わたしとヘンリエッタ
「……………………」
真っ暗だわ。
わたし…ええと、そう、ヘンリエッタ…。
ここはどこ?
布団の中?
「…っ⁉︎」
金髪縦巻きロールの美少女。
わたしの真下に、わたしを見下ろす様に立っている。
「ようやく気付きましたのね、わたくし!」
「ひえ! 喋った⁉︎」
「まあ、なんてはしたない…。一体貴女は何者なんですの⁉︎ わたくしと同じ顔、同じ姿…でも、別人ですわよね?」
「え、あ…あー…」
確かに…、ヘンリエッタからすればわたしはどこのどなた? になる。
でも…そんなこと言われてもなぁ…。
「…………、…な、なんとお答えしていいやら」
「…もしや妖精の悪戯…?」
「……え、い、いや、そういうのでもないんだけど…。正直わたしもどういう状況なのか分かりかねているといいますか…」
「…………。…「ティターニアの悪戯」…」
「? なに? それ」
ティターニア?
それってこの世界の名前じゃない?
『フィリシティ・カラー』の舞台となる世界の名前は『ティターニア』。
それの、悪戯とな?
「…言い伝えですわ。異世界からティターニア…この世界の創生女神が悪戯に人を呼び寄せますの。その人間は一つの体に二つの魂と心、そして運命を宿す…。悪戯にあった者は、異界の知識を世界に与えて、名声か汚辱を受けながら死ぬのだと」
「…っ⁉︎ な、なによそれ…⁉︎」
「…あくまでも言い伝えです。…そうでないというのなら、貴女は誰ですの。わたくしはウェンディール王国セントラル侯爵家のヘンリエッタ・リエラフィースですわ!」
「……わ、わたしは…」
堂々と名乗られて、困り果てる。
『ティターニアの悪戯』?
なによ、それ…そんなの初めて聞いた…。
一つの体に二つの魂と心と…運命。
…なんだかヴィンセントみたい。
ヴィンセントはメイン攻略キャラでありながら、複数の条件をクリアすると隠れキャラとして全く違うシナリオ…オズワルドとしての運命を辿ることになる。
ただの『記憶持ち』の執事見習いから、一国の王子へ。
そして、レオハールを差し置いて国王へ。
…まあ、オズワルドルートになると正当な血筋って事で国王になるのは当たり前みたいなところあるけど…。
んん、いや、でも…この場合ヘンリエッタだからな。
関係ない、よね?
「わたしは…佐藤笑美と申します…」
「さとーえみ?」
「あ、名前が笑美」
「エミ…ずいぶんシンプルなお名前ね」
お前に比べりゃそりゃあな!
「それで、エミ…貴女は何者なんですの」
「そう言われても…ごくごく普通のアパレル従業員としか…」
「アパレル…? 服? ですの?」
「そ、そうかな? 服というより下着の専門店なんだけどね…?」
「下着の専門店? そんなものがありますの?」
「なに言ってるの⁉︎ 下着は女の勝負服よ⁉︎」
「⁉︎」
足元のヘンリエッタに詰め寄る。
しゃがんでわたしの様に覗き込んでいたヘンリエッタが明らかに顔を離して驚いているけれど…この子も下着の重要性を知らないのね…!
そういう子多いのよ!
