4 王子アレクシス
「親睦の宴」は、主にエドヴァルトが取り仕切るような形で、彼自身の子息ら数名もまじえ、各国のお国柄や文化、商工業や農業、また今の領地支配の問題点等々について、お互いあまり踏み込みすぎない程度に情報交換するような形で進んだ。
アレクシスはと言えば、大抵、だれに水を向けられても頬に冷笑するような笑みを浮かべて、ほとんどまともに相手をする気もない様子だった。
しかし、アルベルティーナが弟の答えられないような少し難しい質問に代わりに答えたりすると、その王子は赤褐色の鋭い眼差しでこちらを射るように見つめ、小馬鹿にしたように鼻で笑うのだった。
かの火竜の国は、これら五大竜王国の中でも特に、女性の地位が低いと聞く。
他の国々では歴史的になかったわけではないのだが、ことあの国に限って言えば、女王が君臨したという過去の記録は一切ない。女は男の身の回りの雑事をこなし、子を作る道具である以上のことなど何も求められてはいないのだ。
見目さえ良ければ、女など頭の中身がどうであろうが構わない、要は獣じみた肉欲の対象か、己が血を残すための道具でしかありえない。
故国で隣国のそうした情報を聞いたときには、さすがのアルベルティーナも虫唾が走ったものだった。
それがこうして、現実に目の前で「女ごときが賢しらになにを言うか」と言わんばかりの視線を投げつけられてみると、身体じゅうに悪寒を覚えるほどに不愉快だった。
それに、間違いなく気のせいではなかったが、王子の視線はまぎれもなく、アルベルティーナの顔だけでなく、終始、その身体の上にもねっとりと纏わりついているのだった。
今、きちんと着ているはずの薔薇色のドレスが、なにかとても心許なかった。アレクシスのその陰険な視線は、明らかに自分の想像の中でアルベルティーナの着ているものを一枚ずつ、脱がせているのに違いなかった。
(気持ちが悪い……!)
腹の底ではそういう態度にむかむかしつつも、「いまこの場を乗り切ればいいだけのこと」と割り切って、アルベルティーナはあえて彼の相手はせず、目線もそちらへは投げずに、なるべく必要なことだけを話した。
そして、ある種の確信を持った。
伯父の目的は、おそらくこのアレクシス王子だったのだ。
というか、この王子の為人を、自分の目でも直接に見極めつつ、他国の者らにもある程度知らしめておこうと、そういう意図が含まれていたのに違いない。
この王子は火竜の国の第三王子だということだったが、彼の態度を見ていれば、かの王家の内実がある程度は透けて見えるというものだ。
事実、この王子は先ほどから、テーブルに出された菓子や飲み物などにいっさい手をつけていない。彼の側には毒見役らしい青年が立っていて、控えめにそれらを口にしては、王子にそっとなにかを囁いているのを何度も目にした。
なんとなくではあったけれども、アルベルティーナは、それは何もこのドンナーシュラークによって殺害されることではなく、むしろ身内の誰かによる毒殺を警戒してのことのように思えてならなかった。
それはつまり、火竜の国の誰かが、この王子の死を望んでいるということだ。
そう考えると、彼女は背筋に走る寒気を禁じえなかった。
今、かの王家には、次期国王の座を巡ってなにやらきな臭い動きがあるという噂がある。第三王子であるこの少年も、否応なしにそれに巻き込まれ、その身に火の粉が降りかかっているということなのだろうか。
今はそのあたりのことは確かめようもなかったけれども、少なくともこの王子の尊大さとこの場でのありようを見る限り、かの王家の内情のいくらかは確かに窺い知れようというものだった。
ここに集っている他国の子息らの口を介して、雷竜王エドヴァルトは諸国へある種の警告を発しつつ、「ゆえに我らは更なる強固な協力関係を築いてゆかねば」等々の、様々な暗喩めいた意思を伝えてもきているのだろう。
