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第2話(2):甘い蜂蜜色の、永遠の在り処


 廊下が蜂蜜色に染まっている。

 やっぱりおかしい。

 みらいは出会いにすっかり舞い上がっているみたいだけれど、だからといってこの違和感に気付かないはずないのに。


 蜂蜜色。

 夕暮れの空の色。

 ここへ来たのは午前中だ。

 日が落ちるには早すぎる。

 ありえない。

 さっきまで空は真っ青だった。

 それが、図書室のドアを開けた途端だ。

 変わってしまった。

 蜂蜜色に、染まってしまった。


「俺たちは、卒業式の日の朝から、ずっと二人だけで学校に閉じ込められてるんだ。

 何度も出ようとして、そのたびにダメでさ。だから随分前から、試すことすら諦めてた。今の今まで、俺ら以外の誰かが学校に来たことなんてなかったし」


「今度こそ、出られるといいねえ」


 安藤と長岡が言い合う。

 みらいは、「絶対出られるよ」と安請け合いをしていた。

 どうかな、と思う。

 俺は急速な変化をした空に嫌な予感を抱いていた。

 この、蜂蜜色に。


 この空の色は、終わりの色だ。まっ黄色の空。末期色の空。


 終わりの気配に囚われているのならば俺たちも同じ。

 出られないというのなら、それは多分、俺たちもまた。


 廊下を歩いて玄関まで来た。

 空っぽの下駄箱が寂寥感を帯びている。

 埃を浴びた下駄箱は、何度も重ねては剥がされたシールの後があちこちに残っていた。

 青葉がいかにも好きそうだ。終わりの気配と呼んで喜ぶ。あいつならそうする気がする。

 ガラス張りのドアの向こうにグラウンドが見えた。

 そのさらに向こうに古びた校舎。なんてことはないただのドアだ。


「じゃあ、ちょっと出てみるね」


 みらいがガラス張りのドアの取っ手に手を添えた。スライド式のそれを横に引く。


「うーん……」


 みらいが唸る。さらに力をこめてドアを引く。けれど、少しも動かない。


「あ、鍵、かかりっぱなしだよ、みらい」


「鍵! ご、ごめん……」


 長岡の忠告に、俺の緊張がほどけた。

 ばかばかしい――長岡と安藤はここから出られないとか言っているが、本当は夏休みに忍び込んできた物好きで、たまたま遭遇した俺たちを担いで楽しんでいるだけとは考えられないか。

 そんな疑問がいまさら頭に浮かんだ。

 だからといって、外が急に夕暮れになった理由は説明できない。

 鍵を開けて、みらいは再びドアをスライドさせる。

 ドアは開いた。


「あっ」


 みらいが少し喜色の混じった声を上げる。

 そして、一歩踏み出したように見えた。


「……どう、みらい?」

 

