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モノクロ*カラフル  作者: 朝日菜
ペテン師少女
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第五話 星の恋

 澄みきった空が見渡せる屋上にいた俺は、同じ男バスに入ることになった新しい仲間と一緒に弁当べんとーを食べていた。


 春になると、いつも三年前を思い出す。入学式に部活動勧誘をしていた茶野さの先輩と、職員室の前で入部することを宣言した新入生の橙乃とうのだ。

 まだどんな部活があるのかも知らないまま、バスケ初心者だったはずの橙乃は即決していた。その時はどうせすぐに辞めるだろうと思っていたけれど、俺の予想に反してそうはならなかった。


「あれ? おーい、赤星あかほし


「えっ、何? ごめん、聞いてなかった!」


「もしかして赤星くん、好きな人いるの?」


「はぁっ?! なななななんで?!」


 慌ててマネージャー志望の子から距離を取ると、彼女は「そんな顔してたよ」と笑って全員に同意を求めた。それはすべてを知っているかのような笑顔で、女の子の直感というものがどれほど恐ろしいものかと伝えていた。


「図星?」


「図星だな」


「図星だ」


「あぁ、そうだよ! 図星だよ!」


 叫ぶと、全員から根掘り葉掘り聞かれることになった。


 あの日の少女――橙乃のことが気になって、俺は体育館に足を運んだ。それは、男バスに慣れ始めたとある初夏のことだった。


 二階のギャラリーには先客がいて、それが拓磨たくまさんだとわかるのに数秒使う。女バスを――橙乃のことを少しでも知りたくて、俺は拓磨さんに質問をぶつけた。

 拓磨さんから橙乃の特技と通り名を教わった時、俺の心に何かが引っかかる。ナンバーワンではなく、オンリーワン。そんな気がした。


『《ペテン師》、かぁ』


 その日から、暇さえあれば女バスに見学をしに行っていた。表向きは『女バスの活動がどんなものなのかを確認する為』。だけど本音は『自分自身の欲望を得る為』だと思う。

 俺を体育館へと誘うそれを満たす日々。それの正体がなんなのかはよくわからない。けれど、そんな小さな幸せがある意味俺の生き甲斐だった。


 女バスは一人一人が逸材だけど、それは男バスも同じ。けれど、橙乃だけは他の人と違う気がして目が離せない。

 他のどこにもないオンリーワン。けれども結局は初心者だった。練習を見ていれば、シュートが一本も入ってないことくらいすぐに気づける。そんなところが人間らしくて可笑しかった。……勿論、悪い意味ではなく良い意味で。


 だからかな? 仲間に追いつこうと、チームの為に頑張ろうと、一生懸命頑張る姿に俺はいつの間にか惹かれていた。

 それは、俺の初めての恋だった。


 あれは確か、二学期のこと。信じられないけれど、誤報でもなんでもない本当のこと。橙乃のお父さんが逮捕されてしまったこと。

 橙乃が学校に来なくなった途端に試合ができなくなり、既に引退していた三年の監督。流れるように紺野こんのが最初に退部して、間も開けずに水樹みずき藍沢あいざわも呆気なく退部してしまった。


 誰もいなくなった体育館。無駄だとわかっていても足が動く。このままじゃ、橙乃の帰る場所がない。

 その日から俺は、橙乃を男バスに勧誘することをなんとなく考えていた。だから、ただ待つ。橙乃が勇気を振り絞って学校に来た時に、手を差し出せるように。そして、その日は意外と早くやってきた。


