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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
レンズのカナタ
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第五話 レンズのカナタ

「ねぇ、ちぃちゃん。入部届けって書いた?」


 黄田きだくんとつき合い始めて、初めて学校に登校した放課後。ゆいちゃんが机に乗っかってそう尋ねてきた。


「うん……って、机に乗っちゃダメだよ? 唯ちゃん」


「む……。そういえば、ちぃちゃんって説教魔だったっけ……」


「違うよ?!」


「自分ら、なんの話をしとるんや?」


 興味津々といった表情で話に入ってきたのは、私たちが高校で初めて知り合った友達の小暮芽衣こぐれめいちゃんだった。

 芽衣ちゃんは椅子にきちんと座り、私たちの言葉を待つ。


「部活の話。あんたはどうすんの?」


「ウチ? ウチは……当然女バスや」


 ……あれ? 今、なんで芽衣ちゃんは複雑そうな表情を?


「うわっ、すごい偶然! 実は私たちも女バスに入部す……」


「なんやて?!」


 刹那、芽衣ちゃんはがたっと音を立てて立ち上がった。


「ちょっ、何……? そんなに驚かなくても……」


 ……違う。違うよ、唯ちゃん。今の芽衣ちゃんの表情は、どこからどう見ても拒絶だった。


「め、芽衣ちゃん……!」


「えっ? な、何? ど、どうしたの?」


 私たちの困惑した声が芽衣ちゃんのことを刺激したのか、芽衣ちゃんは心の底から命を削るような叫び声を上げた。


「なんでや!」


 強烈に叩かれた机が震える。床も、芽衣ちゃんの怒りを体現したかのように一瞬震えた。


「ッ!」


「きゃっ……?!」


 机に手を置いたまま、芽衣ちゃんの瞳は懇願するように私たちを見る。そして、唇を噛み締めて――顔を伏せた。


「ちょっ、芽衣! あんたさっきから何してんの?!」


「覚えてへんか……やっぱ」


 ぽたぽたと、水滴が重力に従って落ちた時――顔を上げた芽衣ちゃんと、三年前の女の子の顔が重なった。


「もしかして……全中にいた……?」


「ッ!」


「せやで。三年前、全中で東雲しののめ――自分らに惨敗した……負け犬や」


『せや、喜ぶのはまだ早いで! ウチらの底力、見せたるわ!』


 あの子のその目は、諦めを知らなかった。輝いていて、同い年なのに尊敬さえした。


「……確か、関西の強豪校……滝井たきい中学校だよね?」


「……せや。ちぃやんはよう覚えとるなぁ」


 芽衣ちゃんは、私を〝ちぃやん〟と。唯ちゃんを〝唯やん〟と呼ぶ。

 本人曰く、親しい人には〝やん〟づけらしいけれど――どうしてそんな悲しそうな表情をするの?


「で? 何が『なんで』なの」


 私が俯くと、唯ちゃんが珍しく怒った声を出した。


「…………」


「それはこっちの台詞やろ……。なんで……なんで辞めてんねん。なんで……あん時退部したんや……」


「ッ?!」


「ッ!」


 その声に力はなかったのに、言葉は私たちを遠慮なく殴った。

 ――なんで。呪文のように芽衣ちゃんの口から出てくるそれは、思い出したくない記憶を蘇られせてくる。


「なんで……なんで自分ら全員退部してん……! リベンジ決めて、ウチらはあんだけ練習してきたんや……! せやのになんで次の年になったら〝誰一人〟おらんねん! 怪我したわけやないのに……! まだまだバスケできたはずやのに……! なんで勝手に伝説呼ばわりされとるねん! ウチらのこと知らんくせに! 負け犬の気持ち知らんくせに! 何勝手に辞めとんねん!」


