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エピローグ:アオバセセリ

 夏が過ぎ、二度目の夏がまた過ぎて、冬を越えた。

 春と呼ぶにはまだ全く冬のほうが近しい空気の季節。


 青葉を欠いたまま俺とみらいはそこに居た。


 蛙乃の川。

 秘密基地。


 受験があったので見かけるが近寄らない、そんな距離感だったためか、ひどく懐かしかった。


「えっとね、蝶」


「それは基本だろ。……黒」


「長い髪」


「夕日」


「図書室」


「氷」


「ショベルローダー」


「……何?」


「ほら、旧校舎、中学のときに。壊してるところ見たじゃん」


「ああ、そういうことか。……永遠」


「終わり」


「電車」


「ピアノ」


「秘密基地」


「チェルシー常備」


「ああ、持ってた持ってた。じゃあ、チョコアイス」


「癒し系。あ、遥君のことなんだけど」


「は? そういう評価? 犬じゃねえんだから……」


「いーじゃん、好評で。ほら、次」


「次、……屋上」


「旧校舎」


「にこちゃん国旗」


「あ、わたしそれ言おうとしたのに!」


「早いもの勝ち」


「ずるいー!」


 言い合いながら、学校へ向かう道沿いに、川べりを歩いている。


 青葉世々璃を連想する言葉を、最近はみらいとこうして、時々言い合う。

 忘れないように、忘れていないことを確認するかのように。

 青葉世々璃は確かに居たのだと証明するように。


 そして、あの時ほどけて失われた言葉をこうして紡ぐことで、再び青葉の形を取り戻そうとしている。

 不毛かもしれないけれど。


「……にこちゃん国旗、どうした?」


 日の丸に落書きなんて、人によっては青筋立てて騒ぎそうな暴挙だ。

 青葉はあの時、笑顔になる同級生を見て感慨深い表情をしていた。

 自分の描いた笑顔を、どんな気持ちで見ていたのか。


「ああ、うん……結局やってない。わたしには勇気ないよ」


「でも、うちの中学から来た奴で誰か真似するかもな」


「それは、うーん、ちょっとなんか悔しい……」


「いや、居ないって、そんな無茶する奴」


「そうとは、思うけどー」


「あ、でも居ないのか。青葉のこと、青葉の痕跡、覚えてる奴なんて」


「……そうだった」

 


 吹き抜ける風が幾分柔らかい気がする。

 冬が終わりに向かっているのだ。

 三月の頭ともなれば当然のこと。


 二年の夏休み、みらいと俺は、自宅へ帰り着いて充分な注意と説教をされた。

 学校に呼び出され、顔色も窺われ、それでもなんとか、いつもの生活に戻る事ができた。

 新学期には何事もなかったかのように振舞えた。


 あの夏休みの間に、青葉の所在を担任に尋ねた。

 自宅への電話が繋がらなかったためだ。


「青葉は引っ越した。別れが寂しいから、誰にも言うなって言われてたんだ」


 そんな常套句をねじ伏せて連絡先を聞いた。


「今ちょっと見当たらない、明日連絡して」 


 その言葉のとおり連絡すると、


「青葉世々璃なんて生徒、今も昔もこの学校には居ないなぁ」


 とトボケた返事をされた。

 それが実はとぼけでも痴呆でもなく、本当に忘れているらしかった。

 新学期の名簿に青葉の名前は見当たらなかったし、教室の机の数も最初からそうだったように一つ減っていた。

 クラスメートの誰も、青葉を覚えていなかった。


 青葉の痕跡は、もうどこにもない。

 みらいと、俺の中以外には。

 


「卒業かぁ。なんか、あっという間。

 あんなに、終われ終われーとか思ってたのに、ね、なんだかなあ」


「うん……」


「なんだったのかなぁ、あの電車、とか……」


「理解しようとするだけ、多分無駄」


「遥君は、またそう言う! 気になるから気になるって言ってるだけですー」



 電車。

 去年の冬休みに、二人で稚魚町を訪れた。


 正確には、稚魚町は存在しない。

 何年か前に近隣の市町村が合併して、名前も一新され、稚魚町は廃駅になっていた。

 俺とみらいが夏に訪れた駅は、存在していない。もう何年も前から。


「世々璃は、……よかったって思えたのかな」


「……」


「わたしね、後悔ってズルいことなんじゃないかなって最近思うんだ。

 だって、後からなら、さ、いくらだって言えるもん。後だしジャンケンみたい」


「……難解なことを言うな」


「ば、ばかにしてるんでしょ、それ?」


「嘘、嘘だって。どうぞ」


「どうも。

 だからね、そのとき出来なかった事を、そのときを経た後なら、出来るようになるかも、でしょ?

