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5 黒幕




 戦斧ハルベルトによってレオンの打ち込みを凌いだファルコは、すぐに跳び退すさってクルトの隣に跳んできた。その巨躯からは信じられないほどの身の軽さである。

 クルトは慌てて、ぱっと横っ飛びにとんで地面を二回転し、離れたところで素早く立ち上がった。もう二度と、前回のようなへまをする訳にはいかなかった。

 この男の太い腕で捕まえられ、レオンに対する人質にされるようなことには決してなりたくない。あんな情けない思いは、もう二度とごめんだった。


 男はそんなクルトをちょっと驚いたように一瞬横目で見やって、皮肉げに鼻を鳴らした。さも、「しょうがねえな」といった顔である。

 クルトはそんな男の顔を見て、ほっとした。どうやら自分の考えたことは杞憂ではなかったらしい。


「おいおい、兄ちゃん。いきなり、人の首を狙ってくるたあ、どういう了見なんだい――」

 戦斧を構えたまま、決して緊張は解いていないにも関わらず、声音だけはあっけらかんとしたもので、男はレオンにそう尋ねた。

「俺がなにしたってえのよ。ただ座って、世間話をしてただけじゃねえか」


 そんなことは言っているが、この男がいつでもレオンの攻撃をかわせるようにと準備しながら座っていたのは明らかだ。そうでなければあれほど早く、自分の得物で応戦できたはずがない。

 レオンは彼の言葉など一顧だにせず、ぐっと身を乗り出して更なる突きを繰り出した。クルトは慌てて、彼らの間合いから離れるために駆け出し、少し離れた木の後ろに隠れた。そこからそうっと目だけを覗かせて様子をうかがう。


 ぎゃん、ぎゃりりっと金属の打ち合う音が静かな夜の森に響く。

「うおっと。こら、やめろっての! 話を聞けってば、兄ちゃんよ……!」

 ファルコはそんな調子でぎゃんぎゃんしゃべりながらだが、レオンのほうは完全に無言である。

 あの山賊どもの集落を襲ったときそのままに、相手を屠ることだけに集中した冷えた眼をして、無感情に剣を振りぬいているばかりである。そんなレオンの攻撃を、この男はなんのかのと言いながらも躱したりなしたり、なかなかどうして、巧みに避け続けていた。


(こいつ……)


 大した戦闘経験があるわけでもない、クルトにでさえわかった。

 この男は、そんじょそこらの「ただの山師」などではない。

 こいつが本当に誰かの命を受けて、自分たちを探しに来た追っ手なのだとしたら、レオンのこの判断が正しいだろう。

 気の毒な話だが、今すぐにも命を奪って、口を封じるべきなのだ。


 それに、こいつはどうやら、竜のニーナの姿を見てしまったらしい。まだはっきりとあれが竜だとはわかっていないにしても、このままただ放免するのは危険すぎる。

 これまでのレオンたちの経験の一部を教えてもらっただけのクルトでも、そのぐらいの判断はついた。ただもちろん、クルト自身が手を下すことなど、まだとても考えられはしなかったけれども。


「待てって! とにかく、一旦落ち着けってよ、なあ、兄ちゃん!」


 狭い木立の間を縫うようにして、ぴょんぴょん跳ぶような足取りでレオンの剣筋から身を避けながら、男はまだ言い続けている。

 レオンの得物である大きな剣は、こういう立地だとたちまちに不利になる。周囲の木々が邪魔をして、思い切って振り回すのが難しくなるからだ。男はそのことも十分に見越した上で、彼が剣を振りにくい場所を選んで逃げ回っているのだった。


 と、かかっと乾いた音がして、男が身を隠した木の幹に数本の投擲用の短剣が突き立った。レオンの放ったものである。

 彼は着用する革鎧の目立たぬ場所に、それらをいつも常備しているのだ。

 なるほど、長い得物で戦えない場合には、レオンもこういう飛び道具を使うということらしい。


「わかった! わ〜かったからよ! 雇い主の名前、教える! 教えるからよ! それでいいんだろ? 剣、引いてくんなよ。頼むよ、兄ちゃん――」


 そこで初めて、レオンは体の動きをぴたりと止めた。

 しかし、まったく油断した風はない。表情もまったく変えず、剣先を男に突きつけたまま、じっと相手を睨みつけている様子だ。

 それは、クルトがここのところちょっと忘れていた、あの底冷えのするような殺気を放散するレオンの姿だった。

 かつて水竜国の士官だった頃の彼からすれば、これはもう雲泥の差なのだろう。

 八年もの放浪生活の中で、彼がニーナを守るため、どれほど多くの追っ手の命を手に掛けねばならなかったか、これだけでも窺い知れようというものだった。

 そのことを考えると、クルトの胸はちょっと痛んだ。


「ったくよ……」


 男がちょっと、溜め息をついた。


「こう言っちゃなんだが、もうちょっと頭、柔らかくしな。そんな最初のっけからガンガン殺気とばしてたんじゃあ、『はい、俺らは訳ありです』って、てめえから叫んでんのと同じじゃねえかよ」


