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8 湯殿




「ぎ――――や――――!! やめてやめて、や――め――て――!」


 雷竜国ドンナーシュラーク、王宮の湯殿の中に、少年の絶叫がこだまする。


「だっから、俺、自分でやれるから! 体ぐらい洗えるし! ちょ、服、持ってかないでってば! うわ、やだやだ! 頭やだあ、洗いたくねえええ――!」


 水の中に突っ込まれる猫の子よろしく、全身の毛を逆立てるようにして湯殿の中で暴れているのは、もちろんクルトである。

 しかし、彼がこれほど大声をあげて大暴れしているというのに、周囲の女官たちときたら、てんで涼しい顔なのだった。


「あらいやですわ。そんなにお顔を赤くなさって」

「うふふ、お可愛いらしいですこと」

「そんなに恥ずかしがらないでくださいませ、クルト様」


 とかなんとか言いながら、ほとんど半裸のような姿の彼女たちが次々にクルトの衣服をひっぺがしては、体の隅々まで洗ってくれようとする。

 だいたいがその姿からして、クルトは目のやり場に困ってしまうというのに。

 その上この女たち、髪や肌の色などは様々だけれども、ほんとうにただの召し使いなのかと思うぐらい、それはもう、クルトなんかの目から見たらどこのお姫様かと思うような美女ぞろいなのである。


「大丈夫ですわ。わたくしどもは慣れておりますから」

「これがわたくしたちの仕事でございますもの」

「わたくしたちに万事、お任せくださればよろしゅうございますのよ、クルト様」


(だ、れ、が、『クルト様』だっつーの――!)


 まあそんなこんなで、クルトの方はもう必死で、適当に体を洗ったらすぐ、湯船に一瞬だけつかって、湯殿から飛び出てきてしまったのだった。

 いやそれでも、一度は彼女らにとっつかまって、ある程度あちこち洗われてしまったのだけれども。




◆◆◆




 さて。

 その夜、雷竜国ドンナーシュラークの王宮で、人の姿に戻ったレオンは、秘密裏にその中を案内され、ようやく国王、エドヴァルトとの面会を果たした。

 その頃にはもう、ニーナとクルトは内々のうちにも豪奢な設えの客間に通され、様々のもてなしを受けているところだった。


 ニーナは勿論、日没とともに竜の姿になってしまうわけなので、日のあるうちにゆったりと王宮の広い湯殿を使わせてもらったりしたようだった。

 彼女は竜の魔力のお陰で、特に入浴をしなくても不潔になることはないらしいのだったが、それでもゆっくりと湯船に浸かれるというのは至上の喜びだったらしい。

 湯上りの彼女はとてもとても幸せそうで、お肌なんかも輝いていて、それはそれは綺麗に見えた。クルトでさえ、レオンがそれを見られないのが、ちょっと気の毒になるぐらいだった。


 じつはクルトも、だだっ広い王宮の湯殿に案内され、おっかなびっくりその湯船に浸からせてもらったが、その後、召し使いの女たちからほとんど拷問かと思うような()()()()()を受け、体じゅうこすりまくられたのだった。


「ほんっともう、かんべんしてよ……!」


 白い小さな竜になったニーナを肩に乗せ、体じゅうから花の香りのする香油の匂いをさせて、くしけずられ、ふわふわになった髪の毛をくしゃくしゃに戻しながら、クルトはまだ憤慨している。


 着ていたぼろ服はどこかに持っていかれてしまい、今は貴族の子弟が着るような絹地の薄青い上着やら、柔らかい布地の下穿き、飾り捺しの施された革の短靴といった姿に着替えさせられてしまっている。

 そんな気取った格好で天蓋つきの大きな寝台のはいった客間にいると、なんだかもう、クルトは自分が誰だったか忘れてしまいそうになるのだった。


 竜が、肩からくるくると可愛い声で話しかけてくる。もちろん、彼女の言葉がわかるわけではないのだったが、竜が「まあまあ、クルトさん」と苦笑しながら言っているのは明らかだった。