他国の王子らがこの意味を洞察できず、また咀嚼もせずに帰国するようなぼんくら揃いだというのなら、その国はそれまでのこと。未来の多寡など知れていよう。それはそれで、もはやエドヴァルトの知ったことではないということか。
(やっぱり、ちょっと怖い方だわ。エドヴァルト伯父様――)
つまりは、そういう事なのだった。
どう見えようが、彼とて紛れもなく一国の王。
そうそう舐めて掛かっては、後々えらい目に遭わされることは必定だった。
◆◆◆
そんなこんなで、様々に波乱含みではあったけれども、大きな混乱を招くこともなく、どうにか「親睦の宴」は終了した。
伯父とその王妃には申しわけなかったけれども、アルベルティーナは一刻も早くその場を辞したくて、弟を少し急かすようにして席を立った。周囲に、連れてきていた自国の武官らが集まってくる。
エドヴァルト王は例によって、それぞれの王子にわざわざ出向いてくれたことをあの方言まみれの軽い言い回しで感謝して回り、少し急ぎ足にこちらにもやって来た。
そして同様ににこやかに今回の礼を言ってくれた後、そっと声を潜めてこう言った。
「アルベルティーナ。そない急がんと、ちょお、待っといてくれへん? 宮殿の入り口まで、みんなして一緒に送らしてもらうよって。……な? 悪いこと言わへんし」
そうしてぽんぽんと、軽く肩を叩かれる。
「え? あの、伯父様……?」
伯父を見上げたアルベルティーナは、思わずぎくりとした。
彼の顔は、確かににこにこ笑っていたけれども、自分の目に狂いがなければ、その瞳だけはそうではなかった。その奥にははっきりと、何かを警戒する色が浮かんでいた。
その視線の先をそっと追うと、今しも部屋から大股に出て行こうとするアレクシスの紅のマントが翻るのが見えた。そのマントがすっかり視界から消えてから、改めてエドヴァルトはこちらを向いてまた言った。
「あんまし、子供にこないな事、言いたなかってんけども。火竜の国の女子の扱い、結構ひどいて聞くからな。なんぼ王家の娘や言うても、手篭めにでもされてもうたら、あとは泣くしか無うなるよって」
「……!」
(な、何を……!?)
アルベルティーナは、戦慄した。
いやまず、自分の耳を疑った。
いまこの伯父は、さらっと凄まじいことを言わなかったか。
(手篭め……?)
まさかそんなにこにこ顔で、この男がそんな単語を口にするとは。
それは王家の娘としても女としても、聞き捨てならない言葉だった。
まさかとは思うのだが、伯父はいま、アルベルティーナの身を、その貞操を懸念してそう提案してくれているということなのだ。
エドヴァルトは言葉を続けている。
「王族やから言うて、あんまし安心せんほうがええ。王族やからこそ、『他所の国の王子に傷モンにされた〜』なんぞ、公にできへんやん。そのまんま、クヴェルレーゲンの威信の問題になってまうやろ? お父ちゃんの面目、丸つぶれやろ?」
「…………」
「ほしたらアレや、もう有無いわさんと、あんた速攻、あっちの国に輿入れっちゅう話になってまうで。それでも『イヤや』いうて断ったら、今度はあっちがあんたの噂を国中にばらまくっちゅうて脅してくるやろし」
アルベルティーナは無言のまま、ただにこやかに紡がれるその恐ろしい予言を聞いていた。
「それでも『イヤや』て断ってみ。今度は代わりにどこぞの土地やら権益やら、よこせっちゅう話になってまうわ。そないなったらもう八方塞がり、お手上げや。そんなん、イヤやろ? アルベルティーナ」
伯父の表情は優しかったが、両手をひょいと上にあげて「降参」の姿になった彼の目は、やっぱり冗談を言う人のそれではなかった。
(……いや)
今度こそ、正真正銘、本物の悪寒がアルベルティーナの身体を駆け抜けた。
(絶対に……いや!)
