12 竜の眷属 ※
「下がれ! レオン……!」
父の声が鋭く響き、レオンが咄嗟に姫を抱きしめて、横っ飛びに跳びのくと、その場に凄まじい音と共に氷柱の盾が出現した。
氷の盾はちょうど、レオンたちとミカエラを隔てるようにぬうっと立ち上がっている。それらは一本一本がちょうど水晶の結晶のような形をしており、人の胴体ほどの太さがあった。それが数十本も林立して壁となり、ミカエラとレオンとの間を遮った。
見れば、手に薄青く光る水竜の結晶らしきものを乗せた魔法官らが五名ばかり、口の中で韻律を唱えながらもう片方の手をこちらへ伸ばし、それら氷柱を生成しているようだった。
さらに、その氷の盾の手前に数十本もの氷の刃が出現して、凄まじい速さでミカエラめがけて飛び掛ってゆくのが見えた。
しかしミカエラは、片手のひとふりで違う竜巻を作り出し、あっけなくそれらの刃を薙ぎ払った。
「今のうちだ! こちらへ! 早く……!」
アネルの鋭い声がすると同時に、レオンはアルベルティーナの細い体をあっという間に抱き上げ、そちらへ走った。身体の痛みなどは、忘れていた。
武官らのいるところまで瞬く間に駆け抜けて、レオンはすぐさま、姫の身体を他の武官に預けた。一刻も早く、姫をここから逃がさねばならなかった。
「お願い、します――」
言うなり、レオンはがくっとその場に片膝をついてしまう。わき腹から背中にかけて、激痛が走っていた。今のでどうやら、あばらのどれかが内臓を傷つけたようだった。
他の武官の一人がぐいとレオンの脇から肩を貸してくれて、レオンは引きずられるようにしてその場を離れた。
背後では、凄まじいまでの魔法攻撃の応酬が起こっているらしく、ぎゃりり、ばきばきと氷の砕ける音と、暴風の音が混じり合っていた。
と、その時。
《……去れ。風の眷属よ》
深く静かな声が、頭の奥にいきなり響いた。
(なに……?)
レオンは思わず、周囲を見回した。
周りの武官らも同様で、きょろきょろとまわりを見たり、互いの顔を見合わせたりしている。
《闇なる仔よ。此方は、其の在るべき場に非ず。疾く、去れ――》
それは非常に静謐で、豊かな叡智に満ちた声だった。
やがて。
どおおん、と石壁が破壊される音がして、武官や魔法官らの悲鳴が聞こえた。
ミカエラは分の悪いことをやっと理解したらしい。なにしろここは、水竜の国なのだ。この国で異なる属性の魔法を放っても、本来の三分の一の力しか発揮できない。その反面、魔法使用者の消耗も、竜の結晶の損耗も激しくなるのだ。
その時。
『……許さない』
『絶対に、許さないわよ――』
耳の中で、今度はあの少女の声がした。
『覚えておくがいいわ、水竜の姫。わたくしは絶対に、諦めない……!』
それは、真っ黒な泥濘に侵された、恐るべき怨嗟の声だった。
その、頭の中を擂り潰されそうな意識の奔流は、次第しだいに遠くに飛び去るようにして影を薄め、やがてふっつりと途切れたのだった。
あとで聞いたところによれば、その時、彼女は遂にレオンらを追うことを諦めて、暴風によって牢の壁をぶち壊し、そのまま黒い風に巻かれるようにしてそこから飛び出し、姿を消したとのことだった。
その後すぐ、アネルが武官に肩を貸されてどうにか立っているレオンのところへ足早にやってきて、小さな水竜の結晶を使い、柔らかな韻律を唱えて傷の手当てをしてくれた。そうしてくれると、激しかった痛みは嘘のように、すっと引いていった。
しかし、ミカエラが変貌した姿を見た時からずっと感じていた耳鳴りを伴う頭痛や、不快な吐き気はどうにもおさまらなかった。
「カール、は……みなは」
言葉少なにそう訊ねると、アネルは眉を顰めてうなだれた。
「カール君は、大丈夫だ。負傷はしていたが、すぐに治癒をほどこしたし、大事ない。……でも、衛兵たちは、だめだった――」
「そう、……ですか……」
やっと父からそれだけを聞いて、レオンは意識を失った。
◆◆◆
次にレオンが意識を取り戻したのは、その事件から丸三日が過ぎた頃のことだった。
負傷そのものはアネルの手で治癒されていたにも関わらず、レオンはあの時意識を失ってから、ずっと目を覚まさなかったのだという。