 その溢れ出てくる血のような感情に、私も唯ちゃんも何も言い返せなかった。

 芽衣ちゃんの言っていることは、多分正しい。私たちは怪我をしたわけじゃないし、引退ってわけでもなかった。なのに翌年、全員跡形もなく消え去ったのだ。……芽衣ちゃんの言葉には、私たちには計り知れないほどの絶望が含まれていた。


「せやけど、どんなに努力しても勝てへんかった……。東雲中と当たった時、また惨敗や……。ウチらは負けたらすぐ帰る予定やったけど、そんなことさえでけへんかった……」


「え?」


 私は、意味がわからず聞き返した。だけど、唯ちゃんは察したみたいで――歯を食い縛って聞いていた。


「……その年の全中は、スタメン全員が怪我をしてん」


「け、怪我……? 全員って、ねぇ、唯ちゃん! どういうことなの?! 何か知ってるの?!」


 スタメン全員が怪我なんて、あり得ない。私がそう問い詰めれば、唯ちゃんは観念したように口を開いた。


「……当時の幽霊部員、ちぃちゃんは覚えてる?」


「ゆ、幽霊部員? それって確か、銀之丞蛍ぎんのじょうほたるちゃんだよね? 覚えてるけど……ずっと学校に来てなかったような……」


「そう、そいつ。みんなと入れ替わるようにして女バスに来て、すべてをめちゃくちゃにしていった――《死神》よ」


「しっ、《死神》?!」


 あまりにも馴染みのない単語だった。それは、唯ちゃんの《ペテン師》とか……私の《隠者》とかそういう通り名みたいなもの?


「……銀之丞蛍が出場する試合ではな、必ず対戦相手のスタメンが怪我をすんねん。それでついた通り名が《死神》なんやと」


「……だから私は、そういうのが耐えられなくて女バスが嫌になっていったの。それで辞めちゃったところも……あるにはある」


 その言い方は、それ以外の理由があるようにも聞こえた。けれど、追及しちゃいけないような気がして聞けなかった。


「ウチのスタメンはみんな、病院送りやった。……中には二度とバスケでけへん仲間もおった」


「そんなっ……!」


「だからな、もう、正直自分らのことはどうでも良かってん。《死神》だけを絶対に潰すって、そう決めてウチは上京してきたんや」


「…………」


 知らなかった。私が退部した後に、女バス界でそんなことが起きていたなんて。


「その為だけに、全国大会に行けるほどの実力を持つ豊崎とよさきに来てん。せやのに――出逢ってしもうた。唯やんとちぃやんを見て、心臓が止まるかと思うてん。どうしてええかわからんかったわ。なんも知らん顔で黄田クンと話しとったな……」


「……あぁ、あの時ね」


「……正直憎かったわ。けどな、気づいた時には……ウチ、笑っててん」


『ぷっ……! あははははっ、自分らおもろいなぁ!』


 あの時の芽衣ちゃんの笑い声は、何故か強く印象に残っている。どうしてかな。滅多に聞かない関西弁だったからかな。


「それに、自分らめっちゃええヤツやった。ウチな、過去のことはなかったことにして……唯やんとちぃやんとやり直そうとしたんや。ついさっき、自分らが女バスに入部するって聞くまでは」


 そう話してくれた芽衣ちゃんは素直だ。私や唯ちゃんにはない素直さと飾らない言葉で本音を吐いて、どんどんどんどん傷つけてくる。けれど、私たち以上に傷ついていたのが芽衣ちゃんの心だった。