「この時代っつーか、貴女もしてるけどねコルセット! でもそれだけじゃあ女の体についた脂肪は重力に従って垂れるのよ! いい、よく聞いて! 女の体は男よりも脂肪が多いの。そしてその脂肪は垂れるのよ! 若いうちならいいわ。でも、齢とともに脂肪は固まり、日々晒される重力の影響や姿勢の悪さ、ストレス、運動不足や普段の生活、ダイエットによる皮膚の伸び縮みなどなど…! 女の体型には敵が山の様にいるのよ!」
「な、なんということでしょう…」
「そんな女体を守るのはなに⁉︎ そう、下着よ! 体に一番最初に身につけ、そして最後の砦となるもの! 息苦しく感じるかもしれないけど、肌にフィットし、脂肪の流れをせき止め、女体の美しさを保つアーンドより美しい形にするための下着! それがわたしの働く下着専門店の、その名もボディーメイクランジェリー!」
「ボディーメイクランジェリー…!」
「特殊な加工を生地にほどこし、縫製する…型紙からこだわり抜いた全ての女性が美しくなるための下着です! 歳を重ねて胸やお尻が垂れるって、嫌ですよね? お腹のたるみや、胸の下に摘めるお肉はありませんか? 太ももの内側がくっつく、なーんて覚えはありませんか? それらのお悩みは全て下着で解決できます! 若いうちなら効果は絶大! 今がチャンスです!」
「どちらで購入できますの⁉︎」
「お電話番号はこちら!」
……………………。
「…話を戻しましょう」
「そ、そうでしたわね…」
我に返ったわたしたち。
お互いに咳払いして、ともかくまずは状況の整理から始めることにした。
「まず、わたしのことを話すわね。わたしは日本って国から来たの。普通のアパレルに勤める25歳よ」
「わたくしは生まれも育ちもこのウェンディール王国ですわ。16歳…学生ですわ」
「アミューリア学園よね」
「ええ」
……やっぱり…。
乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』の世界だわ…。
妖精の悪戯だなんて…悪戯の域超えてるわよこんなの!
「…わたし、昨日は休日だったのよ。ベッドの上で…まあ、趣味を楽しんでいたところに車が突っ込んできて…」
「ベッドの上で楽しむ趣味とは? …それにくるまってなんですの?」
「そこは突っ込まないで! …車っていうのは…鉄の塊かしら。この世界で言うところの馬車みたいな感じ?」
「それがお屋敷に突っ込んできましたの⁉︎」
「そうなのよ。この世界でも相当ありえないことだけど…よりにもよってわたしの部屋は一階の角部屋でね。クリティカルヒットしてくれやがったの。…わたしの意識はそこで途絶えたわ」
…普通に考えて死んでるような事故よね。
わたし、どうなったのかしら…死んだ?
…そんな気がする…。
だって真下に映るしゃがみこんだヘンリエッタとわたしは全く同じ姿。
まるで床に鏡が付いているかのような…この場所も一体なんなのかしら…。
「まあ…なんということでしょう…。お身体はご無事ですの?」
「わからないわ…。わたし死んだのかしら…」
「…ご無事だといいですわね…」
「うん、そうね…」
本当に心配してくれている表情。
性格も顔つきもきつめだけど、やっぱりお育ちのいいお嬢様なのね…。
優しくていい子。
「……でも、そうなるとお亡くなりになったエミの魂と心がわたくしの体に入り込んだ、ということなのでしょうか」
「あれ、いきなりわたし死亡前提?」
「それに、ここは一体どこなのでしょう」
「う、うん、まあ、それは確かに…わたしも気になっていたの」
真っ暗な空。
床にはわたしと、鏡の向こう側のように同じ姿のヘンリエッタ。
この空間は一体…。
「困りましたわ…。どうやら体の所有権は完全に貴女に持っていかれているようですもの」
「そ、そうね…。…もしかして、意識があったの?」
「もちろんですわ。でも、自分の意思で動かしたり話したりは出来ませんでした。もし出来ていたならば、お夕飯は食べましたわ!」
「そ、それはわたしも後悔した…!」
くうっ、と2人で後悔して、再び顔を上げる。
お夕飯は今後必ず食べるという方向で。
「なんにしてもわたくしの体を預ける以上、変なことはなさらないでくださいませ! あと、お風呂は必ずお入りになって! 昨日入っておりませんわよね⁉︎」
「あ、そ、そうね。ごめん…。だって混乱しちゃって…」
「その話し方もですわ! まるで平民ではありませんの⁉︎ 情けない…! もっとお上品に振る舞えませんの⁉︎ リエラフィース侯爵家の品位が疑われますわ!」
「う…す、すみません…庶民なものでして…」
「それと、アンジュに馬鹿にされたらきちんと言い返してくださいまし! あの娘はすぐに調子に乗りますのよ⁉︎ あんな言い方では付け上がりますわ!」
「そ、そうね。うん、わかったわ」
「分かりましたわ! ですわ!」
「わ、ワカリマシタワー…」
ひえぇ…なんか大変な感じなんですけど〜⁉︎
…でも変ね…?
