乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』
「おはようございまぁす、お嬢さま〜。今朝も凄いですねぇ〜」
「…………そうね…」
メイドのアンジュに起こされて、鏡の前に立ち…わたしは新たな絶望感に打ちひしがれた。
そうだったわ…わたしのこの美しい金髪は何かがおかしいのよ…。
他人事のように「これはひどい」と鏡の上にフレームアウトしている縦巻きロール…この場合は上に向かって立て巻きロール…を目玉だけで見上げた。
物理的に…この寝癖はありなの?
ゲームの世界だからありなの?
どちらにしても未来から来たトラ◯クスがベ◯ータとの修行でロングヘアになり、その後スーパーサイ◯人になった時でもここまで見事な逆さ縦巻きロールにはなっていないだろう。
大体、お腹まである縦巻きロールがそのまま重力と喧嘩でもしたかのようにそのまま真っ逆さまに伸びるって…ヘンリエッタの髪の毛ってちゃんと髪の毛なの?
こんな事ある?
髪の毛ってもう少し重力と仲良くなかった?
ありえなさすぎて逆に冷静になってしまう。
…変ね…アンジュと同じように床に立っているのに…わたしだけ天井に立ってるみたいだわ。
「…ナイトキャップお被りになられなかったんですかぁ? まあ、被ったところで突き抜けて破いたこともありますからぁ、個人的にはどっちでもいいんですけどぉ〜」
…この気怠げギャル風に喋るアンジュは私付きのメイドでアンジュ・ケミュト。
我がリエラフィース侯爵家の執事家系であるケミュトの跡取り娘だ、これでも。
話し方はちょいちょい癪に触るけれど有能なので我慢している。
タレ目が特徴で、大体主人であるわたしを小馬鹿にしてくるのも腹の立つところ。
本当、これで優秀じゃなかったらクビにしてるわ。
…文句を言いながらもしっかり櫛で逆さになった巻き毛を下へ下へと梳かしていく。
あっという間に、髪は重力のかかる方向へと戻った。
「…うん、お嬢さまの寝癖の良いところは〜、梳かせばすぐに元に戻るところですねぇ〜」
「……………」
「まあ、何故かロールは戻らないですけど〜」
「……ねぇ、なんでこの縦巻きロールはストレートに戻らないのかしら? お前、この強固すぎるくせ毛の構造について何かわかる?」
「ん〜〜。呪いですかねぇ〜?」
「…やはり呪いか…」
櫛を通せば下向きに…重力のかかる方向に戻る縦巻きロール。
しかし、ロールそのものはストレートになる事はない。
このロール部分と、ロールの掛かっていない部分は何か違うのかしら?
巻き髪に指を通し、すいてみる。
指が抜けた途端に髪はトゥルルンと元の形に戻った。
…………どういう事なのーーーー‼︎
「…お嬢さまぁ…お顔赤いですよぉ〜? もしかしてお熱があるんじゃないですかぁ〜?」
「…え? そ、そう? …確かに少し寒気がするのよね…」
「ほらぁ〜、お夕飯食べないからですよ〜。どうせまたお腹出して寝たんでしょう〜」
「そ、そんな事ないわよ! ちゃんと布団をかぶって寝たわよ!」
ぶっちゃけ眠れなかったけど!
空腹と、色々思い出して…!
「も〜〜。今日は大事を取ってお休みしてくださ〜い。クロエさまたちにはお伝えしておきますから〜。食欲は〜? 朝食は食べられますか〜?」
ぐうう。
朝食と聞いて、体は素直に反応する。
髪は元に戻ったけれど、アンジュはそのままわたしをベッドへと押し戻す。
話し方はアレだけど、うちのメイドは優秀なのだ。
「そんな、平気よこのくらい…」
「だ〜め〜で〜す〜。お嬢さまが無理して高熱を出してまたぶっ倒れたらど〜なさるんですかぁ〜? まぁ〜、弱り切って寝込むお嬢さまはそれはそれで面白そうですけどぉ〜…クフフフフフ…!」
「こ、この魔女め!」
見下ろす眼差しのなんと楽しそうなことか!
