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2 思惑




 その報せを受けたとき、アレクシスは久しぶりに、内なる心の大いなる高揚を覚えた。


(好機、到来――)


 だが、それを自分に知らせにきた臣下の青年の顔色は、非常に冴えないものだった。

 彼は決して、そのことを喜んではいない様子だった。

 しかし自分にとって、それにさしたる意味はなかった。


早速さそくに、あの女と協議しろ。今度こそは、決して水竜の姫をがすな」

「……は」


 控えめに一礼をして、その美貌の青年はすぐに王太子の部屋を辞そうとする。

 長く伸ばした白金髪も、端麗な立ち姿も、男でありながらも後宮にいるいずれ劣らぬ美姫たちにひけを取らぬほどの凄艶さを湛えている。

 それでいながらこの青年は、もはや王の側近たる宰相の男よりもはるかに実務能力にけ、その不思議に誠実な人柄から人望までもあるという、この王宮にあって非常に稀有な存在になりつつあった。

 だがまあ勿論、背後に自分が控えていることで、その身が守られているという部分は大きい。


「待て、ヴァイス」


 自室の長椅子で脚を組み、ゆったりとくつろぐ姿勢は崩さぬまま、アレクシスは青年を呼び止めた。ヴァイスが、すぐに足をとめてこちらに頭を下げる。


「……は」

「貴様、なにやら不満げだな? なにか言いたいことでもあるのか」

「は、……いえ。滅相もなきことにございます」


 アレクシスはその返事を聞いて、す、とその赤味を帯びた瞳をすがめた。

 どうもこの青年は、そんな地位に就いていながら、そして政務に関する事務的な能力は恐らくこの王宮で間違いなく随一といってよいものでありながら、内面を隠すのが下手に見える。

 そんな側近の青年を、アレクシスはどこか可笑しい気持ちでじろじろと眺めやった。


 勿論、部下らの前ではそこまであけすけではないのだろうが。

 どうもこの青年、自分の前では文官にありがちな、あの鬱陶しくもふてぶてしい「仮面」の追従面ついしょうづらを着けることを良しとしないらしい。

 もちろん、臣下の爺いどもには伏せているが、自分は「火竜の眷属」となった時から、ただびとなら持っているはずのない様々の能力に恵まれた。目の前にいる相手の言葉の裏にある思いや考えが仄見えるのも、そうした恵みのうちのひとつだ。


 しかし、いま目の前にいるこの青年文官に限って言えば、その能力はあまり功を奏したことがない。というよりも、彼が自分に対して、ことさらに何も巧もうとはしないからだ。

 心の中に嘘を隠し、思ってもいないような阿諛追従あゆついしょうの言葉を並べる輩はこれまで嫌と言うほど見てきたし、あまりに目に余る者については、その場で灰にさえしてきた自分である。

 しかし、そんな自分を前にしてさえ、この青年は己を装うことをしない。

 そんな臣下は、この王宮、いや王国広しといえども、このヴァイスただ一人だった。


 それが実のところ、不思議でもあり、面白くもある。

 昔、たまたま道端で拾っただけの、薄汚い犬ころのようだった少年。それが、もともとの才能にも驚くほどに恵まれていた上に、あれから凄まじいまでの努力を重ね、今やここまで育って自分の側近になっている。

 べつに自分はそこまでのつもりはないのだが、どうやらこの青年、この王宮で「王太子殿下の一番のお気に入り」という渾名ふたつなを冠されるまでになっているらしい。


 これまでは、その生まれの卑しさもあって貴族連中から疎まれ、蔑まれ、散々に嫌がらせなどもされただろうことは想像に難くないのだが、ここへきてそれらの者らが一斉に手のひらを返し、急速に彼に擦り寄ってきているのも事実のようだ。

 好むと好まざるとに関わらず、若いうちからそうした人間という生き物の表と裏を見てきたことは、この青年にとっても大いにいい経験になったのには違いなかった。

 事実この青年は、非常に純真かつ誠実ではありながら、大変に用心深く、人を簡単には信用しない。そこが、アレクシスにとってはなにやら心愉しくも不思議であり、また頼もしく思えるのだった。


 そういう人の「裏」を知っているがゆえにでもあるのだろうが、彼はどんな「餌」にも食いつかない。

 聞けば、金銀、財宝、身分や地位は言うに及ばず、たとえばどんな美姫を「ぜひともお側に」と差し出されても、「そのようなお気遣いは無用です」と、静かに笑って断るだけなのだとか。

