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4 祖父と伯父



「レオンよ」


 天蓋つきの寝台の上から、レオンの手をとったまま一連の話を聞いていた土竜王バルトローメウスが、ここへ来てとうとう口を挟んだ。

 怒りに奥歯を噛み締めて立ち尽くしていたレオンは、はっとして目線を下ろし、おのが祖父たる人を見た。


「……は」

「レオンよ。そなたはどう思うておるのじゃ? そなたの父が治め、そなたの生まれたかの祖国と、そこに生きる民たちのことをじゃ――」

「…………」

 レオンはすぐには返事ができず、ただじっと、寝台の上の痩せた老人を見返した。


「そなたが長年、故国を離れておったは、その『風竜の眷属』の力の強大さにもよるのであろうが。……もしもそなたに、叔父、ゲルハルトへの遠慮があるのだとすれば、それはちと、話が違うのではないかと思うのじゃがのう」

「…………」

 沈黙するレオンを、老人は祖父としての優しさと、王としてのある種の威厳を湛えた視線で眺めやった。


「その叔父は、確かにそなたの血縁ではあろうが、それでもそなたの実の父と、母の命を奪った男ぞ。奸臣ムスタファは言うに及ばぬが、かの奸臣に踊らされ、実の兄殺害の命を下したは、やはり王弟、ゲルハルト本人だったのじゃから。……人のごうと言うは、重きもの。その責からは、到底、逃れるものではあるまいよ――」

「…………」

「無論、現国王たるゲルハルトが曲がりなりにも善政を敷いているというのであれば、そなたが身を引くも道のひとつかとは思うのじゃが。……いま聞いた現状を鑑みて、それでも民らの悲嘆と、怨嗟と、そなたを待ち望む声とを無視するというのはいかがなものじゃろうかと、この年寄りは思うのじゃがのう……」


 レオンは唇を噛んだまま、目線を落として沈黙している。

 その手を痩せた手で優しく握ったまま、土竜王バルトローメウスは静かに笑った。


「……まあ、良い。どの道、今すぐに答えの出るような話ではあるまいからのう」

 ぽんぽんと、また軽くその手を叩かれる。

「じゃが、覚えておくのじゃ、レオン。我らは、王侯貴族なぞとは言うが、結局、ただの人の身に過ぎぬ者。大地を耕し、そこに麦や大豆を植え、食い物を作ってくれる民らがあってこそ、日々の営みができておるのよ」


 老王の声は低く静かなものだったが、そのまますっと、土が水を吸うようにしてレオンの胸に届くようだった。


「我らとて、食わねば生きてはゆけぬ者。そして、寿命を迎えれば土に戻るばかりの、いかにも虚しき塵の身よ。ならばこそ、土と共に生きる民らを、ないがしろにしておってはいかん。……これは、そこのテオフィルスにも、常々、言い聞かせておることじゃ――」


 レオンがそこで目を上げると、地味だが落ち着いた風貌の王太子が、にこりと笑って頷き返してきた。


「民の声とは、大地の声じゃ。王とは、その大地の声を聞き取って、努々(ゆめゆめ)それに逆らうことなき者であらねばならぬ。……民らがそなたを王にと望むなら、彼らの声を聞き、彼らの困窮を救い、そのためにこそ身を粉にして働くのが、そなたの務めではあるまいか……?」

「…………」


 レオンは遂に、その場に膝をついて、バルトローメウスにこうべを垂れた。

 それは、臣従の意としての礼ではなく、人生の先達として、また国王としての経験と、それに基づいた叡智に対する敬意の表れとしての礼だった。

 が、王はそれを見ると急に、楽しげにからからと笑い出した。


「ふ、ほほ……。まあ、まあ。そういうのはやめてくれぬかのう、レオン。どうも、背中がこそばゆくていかんからのう」

「陛下……」


 バルトローメウスは、そこで急にお茶目な表情になってにこりと笑った。


「……と、なんじゃらかんじゃらと偉そうなことをさんざん言うておいてなんなのじゃがの。我らとしても、隣国に、かの七面倒なムスタファがいられるよりは、孫たるそなたがおってくれたほうが何倍も助かるということなのよ――」

「…………」


 レオンは少し呆気にとられて、ぽかんと祖父の顔を眺めたらしい。

 いくら相手が実の孫だとは言っても、つい先ほど初めて顔を合わせたような男を相手に、そこまで内情をぶちまけてもいいのだろうか、この王は。


 そんなレオンの心配をよそに、老王は先ほどまでの格調高い物言いとは打って変わって、急にざっくばらんな調子になった。


「どうやらそなた、亡きヴェルンハルト公と見た目のみならず中味までも、非常によく似ているように見受けられるしのう。どうせ隣同士で仲良くやるなら、おのが兄を手に掛けるような男やら、それをそそのかす奸臣の爺いなぞより、そなたのような気持ちのよい青年と仲良くやりたいものじゃよ。……のう? どうじゃな? 我が孫よ」

