4 奇妙な追手
クルトは、あの奇妙な巨躯の男にもらった干し肉を、途中の谷底に放り投げた。
ただそれは、あのあと午前中、ニーナと一緒にかなりの時間、山道を歩いたあとのことだった。
しかし、もう少し早くそうすべきだったのだ。
クルトはやがて、さほどの日数も経たないうちに、それを嫌と言うほど後悔することになる。
◇
その日、日が沈んで二人が姿を変化させたと思ったとたん、竜のニーナはさっと飛び上がって頭上の梢に姿を消した。
人間の姿に戻ったレオンも、即座に背中の剣を引き出してその隻眼をぎらりと光らせ、クルトにひと言「ここに居ろ」とだけ言って、のしのしと木立の向こうへ分け入ってしまった。
(な、なんなんだよ……?)
呆気にとられ、少し不安になりながらレオンの消えた方をしばらく眺めていたクルトだったが、やがて森の奥のほうから「うわっ」とかいう男のものらしい声が聞こえ、びくっと身を竦ませた。
と、わさわさと潅木を揺らす音がしたかと思ったら、薄汚れた革鎧をつけた大男が目の前にわっと転がり出てきた。
「うわ! な、なんだよ、あんたっ……!」
クルトが思わず飛びすさって身構える。素早く腰から自分用の短剣を引き抜き、腰を落として相手を見据えた。
これも、ここしばらくレオンに訓練されてきた賜物である。
と、男の後ろから両手剣を手にしたレオンも大股に現れて、その切っ先をぴたりと後ろから男にあてた。
(あ。こいつ……)
クルトはすぐに気が付いた。
こいつは先日、だしぬけに自分たちの焚き火に当たらせてくれと言って現れた、あの自称「文字通りの山師」の男だった。まあその実、頼まれればなんでも引き受ける「なんでも屋」だとも言ってはいたが。
「おう、また会ったな、兄ちゃんたち」
確か、名をファルコと言ったはずだ。
男は別に悪びれる風もなく、むしろ屈託のない顔でにかりと笑って、先日同様、両腕を顔の横にあげるような仕草をしている。
「なあ。別に、悪さをしに来たわけでもねえんだし。得物、しまってくんねえかなあ」
男は勿論、目の前のクルトにではなく、背後のレオンにそう言っていた。
レオンは沈黙したまま、眉間に皺を寄せて男を睨んでいるだけである。
「なあって。坊主も、頼むからよ。ここに来たのはたまたまよ。だから、山仕事だっつったろう? 別におっちゃん、あんたら追いかけてきたわけじゃねえんだって――」
「…………」
クルトがちらりとレオンを見れば、彼の翠の隻眼は、そんな男の言い草など毫も信じた様子はなかった。
ここは、前回、この男に会った場所からさらに南へ山三つ分は下ったところである。
なるべく村民の住む集落などに近寄ることは避けながら、獣道を辿って移動するのが基本なので、この男がたとえば人や馬の足跡を追ってくるといっても、限度があるはずだった。
足跡も、ニーナが黒馬に乗ったまま、途中何度も浅い川の中を歩くなどして、あとを残さないように気をつけている。
その足跡だって、昼と夜とで馬だけのものになったり、人間二人のものになったりと変わってゆくわけだから、追おうと思って追えるものではないような気もした。
「こんな偶然、あるんだなあと思ってよ。びっくりしてちょっと覗いてたんだ。声かけんのが遅れて悪かったなあ」
男はぬけぬけとそんなことを言いながら、今回は別に許可を得ようともせずに、後ろでまだ剣を構えたままのレオンのことも無視して、勝手にどかりとクルトの作った竈の前に腰をおろした。
「おい、貴様――」
「あ、これ。北側の村のとこで譲ってもらったとんぼ豆だ。豆味噌もちょっと持ってるぜ。坊主、雑穀を持ってんだろ? 一緒に煮て食うとうめえんだ――」
レオンが背後で唸るように言うのも綺麗に無視して、男は自分の頭陀袋の中からちいさな布袋を取り出すと、ひょいとクルトの方へ放ってよこす。
クルトは今度は、すぐにそれには手を出さなかった。
地面にぼとりと落ちたその布袋と男の顔とを見比べるようにして、やっぱり短剣を構えたままである。
男はそんな様子のクルトを見て、にやりとまた笑ったようだった。
「こないだの干し肉、うまかったろ? 結構、いい値がしたんだぜ、あれ」
「…………」
その笑顔が、妙に意味深な気がして、クルトはちょっと寒気をおぼえた。