…で、でも…確かに記憶の混乱している今のわたしが学園に行って変なことを口走らないとも限らない。
とはいえ、本当にここが『フィリシティ・カラー』の『アミューリア学園』で、わたしが出オチの当て馬モブキャラ、ヘンリエッタ本人かどうかの確認もしたい!
もしここが本当に『フィリシティ・カラー』の世界で、わたしの通う学園があの『アミューリア学園』なら…メイン攻略キャラが揃っているはずだもの…‼︎
…乙女ゲーム『フィリシティ・カラー』シリーズ。
無印時代から『パーフェクト・ラブ』までで攻略キャラは総勢18人。
乙女ゲームの攻略対象としては数が多く、難易度も高い。
しかし、マンネリ化した乙女ゲームに飽きた層や、腐った層、男性にも満足のいくボリュームやシステム、戦闘クオリティを誇る。
ストーリーやキャラクターがいいのは乙女ゲームでなくとも当たり前。
面白いのは有名な声優さんじゃないところ!
声優好きが一周回ってる人は、ほとんど名前も聞かない新人さんが声を担当してる、と聞くと新人発掘的な興味をそそられる。
特に、ヴィンセント・セレナードの声優さんは時代劇王子とまで言われた「鶴城一晴」!
2.5次元過ぎる時代劇王子の初声優作品と聞いてわたしはうはうはしていたのよ!
こほん…そ、そうじゃなくて…。
でも実際かなり評価は高く増補改訂版や続編が出る程度には人気の作品だ。
だってストーリーがいいものー!
公式ゴリ押し王子レオハールルートと、追加攻略キャラ、ハミュエラルートはハンカチとティッシュなしには見られない。
人間以外にも亜人、獣人、エルフに妖精、人魚…歳上歳下とバラエティにも富んでいるし、腐った層にも優しい演出や設定があるので違う種類の人種からの支持も幅広かったりする。
というか、わたしはこの作品のせいで半ば腐った。
そんなつもりなかったのに…。
エディンとレオハールの幼馴染イチャイチャやヴィンセントとケリーの主従イチャイチャやハミュエラとアルトの親戚イチャイチャが萌滾るのが悪い!
…………じゃなくて…。
主軸となるストーリーは、異世界から召喚された女子中学生が戦巫女として戦争に参加させられることになり、共に戦う『従者』を学園に通いながら探すというそこそこハードなもの。
最終的に攻略キャラと戦争を勝ち抜かなければ、エンディングにも辿り着けない。
攻略キャラは無印以降増えており、メインとなる攻略対象が5人。
レオハール、エディン、ケリー、ヴィンセント、クレイ。
ゲームをクリアすることで追加される攻略対象が7人。
スティーブン、ライナス、ハミュエラ、アルト、ラスティ、ニコライ、ルーク。
隠れキャラが2人。
ミケーレ…そしてオズワルド様。
敵国攻略対象が4人。
獣人のガイ、エルフのマーケイル、妖精のアニム、人魚(の男)でヤフィ。
…敵国キャラも良かった…!
全員良かった…!
個人的にはミイラ取りがミイラになるマーケイルが良かった…!
…じゃなくて…。
…ここがその舞台…ウェンディール王国なのは…これまで生きてきた記憶として間違いようもない。
そして召喚された戦巫女が通うことになるアミューリア学園…。
自分で通ってるんだから間違いないわ。
ヴィンセント…も、記憶にある。
彼は悪役令嬢の弟、攻略対象でもあるケリー・リースの執事として…平民の『記憶持ち』として学園に通っているのよ。
…ローナ・リースとはお料理の専攻が同じだから午後は大体同じクラスで勉強している…。
じゃあ、やっぱりここは『フィリシティ・カラー』の世界……………?
「お嬢さま〜」
「うわ!」
気がつくとベッドの中で、膝の上に食事が用意されていた。
それを見た途端、お腹が盛大に鳴り響く。
う、お、美味しそう〜!