 それで、当時は選択できなかったことを、後になら選択できる。

 なんであのときこう出来なかったんだろーって後悔するのは、だって出来ないのは当然じゃない。

 あのときは今じゃない。だから、できなくて当たり前で」


「みらい。みらい。考えをまとめてから喋るように。喋りながら考えないように」


「う、ううー……」


 うまく考えが纏められないのか、みらいが唸る。


「『あのとき』があったから今があって、今だから『あのとき』を後悔できるの」


「え、うん。おっしゃるとおり」


「だからっ、ああぅ……もうわかんない」


「放棄するなよ、拾ってやれよ」


「だめ。無理。こんど」


「こんどか……」


 乾いた笑い声を上げる。いつ『こんど』が来るのやら。


「だからね、不毛なんだってば。後悔なんて、そんなこと」


「そんなこと」


「でも世々璃は、どうしてかな。生真面目だったのかもね。ずっと『あのとき』を後悔して……」

 

 後悔して、ついに彼女はほどけて消えた。

 青葉世々璃は、誰かを酷く傷つけて、そのことをずっと悔やんでいて。

 取り返しのつかない時間を経た自分を終わらせたいと望んでいた。

 そして望みどおり青葉世々璃の世界は終わり、俺とみらいはその修繕作業をこうして繰り返す。


 大切な友達だったから、改めて世々璃のことを知りたいから、もう一度同じ時間を共有したいから。


 こうして、手遅れでも、無意味でも、自分勝手でも。

 俺とみらいは何度だって青葉世々璃の言葉を紡ぐ。


 世々璃。

 ちゃんと存在したはずの、でも消えてしまった女の子。


 誰かを傷つけたから、辛くなって、終わってしまいたい、と願った少女。


 それは、責任を取った贖罪?

 それとも、責任放棄の逃避?


 ずっと友達だったのに一言も相談せず一人で悩んで決意してしまった。

 傷ついた誰かは、そのことを知ってるのだろうか。

 それともその子も、世々璃を忘れてしまったのか。


 わからないことがたくさんある。


 できることなら、世々璃の口から全部聞きたい。

 終わってしまった世々璃の世界。


 たどり着いた終点。

 どこへ行きたかったのか、何になりたかったのか。


 どこへ行き着いたのか、そして彼女は何になったのか。


「じゃあ、続き」


「どっちから?」


「うーんと……わたし。ということで。蝶蛾図鑑」


「糸偏」


「切符」


「花火」


「無邪気」


「イタズラ」


「駄菓子」


「青空」


「……七月二十六日」


** **


 あの夏起こった不思議なこと。

 遥君に話をふると、「深く考えないようにしてる。冷静に考えると怖いから」なんて言われる。


 夢。

 夢だったなら、まだ、わたしの傍に世々璃がいたかもしれない。


 世々璃。

 アオバセセリは蝶の名前。


 その蝶は、見る角度によって青か、緑がかった翅をしている。

 真珠の表面みたいにきれいに輝く翅。 

 儚さよりも、存在感がある蝶々。

 後ろの翅にオレンジ色の模様がある。

 それは、幼虫の頃を思わせるしるし。


 子供の頃の名残を残して大人になる蝶々。

 それがアオバセセリ。


 世々璃は自分を蝶に例えるたびに、何を考えたのだろう。

 



 

 遥君と蛙乃の川を歩いて、いつもみたいに登校した。

 もう、それは癖になってしまっているのだけど、わたしは世々璃のロッカーを確認する。

 そこはいつも、空っぽか、そうじゃなければ関係ない人の荷物が勝手に置かれている。


 今日も、世々璃のかけらも見つからなかった。

 こうしてロッカーを開けて落胆するのも、今日で最後だ。 


 今日は卒業式。


 体育館には、普段まったく使わないおっきなヒーターが来賓向けに置いてある。

 在校生のざわめきが大きくて、ちょっとやなかんじだね、なんて囁き合って。

 できることなら世々璃と、囁きあうならもっと別のことがよかったな。


 世々璃と一緒に卒業したかった。

 わたしたちのこの世界に、さよならをするなら、一緒がよかった。


 わたしは人の群れを見渡す。

 ただひたすら、世々璃を探すように。

 その中に、わたしは遥君の姿を見つけた。

 遥君もわたしに気づいて、何故かこっちへ来る。

 クラス順に作った列を割るようにして、わたしのもとへ。

 驚いているわたしに、何かを呼びかけた。

 ざわめきにかき消される声は、だけどちゃんと分る。


 遥君は壇上を指差した。


 わたしはようやく、その時はじめて、壇上を見上げる。


 視界に飛び込んでくる、体育館の様子。

 いつもと違う、飾り付けのされた壇上。

 三辺の壁は紅白に覆われていて、見慣れない様子のそれに一瞬目が泳いで。


 過ぎるのは、予感。

 先走った喜びが胸にはじける。


 見つけた。


 真っ赤な円の中――。




 広がっている、満面の笑顔。


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