「……はあ……」

 レオンはこの時、相当、変な顔になっていたに違いない。


「ぶ、っはは……」

 と、急に笑い出したのは、ずっと部屋の隅で話を聞いていたファルコだった。

「こりゃいいや。や〜っぱ、やってくれるねえ、陛下は――」


 ひゃははは、と、王太子や宰相のいる面前でも平気な顔で、もう涙を流さんばかりに、大口を開けて笑っている。

 ファルコは腹の辺りを押さえつつ、レオンに向かってひょいひょいと手を振った。


「ダメだぜレオン、そこの爺さんの言うこと、なんでもかんでも鵜呑みにしちゃあ。そりゃまあ、おっしゃってるこたあ間違ってねえけどよ。その爺さんは、あんたみてえな若造の、何枚も何枚も、はるか上を行っていなさるんだからよ――」

「これ! 陛下の御前で口が過ぎるぞ、ファルコ!」


 きつい口調でたしなめたのは、もちろん宰相ハンネマンだ。

 対するバルトローメウスとその息子テオフィルスは、どうやらこれがいつものことででもあるらしく、平気な顔でファルコを見ている。

 特にバルトローメウスは、すっ呆けたような表情で、さも楽しげに目を瞬かせ、寝台の上で肩をすくめた。


「はて。何のことかのう……」


 その老王の言葉を最後に、この非公式の「会談」は、お開きとなったのだった。

 


◆◆◆



 王の寝室を辞し、レオンは王太子テオフィルスと共に、もと来た暗い廊下を歩いて戻った。宰相ハンネマンとファルコは、彼らのすぐ後ろから歩いてきている。

 来たとき同様、途上はまったくの無人だった。召使いも、衛兵の一人も見る事はなかった。


 奥の宮と外の宮との境目あたりまで来たところで、テオフィルスはレオンに対し、対等な立場の者としての一礼をした。

「では、レオンハルト殿下。自分はこのあたりにて失礼を。道中、どうぞお気をつけて」

 ごく控えめで穏やかな声音は、この男の性格を物語るように静かである。

「は、テオフィルス殿下。このたびは、お目にかかれて光栄にございました」

 レオンもごく丁寧に返礼する。


 テオフィルスが微笑んで言った。

「父も申しておりましたが、殿下さえそのお気持ちがおありでしたら、我らはその後押しを厭うものではありません。まあ出来ることは限られましょうが、なにかございますれば、どうぞ、ここなファルコを通じてご連絡をくださいませ」

 殿下の目は、ちらりと背後のファルコに向かった。それを受けて、ファルコがにやっと笑って首肯して見せてきた。それはいかにも、「おう、任せとけ」と言わんばかりの瞳だった。


「まあ、たとえそうでなくとも、今後は是非とも緊密に、ご連絡をいただければ嬉しく思います」

「お気遣い、痛みいります」

 レオンは再度、テオフィルスに向かって丁重に礼をした。

「しかし、その……どうぞそのお言葉遣いはご容赦ください」


 そうなのだった。

 自分の母の兄である人ということは、テオフィルスはレオンにとっては父ほどの年齢の方なのだったが、この王太子は飽くまでも、レオンを隣国の王族として、対等に見ての言葉遣いと態度を崩されなかったのである。


「自分は、あなた様の甥に当たる人間です。どうぞ、陛下とご同様に、『レオン』とお呼び捨てくださればと思います」

 それを聞いて、テオフィルスはふと、瞳に嬉しげな色を浮かべたようだった。

「そうですか。いや……そうだな」

 そうして王太子は、そっとレオンに近づき、その手を取った。


「フランツィスカには、まことに可哀想なことをしたとずっと思っていたものだったが……。もしも息子がこのように立派な男になったことを知ったなら、どんなにかあの子も喜んでくれることだろう……」

 小さく頷きながら、自分に言い聞かせるように呟いている。


 と思うと、レオンよりもやや背丈の低いその体で、不意にレオンの肩に手を回して、テオフィルスは彼の体を抱きしめた。

 レオンは驚いたが、ただ黙ってされるままになっていた。


「まことに良かった。どうかそなたに、その人生に、良き風が吹くように。恨みを晴らすことや復讐が人生のすべてではなかろうが……故国の人々の願いと共に、どうか、そなたの母の分まで、その人生に光あれ。……心より、そのように願っているよ」

「…………!」


 さすがのレオンも、感極まったようだった。

 それは、決して派手でもなければ、押し付けがましくもない言い方だった。

 けれども、もしかしたらだからこそ、まっすぐにレオンの胸に飛び込んだのかも知れなかった。


「……恐れ入ります。テオフィルス殿下……」


 レオンはぐっと一瞬、拳を握り締めてから、その手をほどき、自分を抱きしめている殿下の腕にそっと触れて、静かに言った。


「よくよく、考えさせていただきます――」

「うん。良い返事を、待っているよ」


 二人の背後に立つ巨躯の男と、鋭い眼差しをした宰相は、そんな彼らをそっとしばらく見守っていた。


 やがて、レオンはテオフィルスから離れると、皆から少し離れた位置に立ち、懐から小さな緑色をした宝石のようなものを取り出した。

「あ? おい、それ……」

 ファルコがはっとしてそう言ったときにはもう、レオンは口の中で唱え慣れたその韻律を呟いていた。

 すると、建物の中であるというのに、レオンの足もとから不思議な風が湧き起こり、彼の黒いマントをはためかせ始めた。

「おお……」

 見ていた誰もが、目を見張った。


「……それでは、皆様」


 そして、最後にそう言って一礼すると、レオンの姿は彼らの前から、風にまかれた木の葉が飛び去るようにして、忽然と消えていたのだった。




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