『まぁいいや、とにかく行こう! みんな待ってる!』


 橙乃の為ではなく、俺自身の為にこの手を取ってほしい。


『ねぇ、男バスに来ない?』


 思い切って言葉にした。徐々に橙乃の瞳が見開かれ、大きく揺れた。


『橙乃には才能があるよ。けれど、女バスは廃部同然。橙乃の才能は開花しない。女バスと違ってここに来ればバスケができるし、悪い話じゃないと思うんだけど』


 悪い話じゃない。俺は本気でそう思っていた。けれど、橙乃は黙ったまま動かない。じっと橙乃を観察していると、その間に瞳が困惑から決意へと変わるのを見た。


『――嫌』


『いや?』


 俺がどんな決意で言ったのかも知らずに断った橙乃の返答の速さに一瞬傷つく。けれど、橙乃は両手を床について、拳を握り締めた。


『女バスは私が絶対に守るから』


 その時橙乃が大粒の涙を流していた。俺はそれを、多分一生忘れない。


『……そっか』


 俺は橙乃の言葉に納得してしまった。この件については諦めよう、そう思って引き下がった。けれど、この想いは絶対に諦めない。


『好きだよ、橙乃』


 東京駅のホームでした、初めての告白。目を見開く橙乃を見てやっぱり急だったかとも思うけれど、これはまだまだ想定内。

 新幹線に乗り込んで、あらかじめ用意していたメッセージを送信する。数秒後、スマホを見た橙乃が俺のメッセージに気づいて瞳を揺らせた。


 既に閉まった扉越しに、何かを言おうか迷う。いや、やっぱりいいや。返事はまた会った時に。自分でそう言ったから。

 動き出す新幹線。遠ざかっていく橙乃。都内なのに、桜が舞っていたことが印象的だった。


「赤星くんの好きな人かぁ」


「それすっげー気になるんだけど! どこの誰?!」


「そんなに美人な奴いたかぁ? それともよっぽどの好みだったのか」


「この学校の生徒じゃないし俺は顔で人を選びません」


 突っ込み、全員からそっぽを向く。仲良しチームメイトとまではまだ言えないけれど、いつか東雲のみんなみたいに仲良しなチームメイトになれたらいい。

 今のところ無理そうだけど。従弟のモモもいないしさ。


「えっ、違うの?! 同中とか?!」


「ねぇ、どこの高校の子なの?」


豊崎とよさき高校だよ」


「とよさきぃ? あの依澄いすみがいるとこか」


 確かに、豊崎高校には男バスを全国大会まで連れていった依澄侑李ゆうり先輩がいる。


「東京の学校なんやな。赤星も東京出身やったっけ?」


「おじいちゃんおばあちゃんの家がこっちでさ。実家は東京」


「実家は東京って珍しいな」


「何しにこっちに来たんだよ」


 俺の好きな人の話から一転、どうして俺がここまで来たのかが話題になる。良かったのか、良くなかったのか。


「みんなと一緒に全国大会に行きたいからだよ」


 俺は正直に答えたけれど、誰も理解はしてくれなかった。理解してほしいとも思わないけれど、やっぱり寂しさは普通に感じる。俺は屋上のフェンスにもたれ掛かりながら、スケジュールについて考えた。