昨日クロエたちと話した時は、普通に…ヘンリエッタとして話せていた気がするんだけど…。
そうよ、それに…ヘンリエッタの取り巻きのキャラに名前があったのも驚いたわ。
まあ、リアルで生活していれば当たり前なんだろうけど。
それに、クロエとティナエールの事も“知っていた”…。
きっとヘンリエッタの記憶だわ。
…ヘンリエッタの記憶は、わたしにも理解することが出来る…と仮定するなら…。
「ねえ、ヘンリエッタ。わたしの記憶は貴女にはわからないの?」
「? なんのお話ですの?」
「だって昨日、わたしクロエたちと普通に、貴女として会話できていたわ。きっと貴女の記憶をわたしが理解できていたからよ。貴女はわたしの記憶が分かったりはしないの?」
車がわからなかったことを思うと、ヘンリエッタからわたしの記憶に干渉することはできないのかしら?
でも、どうしてわたしだけ?
ちょっとずるいと思うんだけど、それ。
「…わたくしには貴女の記憶は全く分かりませんわ。…今も…わたくしの記憶とやらが分かりますの?」
「え、今は…」
…………あれ?
全然分からないな…。
昨日はこれはああで、この人はこうで…って、割とすんなり分かったのに。
わたしの中にあるのはゲームの知識だけ。
それ以外…ヘンリエッタしか知らなさそうな、彼女の幼少期のことなどを思い出そうとするが、分からない。
「わからないわ。どういう事なのかしらね?」
「体の所有状態が関係しているのかもしれませんわ。『記憶継承』の力が働いているのかもしれません」
「成る程…」
そういうことか。
確かに『フィリシティ・カラー』の世界にはそういう設定があったわね。
…『フィリシティ・カラー』の最大の特徴と言ってもいい、RPGゲーム並みに凝った戦闘システム。
それはこの世界が500年周期で『大陸覇権争奪代理戦争』というものを行うから。
舞台となる『ティターニア』には5つの種族が存在しており、大陸の覇権を500年ごとに種族代表5名による代理戦争で奪い合うのよ。
人間は他の種族に比べて力も弱いし体も脆い、魔法も使えないので覇権どころか一勝も出来ずに終わることがほとんどだった。
そんな人間族は1人の女神に魂に刻まれた『記憶』を次の人生でも引き出すことが出来る『記憶継承』の能力を与えられる。
…つまり、ヘンリエッタの記憶とわたしの記憶が同時に混在して、尚且つ“理解”することが出来るのはヘンリエッタの“身体”に『記憶継承』の能力が備わっているからってことね…。
お、思わぬところでゲームの設定に助けられてるな。
「…あら? ということは、今はわたくしたち、体にいないということなのかしら?」
「あれ? そうなるね…? …………。え? じゃあここは? どこなの?」
「わ、わたくしもわかりませんわよ」
「…………」
不安になり、2人で辺りを見回す。
無限にも思える漆黒の闇の空。
一寸先は闇。
わたしたちが座り込むこの場所以外は…真っ黒に塗りつぶされている。
ここは、本当に…どこなの…?
「…た、探検、する?」
「い、いやですわ! 恐ろしい…!」
「でも……ここがどこだかわからないと出ることもできないかもしれないし」
「うっ…。そ、それは…」
「それに下向きながら貴女と話すのも…疲れるし…」
「…………それは、わたくしもそう思いますけれど…」
と言って、立ち上がる。
今、下からヘンリエッタに見下ろされたらスカートの中が丸見えね。
…服装を見下ろすと、アミューリアの制服。
真下に映るヘンリエッタは豪勢なドレス姿。
とりあえず、これでわたしとヘンリエッタと区別はつく。
まあ、わたしとヘンリエッタしかこの空間にはいないから区別も何もないのだけれど。
「わたし、少し見て回ってくるわ。貴女はここで待ってて」
「え…嫌…ひ、1人にしないでくださいまし!」
「だ、大丈夫よ、見てくるだけだから」
彼女に一言、安心させるように微笑んでから一歩。
鏡のような床を歩き出すとーーーー
ドボン!