 ばりばり頭を掻きながら、ぶつくさそんな事を言う。

 クルトは「どの口が言ってんだよ」とは思ったが、黙って口を閉じていた。そして多分、レオンとまったく同じ目で男を見つめ、短剣を構えているだけだった。

 男はレオンとクルトの冷ややかな視線を浴びて、「やれやれ」と溜め息をつくと、持っていた得物を二本とも、がらんと足もとに放り出した。

 そして、改めて両手を上げて見せた。


「親父にしちゃあ、えらく若いなとは思ったがよ。こんな小せえ餓鬼に、早くからこんなこと教えてんじゃねえよ。坊主、ろくな大人になんねえぞ?」

 後半の台詞は、クルトに対して投げられたものだった。

「大きなお世話だよ、おっさん」

 クルトはとうとう、むっとして返事をした。

 こんな奴に、レオンの何がわかるかと思った。

「えらそうに何言ってんだよ。うさんくさいのはあんたの方だろ。どうせあの干し肉だって、なにか仕掛けてあったんだろ?」


 そうだ。

 子供相手にそんな真似をするような奴から、説教なんてされたくなかった。

 そもそも初めから、自分を子供だと侮って、食い物で釣ろうとするところからして気に入らない。いや勿論、自分が食い意地が張っていることは認めるけれども。

 だがそんなもの、貧しい生まれの子供だったら誰だってそうだろう。

 第一、レオンたちは自分に対して、そういう失礼なことはしなかった。


 が、レオンは軽く片手を上げてクルトの言葉を制し、ごく低い声で言った。

「余計なおしゃべりは無用だ。さっさと貴様のあるじの名を言え」

「……へいへい」

 男は少しおどけた様子で顔をしかめて見せると、本当に世間話でもするような調子でこう言った。


「ハンネマン様だ」

「……なに?」


 途端、レオンの眉がぴくりと動いた。

 それは明らかに、我が耳を疑ったという顔だった。


(ハンネ……え? だれ?)


 クルトには初耳の名前である。

 とは言え、こんな田舎の庶民の少年には、たとえ自国の政治まつりごとの中枢を担う方でも、そんなお偉いさんの名前なんて分かるはずもないことだった。

 男はレオンとクルトの表情を面白そうに観察しながら言葉を続けた。

「聞き間違いじゃねえよ。おんなじ名前の別人でもねえ。今回、俺をお雇いなすったのは、世に隠れもねえ土竜王国ザイスミッシュの宰相閣下、ハンネマン様だ、っつったんだよ、お兄ちゃん」

「…………」

 黙り込んだレオンを見ながら、男はちょっと笑った。

「驚いたかい? 自慢じゃねえが、これでも結構、腕がいいもんでよ、おっちゃん」


 その場に、なんともいえない沈黙が下りた。

 男は余裕綽々の態度でまた、どかりとその場に座り込み、耳などほじりながらべらべらしゃべった。今度はこちらから促す必要さえなかった。

 なんだか、「しゃべるとなったら、もうとことんまで喋っちまえ」という感じが丸出しである。

 なかなか、豪胆な男のようだ。


「ま、俺の雇い主はそのお方なんだがよ。しかし今は、他にもわんさか、()()()を探してる奴らがいるはずだぜ。何故だか知らねえが、ここ二、三年ばかし、やたらとその噂がこっちの国にまで聞こえてくるようになってよ」

「…………」

 レオンは微動だにせず、ただ黙って男の話を聞いている。

「分かるよな? 隣国、風竜国フリュスターンの、亡くなったはずの王太子殿下のことよ。確か、レオンハルトっつったっけか? まだ赤ん坊のころ、二十年以上も前に死んだはずだったのが、ここへ来てどうやら生きてらっしゃるらしいってことが分かったとか、なんとか――」

「…………」


 レオンの目が、すっと細められたようだった。


風竜国おくにのほうじゃあ勿論のこと、こっちの国でも、『そりゃ大変だ、しらみ潰しにお探し申し上げろ』って、おっちゃんみたいなのが国じゅうから、わんさか駆りだされてるってえわけよ」

「…………」

 クルトも思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。


 それは、間違いなくレオンのことだ。

 しかし何故、今になってそんな噂が流れ始めたものだろう。

 その裏には、誰がいるのか。

 そいつの狙いは、何なのか。


()()のバルトローメウス国王陛下にしてみりゃ、レオンハルト様は実のお孫様なわけだしな。亡くしちまった大事な娘の子なんだから、生きてるとなりゃ、そりゃ会ってみてえだろうし、探すのも当然だわな。もちろん、それをお探ししようってえ貴族連中のほうにゃ色々、含むところはあんだろうけどよ――」

