第1話(3):青い青い空の、向こうに約束
会話が嫌いだ。
会話が苦手だ。
昔はよく喋った。
そのせいで何度も友達を不快にさせたし傷つけた。
その度自分自身も傷ついた。
自分に口が、声がなければよかったと思い続けていつしか無口になった。
小学校の高学年だった。
俺は決定的に会話を拒むようになった。
当然周囲から人が減ったが、嫌われないための努力を放棄した後はとても身軽だった。
会話が嫌いだ。
中身の無い言葉の投げあい。
本人が居ない場での陰口。
他人の不幸を言い伝える言葉たち。
無意味。無価値。くだらない。馬鹿らしい。
不必要に他人を傷つけるだけ。言葉なんてなければいい。
次第に会話をしなくなった。
代わりに以前見向きもしなかった本を読むようになった。
物語は心地いい。
会話の全てに役割がある。
物語を進行させる役割。
意味のある、中身のある、含蓄のある言葉たち。
けれどそれはどこか薄ら寒くて血が通っていない。
何故ならただの造り物だからだ。
会話を嫌う俺のまわりに人は自然と近寄らない。
だけどみらいと青葉は違った。会話を強要しない。
反応がないからといって悪態をつかない。
言葉の数の多さを相手への好意の大きさだと思わない友人たち。
かといって確実に等しく意図を汲んでくれるわけではないし、だとしても不満はない。
五日前、青葉が失踪した。
気まぐれな青葉のことだ、すぐに帰ってくるだろう――。
そんな思いは二日三日たって焦りに変わっていった。
確信が生まれた。
青葉に帰ってくる気はない、と。
俺とみらいは青葉をよく知っている。青葉の影響は俺たちに大きい。
『遥、世界が終わりに向かっているの、知ってた?』
長い髪。涼しげに整った顔。
みらいと同い年とは思えない大人びた雰囲気。その雰囲気に不釣合いな言動。
みらいが子供っぽいっていうのもあるけど、一番身近な異性がみらいだったから、衝撃的だった。
青葉世々璃。
自分と同じ年齢で、こんな奴がいるのか、と。
「遥。ね、終わりを感じるでしょ? わかるかなあ。
みらいはね、なんとなくって言ってた。
遥はもっと、私に近い気がするんだけどなあ」
世界はほとんど終わりかけているんだ。
今は残りかすに必死につかまって生きてるだけ。
そんなことを、いつか夏の日、秘密基地で蜂蜜色に染まりながら言葉を交わした。
青葉は嬉しそうに笑みを浮かべて、頷く。
チョコレートアイスに舌を這わせて、言った。
「遥は心地いいねえ。みらいと同じくらい心地いいよ」
年上がとるみたいな余裕のある態度だった。
青葉ってそういう奴だ。
俺たちの知らない何かを知っていて、俺たちの疑問の答えを全て知っていて、だというのに教えない。
意地悪クイズの出題者。
余裕のある変な奴。
その態度にむかつくことは、不思議とない。
「心地いいなぁ」
そう言われると嬉しかった。誇らしかった。
青葉に隣を許される、それはとても心地いい。
だけど青葉は居なくなった。
世界の終わりへ行ってしまった。
みらいはあまり気付いてないみたいだけど、思う。
青葉は一足先に世界の終わりを見に行ったんだ。
追いつくだろうか。そしてもう一度、青葉の隣へ行けるだろうか。
「あ」
雑誌から顔を上げてふいにみらいが言った。
青葉を真似て伸ばし始めた髪が揺れる。
「次だね、終点。乗り換え?」
答える代わりに頷く。
「ひいおじいちゃんち、遠い?」
首肯。
「ま、今日は一晩そこに泊まろっか」
地元を発って数時間が経った。
外は夕暮れ。
知らない町の空は、俺たちの住む地元の夕焼けより少し色が濃い。
「ね、遥君宿題もってきた?」
唐突な問いに首を横に軽く振って否定を表す。
「そっか。ま、やる余裕もなさそうだけど……わたしも置いてくればよかったかな」
嘆くように言うみらいは、俺のことをよく知ってるから深く追求しない。
会話を拒んでいるのを知っている。
だから俺は話さない。
夏休みに終わらせるべき課題を全て置いてきたのは、俺も青葉と同様だからだ。
帰る気がない。
世界の終わりへ行くために。
俺はみらいに比べれば少し青葉と近い感覚で生きているのだと思う。
だからこそ気付くこともあった。
青葉は世界の終わりへ向かっている。
みらいも薄々気付いているだろう。
青葉は世界の終わりを待っている。
それは、俺も、同様に。
みらいはどうだろう。
そう思っても俺は尋ねない。
言葉が必要になるからだ。
みらいを覗き見る。
手にしたファッション誌は青葉の影響だ。
青葉に出会ってみらいは服装やらに気を遣い出した。
幼馴染の俺から見ればそれは少し寂しかった。
昔は同じ雑誌を、顔を突き合わせて読んでいた。
ページをめくろうとすると、読むのが遅いみらいが怒った。
時々そのせいで喧嘩してページがやぶけた。
男とか女とか、まだ意識しなかった頃の話。
「なに、遥君」
視線に気付いてみらいが問う。
不意打ちに内心焦って、俺は表情を取り繕う。
口を開きかけたとき、終点につくアナウンスが入って俺は会話をまぬがれた。