「ーーーーっ⁉︎」
床…床が抜けた⁉︎
ううん、なに、これ…まるで水の中⁉︎
手を伸ばすが水を掻く感触しかない。
…水の、中に?
どうして?
息ができない…どうして急に…!
…………し、沈む…!
「っ!」
真っ暗な水に沈む感覚にハッと目を開く。
天井…見た事のある、天井だ。
「…わたしの、部屋…?」
わたし、っていうか、アミューリア学園の女子寮の…ヘンリエッタの部屋だわ。
上半身を起こして顎と首を触ると…汗でべっとり…。
うわ、気持ち悪い…。
「…………わたし…どうしたんだったかしら…」
体がものすごい火照ってる。
熱、出したのかしら。
自分の寝ていたベッドもほかほかしていて、熱い。
ネグリジェもシーツも汗でしっとりしているし…これは、相当高熱だったのね。
まだ頭がぼんやり…頭痛もする。
「う」
だめ、起きてるの無理。
ぼふん。
後ろ向きに倒れる。
でも、汗でベトベトしていて気持ち悪い…着替えたい。
その時扉がノックされる。
ガチャリと返事をする前に入ってきたのはアンジュ。
「お嬢? 起きたんですか〜?」
だから様を付けなさいよ!
と、ヘンリエッタなら言うだろう。
しかし、頭がクラクラ…喉がカラカラ…。
怒る元気もない。
「…3日、寝込んでたんですよ〜…覚えてます〜?」
「う、うそ…そんなに…?」
「も〜…がらにもなく心配しちまいましたよ〜…」
ぴちゃん。
アンジュは小さな桶に手を入れて、タオルの水を絞るとわたしの額や顔の汗を拭ってくれる。
うわ、気持ちいい…。
「…食欲はあります〜? スープ持ってきましょうか〜?」
「…そ、うね…食欲は、ないけど…何か食べないと…」
「……。…じゃあ、持ってきますね〜…。はい、あとはご自分で好きなところ拭いてください。食べる前に着替えはどうします〜?」
「ええ、着替えたいわ…」
「んじゃあ用意しときますね〜」
と、殊勝にもメイドらしいことを言いながらタンスから新しいネグリジェを取り出してベッドに放り投げ「スープ持ってきますね〜」と出て行く。
な、なんて奴なの!
仮にも我が家のメイドなら着替えさせて、ついでに体の汗も拭いてから行きなさいよ!
と、思ったら入れ替わり、アンジュの部下のメイドが3人入ってきた。
そしてあっという間にネグリジェを引っぺがされ体中を丁寧に濡れたタオルで拭かれ、新しいネグリジェを着せられる。
更にその間ベッドから椅子へと移動させられ、ベッドシーツなども新しいものへと取り替えられた。
……な、なんという早業……。
アンジュがスープを持って戻ってくる頃には、わたしは清潔なベッドで、着心地の良い新しいネグリジェを纏い、スープ待ちの状態。
す、すごい。
これが良家のメイドの実力…。
至れり尽くせり過ぎてわたしが庶民であると言うことをまざまざと思い知らされた気がする…。
「はい、あーん」
「自分で食べられるわ…!」
ニヤリ、と確実にわたしのことをからかう目的でほかほかの湯気立つスープが入った大きめのスプーンを差し出してくる。
こんにゃろう…。
「…お医者様は風邪をこじらせたんだろうって。とりあえず、完治するまでは学園はお休みしてくださいね〜。他の生徒さんにうつしたら問題事案ですから〜」
「…うっ…わ、わかってるわ」
アンジュからスープの器とスプーンを受け取り、もそもそと食べ始める。
ほっこりとするジャガイモをすり潰したスープ。
…そうか、ウェンディールは冬の長い…大陸の北に位置する国。
小麦の他にお芋系の野菜がこの国では主食の一つ…ってレオハールルートで語られていたっけ。
「美味しい…」
「…………。………そいつぁ良かったです〜…。ところでお嬢…」
「なぁに、アンジュ」
「いや、あんた誰ですか? うちのお嬢じゃないですよね〜?」
「…………え?」