彼はいま、病人や怪我人などが着る、前で袷になった夜着に着替えさせられている。目を覚ましてからゆっくりと白湯や麦粥を与えられ、がらがらだった声もどうにか元に戻ってきていた。
「どうやら、あなた様が風竜国の王族であるために、ミカエラの体内にある風竜の結晶が、勝手にあなたの身体からも力を吸い取っていたということのようですね……」
レオンの部屋に診察に来てくれたアネルが、またもや臣下としての言葉遣いに戻ってしまってそう説明してくれた。本来であれば彼のそばにいるはずの看護兵などは、今は部屋の外に出されている。
なるほど、あの時のあの頭痛と不快感は、どうやらそれによるものだったらしい。水竜国内では十分にその力を発揮できなかった風竜の結晶が、本来なら風竜王だったはずの王族レオンからその力の補助を受けようとしたということか。
「まあ、あの少女も『変化』をしたばかりで能力の使い方に不慣れでもあったのでしょう。相当に暴走もしていたようですし、本来であれば起こるはずのないことなのですが、たまたまそばにあった王族の力を無意識にも取り込もうとしてしまったということかも知れません」
アネルは考え考え、そんなことを説明してくれた。
と、外から控えめに侍女の声が掛かって、王女アルベルティーナがそっと部屋の中に入ってきた。
(姫殿下……?)
レオンは驚くと共に、彼女が青白い顔はしているものの、とりあえず体のどこにも怪我をしている様子でないことを見て取ってほっとした。
アルベルティーナはひどく心配そうな顔をしてアネルの後ろの椅子に座った。聞けば、畏れ多くも彼女もずっと、この部屋でレオンの看病についてくれていたのだという。
「なんと――」
王族の姫にそのような手数を掛けさせたと聞いて、レオンは非常に驚いた。ただもうひたすら申し訳なく、恐縮して起き上がろうとしたのだったが、しかしどうにも身体に力が入らず、寝台からずり落ちそうになっただけだった。
「ああ、無理をしてはいけません、殿下。相当、体力を消耗しておられますので」
アネルが慌てて、レオンの身体を支えて寝台に戻した。
一連の事件の顛末について、アネルはすでにミロスラフ王には報告し、これまでの経過についてもある程度は予測をつけたのだということだった。
すなわち、あのミカエラの身に何が起こったのかということである。
「彼女が捕縛された時、隠し持っていた『風竜の結晶』をひとつだけ、そのどさくさに口に入れたのは間違いないでしょう」
アネルは「まったく驚くべきことです」と、焦眉の顔で頭を振った。
「本来、『竜の結晶』の魔力は強すぎて、とても普通の人間が体内に取り込めるような代物ではありません。百人いれば百人ともが、命を失ったり、重大な病に冒されるほどの、それは危険なものなのですが――」
なかには、本当に稀有な確率で、その竜の魔力と同調することのできる者がいるらしい。勿論、命がけの実験になってしまうのだから、それをわざわざ試そうとする人間からしていないのが実情ではあるのだが。
しかし、それは大抵、その国の王家の人間に限られる。
ミカエラは風竜国の侯爵家の出だということだったので、正統な王族ということではないけれども、王家に非常に近い貴族だったことから考えて、何代か前に王家から嫁した姫かなにかの末裔なのではないか。それが、アネルの推測だった。
そうして竜の魔力との同調を果たした者は、「竜の眷属」と呼ばれる存在に変化する。その結果、かれらは「竜の結晶」を用いることもなくその属性の魔法を操ることが可能になるのだ。
ちなみに、ミカエラの身体検査の時にはもちろん、彼女がまだ「風竜の結晶」を所持していないかどうかを魔法官らが「精査」の魔法を使って調べてはいる。その時には、なんの異常もなかったのだそうだ。
アネルの言によれば、こちらの「精査」魔法よりも、あちらの風竜の眷属としての魔力のほうが遥かに上位のものだったために、彼女の体内に隠された「風竜の結晶」の存在もうまく誤魔化されてしまったらしいとのことだった。
しかし、それもこれも、今ごろ分かったところですべてはあとの祭りである。
