そうに視線を逸らす。しばらくは、春風が屋上に吹いていた。
自室改めて見るギターは、もう弾けそうにもない。だからこそ、あの直也があたしのことを心配した理由もわかった気がするし――エンペラーの犠牲のおかげであたしは無傷で済んだのかもしれないとも思えた。
「……エンペラー、ありがと」
あたしは微笑み、今後どうするかを考えた。
「……ん? なにこれ」
*
「舞ちゃぁんっ!」
勢いよく事務所の扉を開けると、予想通りそこには舞ちゃんがいた。
「ッ!? 琴梨、貴方今は学校じゃ……」
「休んだ!」
言葉を無理矢理遮ると、何故か舞ちゃんは満面の笑みを浮かべる。そのまま頭を掴まれた。
「バスケとの両立は認めたけれど……勉強しないと痛い目見るわよ?!」
「いだだだだっ! 舞ちゃんごめぇん! でも許して!」
握り潰される……! さすが元バスケ部だ……!
「……で、こんな時間からなんの用?」
ぱっと離して、舞ちゃんは呆れたように腕を組む。
「あっ、そうそう! 舞ちゃん、ギターとスタジオ借りていい?!」
「……は?」
「今、すっごく曲を作りたい気分なの!」
舞ちゃんは黙ってあたしを見つめる。しばらくして、ふっと緩んだような微笑みを浮かべた。
「いいわ。許可が出るまでそこで待ってなさい」
「ッ、ほんと?! 舞ちゃんありがと! 大好き!」
「だからって抱きつくなって言ってるでしょう!」
ぼきっ、抱きつく前に殴られた。
痛む部分を撫でているとあっという間に許可が下りる。あたしはスタジオへと向かい、椅子に座って譜面を出した。
「……やっぱり、読めないよなぁ」
それは、昨日まで机の引き出しの奥の方にあったものだった。そしてそれは、自分の涙で濡れていた。
一年前に書いたラブソング。徹夜して書き上げて、調子に乗って。凜音とあんな別れ方をした、きっかけの歌。
「……不器用すぎんだよ、バーカ」
呟いて、不協和音の傑作を机上に置いた。そして、事務所から借りたギターを弾く。
「…………」
一年前は理解できなかったものが、直也を想えば理解できた。
*
「休み?! 水樹さんが?!」
野村が俺のブレザーを掴み、何故か強く揺さぶってくる。
「うるせぇな、叫ばなくても聞こえてるっつーの」
耳の穴に指を突っ込みながら、俺は盛大にため息をついた。
昨日告って、今日。俺は水樹が学校に来るものだと思っていた。それに、水樹は休むようなタイプの人間ではない。
原因は、俺なのか? そんなことを考えざるを得なかった。
「やっぱり、昨日の体調がまだ……って、青原! そういえばあの後どこに行ってたんだよ!」
野村は別の意味で俺のことをまた揺さぶる。
「いい加減離せよお前。つーか誰だよ」
たいして仲良くもないくせに馴れ馴れしい。そういう意味を込めて言うと「なんで知らないんだよ!」と逆に怒られた。
「わかったからもうやめろよ」
果てしなく面倒くさい。俺は野村の手を振り払い、適当に屋上へと向かった。
フラれるかもな。そう思って、わざと欠伸をした。そうして、告白して数週間が過ぎてしまった。水樹に会ってもはぐらかされるだけで、なんの進展もない。
「クソッ」
砂利を蹴ったが、どうにもならないことは明白だった。
「……あ、青原ー!」
野村が遠くの方から走ってくる。その顔は何故か、嬉しそうだった。
「青原、見ろよこれ!」
そう言って取り出したのは、スマホ。見るとどっかのアーティストの曲が再生されていた。
「それがなんだよ」
「俺の好きな女性アーティストの曲なんだけどさ、ついさっき遂にラブソングを出したんだよ!」
野村の言う女性アーティストとは、《Tears》を出したシンガーソングライターのことだった。
「まさか……」
「お前も一回聞いてくれよ! 男の俺でもファンになるくらいの実力があるからさ!」
……やっぱりか。
「どうせ断っても無駄なんだろ」
「勿論!」
ドヤ顔で言うなよ。なんで自分の好きをこんなに熱烈に押しつけてくるんだ。面倒なファンを持ったなあいつ。
野村はポケットからイヤホンを取り出し、両方を俺に無理矢理渡す。俺は片方だけを右耳につけた。
聞こえてくるのは、《Blue Bird》にしては珍しいバラードのイントロ。そして、水樹の歌声だった。
――顔を合わせれば喧嘩してばかり 決してそれが嫌だと思わないけど
――もっと可愛い自分で会話もしてみたい そんなあたしはワガママかな
――他の女の子にはいろいろと敵わない 共に過ごした時間は短い
――そんな日々 暗闇の中 貴方だけがあたしの光だったんだよ 支えてくれた温もりを今でも忘れた日はない
――きっとあたし あの頃から……
その曲は一年前に学校が停電になった日と重なった。刹那、俺の中ですべてが繋がった。
――約束があるから見守りたいと 言い訳して自分を抑えてた
――もっと一緒に好きなものを共有したい そんなあたしはワガママかな
――他の女の子にはない傍にいる理由 あたしは貴方の特別かな
――そんな日々 春の日の屋上 貴方だけに伝えたい歌があるんだよ
――恋唄不協和音 不器用でも届いてよ ずっとあたし あの頃から……好きだよ
「珍しくラブソングなんだよなぁ……って、ちょっ、青原ぁ?!」
イヤホンを突き返す俺に野村は驚く。
「……行ってくる。野村、この曲のタイトル見せろ」
「あ、お前もわかる? 《Blue Bird》の魅力……って行くってどこにだよ! 青原ぁ!」
「屋上!」
全速力で走る。俺の代名詞とも言える足の速さで駆けつけて、分厚い扉を開けるとそこには短い髪を靡かせるあいつがいた。
「ッ! 直也!」
水樹は、夕日を背景にしてギターを担いでいる。
「おい、これはなんだよ」
俺は、ここに来る途中でダウンロードした曲を水樹に見せつけた。それを見た水樹の表情は、夕日とは関係なく真っ赤っかで――
「そっ……! れっ……は……!」
――ぱくぱくと、口を開けては閉めたりを繰り返した。
「忘れてぇぇええ!」
俺からスマホを奪おうと、ギターを置き近づいてくる水樹。
「言っとくけどこれで壊れたら弁償な」
「なにぃっ?!」
水樹は手を止めようとして、俺はそんな手を掴む。
「ッ!?」
俺の手で簡単に掴めるほど、細い腕。こんな腕でギターを担いでバスケまですんのかよ。
「はっ、離せ!」
水樹はそうやって叫んだ。
*
「嫌だ」
半ば強引に引き寄せられる。抵抗もできずに傍まで来ると、あたしの唇に直也の唇が重ねられた。
「好きだつってんだろ。いい加減答えろ。今回は誤魔化すなよ?」
腰に回された指先に、力が込められる。
「その曲……《恋唄不協和音》が、あたしのすべて。聞いたなら、あたしからは言うことは何もない」
そう言って笑えば、また唇が重なった。
「んん?!」
「……ちゃんと言えよ、バカ」
離れた時、額に直也のそれを感じた。……そっか、言わないと駄目だよね。同じ失敗を繰り返さない為にも。
「……あたしも、好きだよ」
あたしの恋唄は不協和音だ。それでも、直也に聞いてほしい。
思い返せば、あたしは直也にずっとずっと救われていたんだなぁ。そう思うと、心から好きだと再認識する。
――貴方に出逢えて、本当に良かった。