 次に会える日はいつだろうか。早くてゴールデンウィークだろうな。





「息が整うまで待とうか? 橙乃」


 そんな第一声でも、声が聞けただけで嬉しい。


「……い、いい。大丈夫だから」


「そっか。わかった」


「ねぇ赤星、どうして東京に……?! あんたこの前行ったばかりじゃん、帰ってくるの早すぎでしょ!」


「紺野からさ、宗一郎そういちろうを介してメッセージが来たんだよ」


「ちぃちゃんから?」


「『ゆいちゃんのお父さんが帰ってきた』って」


 ――なんか珍しい。ちぃちゃんがスマホ使ってるなんて。


「まさか……あの時?!」


「本当はゴールデンウィークに帰ってくるつもりだったんだけど、紺野がもう大丈夫だって言ったから――」


「言った……から……?」


「橙乃の為にめちゃくちゃ頑張って帰ってきた!」


「ッ!?」


「まぁ、今日は学校も休みだし部活もまだない。だからちょうど良かったよ!」


「……赤星」


「ねぇ、橙乃。俺は今この瞬間に返事を催促するつもりはない」


「え?」


「代わりにあれをやらない?」


 赤星の視線の先にあったのは、この音葉おとわ公園に隣接しているバスケットコートだった。未だに上手く話せそうにない赤星からの誘いに、私は――


「……いいよ」


 ――あの日と同じように答えを出した。


「そう言うと思ってた。ありがとな、橙乃!」





 昼時のバスケットコートに、二人の男女。改めて向き合うと赤星の雰囲気が変わった気がする。


「勝負は1on1な! 橙乃から来いよ!」


「わかった」


 一息ついてドリブルを始めた。そういえば、バスケをするのは一年半ぶりくらいかもしれない。


「遠慮は……しないから!」


 私は前を見据えて歯を見せた。


「来いっ! 橙乃!」


 赤星は目を輝かせ、私の攻撃を今か今かと待っている。


「はぁッ!」


 私の特技は、誰にも負けないフェイントの力。小柄な体格と、持ち前の素早さと、観察力。それらを最大限に活かしたのが私のスタイル。


「橙乃は俺には勝てないよ!」


「ッ!?」


 私からボールを奪った赤星は、それを器用に指先で回した。


「橙乃のフェイントは俺には絶対に効かないよ!」


「効かないのはあんただけだから!」


 弱いと言われたような気がして反論する。


「そう! わかってるじゃん、俺だけだって!」


「はぁっ?! 何それ自慢?!」


「橙乃は俺を騙せないって言ったんだよ!」


「ッ! ちょっとぉ!」


 断言した赤星に牙を向くけれど、赤星は私に何を言われても気にもしていないような態度を変えない。


「橙乃が誰かに、何度《ペテン師》と呼ばれても……俺は橙乃が騙せない唯一の存在なんだからな!」


「はぁ?! 何それ意味わかんない!」


「えぇ…………」


 赤星は落胆の表情を浮かべて肩を落とす。それでも私は、赤星の思考がわからなかった。観察力があるとか言っておきながら、笑えるな。


「あ、あの……なんかごめん」


 頭を下げて、一応謝る。


「あーあ。橙乃に遠回しな表現は難し過ぎたか」


「ちょっ!? バカにしてるの?!」


「してないよ。俺が橙乃の特別になりたいって言ってるだけ。……俺は、橙乃とやり直したい」


「……ッ!?」


 一人ぼっちの私に手を差し伸ばしてくれたのは、赤星。私はどうして、ちぃちゃんだけが理由で避けたの。自分自身の想いに気づきたくなかったから。

 会えなくて、会いたくなくて、避けて


『やり直せると良いね』


 あの時ちぃちゃんが言いたかったことって、もしかして……。そう考えたら、勇気が湧いてきた。


「……好き」


 すべての謎が今解ける。


「赤星が、好き……!」


 本当は、赤星が新幹線に乗り込んだ時に言いたかった。


「俺もだよ。だから、一緒に朱玲しゅれいに行かない?!」


 しゅれい……? でも、私は――


「――嫌!」


「いや?!」


 叫んだ途端に赤星が驚く。


「べ、別に赤星のことが嫌いなんじゃないよ?! ただ……こっちにもいろいろあって……」


「いろいろってなんだよ」


「私、豊崎にスポ薦で入学したから、女バスに入部しなくちゃいけないし、ちぃちゃんも入部するって言ってて……お父さんとお母さんとも……私、赤星だけじゃなくて、たくさんの人とやり直したいの……!」


 負けじと一気に想いを伝える。


「うん。さすが橙乃だな!」


「えっ? 何よさすが私だなって」


「そう言わないと別れるところだった!」


「あっ、赤星ぃ?!」


 騙された?! なんで?! 私が?!


