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6 凱旋 ※

※R15相当、残酷表現ありです。



「うわー。最悪……。それって、最悪じゃん……」


 ニーナの話を聞き終えて、クルトがほとんど頭を抱えるようにして唸った。

「いっちばん、渡しちゃダメな奴にそんな力、わたしちゃってさ……。火の竜、なに考えてんだって思うんだけど?」

「ええ、……そうですね」

 宿の寝台に座ったまま、ニーナも困ったような笑顔を浮かべていた。


「けれども、竜は人とはまったく異なる存在なのです。生き物としての在り方も、生きてきた年数もまったく違う。この地上に生きる人々の考える、『人徳』だとか『平和』だとか『理想』だとかいったものとは、一線を画す存在だと言えるのかもしれません。当然、世界をどのように捉え、どのように眺めているかなど、人知の及ぶものではないのかも知れませんね……」

「う〜ん……」

 クルトはそれを聞いて、しばらく考え込んでしまった。

「あ〜、そう言えばさっきもなんか、『人間のことには関わらない』とかなんとか言ってたもんね……」


 でもそれは、ちょっと「無責任」とかいうものなのではないのだろうか。

 クルトにはよく分からないが、同じ力を与えるにしても、ほかにもう少しましな人間が、いくらでも地上にはいそうなものなのに。


「それにさ……。あの、ミカエラって人だってそうなんだよね? あの人も、風の竜の()()()()になっちゃったんでしょ? なんであんなのに限って、そんなすごい力がもらえちゃうの? なんか、それっておかしくない……?」

「そう……ですね」

 ニーナは少し、考えるように手を顎にあてた。


「思うのですが、あの二人に共通するのは、なにか非常に過酷な、過去の経験ではないのでしょうか。それが大もとにあって、それゆえに、自分ではもはやどうにもならない、怒りや、焦燥や、執着を抱えている……と、そんなことのように、わたくしには思われるのです。もちろんこれだって、わたくしの勝手な想像に過ぎませんけれど――」


「むうう……」

 クルトにはさっぱり理解不能だし、納得もできないのだが、当のニーナはそれなりに、そのことについてある一定の結論に達しているらしかった。

「もしかしたらそれは、人の生きる力……のような、なにかその、根源になるようなものなのかもしれませんね。竜の魔力は、そのような力を持つ人でなければ受け取れないものなのかも知れません。もっとも、それが良いか悪いかはともかくも、ですが……」


(いや、絶対『いい』って言わないだろ、それ……)


 クルトはちょっと半眼になる。

 アレクシスにしろミカエラにしろ、どう考えてみたところで、そんな人の能力以上の力を持っていい存在だとはとても思えない。

 ニーナは慎重に言葉を選んでいるようだったが、クルトには到底それを「良かった」などとは思えなかった。


(だってさ……)


「それで結局、ニーナさんもレオンも、その……()()()()体になっちゃったんでしょ……? それってやっぱり、あいつらのせいなんだよね?」

 「あいつら」というのは勿論、あのアレクシスとミカエラのことである。

 ニーナは少年を見返って、少し寂しげな笑みを見せた。

「そう、ですね……」

「あいつらのこと、恨んだり、憎んだりとか、してないの……?」

「いえ、それは――」

 ニーナは困ったように俯いた。

「正直、『つらくないか』と訊かれれば、とても『いいえ』とは言えませんけれど。……でも、それでもわたくしたちは今、少なくともこうして一緒にはいられるわけですし――」