「…………」


 レオンはやっぱり、無言である。

 そんな彼の様子に、男はちょっと片頬を歪めた。


「ま、あんたがそうだたぁ言わねえがよ。もしもそうなら、せいぜい気ぃつけな、って話よ――」

 ほとんど確信している癖に、男はまったく似合わない顔でちょっとレオンに向かって片目をつぶって見せた。

「それと、これは俺の勝手な考えだけどよ。バルトローメウス陛下も、もう随分とお年を召されてる。ここんとこ、どうやら体調も思わしくねえらしい。お顔を見てえと思うんなら、ちいっと急いだ方がいいかもしんねえぜ?」


「……なにを勝手に」

 遂に、レオンが軽く吐息をついた。

「俺を何だと思って話をしてる。その『レオンハルト殿下』とやらがどんなお方かは知らんがな。俺はただの旅の者だ。貴様の探す相手とは違う」

「へーへー。まっ、そういうことにしとこうか――」

 男の方でもにかりと笑って、ぐいと腕組みをしただけだった。


 クルトは二人の会話を聞きながら、もうどきどきしていた。


(あっぶねえ、俺……) 


 この男の聞いているところで、自分はうっかりレオンにその名で呼びかけたりしていなかっただろうか?

 クルトは、もしもそれを聞かれていたらと思うと、ぞっとしたのだ。

 男はそんな様子で冷や汗をかいているクルトのことを、面白げな目線でちらりと見たようだった。


「んじゃ、もしあんたがその『レオンハルト殿下』に会うことでもあったら、伝えといてくんな。もしそのお方に、血のつながったご自分の()()()にちょっとでも会っておきてえって気持ちがおありなんだったら、是非とも俺を通せ、ってな」

「…………」

 レオンがぎろりと、また男を睨んだ。

「払うもんさえ払ってくれりゃあ、きっちり確実、安全に、()()()ぐらいはつけてやる、ってよ。……な? 頼むぜ、兄ちゃん」

 言いながら、男は腰のあたりで指をまるめ、輪っかをつくるようにした。

 それは明らかに金銭のことを示している。

「…………」

 不審げな眼でじろりと男を見返したレオンに、ファルコはにやにや笑いながら肩を竦めて見せた。

「まっ、これも仕事の一環よ。払いが良けりゃあなんでもするさ。俺も食わなきゃなんねえしよ。今回もそうだからな。なにしろ、豪儀なお方だからねえ、あのハンネマン宰相閣下は」


 さも「この報酬が楽しみだ」と言わんばかりな男の顔を見て、レオンが鼻白んだようだった。彼が腹の底で「やっぱり殺しておこうか、この男」と考えているのは明らかだった。

 一応、短剣を構えながら木の陰にいるクルトは、もう心の臓が口から飛び出しそうになりながら、二人のやり取りを聞いている。


「ああ。それと、気をつけな。殿下をお探ししてんのは、なにも『保護したい』って連中ばかりじゃねえ。消そうとしてるやつらもいるって話だ。むしろ、そっちのが多いんじゃねえのかな。……つまり、()()()どもってことだけどな」


(う……わ!)


 びき、と空気にひびが入ったような感覚があって、クルトでさえもぞわっと全身が総毛だった。

 もちろん、レオンの発した凄まじい殺気である。

 それを感じていない筈はないのに、男はにやにや笑いを崩そうともせずに、ひょいと片手を上げて緊張感のない声でこう言った。


「……あ、俺は違うぜ? 俺はただの()()()よ。殺生は、どうも好きじゃなくってな」


 が、レオンはその殺気を緩める気配は微塵もなかった。

「んじゃ、俺は行くわ」

 男はそれに気づかぬ様子で「よいこらしょ」と立ち上がると、自分の頭陀袋に先ほど放り出した戦斧二本を突っ込んで、ひょいと肩に掛けた。


「あ〜、さっきの話だけどよ。俺に話がしたかったら、王都の南側にある《倉の宿》って居酒屋に来な。で、そこの女将おかみに、こう言うんだ。『眼のいい鷹を知らねえか』、ってな」

「…………」


 レオンからもクルトからもなんの返事もないことを気にする風もなく、男はひらひらと片手を振って踵を返した。


「いいな。覚えとけよ、兄ちゃん、坊主」


 ちょっと顔だけを振り向けて、最後にまた、にやりと笑う。

 大きな犬歯を剥いて笑う顔は、やっぱり豪快そのものだった。


「そんじゃ、……()()()


 言うが早いか、男はもう後も見ないで、茂みの中に姿を消した。

 静かな森の中であるのに、ろくに足音も聞こえなかった。




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