「『竜の眷属』は、古来よりここ数百年もの間、古文書などの記録にもでてきてはおりません。つまりはそれだけ、稀有な存在だということです。まさかここで、本当にそんな者が……しかも、あのような人物の身を纏って顕現してしまうとは――」
アネルは大いに悩ましげな顔になっていた。
レオンとアルベルティーナも、無意識のうちに目を見合わせて、やはり困った顔になった。
アネルの渋面も、無理のない話だった。
ミカエラには明らかに、はっきりとしたレオンへの執着と、それと表裏一体の、アルベルティーナに対する激しい敵意がある。先日は一旦諦めて退いてくれたとは言え、今後また、どのような攻撃を仕掛けてくるかは未知数だろう。
「このことが今後、この国とあなた様にどんなことを引き起こすことになるものか……。ミロスラフ王陛下からは、今後、水竜王宮を『水竜の盾』によって防衛するとのお話を承っておりますが、それとていつまでも続けられることではありませんし……」
「…………」
レオンとアルベルティーナも、思わず沈黙した。
そうなのだった。
どの属性の結晶もそうなのだが、「竜の結晶」は、数に相当の限りがある。竜の遺物そのものが非常に稀有なものであるために、それを抽出して作られる「竜の結晶」は恐ろしく高価な品になってしまうのだ。
大きな魔法を使おうと思えば当然その消費量は増えてしまうのだが、それを続けていたのでは、水竜国の国庫はあっというまに空になることだろう。
「も、……申し訳、ございませんっ……!」
遂に、アネルが耐えかねたように椅子から下りて、床に平伏した。勿論、レオンに対してである。
「父さん……?」
レオンは驚いて、そんな父を見下ろした。
アネルは肩を震わせるようにして、額を床にこすりつけている。
「すべて……すべて、わたくしの愚かな判断によるものです! わたくしが、あの時、あなた様の剣の師範からどんなに勧められても、あなた様をこの王宮へ仕官などさせていなければ……!」
アネルは喉を絞るようにして言った。
「愚かでした……。まことに、愚かなことを――」
「…………」
レオンは、またもやこの養父から臣下としての態度を見せ付けられて、暗澹たる気持ちになった。彼がこのような態度になるたびに、レオンは抜き身で心に斬りつけられるようにして、嫌でも互いの距離を感じずにはいられなかったからだ。
「……父さん。どうかもう、それは――」
まだうまく身体が動かず、ただ片手を上げて父を制するようにする。が、アネルは頭を上げなかった。
「お許しください……! お育ちになるにつれ、あなた様があまりにも、剣の腕といい、そのご容貌といい、どんどん父王陛下に似ていらっしゃるのを見ているうちに……、その輝くような才を、あのような下町に埋もれさせてしまうのは――あまりに、あまりにお労しく思ってしまい……」
父はもはや、泣いているようだった。
背後のアルベルティーナが見かねたようにその側に跪いて、彼の背中をさするようにしてくれている。
「ほんの少し、日の目を見ていただくぐらいのことならと、安易に仕官の道を開くような真似を……。まことに、臣の不明にございました。どうか、どうか、お許しを……!」
「父さん! もう、おやめください……!」
遂に、レオンはきつい口調でそれを制した。
堪らなかった。
「勘弁してくれ」と思った。
アルベルティーナは、しばらく気の毒そうな目でそんなレオンとアネルとを見比べるようにしていたが、やがてアネルに言った。
「さ。……立ちましょう。ね? アネル……」
それは、ごく優しい声だった。
「はい……。申しわけございません、姫殿下……」
父はここしばらくで、一気に老け込んだように見えた。その頬はこけてやつれ、ひどく疲れてもいるようだった。
「今後のことはまた、陛下ともご相談せねばなりませんでしょう。今は、殿下もいま少し、お体をお休めくださいませ。では、わたくしはひとまずこれで……」
そう言って、アネルは結局最後まで臣下としての言葉遣いを改めないまま、悄然と肩を落として、静かに退室していった。





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