「じゃあさ、やり直そうよ」


 唯ちゃんが机から下りて芽衣ちゃんを見つめる。オレンジ色の夕日が、私たちのことを照らしている。

 ……芽衣ちゃんの涙は、既に枯れていた。


「一緒にバスケしよう! 芽衣っ!」


「そ、そうだよ! みんなでやれば、きっと楽しいよ……!」


 けれど、私たちの言葉を聞いて芽衣ちゃんはまた視線を伏せた。


「……アホか。そないな風に割り切れたら、誰も苦労しとらんわ」


「……む」


 そうなのかな。そうなのかもしれないな。私はそう思ったけれど、唯ちゃんは何かを考えるように顎に手を添えて黙ってしまった。


「けどまぁ、興味がないわけやないで?」


「じゃあ……!」


「せやけどあかん」


 希望が見えてきたと思ったら、急に遮られてしまった。


「な、なんで?」


 そう尋ねたら、芽衣ちゃんは指先を私たちに向けて言う。


「唯やんとちぃやん、理由は知らんけど一度女バスを辞めたんやろ? バスケから逃げた、覚悟があらへんヤツらとはでけへん」


 それはあまりにも真剣な表情で、芽衣ちゃんがそれほどバスケが好きなんだと感じて、私がどれほど真剣にバスケに向き合って来なかったのかを思い知らされてしまった。


 ……バスケから逃げた。それは、私のことだ。壊れたバッシュを投げたあの日の出来事は、今でも鮮明に覚えている。


「……はぁ、わかったわよ。芽衣の言う覚悟があればいいのね?」


「ゆ、唯ちゃん……!」


 唯ちゃんには正当な理由があったはずなのに、唯ちゃんは私の制止を聞かずに窓を開けて身を乗り出した。


「危ないよ……! 急にどうしたの……?!」


「ちぃちゃん、大丈夫。そこで見てて」


 唯ちゃんは深呼吸を繰り返す。それが終わった時、唯ちゃんの瞳には覚悟が宿っていた。


「私は女バスに入部して、絶対にすぐにスタメンになってやる! そして、かつてのチームメイトだった《死神》をぶっ倒す!」


 外に向かって高らかに宣言する唯ちゃんの後ろ姿は、女の私でも美しいと思った。


「ッ!」


 私は唯ちゃんを押し退けて、唯ちゃんと同じく身を乗り出す。ちょっと怖いな。けど、風が気持ちいいな。


「私も女バスに入部して、唯ちゃんと一緒にスタメンになって、蛍ちゃんに会いたい! 会ってどうしてこんなことになったのか聞きたいっ! だからっ、蛍ちゃんに会えるほどに強くなりたい!」


 叫ぶことも滅多になかった私だから、初めてだらけで臆病になる。それでも、唯ちゃんみたいに「一緒に行こう」って言ってくれる仲間がいる。……私は、芽衣ちゃんともそうなりたい。