 そうして彼女は、宿の外、厩舎の建物のあるほうをそっと眺めるようにした。彼女の愛するその男は今、恐らくいつもの黒馬の姿で、今もそこにいるはずだった。


「ああ! それそれ! それ、聞こうと思ってたんだよ」

 クルトはぱっと思い出して、隣にいるニーナのマントをきゅっと握った。

「ミカエラは、あの時、ほんとはニーナさんのこと、もっとひどいもんに変えようとしてたんじゃなかったっけ? なんかその、虫とか……臭い皮膚病とか言ってなかった?」

「ええ。確かにそうでした」

「でも、あの白い竜はさ……あの、えっと」

 言いかけて、急に悪いような気がしてきてしまい、クルトはちょっと頭を掻いて口ごもった。


 ニーナはそんな少年を見て、ふわりといつもの優しい笑みを浮かべた。

「いいのですよ、クルトさん。思ったことをおっしゃっても」

「えっと……その」

 その優しい笑顔に励まされるようにして、クルトはやっと続きを言った。

「りゅ、竜……キレイ、だと思うし……俺。白くって、ぴかぴかしてて……ウロコも、翼も、目の色とかもすっげえキレイで。こ、声だって可愛いしっ……! だから」


 言うには言ったが、その声はだんだんと尻すぼみになってゆき、しまいには聞こえないぐらいになってしまった。クルトは俯き、膝の上で両手をもじもじさせている。

 なんだかだんだん、言っているうちに、竜ではなくて彼女そのものを褒めているような気になってきてしまったのだ。どうにも恥ずかしくて、居たたまれない。

 その上、ニーナが目を丸くしてこちらをじっと見ているものだから、余計にクルトの体は火照りはじめた。ちょっと、耳がきんきんするほどだった。


「……ふふ」


 ニーナが楽しげにくすくす笑い出して、クルトはもう、かあっと頭のてっぺんまで茹で上がった。

「ごっ、ごめ……! 俺――」

 ぎゅっと目をつぶってそう叫んだら、ニーナの手がふわりとクルトの肩に置かれた。

 うしろで緩く編んだだけの蜂蜜色をしたニーナの髪がさらりとクルトの顔のそばに落ちかかると、甘く可憐な花のようないい匂いがして、クルトは目が回りそうになった。

 それは不思議に爽やかで、本当にいい香りだった。どう考えたってそれは、その昔ミカエラが彼女に向かって呪詛まみれの声で言ったという「くさい汁の臭い」などではありえなかった。


 ということは、ミカエラの「呪い」は、すべてが上手くいったというわけではないのだろうか。


「ありがとうございます、クルトさん。そんな風に言ってくださって嬉しいわ。……本当よ」

 ニーナはひとつ吐息をつくと、その碧い瞳に悲しみの色を湛えて仄かに笑った。

「そうね……。次は、そのお話をしなくてはいけませんね」


 麗しい女剣士はそう言って、またその話を、過去の物語へと戻したのだった。



◆◆◆



 火竜の山からの生還を果たしたアレクシスを見て、道中の村や町は勿論のこと、王都の人々で驚かぬ者はなかった。

 それは王家の彼の父、ゴットフリートや、兄の王太子、第二王子らも同じだった。


 アレクシスが驚いたことには、なんと自分があの「火竜の刑」に処せられてから、もう半年ちかい時が過ぎていた。

 あの「火竜の結晶」によって苦しめられ、その魔力に自分の体が馴染むまでに、実はそれほどに多くの時間が費やされていたことなど、王都に戻るまではほとんどよく分からなかったのである。

 あの刑に処せられたのが秋のはじめの頃であり、その年の冬の間じゅうずっと、アレクシスはあの火山の地下洞窟の中で眠ったようにして過ごしていたということのようだった。

 そのあいだ、ひどい喉の渇きも、空腹も覚えなかったのは、やはり竜の魔力によるものだったということだろう。



 火竜の山付近の町で献上させた流麗な白馬に跨り、悠然と王都に凱旋を果たしたアレクシスを、王都の民は歓呼の声をもって迎え入れた。

 王宮の奥深く、書庫に存在する古文書によれば、古来より、その「火竜の刑」を生き延びた生還者は、罪を許され、そのままこの国の王座を継ぐ者となる定めだという。そのことは、人々のあいだでも長い年月の間に口伝として残っているのだ。

 人々は、その恐るべき刑からの生還を果たしたこの堂々たる赤毛の少年の威容を目にして、いつしか誰からともなく、次のような呼び名で彼を呼び始めた。


 すなわち、「火竜の子アレクシス」と。


 それはとりもなおさず、彼が次代の「火竜王」となるべき者、つまり「王太子殿下」たる者だということでもあった。

 王都の城門を守っていた衛兵をはじめ、街の人々は男も女も子どもたちも、さも嬉しげに新たな王を迎えたかのようにして、彼の馬のあとにぞろぞろとつき従い、王城までの道を行進してきた。それはもう、春の祭りが始まったかのような大騒ぎであった。

 ちょうど、春の始まる季節のことでもあり、長くつらい冬の終わりのこの喜ばしい知らせを受けて、余計に人々の心は浮き立ったものであるらしい。


 実は、そうした突然の慶事の知らせに、興奮した民衆が一挙にその場に集まってしまったことで、あちこちでちょっとした騒ぎが起こったりもした。

 その結果、その時は特に気にも留めず、自分のしたことをすぐに忘れてしまったアレクシスだったが、彼はここで、そうとは気づかないうちに、とある人物との出会いを果たしていたのである。