思えば昨日のお昼から何も食べてないのよ〜っ。
「んも〜、何ぼーっとしてるんですかぁ〜。早く食べてくださ〜い」
「わ、わかってるわよ。いただきます」
「…?」
一口、ソテーされた鶏肉を口に入れて幸せな気持ちになった。
んお、美味しい〜〜っ!
こんな美味しいもの生まれて初めて食べたかも〜っ!
貴族ってこんなの毎日食べられるの⁉︎
最高じゃない〜〜っ!
「…………。…お嬢、やっぱりなんか変…」
「んぐっ! …い、いきなりなによ…っ」
無礼よ! 様を付けなさいよ!
…と、ヘンリエッタなら言っていた。
しまった…つい大人しく聞き返してしまった。
「…男の裸がそんなに刺激的だったんですかぁ〜?」
「んなっ!」
は、裸じゃない! 半裸よ!
と、叫びそうになったがなんとか持ちこたえた。
ここは女子寮よ。
いくら間に部屋があると言っても、廊下には響くわ。
侯爵家と伯爵家の令嬢の部屋がある三階で、そんなこと叫んだらはしたないと思われる。
…大体…それは…ふ、不可抗力というやつよ…!
あんなところでなんの訓練してたのヴィンセント!
…だ、大体ヘンリエッタじゃなくてもわたしの最推しはヴィンセントなのに…よりにもよってそのヴィンセントが上半身脱ぎ捨てて水浴びとか…!
あ、あんなのぶっ倒れるわよ普通ー!
「…まあ、お嬢の大好きなリース家の執事ですもんねぇ〜…」
「ど、どこまで聞いたの⁉︎」
「まあ、ほぼ全部?」
「ク、クロエね…!」
余計なことを!
そりゃ、倒れて早退してきた時点で何かあったとは悟られていただろうけど!
「個人的にはさっさと諦めて〜、エディン様とかレオハール様とか…地位の高い方に乗り換えて欲しいんですよね〜。エディン様はローナ様との婚約、解消されてますし〜」
「そ、それは…」
…なんか一気に現実に引き戻されたわね。
確かに侯爵家の跡取り娘としては、地位の高い殿方を婚約者にするのは理想……ん?
「…え? エディンとローナが婚約解消…?」
「? ええ。えーと、昨年? 末頃に…」
「うそ⁉︎」
「うわ、どうされたんですか〜」
アンジュに摑みかかる。
だって、ローナとエディンが婚約解消ですって⁉︎
どういう事⁉︎
あの2人は、ゲーム開始当初からずっと…。
「…………あれ…?」
…そういえば…ヘンリエッタの記憶を辿るとゲームとところどころ違いがある、わね?
ん? ちょっと待って?
これは、わたしの記憶?
それともヘンリエッタの記憶…?
あれ? あれれ?
「う…?」
「…………、ちょっと〜、お嬢〜、やっぱ休んだ方がいいですよ〜…お食事はまた後でお持ちしますから…。お水は飲めます?」
「…あ、え、ええ…もらうわ…」
…ダメ、記憶がぐちゃぐちゃ…。
頭が痛む…!
水を飲むと、頭痛は明らかに激しくなる。
これは、今まで生きてきた記憶が…溶け合ってるの?
背中も寒くなって、体がカタカタと震えだす。
歯の根が合わない。
こ、これ、ちょっとヤバくない…?
そりょそうよね、だって2人分の人格と記憶がいきなり一つになって仲良くやっていけるはずはないもの…体の拒絶反応…そう考えれば納得もいくわ…!
わたし、どうなるの?
わたくしは…?
うっ…!
「…………」
「お嬢⁉︎」
…………アンジュの珍しく慌てた声。
バタバタという足音が遠くになって、そして静寂が訪れる。
頭の中にカンカンカンと、まるで消防車のサイレンの様な音…。
わたし…
わたくし…
しぬ、の?