「やるじゃんちぃちゃん!」


 唯ちゃんが私の背中をばしばしと叩いた。痛いかな。その痛みでさえどうしてだか嬉しく感じてしまうけれど。


「どーよ、芽衣! 私とちぃちゃん、結構やるでしょ!」


 それを決めるのは芽衣ちゃんだけど、唯ちゃんは誇らしそうだった。私と肩を組んで、ドヤ顔で芽衣ちゃんに向き直り、えっへんとふんぞり返る。


「ぶはっ! あははははっ! なんやそれ! ひぃおかしい……!」


 しばらくの沈黙があって、お腹を抱えて笑いだす芽衣ちゃん。釣られて私も笑ってしまった。


「ふふっ、あははははっ!」


「ちょっ、ちぃちゃんまで?! そこまで笑うこと……?!」


 何故笑われたのかわからないという表情で答える唯ちゃん。そういうところ、全然変わってなくて今でも大好きだ。


「笑うところやろ……! ウチだけの前で良かったんやし……まさか全校生徒の前でやりよるなんて……あははははっ!」


 悲しそうな表情は一体どこへ行ったのか、ずっと笑い転げる芽衣ちゃん。しばらくして落ち着きを取り戻し、一気に立ち上がった。


「ええで、合格や! 自分らの覚悟、ちゃんとウチに届いたからなっ!」


 芽衣ちゃんの拳が自身の左胸を叩いた時、教室の扉が思いっ切り開く。


「……その言葉、本気?」


「いやー、すごいね! 今年の一年は!」


 扉付近に立っていたのは、二人の女子生徒だった。一人は黒髪パッツンまろ眉で、一人は茶髪。二人とも髪が肩までの長さで、どう見ても体格がいい。


「誰ですか?」


 一番に口を開いた唯ちゃんに、茶髪の先輩が笑顔で答える。


「アタシは中原歩なかはらあゆむ。女バスの副主将。で、こっちが大津棗おおつなつめ。女バスの主将」


「じょっ、女バスの先輩?!」


「うぉう! ほんまに?!」


 私たちの反応を楽しむように、中原先輩は舌でゆっくりと唇を舐めた。そんな中原先輩を横目に、眉間にしわを寄せる大津先輩。


「認める」


「へっ?」


 私たちは、大津先輩の突然の発言に腑抜けた声を出すことしかできなかった。


「ごっ、ごめんね! 棗ちょっとコミュ障でさぁ! 棗が言いたいのは要するに、君たち全員入部オッケーだってこと!」


 コミュ障……! 大津先輩とは仲良くやれそう……!


「えっ、ほ、本当ですか?!」


「そうと決まれば体育館にレッツゴー! おいでおいで、案内してあげるからさ!」


「練習着、貸す」


「マジですか?! やったー!」


 中原先輩も唯ちゃんも、テンションが高い。中原先輩は私たちを手招きし、ブレザーのポケットからキャンディーを取り出した。私たちはそれぞれ貰い、中原先輩について行く前に顔を見合わせる。


「はいっ、行きます!」


 真っ先に唯ちゃんが飛び出した。


「面白そうやな!」


 次に芽衣ちゃんが私に向かってそう言って、その言葉を聞いた私は固まってしまう。


「ッ! うん!」


 芽衣ちゃんが心を開いてくれた。仲間になった第一歩なのだと思って嬉しくなり、私もみんなの後について行った。





「んー!」


 大きく体を伸ばし、それを解す。


「ちぃやんバテてたなー」


「バテてないかな」


「ダメダメ、ちぃちゃん負けず嫌いだから。そういうの認めないから」


「なんやそれ、意外やなぁ」


「違うかな!」


 数時間にも及ぶ練習を終え、正門まで歩く。久々の練習とあってか、疲れが尋常じゃなかった。……早く帰って休もうかな。


「あ、ちぃちゃん。あそこに黄田がいるよ? 一緒に帰れば?」


「えっ? あ……!」


 つき合っているとはいえ、まだ始まったばかり。未だにその実感もない。もう遠くから見つめるだけの存在ではないと、理解しているつもりではいたけれど。


「ん? なんで一緒に帰んね……むぐ?!」


「じゃ、また明日ー。」


 口を抑えて、自分より高い身長の芽衣ちゃんを引きずる唯ちゃんの筋肉は普通ではないと思う。


「……あれ、まだ学校にいたの?」


「き、黄田くん!?」


「ん? どうしたの?」


「バスケしてたかな」


「えっ?! 大丈夫なの?!」


「大丈夫だよ。……もう、乗り越えたから」


「なら良かったけど」


 黄田くんは、今までで一番素敵な笑顔を見せた。


 誰かが悲しめば、支えてくれて。誰かが喜べば、一緒に喜んでくれる黄田くん。私は思わずシャッターを切った。


「へ?」


「シャッターチャンス、かな」


 そんな貴方が、大好き。


「不意打ちはダメだよ! ウサミン!」


 そう言ってモデルポーズをする彼。数日前に作ったアルバムの残りのページは、黄田くんで埋まりそうだった。


「そういえば、黄田くん単体を撮るの初めてかも」


「だよね。もっと撮ってよ」


 私は黄田くんにピントを合わせる。すると、レンズのカナタに黄田くんが見えた。


 ――貴方に出逢えて、本当に良かった。

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