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5 蛇の巣

 



「失敗したと? むむう……っ」


 豪華絢爛という言葉がそのまま当てはまるような執務室。

 風竜国の王宮にあって、この場所はとりわけ、国中から集めた豪奢な品が溢れている。調度といい設えといい、どこの国の王侯貴族を招いても恥ずかしくないほどのものだった。


 寒い地方ということもあり、白く毛足の長い銀狐の毛皮をふんだんに使った長衣をまとって、凝った刺繍飾りのついた文官靴をせわしなく動かしながら、老人は部屋の中をうろうろと歩き回っている。

 すっかり白く、薄くなってしまった頭髪は、風竜国に特有の文官用の飾り頭巾にすっぽりと覆われている。本来は守護竜信仰の僧職者などがよく用いるものなのだが、特に当人にその信仰がない場合でも、王宮の高級文官がこうして被る場合も多いのだった。

 とはいえ、清貧を旨とする僧職者のそれとは違い、この老人の頭巾は金糸、銀糸の凝った刺繍がきらきらと光を反射する、それは豪華な織りの品である。

 長めの裾の部分には、東方の海で獲れる真珠や宝石の類いが縫いこまれ、まるで婦人が身につけるもののようなあでやかさだ。


 さして背丈がある訳でもない上に、でっぷりと太った腹回りに毛皮の上着などをまとっているために、その姿はまるで、もこもこに膨らんだ大きな梟がころころと動き回っているかのようにも見えた。


(役に立たぬ者どもめ……!)


 求める男は、近頃どうやら土竜国の山中をうろついているとの情報があり、老人は今よりふた月ばかり前、手下てかのそうした裏の仕事をさせる者らの中から選りすぐりの者を集めて、かの男の暗殺を命じたのだ。

 それはもちろん、かの故・ヴェルンハルト公の亡霊が、二度とこの国に戻ってくるような奇禍を招かぬためである。


 しかし、追手らの連絡が途絶えたことを不審に思った別の部下らが密かに調べにいったところ、その男らは山に入ったきり、その後の消息を絶っていた。

 勝手もわからぬ他国の山中であまりあれこれと探し回るわけにも行かず、部下らは手ぶらで戻ってきたのだということだったが、唯一、追手の者らの持ち物らしい荷物の一部が山の奥深くを流れる川の下流のほうで見つかったのであるという。


(どうやら、儂の目算が甘かったようじゃのう……)


 それでも自分なりに、それなりの手練てだれを選んで放ったつもりだったのだが、結果的に、あれでは不十分だったということなのだろう。

 いかに王族の子だとはいっても、求める青年は相当の剣の使い手であるようだ。

 たいへん皮肉な話ではあるが、幼いころから王宮にあり、なんやかやと甘やかされて育ったような男ではないだけに、かの者はなかなかに手強いらしい。次はもう少し、気合を入れた討手を仕掛けねばならぬだろう。

 とはいえ、他国の領内でのことでもあり、そうそう大規模に追い掛け回すわけにもゆかぬというのが歯がゆいところだ。

 今回のことで、あちらの「王太子」も自分の命を狙う者が存在することを知ってしまったことでもあろう。彼奴きやつも今まで以上に用心するはずであるから、ことはますます難しくなったに違いなかった。


(ぬう……。どうする、どうする……)


 いらいらと、老人は部屋を歩き回る。

 すると、そのだぶついた体を飾っている金銀宝玉のあしらわれた首飾りだの腕輪だのがじゃらじゃらと音をたてた。肥りじしのその指には、大きな宝石のはめ込まれた指輪がいくつも、むっちりと食い込んでいる。


(それにしても、まさか生きておったとは――)



 この王宮に、死んだはずのかの王太子存命の噂が流れ始めたのは、ここ三年ばかりのことである。

 噂の出所は明らかにはなっていないが、この王宮のみならず、地方に追いやったはずの貴族連中やら、果ては巷間の庶民の間にまで、「お亡くなりになったはずの前王太子、レオンハルト殿下ご存命」の噂は広く囁かれており、老人がそうと気づいた時にはもはや、もみ消すのも不可能なほどになっていた。

 いまや、それはまるで風竜国フリュスターンの公然の秘密のようになってしまっているのである。


(ええい、今頃、のこのこと現れおって……!)



