大人になったら会えますか?
私は幽霊だ。三年前に死んでいる。
死因は通り魔による刺殺らしい。
生前は大学生として充実した日々を過ごしていたので、この世への未練も多々ある。だけど付き合っていた彼に別れを告げていないのが一番の心残りだ。そんな未練があったからこそ私は幽霊になっているのだろう。
「はぁーー」
大きく溜め息を吐く
「気づいてよ」
そう言いながら彼に手を伸ばす。
けれどその手は彼に触れることなく空を切った。
俺は死人だ。
体は健康そのものだ。生きている。
死んでいるのは心だ。
原因は付き合っていた彼女の死だろう。
彼女は通り魔に刺され、亡くなった。
犯人はすぐに捕まったそうだ。
三年前のことだ。
犯人には何の怒りも憎しみも抱かなかった。
感情が無くなっているんだろうか。
何に対してもやる気が出ないし興味も湧かない。
ベッドに仰向けになり、独り問い掛ける。
なぁ...こんな俺は・・・・心の死んだ人間は生きてるように見えますか?
空虚な部屋に俺の声だけが響いた。
彼女が死んでから俺は自堕落な生活を送っている。
彼女は家事ができた。
明るい性格だった。
俺の人生に欠かせない存在になっていた。
彼女との最後の会話を思い出す。
ケンカ別れだった
「また部屋散らかしてる。片付けなよ。」
「後でやるよ。今は忙しいんだよ。」
「ほんと子供っぽいよね?散らかってると落ち着かないんだけど。私が片付けておこうか?」
「ほっといてくれよ。今は忙しいって言ってるだろ。後で自分でやるから、どっか行っててくれよ。鬱陶しいんだよ!!」
「わかったよ。邪魔して悪かったね。」
怒り気味で彼女が言い、彼女は家から出ていった。去り際の悲しげな顔が目に焼き付いたが、すぐに戻ってくると思っていた俺は気に留めなかった。
なぜ追いかけなかった?
そんな問いを何度繰り返したことか。
そんなことを考えても仕方がない。
人間は過去に対して後悔か懐かしみ、悲しむことしかできないのだから。
それですら何の意味を成さない。
過去は変えられないのだから。
だから人は言うのだろう
゛後悔しないように生きろと"
無理である。
彼は頭のいい人だった。
ぶっきらぼうだったが優しかった。
彼との最後の会話を思い出す
「ほんと子供っぽいよね?」
私のその発言に彼は気を悪くしたようだ。
忙しいなら掃除しておいてあげようかな
と思ったが彼にはお節介だったらしい。
自分は今彼の邪魔をしてしまっていると気付いた。そんな自分に腹が立ち、彼に申し訳なく思いながら部屋を飛び出した。
その後すぐ、私は死んだ。
彼に謝りたい
そう思ったのは死んだあとになってからだった。
彼女が死んだと聞かされたのは翌日だった。
頭の理解が追い付かず、視界が揺れる感覚がした。
葬儀には出席したが、彼女が死んだという実感は湧かなかった。
ただ、゛子供っぽい"
彼女に言われた言葉が何度も俺の心に突き刺さった。
三年後の今でも彼女のことが忘れられない。
今は社会人だ。身長も多少伸びた。
あの頃と比べてどうだろう
今は亡き彼女に問いかける。
俺はまだ゛子供っぽい"ですか?
なぁ....大人になったら会ってくれますか?
私は幽霊になっている。
自分が死んだということを受け入れるのは自然だった。自分の死体を見て、自分の葬儀が行われているのを見たら信じるしかなかった。
親が悲しんでいた。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
彼はどうだっただろう。
彼は一度も泣かなかった。それどころか何も感じていないような表情だった。
私は幽霊として三年間生きている。
いや、生きてはいない。存在してきた。
その中で分かったことがある。
1.幽霊は現実に干渉できない
2.誰にも見えていない
3.自分の意思で成仏できない
ここまではよくある話だと思う。
そして4つ目
幽霊にも幽霊は見えない
生きていたときには考えたことも無かったことを死んでから考えた。
なぜ心霊写真が存在するのかを
そんなことは決まっていると思う。
気づいてほしいから
私は死んでから彼に何度も話し掛けた。
彼に触れてみようとした。
彼の前にずっと立っていた。
けれど彼が私に気付くことは無かった。
彼の瞳に以前のような生気は見られなかった。
自分のせいで彼が落ち込んで行くなんて耐えられなかった。
唇を噛む。早く消えてしまいたかった。
私は永遠に存在し続けるのだろうか。
彼の背中を見る。付き合っていた当時よりも大きな背中だ。でもその背中はとても小さく見えた。
「ねぇ...気づいてよ」
この声が届かないことは知っている。
彼の頭に手を伸ばす。
やはり触れることはできなかった。
あのときのように彼の部屋から逃げ出そうと思った。もう二度とこの部屋に来ないようにしよう。
そう思ったのだが部屋を出ようとした私の足は動かなかった。
彼が呟いたのだ。
しっかりと聞き取れたはずの言葉は、流れるように私の耳を通り抜け、理解することができなかった。
「え?」
間抜けな声を漏らしてしまう。
どのみち彼には聞こえていないのだ。気にすることはない。
振り返り彼を見る。
彼と目が合う。
彼の目はしっかりと私を捉えていた。
彼は唖然としていたが、私と目が合うと微笑んだ。
中学のころから俺はある言葉が嫌いだった。
゛子供っぽい"
この言葉だ。理由なんて自分が子供だったからに他ならない。ただただ“大人”という言葉に憧れた。そして自分の信じる大人を演じた。
─子供っぽいと馬鹿にされないために──
彼女は俺のことを真に理解していてくれたのだろう。何気ない言葉で苛ついた俺は自分が一番なりたくなかった“子供”そのものだった。
彼女と目が合う。
「なぜ」という疑問は浮かばず、ただ自然に微笑むことができた。
「どうして…」
彼女の声が聞こえてくる。三年前と変わらない懐かしい声だ。俺は言う。
「俺はもう…」
その先は言おうとしたが彼女はもう見えなかった。
「俺はもう…」
聞きたくなかった。その先の言葉は予想できた。さっきまで気付いて欲しいと思っていた自分がなぜ逃げたのか。
本能だった。ここにいてはいけない。警鐘が鳴り響いていた。
彼の目は私を捉えていたがその目には一切の光が宿っていなかった。
あの一度きりしか彼女は見えなかった。
彼女が死んでから今年でもう十年だ。俺はもう30歳になる。
彼女がいなくなったのは俺が子供だったからだろう。
「早く大人にならないとな」
独りきりの部屋でそう呟く。
そう、一人きり。
彼のもとにはもう彼女はいない。
あぁいつになったら俺は大人になれるんだろう。
゛大人になったら会えますか?会えるよな?"
会ってくれないのは俺がまだ子供だからだ。
そう、俺が大人になればきっと会えるんだ。
だから、もう少し待っててくれよ…。
男は濁った目で虚空を見つめ、ニヤリと笑った。
その目にはもう何も映らない。