「ほんとにもう。俺、こんなのガラじゃないんだってば……」

 裾に手の込んだ金糸の刺繍の入ったぴらぴらした上着をいじくりながら、クルトは肩を落とす。なんだか本当に、自分みたいな山だしの餓鬼は場違いだという気になってしまう。

 竜がまた、優しい声でぴるぴる言って、どうやらクルトを慰めてくれたらしかった。

 ちなみに部屋には、ニーナが竜の姿になって以降、召し使いやら何やらといった人々は入ってきていない。そのあたりはきちんと、エドヴァルト王の指図が行き届いているようだった。


 

 と、そこへ、くだんのエドヴァルト王と、その側近の老人ヤーコブ、そして人の姿に戻ったレオンが入室してきた。

「あ。レオン……」

 目をあげて、クルトはびっくりする。

 あとの二人は昼間とさほど変わらなかったが、レオンがいつもの、あの古ぼけた革鎧と黒マントの姿ではなく、随分とこざっぱりした姿になっていたからだ。

 

(うーわー……。)


 クルトはぽかんと、見慣れぬ格好になったその男を見上げた。

 今のレオンは、水竜国のものらしい、将校が着る濃紺の軍服姿になっている。クルト同様、湯殿を使わされたのか、以前にクルトが馬の姿の彼を綺麗にしてやったときのように、長い黒髪も梳られて整っており、男ぶりが一段も二段も上がって見えた。


 クルトがあんまりまじまじと見つめていたら、案の定、当の男から「なんだ、何か文句があるのか」と言わんばかりの怖い視線で睨まれてしまった。

 そしてやっぱり、肩にとまっている白い竜が、うきうき嬉しそうに見えるのだった。

 竜の碧くて綺麗な瞳が、いつも以上にきらきらしているのが、クルトにだって十分わかった。


「さてさて。ほんなら、改めてレオン君とも話、しよう思うねんけど」

 客間の中のソファセットのところにさっさと腰をおちつけて、エドヴァルト王がにこにこと話を始める。

「まあ大体のことは昼のあいだに、アルベルティーナから聞かせてもろたんやけども。レオン君が風竜の国(フリュスターン)に戻る、言うんやったら、ワシからちょっと提案があんねんわあ。ええやろか? レオン君」

「……は」

 王の向かいに座ったレオンは、その言葉を受けてすぐさま頭を下げた。

「ご無理を申しているのはこちらです。……どうか、何なりと」

 が、エドヴァルトはすぐに、にこにこ笑いながら顔の前で手を振った。

「ああ、いやいや。レオン君になんかしてもらお、っちゅう話やなくてやね。風竜国に行くんやったら、いくらなんでも単身ではまずいやろ、っちゅうことやねん。あっちの貴族連中に話とおせる人間も必要やろし、レオン君の護衛にもなれる人間かて、ちょっとは連れて行かんと危ないやろし――」

「……いえ、しかし――」


 レオンの声は、やや困った色を帯びたようだった。


「これは、自分の勝手な考えに過ぎません。こちらの国のどなたかを連れて参ったりなどすれば、それこそこちらにご迷惑が掛かります。姫殿下をこちらに保護していただくだけでも十分にご迷惑をかけていることでもありますし、自分としては――」

「せやから。()()()国のモンでなければ、ええんやろ?」

「……は?」


 話を途中で遮られ、レオンがさらに妙な顔になったところで、今度は国王の隣に立っていたヤーコブ老人が口を開いた。


「つまり、こういうことでござりまする、レオンハルト殿下。こちらにおります魔法官の魔術を使い、すぐに水竜王、ミロスラフ陛下とご連絡を取られてはいかがかと。その上で、貴方さまのご養父であられる、アネル……また、エリクと名乗る者に、こちらへ来ていただくのはいかがかと、陛下はそのようにお考えであられるのです」

「……!」

 そこで初めて、レオンが瞠目したようだった。


(アネル……エリク? っていったら――)


 そういえば、確かレオンをもとの風竜国からつれて逃げ、彼を育てた男がそんな名前だったような、と思いながら、クルトは続く話を聞いた。


「その者は、もとは風竜国の高位の魔法官だったとのお話でしたな。となれば、今、かの国で反王制派となって活動している、凋落した貴族連中とも近しい関係でござりましょう。そのうえ、かの者ならば素材さえあるならば、風竜の魔法をかなり様々に使いこなせるはずにござりまする。あなた様の、何よりの護衛ともなれましょうほどに――」