 二十数年前のあの日、弑逆し奉ったヴェルンハルト陛下とその妃フランツィスカの傍に、小さな男子の赤子の骸は確かにあったはずだったのに。

 一体だれがどのようにしてこの自分の目をかいくぐったものやら分からぬが、ともかくも、先王の直系の血を引くその王子は、どうやら生きていたらしいのである。


 そして、本当か嘘かは分からぬが、その遺児は先王ヴェルンハルトに生き写しの青年に育っているのだとか。

 もしも今、圧政に不満を募らせている民衆が、そんな男を目にするようなことでもあらば。

 その青年が、たとえ内実、どんなぼんくらであったとしても、あっという間に神輿に担ぎ上げられてしまうのは火を見るよりも明らかだった。


 と、控えめに執務室の外から声がかかって、ムスタファは忌々しげにそちらを見やった。

 入ってきた侍従見習いの青年が、体を縮めるようにして「陛下のお召しです。お急ぎをとのことでございます」と小さな声で言上すると、ムスタファの機嫌はますます悪くなった。


(小僧め、もう聞いたのか――)


 恐らくは、今回の顛末について、あの王の耳に囁いた者でもあったのだろう。

 暗愚とまでは言わないが、かの兄王とは比ぶるべくもない、凡才にして小心、神経質な現国王は、近頃なにかとこの自分を呼びつける。

 苛立ちながらも「すぐに参る」と返事をして、老人は重い体躯を揺すりながら、のしのしと王の執務室へと向かった。


(いい加減、おのれの立場をわきまえよ……!)


 二十数年まえ、この自分の甘言に乗り、うかうかと己が兄をしいし奉ったかの王は、その後次第に、己が腹心である自分に対する疑念を深めているらしい。

 いや、今頃そんなことに気付いてももう遅いのだ。

 いい加減、自分が我ら一族の単なる傀儡かいらいに過ぎぬ、張り子の王であるという自覚を持てばよいものを。


 王の執務室にたどりつき、その扉の前で侍従の男に前触れの言上をさせ、ムスタファは意識的に悠々とした顔を作って、その部屋へと踏み込んだ。



◆◆◆



「おお、来たか」


 風竜の国の王、ゲルハルトは、宰相の老人が入室すると、執務机の前からすっと立ち上がって彼を迎えた。

 本来、臣下が入ってきたからと言ってそんな礼を尽くす必要はないことなのだったが、こと、この老人に対してだけは別なのだった。


 ゲルハルトは、いまやよわい四十半ばの王である。

 湿ったような鈍色にびいろの髪に、落ち着きのない灰色の瞳。背だけはその兄に負けぬほどに高いのだったが、ひどく痩せていて、肌の色にも張りがなかった。

 ムスタファが執務机の前まで来ると、王は椅子に座りなおし、周囲の臣下や召し使いらを下がらせ、人払いをした。

 執務机に肘をつき、手を何度も組み替えて、いかにも心穏やかでない様子である。


「話、というはほかでもない。土竜国に放ったというそなたの刺客ら……不首尾に終わったというは、まことであろうか」

「……は。まことに、面目次第もなきことにござりまする」


 老人は、こちらの様子を探るかのような恐る恐る紡がれた王の言葉に、まるでこちら側が王であるかのような尊大な態度で礼をしつつ、そう答えた。

 この二人は、二人きりになるとなお一層、このような立ち位置になるのである。

 あの兄王ヴェルンハルト追い落としと弑逆の一件以来、ずっとそうではあったけれども、ここ最近、とみにこの状態は程度を深めているのだった。


(……まあ、それもやむを得ぬ。)


 老人は腹の底でいつものようにこの愚王をわらいながら一人ごちた。

 

 あの当時、まだほんの洟たれだったこの王弟殿下に、あれやこれやと兄王に対する疑念を吹き込み、その心に魔を住まわせたは、ほかならぬ自分である。

 才知に溢れ、姿も颯爽と美しく、誰の心もひと目で魅了してしまったあの兄王を、この弟は心より愛していた。

 けれども、心より憎んでもいた。


 もちろんおもてに出していたわけではなかったけれども、日々、打ち消しても打ち消しても取り払えないその心の闇に、この臣は随分と早くから気付いていたのだ。


(なぜ気付いたか……? 容易たやすきことよ。)


