1999年7月26日、晴れ。
その日は朝から良く晴れていて、そのことが、わたしには酷い裏切りに思えた。
夏休みが始まってまだ一週間も経っていないのに。
今日に限ってママも友達と出かけてしまった。パパは仕事。
一人っ子のわたしは、兄弟のように育った近所の遥君を遊びに誘う気にもなれず、パジャマのまま、ママが作って置いていった朝食を食べていた。
机の上はきれいに片付いている。
ただ、四つあるうちの椅子の一つにだけ、山と荷物が積み上げられている。
付けている途中の家計簿や、今朝の新聞、取っておいてあるチラシ、パパの仕舞い忘れのシャツ。
わたしの夏休みの宿題もそこに紛れている。
もうあれをやることもないだろう。
だからと言って救いにもならない。
お昼ごはんを買うために与えられた五百円玉も、今日は退屈なものに見えた。
テレビのリモコンにも手を伸ばす気になれない。
カーテンから電気の点けていない部屋に射す光は、少し珍しく感じられた。
十時、二十分を過ぎた。
一週間前ならまだ学校で授業を受けていた時間。
まるで、風邪を引いて休んだ日の午前みたいだ。
こんな日に限って外は良く晴れて、悔しい思いをするのだ。
こんな日に、限って。
1999年の、7の月。
そして今日は、26日。
何の日だか皆は知らないのだろうか。
今までずっと騒いでいたくせに。
今日は、世界が終わる日だ。
7の月も終わりに近づいて、皆が気を抜く頃に、その日はやってきたのだ。
こんなに良い天気なのにね。
「ごちそうさま」
誰も居ない部屋にそう言うと、きゅうに寂しくなる。
家中の戸締りを確認してカーテンも全部占めて回る。
雨戸を閉める勇気までは絞れない。
自分の部屋に戻ると心臓の音がどきどき大きく聞こえてきて不安な気持ちが抑えられなかった。
離れた場所に居る家族が、世界の終わる瞬間でもそんなに酷い目に遭いませんように、と手を組んでお祈りする。
何にお祈りしたのかは分からない。
漠然とした神さまや、テレビの中のヒーローに。
世界の終わりはいつ来るのだろう。
たった十年の人生の中で見知った様々な怖い出来事が頭の中を一杯にしていく。
わたしは頭をぶんぶん振って、不吉なイメージを追い出した。
さっき抜け出たときのままかたちが残っているベッドにもぐりこんでタオルケットをかぶる。
夏の外はじわじわとセミが鳴いていて、近所のグラウンドから町内野球クラブの練習する声が聞こえた。
皆、知らないで、いつも通りに過ごすのだろうか。
不幸にもわたしと、わずかな人たちだけが、今日をその日と知っている。
そのせいで、恐怖に怯えながら待ち受ける破目になったのだ。
世界が終わるその瞬間を。
――そんな怖いこと、耐えられない。
わたしはベッドの中でぎゅっと身体を縮めた。
だからわたしは、眠ることにした。
寝ているうちに死ぬのならきっと怖くない。
寝ている間に、気づかないうちに、終わってしまえばいいんだ。
そうすればわたしは怖い思いをしなくて済むから。
だから、今言うのはおやすみじゃないんだ。
「さよなら」
さよなら、皆。
さよなら、地球。
さよなら、未来。
もう二度と目覚めはしないから。
さよなら――。
――という十歳のわたしの予想は外れ、その翌朝、お母さんに起こされた。
「みらい、どうしたの? どこか具合悪いの?」
丸一日寝てたわよ、とお母さんは心配そうに言う。
机の上のデジタル時計の日付を見ると、7月27日を示していた。
世界は終わらなかったみたい。
ほっとして、途端にお腹が空いた。
一日中寝ていたのだから当然だ。
わたしはベッドを抜けて、朝食を、昨日の分まで取り返すようにもりもり食べたのだった。
*
十歳のわたしが心配したように、世界は終わらなかった。
けれど時々、思う。
わたしが眠っている間に全く変化が起きなかったなんて、誰に分かるだろう?
世界は本当に終わらなかったと、証明するのは難しい。
だってわたしは眠っていて、その重要な瞬間を見逃してしまったのだ。
ねぇ、本当に、世界は終わらなかったのかな?