「…………」

 レオンは老人の説明を沈黙して聞いていたが、次第にその眉間に皺が寄っていくのを、クルトは息をつめて見ていた。


 確かに、それはいい考えに思えた。

 しかし、アネルという男は、血の繋がりがないとは言っても、このレオンにとっては実の父と同じぐらいに大切な人のはずだった。

 そんな人に、わざわざ命の危険を冒させることを、このレオンが望むとは思えなかった。


 もちろん、前回と同様、昼間は馬の姿になってしまうレオンが()()で各地の検問所を抜けるのは不可能なので、やはりだれか騎乗する人間は必要になる。しかしそのあたりについては、レオンにも一応の考えがあるようだった。

 つまりレオンは、こちらでだれか信用のできる兵を一人借り、まっすぐ風竜に向かうのではなく、いったん土竜に戻って、例のファルコと連絡を取ろうとしているのだ。彼のまことの祖父であるバルトローメウス王ならば、きっとレオンに協力してくれるはずだった。


「いえ、しかし……その件は」

 が、恐らく王の申し出を断ろうとしたレオンの言葉は、またあっさりと国王によって遮られた。

「いや、スマン、レオン君。実はもう、だいぶん前から、ワシ、養父殿のご意見はお聞きしてもうとんのよ」

「……は?」

 怪訝な顔になったレオンを、エドヴァルトはちょっと頭など掻きながら、困った笑顔で見返した。

「ん〜、せやからね。君らが八年前に呪いを受けて、放浪と逃亡の旅に出てもうてから、そら、水竜王のミロちゃんは当然やけども、君のご養父のアネルさんかて、えらい心配してはったんやし。そんなん、当たり前やわなあ? 言うたら、あちらは君の、もう一人のお父さんなんやから」

「…………」

 レオンの目線がゆれて、ふと膝のほうに落とされる。

 エドヴァルト王は、彼のそんな様子をしっかり目の端で確認しているようだった。


「ときたま、魔法であっちとこっちで連絡させてもろうとったけど、そん時、けっこう、君のお養父上ちちうえが魔法官として担当しはることもあったんよ。ほんで、ワシも直接、話しさせてもろたんやけど」

 王はちらりと、脇に立っているヤーコブと目を見交わしつつ、話を続けている。

「もしも将来、こういう事態になることがあったら――つまり、君が故国、風竜国フリュスターンに凱旋するようなことでもあったら、っちゅうこっちゃ――是非とも自分もレオンハルト殿下のお供がしたいて、そうおっしゃってはったんよ。『その折には必ず自分を呼んで貰いたい』、てな。……まあ言うたら、男と男の約束やなあ――」

「…………」

「もちろん、ミロちゃんの方からも、なんか協力したいて言うてくる可能性もあるし。とにかく一回、あっちと連絡とってみようと思うんよ。……ええよな? レオン君」


 エドヴァルトが言葉を切っても、レオンはしばらく、困ったように沈黙していた。

 その瞳に苦渋の色が浮かんでいるのがはっきり分かって、クルトも息を詰めて、陽気な瞳の色をした国王と、レオンとを見比べるようにしていた。

 と、その肩からぱたぱたと、小さな白い竜が飛び立って、レオンの方へ飛んでいった。


「…………」

 例によって彼の腕にとまり、竜がしばらく心で彼に語りかけている様子だった。

 レオンは竜をじっと見つめ、黙ってその話を聞いているようである。

 他の一同はみな、息を詰めてその様子を見つめていた。


 やがて、ようやく結論が出たらしく、レオンが竜に頷いて見せてから、ゆっくりと王のほうを向いた。


「……わかりました。では、エドヴァルト陛下。お手数ですが水竜国へのご連絡、どうぞよろしくお願いいたします」


 ただそう言って、頭を下げる。

 その焦眉はけっして開かれてはいなかったけれども、どうやらレオンも、ある程度の腹を括った、ということのようだった。


「さよか。よかった。……ほな、みんな今日のところはこの部屋でゆっくり休みよし。水竜国クヴェルレーゲンへの連絡は、明日、改めて魔法官ら集めて行なうよってに」


 エドヴァルトはにっこり笑ってそう言うと、すっと立ち上がり、ヤーコブ老人を伴って、すぐに部屋から出て行った。




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