 おのれでおのれを嘲るがごとき笑みを浮かべ、老人は乾いた声を漏らした。

 同じ穴のむじなは、己が同類の臭いを嗅ぎわけるもの。

 同じ腐臭を漂わせていた若き王弟殿下の心中は、この老人にも重々覚えのあるものだった。ただそれだけの話である。


 ムスタファも若き頃、出来がよくて姿も美しかった年上の兄たちと比べられ、醜い己が姿を悔やみながら育ったくちだ。

 心の底に澱のようにたまってゆく、「ねたみ」とか「そねみ」とか呼ばれる感情の、その深さと恐ろしさ、逃れ難さはよく知っている。

 それをどんなに嫌悪しても、ねばっこく心にまとわりつくその思いを綺麗に拭い去るなどは不可能だということも。


 そして、幸いにしてそんな感情とは無縁に生きてきた者たちからは、得てしてそうした人間は忌避されるものなのだ。

 自分も勿論、そのご多分に漏れなかった。

 事実、追従ついしょうの笑みの下に隠しおおせているとばかり思っていたその腐った臭いを、かのヴェルンハルト王には本能的に嗅ぎ分けられた。

 それだけならまだよかったのだが、嫌悪され、疎まれた挙げ句に、自分たち一門は次第に王宮の要職から遠ざけられ始めたのだ。


 その当時ですら、けっして権力がなかったわけではない我が一門ではあったけれども、あのヴェルンハルトお気に入りの貴族の一派と自分たちとは、もともとどうにもこうにも相容れない敵対関係にあったがために、ヴェルンハルトが王である限り、自分たちがそれ以上の権益も、うまみも享受できないことは分かっていた。


 だから自分は、この王弟殿下の弱き心につけ込んだのだ。


「では、やはり……兄上の子は……レオンハルトは、存命だったのだな? まことに、生きていたのだな……?」


 王はおずおずとそう訊ねてくる。

 その瞳の奥にあるものが、単に自分のとがが露見することへの恐れだけではないことを敏感に察知して、老人は心中、舌打ちをした。


(まったく、性根の甘い……!)


 あのヴェルンハルトの子だという青年は、聞けば非常に、その父にそっくりの容貌をしているのだとか。

 どうやら長年の放浪の生活で、片目を失った姿ではあるらしいが、剣の腕、その心根とも、けっして父に引けを取るものではないらしい。


「そうか……、そうか。レオンハルトが――」


 独り言のようにそう呟く王は、明らかにその青年を憎んだり、恐れたりする様子がなかった。

 むしろその心にあるのは、ある種の懐かしさにも近いものであるらしい。

 驚くべきことに、この王は、できることなら我が目でその青年の姿を見たいとすら考えている節もある。


(何を考えているのだ、こやつは……!)


 老人は、許されるならこの場で地団太を踏みたい思いだった。 


(まさかとは思うがこの男、殺したはずの甥っ子に会い、かつての罪の許しを請い、あまつさえ、贖罪を果たしたいなどと考えておるのではあるまいな――)


 冗談ではない。

 その青年の存在が明るみに出た途端、自分たちの足元は脆くも崩れ去るのは必定だ。

 下手をすれば二十年前のあの陰謀も、すべてが露見せぬとも限らない。

 このくそ甘い傀儡王が失脚するなどはどうでもいいとしても、そんなことになれば我が一門は、かのヴェルンハルト派だった貴族連中と同じ道を辿るはめになるではないか。


(そのようなこと、決して許さぬ……!)


「陛下。ともかくも、次にはさらに手練の刺客を放ち、今度こそ確実に、彼奴きやつの息の根を止めてご覧に入れまする」

「いや、……その、な。ムスタファ――」

「申しわけござりませぬ。次の仕事も詰まっておりまするので、お話はまた、次の機会にでもお願いいたしまする。それでは、陛下。臣はこれにて、失礼つかまつりまする」


 老人は、相手を押し込めるような声音でそう言うと、皮肉なほどに丁寧に王に向かって一礼をした。


「う、……うむ……」


 そして、その王の答えもほとんど耳に入れないまま、太い腹回りで大儀そうにぐるりと方向を変えて、のしのしと扉に向かった。

 まだ何か言いたげだった、王の視線など当然のように無視したまま。


 老人の背後で、部屋に取り残された国王は、もともとよくもない顔色をさらに青ざめさせるようにして、肩を落とし、溜め息をこぼしたようだった。

  

 


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