 が、その詳しい顛末については、また後ほどの話である。



 さて。

 これを知って慌てたのは、父王ゴットフリートと王太子である長兄、そして次兄たる第二王子だった。

 なにしろ彼をあの火の山へ放逐して、すでに数ヶ月が過ぎ去っている。そうやって、とうに死んだものと思っていたところへ、この英雄まがいのご帰還である。慌てるなと言うほうが無理な話だった。

 ちなみに、母とその後ろ盾となっている貴族の一門についてだけは、アレクシスの生存を喜んではいたらしい。とはいっても、かれらは単純に、アレクシスの死によって覚束おぼつかなくなってしまった自分たちの立場が守られることのみを喜んだだけの話だったが。


 王の謁見の間において、その奇跡の生還を果たした第三王子を迎えるために雁首を揃えた王族三名は、一様に顔色がよろしくなかった。

 対するアレクシスはごくしれっとした顔で、普段の帰還を果たした時と同様、床に片膝をつき、臣下としての礼をもって父と兄らに挨拶をした。


「ただいま戻りましてございます、父上、兄上様がた」

「う、……うむ。善きかな、善き哉」


 父はもう、何か上の空のような声でそう言ったきり、むっつりと黙り込んだ。相変わらずその玉座に窮屈そうに巨体を押し込め、不機嫌そうにごわついた髭をいじくりまわしている。

 二人の兄たちも蒼白で、いかにも気味悪そうに、つるりと美麗な顔をして貴公子そのものの出で立ちで現れた弟を眺めやっていた。

 アレクシスは、特に細かい話をすることもなく、挨拶だけを済ませると、さっさとその豚どもの面前から引き上げた。


 なお、古文書にある古来よりのしきたりについては、アレクシスの思ったとおり、父も兄たちも一顧だにしなかった。「そんなかびの生えたがごとき因習がいかほどのものぞ」というのが、厚顔無恥な彼らの言い分だった。

 父について言えば、もともとは兄たちほどこの三番目の息子のことを疎んじていたわけではなかったのだが、何しろ力のある貴族を後ろ盾にした正妃の意向を無視することは、王たる父であってもやはり難しいというのが実情だったのだと思われる。

 それはまあ、完全にアレクシスの予想の範囲内でもあったので、彼も単に「やっぱりな」と苦笑しただけのことだった。別に、それはそれで構わない。ここに帰って来るまでの道中、今後どうするかについて、アレクシスは十分に計画を練っても来たからだ。


 「火竜の眷属」になったアレクシスは、あの山でも実証された通り、「火竜の結晶」を使わなくともある程度までの魔法なら扱える体になっていた。


 だからまずは、手始めに王太子たる長兄の命を奪った。

 やり方は至極簡単だった。

 王宮付きの魔法官からごく小さな「火竜の結晶」を手に入れて、掌の上でそれをごく微細な粉、霧のようなものに変え、毎日、兄の杯の中にほんの僅かずつ混ぜ込んでやっただけのことである。

 アレクシス本人は、その杯に手を触れるどころか、その部屋にいる必要さえなかった。ただ心にそう望めば、その「紅い霧」は誰の目にも留まらずに、床を這い、食卓の脚を這いあがって、するすると兄の杯に吸い込まれていったからだ。もちろん、あらゆる毒見の済んだあとの杯にである。

 兄は少しずつその魔力に体を蝕まれて体調を崩すようになり、やがては寝付いて、数週間で命を落とした。

 国を挙げて葬礼の儀が執りおこなわれ、そこに涼しい顔をして居並びながら、もうアレクシスは次なる一手にも着手していた。



 次兄は、このたび長兄が死んだことで晴れて王太子となることとなり、暢気のんきにも浮かれきっていた。

 考えてみれば、この兄も相当に自分の立場と能力とを見誤っていたのだと思う。いくら証拠が挙がっていないとは言え、とくに健康上の問題もなかった上の兄がこれほど短期間のあいだに急死したのだ。「すわ、暗殺か」とばかりに自分の身辺を固め、もっと警戒心を持つのが普通ではあるまいかと思うのだが。

