第1話(1):青い青い空の、向こうに約束
世界は。
終わりに向かっている。
とてもとても緩慢に。
――だけど、確実に。
「なぜ」
少女が呟いた。
誰も居ない、寂れた駅のホーム。
その最果てに立つのは一人。
深い藍色の制服を着た、長い黒髪が綺麗な女の子。
線路の先は見えない。
電車が来る気配はない。
行き止まりのようなその駅で、
少女は終わりを待っていた。
*
ノストラダムスを信じていた子供は、少なくないと思う。
口で否定しながら心で肯定していた人や、TVの特番に怯えていた子。
わたしも、そのなかの一人だった。
小学校四年生のとき。
恐怖の大王が何を示しているのか、延々と想像していた。
隕石で地球がこなごなになっちゃうんだとも思ったし、
宇宙人に侵略されて人間は奴隷になるのだと思った。
それとも世界中が戦争を始めるのかと怖くなった。
幼いなりにわたしは、世界が失われることを恐怖していた。
結局のところまだ地球は、不健康ながらも無事でいる。
夏の、まとわりつくような空気の中。
ローファーに痛めつけられる足を、わたしは蛙乃の川へ向かわせる。
蛙乃の川はコンクリートで周囲を固められた川だ。
斜面に並ぶブロックの上にわたしたちはいつも集まっていた。
「あ、」
もう来てる。
蛙乃西高校の制服を着た男子。
川を泳ぐ鴨を眺めてぼーっと缶ジュースに口をつけている。
粒入りオレンジジュース。
川橋遥。
遥君はわたしの友達。
世界の終わりを知る仲間。
とても無口な少年だ。
「遥君、世々璃見た?」
ガードレールを乗り越えて、斜面のコンクリートに足をつける。
コンビニのビニール袋をがさがさ言わせて、夕暮れに赤く染まる遥君の隣に腰を下ろした。
返事の代わりに遥君は首を横に振ってみせた。
遥君は、ほんとに無口だ。
口を開いても、普段、一日に一単語くらいしか喋らない。
「そっか。三日、だね」
三日前、突然、友達が姿を消した。
青葉世々璃。
わたしの親友。
世界の終わりを教えてくれた人。
三日前、といえば。
七月二十六日。
その日は、七年前、わたしが恐れたノストラダムスの予言の日だった。
わたしがやっと十歳だった、あの頃のある朝。
たまたまつけたテレビの朝のニュースでやっていた。
七月二十六日に地球に隕石が大接近する、っていう報道。
十歳のわたしにとって、ニュースがそんなことを言うのは、大きな驚きだった。
天気予報のキャスターにこう言われたも同然だ。
『明日は隕石が降るでしょう。みなさん、心の準備をお忘れなく』
日にちを知っちゃって、すごく怖くて、当日はずっと寝ていた。
寝たまま死ぬなら怖くないかもしれない。
でも、目覚めてみたら、世界はまだ、ちゃんとしていた。
「世々璃、どこ行ったんだろうね」
わたしの言葉に、遥君は黙って川の水面を見つめるばかり。
――わたしが世々璃に出会ったのは中学に入ってから。
『世界が、終わりに向かっているの、知ってた?』
下駄箱で靴を履いていた。
こがね色に満ちた学校。
世々璃はわたしを振り返る。
とびきりの秘密を教えるように、微笑んだ。
「みらい」
川を眺めてぼんやりしていると、遥君がわたしを呼んだ。
佐崎みらい。
この夏、十七歳になった。
「行こう」
幼馴染のその言葉が、わたしを導いた。
** **
思うのだけど、七年前のあの日、実は世界は終わってしまったのかもしれない。
わたしは眠っていたせいで、その境を目にすることはなかったけれど。
そう思えば、いろいろとつじつまが合うんじゃないかな。
終わり始めた世界について。
「あー」
補習が終わった。
期末テストの赤点のツケだ。
眠い目をこすってロッカー室へ向かう。
賢い遥君は補習とは縁が無い。補講にも興味ないみたい。
扉の向こうの蒸した空気を肌に感じながら、靴を履き替えた。
「あ……」
他の補習生徒で賑わう中。
ふと世々璃のロッカーに鍵がかかってないことに気付く。
世々璃がいなくなって、四日目。
まだ帰ってきていない。
何の連絡もない。
昨日、世々璃の母親から電話がかかってきた。
本当に何も知らないの、と問われ、わたしは答えなかった。
何も、知らない。
世々璃は何も言わずに消えてしまった。
何の前触れも、なかった。
ともすれば、多分、前触れなんていつでもあったんだ。
世々璃は、終わりの世界へ行きたがっていたから。
「……」
ロッカーに鍵はかかっていない。
ちょっと申し訳なく思いながら、わたしはそこへ手を伸ばす。
ぬるくなった金属が指先に触れる。
迷いを振り切って開けると、その中には何の変哲もない上履きが、置き傘が、入っていた。
(なんにも、ない)
少しだけ落胆して、ロッカーを閉める。
その寸前、気付いた。
慌ててもう一度ロッカーを開ける。
戸の内側に事務用の封筒が貼り付けてあった。
ロッカーとくっつくセロハンテープを丁寧にはがして、わたしはそれをカバンへしまった。
代わりに携帯電話を取り出して、メールを打つ。
〈蛙乃の川に来て。〉
送り先は、遥君のアドレスだ。