 不安そうな長岡の声に、


「あ、あれ?」


 みらいが心底不思議そうに首を傾げる。

 そうしてみらいは何度も何度も、一歩踏み出すふりばかりを続けた。


「出……出られない。だめだ、足が……」


 途方に暮れたように呟く。試しに俺も、外へ一歩踏み出した。

 外へ一歩踏み出した。

 外へ一歩。一歩、外へ――。

 外へ、


「っ」


 言いようのない気持ちの悪さに一歩引き下がる。

 不快感。一瞬の頭痛と吐き気。嫌悪感。なんだ、これは。

 一歩踏み出したかと思えば、踏み出せていない。

 繰り返し繰り返される一瞬。

 進もうと思う限り続く、悪夢。狭間に取り残される感覚。

 一歩踏み出そうと思えば、そのまま何もかもが停滞する。


 気持ち悪い。


 止まった時間の中に留まっていた。


 永遠に思える一瞬というものがあれば、一瞬に思える永遠というものがあれば、今のがおそらく、それだ。


「ね、遥君、へんな感じ、だよね?」


 不安げにみらいが尋ねる。俺は頷くしかなかった。


「やっぱり、か。気の毒だけど、あんたらも、みたいだな」


「閉じ込められちゃった……?」


 気遣うように二人が声をかけてきた。同情が混じっている。同時に、仲間を見つけた喜びを間違いなく感じている声音だ。


「どうしよう、遥君。世々璃を探しに行けないよ」


 今にも泣きそうな声でみらいが言う。長岡が慌てて取り繕った。


「だ、大丈夫、みらい。きっと出られるよ。出る方法、一緒に考えよう?」


「うん……」


 明らかに気落ちしたみらいにうろたえながら、懸命に励ましの声をかけている。

 訳のわからないことになった。

 終わりの気配をいっぱいに吸い込んだ廃校に、閉じ込められた。

 こんな場所で足止めを食っている場合ではないのに。


** **


 蝶が飛ぶ。ひら、ひら。翅が開閉する。ひら、ひら。

 古びた駅の、ホームには誰も居なかった。少女以外、誰も。

 ベンチに腰掛けて静かに時を待つ少女の耳朶に、聞きなれたアナウンスが触れる。


『黄色い線の内側に下がってお待ちください』


 少女の目の前に電車が滑り込んでくる。

 停車して、誘うようにドアが開いた。

 ふるふると、少女が首を左右に振る。


「これじゃない。私はこれには、乗らない」


 途端、無慈悲にドアが閉ざされた。何もかもを拒絶して、電車が通り過ぎる。


「まだよ。まだだわ。あと少し、なの」


 心底からの微笑みは、どこか。

 どこか傷ついたように、見えた。


 ひら、ひら。

 蝶が飛び去る。電車の後を追うように。


** **


「ね、みらい。私、いいこと思いついちゃった」


 中学三年生の末。

 行く高校も決まって、卒業式を目前に控えた日。

 冬の寒い中でも、わたしたちは、かつて秘密基地を建てた蛙乃の川に集まった。

 世々璃が、いつもの悪巧みの顔ではしゃいだように言う。


「卒業式に、とても楽しいことをするわ。でも当日まで内緒よ。うふふ、楽しみ」


「何? 世々璃、なにするの?」


「だーめっ、秘密。でもね、ぜったい楽しいわ。笑顔にしてあげる」


 やけに嬉しそうに世々璃はにこにこしている。

 またヘンテコなことを思いついたんだろうな、と思った。

 だからわたしは、詳しく尋ねなかった。

 そうして、卒業式の当日。


「みらい、みらいっ」


 学校に登校した朝。

 卒業生入場の直前に、世々璃が嬉しそうに駆け寄ってきた。

 体育館の入り口で、クラス順に作った列を割るようにして、わたしのもとへ。


「世々璃、どうしたの? ほっぺた、黒いよ」


「えっ、ほんと? トイレ行こっ」


 入場直前だというのにわたしはトイレへ行くはめになった。

 世々璃の綺麗な顔には、うっすら墨がついていた。

 手の甲にも、同じように黒く色がついている。

 拭ったけれど拭いきれなかった、そんな感じ。


「世々璃、ほんとにどうしたの? 何かあったの?」


「ふふ、何かあるの。……むぅ、でも、これ、取れない」


 ハンカチで一生懸命ごしごしこすったせいで、白い肌が赤くなっちゃってる。

 少し灰色っぽく残るけど、世々璃は諦めて黒くなったハンカチをしまった。


「じゃ、行こう、卒業式」


 みっともなく汚れた顔は、だけど晴れ晴れとしていて。

 なんだか、寂しかった。


 わたしたちが中学生として過ごす時間は、本当に、ほんの少し。

 それを過ぎたら、もう二度とない。


 卒業式に遅刻して、でも式中なので先生には顔だけで怒られた。

 わたしたちは少しひんしゅくを買いながら席に着いた。


 在校生が見送りの歌を歌っている。

 しろいひかりの中に。

 懐かしい歌が聞こえる。


 歌の最中だというのに、体育館の中は妙にざわついていた。 

 気になって周囲を見渡すと、ほとんどの子の視線が一箇所に集まっている。

 なんだろう、と思ってわたしもそれを追った。


 体育館の、壇上の壁。


 堂々と掲げられた、学校の校章と、市のマークの旗。

 そして、日の丸の国旗。

 思わず口が開いてしまう。びっくりして目も見開く。

 何度も何度もまばたきして、見間違いじゃないことを確かめた。


 慌てて、世々璃を振り返る。

 世々璃はわたしの三つ後ろの席で、にこっと笑ってピースサインを作った。


「世々璃……っ」


 小声で呼びかける。


「どう、みらい?」


 得意そうな世々璃の声。

 わたしはもう一度、壇上の壁を見た。

 見慣れた日の丸の国旗。

 その赤いまん丸の中に、黒い墨で目と口が描かれている。

 にっこり笑った簡単なマーク。

 だけどそれは、すごく素敵。


「世々璃、すごいよっ」


 わたしは思ったままを告げた。


「ありがとう、みらい」


 世々璃がふんわり笑う。

 すごい、と思った。

 簡素な円を、笑顔にしちゃった世々璃。

 先生も、生徒も、生徒の親も、市の偉い人もみんな、あの笑顔を見ている。

 大人たちは、唖然とした顔で。

 子供たちは、いたずらが成功したみたいな顔で。


 後に聞いた話では、国旗に換えがなかったから渋々あのまま式を続行したらしい。

 式が終わった後、にこちゃんマークの国旗がどうなったかわたしたちは知らない。

 生徒たちの楽しそうな顔が、大人たちのびっくりした顔が、今も鮮明に思い出せる。

 世々璃は、言った。


「なんか大人ってつまんないんだもん。式、なんて、型どおりでさ。面白くないじゃん。だから、せめて、飾りだけは賑やかにしたくて。ね、みらい。楽しかったでしょ。笑顔に、なったでしょ?」


 わたしは、もちろん頷いた。




 あのとき見た世々璃の笑顔が、弾けて消える。

 ほこりっぽい体育館。

 卒業式の準備のまま、残されていた。


「ここも、卒業式の日のまんま。体育館へは貫通廊下からしか来られない。他の校舎も全部同じ」


「図書室のある校舎、北校舎って言うんだけど、北校舎とつながってない校舎へは行けないんだよね。職員室とか、給食室とか。校庭にも出られない」


 きれいに並べられたパイプ椅子は、割と古くてあちこち錆び付いている。

 椅子のクッションは破けてスポンジが覗いていたりして。

 いかにも、伝統ある学校だなぁ、って感じ。


 壇上には国旗と、校旗、市のマークが掲げられている。

 わたしは世々璃の作った「にこちゃん日の丸」を思い出して、こんな状況だというのに微笑んでしまう。


「で、どうすんの」


 安藤君がパイプ椅子に座って尋ねた。


「うん……、どうにかして、外に出たいな」


 遥君は扉や窓を点検して、外に出られないか確かめている。

 全部だめそうだ。


「……世々璃を探さなくっちゃ」


 わたしは、日の丸の国旗を見上げた。

 まんまるの赤。

 にこちゃんマークはそこには無い。


 寂しい。

 世々璃が居ないと、つまんないよ。


 ……世々璃、行っちゃやだな。


 世界の終わりに、行かないで。


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