 よくも悪くも、この兄は平和ぼけしたぼんぼんでありすぎたのだろう。結局はその事が、この兄の命を縮める結果になった。


 吹く風も温かくなってきた折がら、いつも周囲に侍らせている美姫たちとともに近場の王族の離宮へ出かけ、毎度のような乱稚気騒ぎ、女たちを裸に剥いてはまさに豚のように盛っているその現場へ、その閨へ、アレクシスは魔力を封じた小さな羽虫を紛れ込ませた。

 もちろん、王族の身辺にはつねに忠実な魔法官が魔法結界を張ってその守護にあたっている。しかし、彼らの能力では到底、はるか上位の「火竜の眷属」たるアレクシスの魔力を凌駕しえなかった。アレクシスの放った羽虫は、かれらの魔力防壁をやすやすとすり抜けたのである。


 だらしない肉をさらけ出して寝こけている次兄の体のどこかを、その虫はちくりと刺した。刺された途端、兄は突然目を覚まし、狂ったような声をあげて駆け出して、離宮にあった尖塔のてっぺんから真っ逆さまに飛び降りた。

 兄はその重い体重のすべてを首に叩きつけることになり、その骨を折って即死したとのことだった。


 たねを明かせば、アレクシスはまあちょっとした、恐ろしい幻覚を見せる魔法を使っただけのことである。

 二人の王子の相次ぐ死に、父王をはじめ王宮内にも眉を顰める向きは多かったのだが、事故当時、王宮にいたアレクシスには手を下せるはずもなかったことで、確たる証拠ももちろん出はしなかった。

 

「昔からの言い伝えどおり、火竜の王子、アレクシス様をすんなりと王太子に据えられなかったのがいけなかったのさ。きっと、火竜神さまのばちがあたったのにちげえねえや――」


 王都の人々は、この相次ぐ凶事の知らせに、まことしやかにそんなことを囁きあった。

 そしてそれは愉快なことに、案外と的を射ている噂でもあった。

 確かに、父王と兄どもが、アレクシスの「凱旋」後、言い伝えどおりに彼を王太子の座に据えていたなら、彼もここまで冷徹に彼らの命を奪おうとまではしなかったかも知れないのだ。とはいえ、せいぜい「生きているだけ」と言ってもいいような状態にまでは追い込んだに違いないけれども。

 ともあれ、そんな人々の思惑をよそに、アレクシスは自分の企図した通り、易々と王太子の座を射止めたのである。



 さて。

 残るは、父王だけだった。

 それについては、アレクシスも少しばかり思うところがあって、兄たちのようにあっさりと命を奪ってしまうつもりまではなかった。

 まあ一応、実の親だからということもある。しかしそれ以上に重要なのは、いかに表立たない形で、しっかりと自分がこの国の権力を掌握するのかということだった。

 基本的には、長兄にしたのと手口は似たようなものだった。

 離れた場所から父の杯に、例の「紅い霧」の粉をほんの少し、混ぜ込むだけだ。


 ただ、単純に殺すのではなく、うまく「寝たきり」に持ち込むためには、なかなか匙加減が難しかった。だからアレクシスは、夜中に時折り魔法を使って町へ出て、眠っている王都の人々の中から父と体格の似た男を選んでは、適当に「実験」を繰り返した。

 やりすぎれば長兄のように死んでしまうし、僅かすぎれば風邪をひいたぐらいの症状にしかならない。これはなかなかに難しかった。


 結果から言えば、これも最終的には成功した。

 父は「謎の病」を、天蓋つきの豪奢な寝台に寝かされたまま、時折りうわごとを言う以外、なにもできない体になった。勿論、政務をこなすことなど不可能だった。



 母と、その背後にいる貴族の一門の者どもは、まさにほくほく顔だった。

 これでもう、次代の自分たちのゆるぎない立場と権力は約束されたようなもの。

 アレクシスが寝ついた父の見舞いに行って、自分の居室のある離宮に戻ると、母は珍しく上機嫌だった。いつもはろくに顔も見ようとしないくせに、今日ばかりは自分の赤毛の息子をちらりと見るなり、彼女はその艶めいた唇にぱっと笑みを乗せた。


「このたびは、まことにおめでとうございます、王太子殿下」


 母はそう言って、贅の限りを尽くした居室の寝椅子の上から、その艶麗な微笑みを与えてくれたものだった。


「これはご丁寧に。ありがとうございます、母上」


 一応はそう言って、慇懃に礼を返してそこを辞したが、その時のアレクシスにとってみれば、そんな母の媚びたような笑みも言葉も、すでに萎れたカトレア(カトライア)の花ほどの値打ちもなかった。




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