 まあ彼自身がこれだけの美貌かつ秀才なのだから、そんじょそこらの姿が美しいだけのバカ娘なぞ、彼の心を射止めるには不十分なだけなのかも知れないが。


 それでも、もし自分だったら、くれると言うものはとりあえず貰っておき、下世話な話ではあるが、まあ味見ぐらいはしておこうかと考えるところだろう。

 が、彼はどうやら、そうしたものにまるで興味がないらしい。


 彼はともかくも、ただただ仕事の虫なのだった。

 そしてあるのは、こんな「王太子殿下」への、ひたすらの忠誠心だけ。

 自分で言うのもなんではあるが、自分ほど仕えにくい主人あるじもあるまいに。


(まったく、何を考えてるんだかな。)

 

 自分には起こるはずもないと思っていたようなことが、こうして現実に起こっているというのは、なにやら背中がむず痒いような、奇妙な気分になるものだった。


 ただ、ことあの竜に変化するようになった水竜の姫のことになると、どうもこの側近は自分のめいに従うことに乗り気でない様子なのだ。そして必ず、ちょうど今のようにして、何かを言いたそうな顔になる。

 そのくせ決して何も言わず、ただ黙って引き下がるのだが。


(……まあいいさ)


 どの道、不満や疑問を抱いたところで、今の自分に逆らえる者などこの王宮には存在しない。

 人事不省でながらく床に就いたまま、今もまだどうにかこうにか命を永らえている父王を除けば、この王宮で自分の命に否やを言える者などいない。

 実際にはその父とて、自分が時折り見舞っては、治癒の魔法によってうまく命をつないでやっているに過ぎないのだが。

 逆に言えば、今や父の残りの命の長さは、自分の一存に懸かっている。

 自分はいつでも、そう望めば父の命に終止符を打ち、この国の王座に座れるわけだ。


 そんな持って回ったことをしている理由はただひとつ。つまり、まだ多少は自由の効く王太子の座にある今のうちに、自分と敵対する勢力や、日和見主義の貴族どもをなるべく手中にい込んで、できるだけその時のための下地を作っておくことが目的だ。

 そして、あの水竜の姫の一件も、その「下準備」のうちのひとつなのだった。


 それ以上、あまり深く考えることはせず、アレクシスは簡潔にヴァイスにいくつかの指示を出すと、面倒そうに片手を振った。


「行け。……急げよ」

「……は」


 美麗な青年文官ヴァイスは、またその柳眉を少しひそめて、一瞬だけ悲しげな目をしたようだったが、やはり何も言わないまま、静かに部屋を辞していった。


 いま現在、水竜国と雷竜国との間の戦は一応の小康状態となっている。

 両国の王とも、こちらに「火竜の眷属」が顕現した事実を知っているわけなので、これ以上の領土の奪還は不可能と見切りをつけたということらしい。今後は、アレクシスがいずれ死ぬのを待つよりほか、彼らの領土奪還への希望はないということを、ようやく理解したということのようである。


 とは言え、火竜の臣下たる強欲な貴族連中は、「いや、まだもっと奪えるのでは」というおのが欲望を抑えるのが難しいらしい。

 そんなわけで、

「王太子殿下、次はあちらの峡谷を攻めてみるのはいかがでしょう。その山間に、鉄鉱石や金銀の鉱脈があるとの情報が」

 だとか、

「いや、それならば南側の農地を奪うがよろしゅうございましょう。土地は肥え、地味も豊かで、気候もこちらよりずっと温暖やに聞いております」

 などなど、まあ日々、雑多に様々な進言が耳に入ってくるのだ。


 それを自分のところに上げてくるまでの間に、かの青年ヴァイスが入り、相当のものをふるいに掛けて取捨選択をしてくれているはずだったが、それをしてさえ、これである。


(まあ、あの女を取り篭めることが叶えば……多少の動きはあるかもな。)


 くく、と少しの笑声を洩らし、窓外に遠く、威容をみせる「竜眠る山ドラッヘシュラーフェン・ベルク」をちらりと見やる。


 守護竜おやじどの連中が、塵なる人間ごときになにを思って、その魔力の一部を分け与え、その「眷属」を地上に顕現させるのか。

 その目的は、いまだによくは分からない。

 まるで盤上の駒を動かすように、生きた人間を使って遊んででもいるつもりなのか。


 ともかくも、自分は幸いにしてこの身に与えられた能力ちからを使って、欲しいと思うものを手に入れる。

 それだけだ。

 そのほかのことなど、瑣末に過ぎぬ。


(そうよ……今度こそ、手に入れる。)


 雷竜のへぼ王がどんな警備を敷こうが、知ったことか。

 あの、黒馬の呪いを受けた片目の男を身近から離したことを、

 死ぬほど後悔させてやる。


 今度こそ、手に入れるのだ。


 あの小生意気な、そして美しい()()()()を。




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