(もしかして……。)
もしかすると、自分があの干し肉をいつまでも捨てずにいたのがいけなかったのかもしれない。口こそつけなかったけれど、捨てるまでの間は数刻ばかり、クルトはあれを自分の背嚢の中に入れたままにしていたのだ。
世の中には、別に魔法官などにはなっていなくても、魔法の扱える人種もいる。
得体の知れないところがあるとはいえ、この男はなんとなく、あまり魔法を使うような感じには見えないけれども、人は見かけによらないものだ。
ひょっとしたら、あの干し肉が、自分たちの足取りを掴むための素材になっていたのかも――。
そう考えて、クルトはじわりと冷や汗をかいた。
そうだとしたら、自分はまた、ニーナとレオンに迷惑を掛けてしまったのかもしれない。
不安になって、思わずそっとレオンの方を見やったが、彼は別に、なんらの感慨を覚えている様子でもなかった。さっさとその場に座り込んでしまったその男に両手剣を突きつけたまま、氷のような視線で相手を睨みつけているばかりだ。
「とぼけても無駄だ。貴様が俺たちをつけて来ていたのは知っている。誰の命令だ。素直に言えば、命は獲らんこともないぞ」
「おお、怖わ」
男は笑いを消さないまま、半眼でそう言った。
「凄むなよ、兄ちゃん。丸腰の相手を斬っちまうほど、あんたが矜持のねえ男だとは思えねえ」
「…………」
「まあ落ち着きなよ、兄ちゃんも……坊主もな」
まるでこの場を仕切っているのは自分だとでも言いたげなその様子に、クルトは呆気にとられた。
レオンはレオンで、少し毒気を抜かれたような目になって、やや剣先を下げている。
「どうもアレだな。夜になると覿面、見つかっちまうみてえだが。なんかあんのかい? あんたら、夜には――」
ちらりと背後を振り返って、男はレオンを見やる。勿論レオンは無言だ。
「ああ、そう言やあ。あの白い鳥みたいなの、今はどこに行ってんだい?」
「……!」
思わず顔色を変えてしまってから、クルトは「しまった」と思った。
が、もう遅かった。クルトがそうと気付いた時には、男のいかにも目端の利きそうな黒い眼が、もう十分にこちらを観察し終えた後だった。
レオンの目が、たちまちうんざりしたものになる。
(くそっ……!)
クルトは歯を食いしばった。
この男が今言ったのは、間違いなく竜の姿のニーナのことだ。
彼女の存在について、またその秘密について、こんなぽっと現れた怪しげな男に知られていい訳がない。
この男がどんな鎌をかけてこようが、自分は何が何でも「知らぬ存ぜぬ」で、涼しい顔をしていなければならなかったのだ。
それなのに。
男は悔しげなクルトの顔を見ながらさも満足げに頷くと、「やっぱりな」と言って自分の顎を撫でた。
「鳥っていうかよ……梟かな? ありゃあ。けどそれにしちゃあ、首がこう、ひゅうっと長かったし、尻尾もあったみてえだよな――」
次の瞬間。
ひゅがっ、と周囲の空気が切り裂かれた。
レオンが、相手が丸腰であるにも関わらず、その両手剣を横ざまに薙いだのだ。
そこには何の躊躇いもなかった。
(うわっ……!)
クルトは思わず目を瞑った。
目の前の男の首が、宙に斬り飛ばされるところを見たくなかった。
しかし。
クルトの耳には、あのぶしゅっという血飛沫の飛び出る嫌な音は、いつまでたっても届かなかった。
その代わり、がぎっと重い音がして、クルトは目を開けた。
(え……!)
見れば男は、頭陀袋の中から取り出したらしい得物でもって、レオンの剣を受け止めていた。
それは恰も、かまいたちのような素早さであったのだろう。
さすがのレオンも、ちょっと驚いたような目の色をしていた。
「……悪いね、兄ちゃん」
くくっと笑って、男がレオンにそう言った。
「俺だってよ、腕になんの覚えもなしに、こんな風にひとりで山ん中、歩き回っちゃいねえのよ。自分の命ぐれえ、自分で守れてなんぼ。だろう? 兄ちゃん」
男の手には、短めだが金属製の太い柄のついた、ごついつくりの戦斧が二本、握られていた。それを交差させた形で、今がっちりとレオンの剣を受け止めていたのだった。





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