「あははっ! 面白い顔だな橙乃!」


「面白くないから! バカ! っていうかまだつき合ってないし!」


「えっ、そうなの? 俺ら好き同士じゃん!」


「でもつき合うって言ってない!」


「そうなの?! なんで?!」


「なんでも!」


「えっ、じゃあ……俺ってフラれたの?!」


「えっ、ちが……そうは言ってない!」


 やっと伝えることができたのに、またさようならなんてできない。やり直すって決めたんだから、最後までずっと側にいてほしい。


「マジ?!」


「ま、マジだし!」


「じゃあさ、俺とつき合おう! 橙乃!」


「あぅ……!」


 こんなにストレートに想いを伝えてくれた人は、赤星が初めてかもしれない。いや、こんの初めてじゃなかったら赤星に恋なんてしていない。


「わっ、わかったわよ!」


 恋なんて、赤星が初めてなんだから。


「やった! 二人とも、ちゃんと聞いてた?! 橙乃が『やっぱなし』って言ったら全力で止めろよ〜!」


『あ、あれってもしかして俺たちのことかなぁ?』


『そう……なんじゃないかな?』


「その声……もしかしてちぃちゃん!? あと黄田きだ!?」


 慌てて辺りを見回して、木々の間から見知った姿を見つけ出す。


「ちょっと待って! 俺だけついで?! それってなんかおかしくない?!」


「当然でしょ。私、黄田のことまだそんなに許してないし」


「良かったね、唯ちゃん……!」


「ちぃちゃん、な、泣かないでよ……!」


 自分のことのように嬉し泣きをするちぃちゃんを揺さぶり、なんでちぃちゃんと黄田が一緒にいたのかを考える。

 そういえば、ちぃちゃんは黄田の進学先を。黄田はちぃちゃんの進学先を知っていたように見えたけれど――。


「宗一郎! 久しぶり!」


「久しぶり〜、赤星くん。君は今日も元気だねぇ」


「宗一郎は今日も笑顔だな!」


「うんうん、赤星くんには負けるけどね」


 黄田は赤星の肩に手を置いて、不思議そうに首を傾げる赤星を笑う。


「良かった。相変わらずだ、赤星くん」


「卒業してからそんなに経ってないけどな〜」


「でもでも、お互いに高校の制服着てるからさぁ。別人に見えるっていうか、これから俺たちじゃないチームメイトと一緒に過ごしていくなら、必然的に変わるっていうか?」


「まぁ、そんなもんなんじゃない?」


 二人の会話を隣で聞いていた私とちぃちゃんは、目を合わせてお互いに引っついた。

 二人の言いたいことはわかる。けれど、私とちぃちゃんは高校も一緒。離れていた時期もあったけれど、変わってしまったこともあったけれど、私たちは大丈夫だった。だからきっと、男バスのみんなも大丈夫。……琴梨ことり凜音りんねとは今も離れ離れだけれど、大丈夫だと信じている。


「じゃあね、赤星くん。また会えて嬉しかったよ」


「うん、宗一郎! 今度会う時はインターハイで!」


「うんうん。インターハイでね!」


 別れを済ませた二人に合わせて、ちぃちゃんも私から離れていく。


「じゃあね、唯ちゃん。私も行くよ」


「えっ?」


「ごゆっくり〜」


「ごゆっくりって……! また来週ね!」


 仲良さそうに去っていくちぃちゃんと黄田。最初の頃はお似合いのカップルだと鼻で笑ってしまったけれど、今では本気でそう思っている。

 確かに、黄田なら赤星よりもスペックは高いよね。私は好きじゃないけれど。


「紺野って、最近すっごく変わったよな」


「赤星もわかるの?」


「うん。だって全然違うじゃん」


「……今のちぃちゃんと昔のちぃちゃんだったら、どっちが好き?」


 聞いちゃいけない質問だったかもしれない。けれど、かつてのちぃちゃんの想いを知っている私は知りたいと思ってしまった。


「ん〜? 変わったとは思うけどさ、根本はそんなに変わってない気がするんだよなぁ。俺はどっちの紺野も結構好きだよ」


「ッ! そ、そう! 良かった!」


 本当に良かった。ちぃちゃんは嫌われてなんかいない。赤星にちゃんと好かれていた。赤星が人を嫌うところなんて、想像もできないけれど。


「じゃ、俺たちもそろそろどっかに行こうか」


「どこかって?」


「昼ごはんはまだだろ?」


「そういえば食べてない!」


 いろいろあって空腹感も忘れていた。急にお腹が鳴った私を見下ろし、赤星は笑ってボールを脇に抱える。


「ほら」


 差し伸ばされた手を、私は強く握り締めた。その手の温もりを知って思う。


 ――貴方に出逢えて、本当に良かった。

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