あんな男に汚された上、そのもとに輿入れするなんて。
まったく、想像の埒外だ。
そんなことをするぐらいなら、いっそ自分は死を選ぶ。
(いえ、……だめだわ。)
それこそ、自分が勝手に死んだりすれば、あの火竜国は大喜びで「だったら『蛇の尾』を寄越せ」と父に対して求めるばかりのことなのだ。
つまり、自分には死すらも許されなくなる。
アルベルティーナは沈黙して、きつく唇を噛み締めた。握った拳の中に、じっとりと汗をかいていた。
そんなアルベルティーナの様子を見て、エドヴァルトはちょっと宥めるような声音でこう言った。
「これからは、武官ら、なるべく沢山、いつも身近に置いときや。昔から言うやんか。『鳩のように純真に、しかし蛇のように用心深く』てな。ほんで、一刻も早う、あんたの故国にお帰りよし。うちからも、兵隊ら大勢付けさしてもらうよってに」
「あの……」
蒼白になったアルベルティーナを、ちょっと困った笑顔を浮かべながらエドヴァルトは見下ろすと、ぽりぽりと頭など掻いて見せた。
「ほんま、すまんかったなあ。実はワシもあの王子、あっこまでゴンタくれのぼんぼんやとは思うとらんくて」
伯父は心から申しわけなさそうな顔だった。
「やっぱし、キミみたいな綺麗な子ぉは、こういう席に来させるべきやありゃせんかったわ。ほんま、堪忍してや? お父上にも、アホな義兄貴が謝っちょったて言うといて?」
言ってまた、目の前に手刀を立てると、ちょっといたずらっ子のように片目をつぶり、伯父は早足に、また他の王子らのもとに行ってしまった。
◆◆◆
一行の滞在先である離宮へ、エドヴァルト王からその要請が届いたのは、「親睦の宴」のためにエーリッヒとアルベルティーナが宮殿に出かけて二刻半ほど経ったころだった。
王は何故か、離宮に戻る姫ら一行を、クヴェルレーゲンからついてきている警護兵みなで迎えに来いとの仰せだった。すでに二人には十名ばかりの警護兵をつけてあったわけなので、これは奇妙な要請だった。
小隊長である上級将校もやや怪訝な様子ではあったものの、使いの者はアルベルティーナの筆跡による承諾書まで持っていたし、要請があった以上は仕方がない。王族警護の一個小隊はすぐに召集されて、命令に従ってドンナーシュラーク宮殿の正門前に整列し、そこで姫らを待っていた。
当然ながら、レオンもその隊列の中にいる。
しばらく待つうちに、やがてアルベルティーナとエーリッヒの姿が現れ、あの見るからに明るくて頓狂な国王の姿も見えた。その隣には、黒髪の美しい貴婦人と、その侍女らしい少女の姿も見える。
彼らだけでなく、その周囲にはあちらの国の警備兵らも、物々しい様子でついてきている。それは、ちょっと異様な光景に見えた。それでも、当のエドヴァルト王はただにこやかになんの拘りもない様子で、足取りも軽くアルベルティーナとともにこちらへと歩いて来るだけだった。
やがてふたりをこちらの警備隊に確かに預けてから、国王はちょっとこちらを見回すような様子で、何の気なしにといった調子でこう言った。
「あ〜。えーと、レオン君。おる? おったらちょっと、こっち来てくれへんかいなあ」
見れば王はひょいひょいと、無造作に「来い」の仕草で手を振っている。
(………!)
レオンは、瞬間的に身体の強張るのを自覚した。
まずい。
かの王の隣にいるのは、恐らく間違いなく、彼の王妃であるその女だ。
父に言われた厳命が今さらのように脳裏に閃いた。
『決して、表立って人に顔を見られることのないようにしなさい。とりわけ、あちらの王妃様と、その側仕えの者らには』――。
とは言え、ここで引き返すことなど、もはや自分には不可能だった。
これもすべて、まさか王宮の入り口にまで王が王妃を伴って出てくるなどとは思いもよらず、のこのこと小隊とともにやって来た自分の咎だ。そんな自分の浅慮を呪うほか、この場のレオンにはもう出来ることもなかった。
(父さん……。申し訳ありません――)
レオンは一度目を瞑り、ぐっと拳を握り締めた。
奥歯を噛み締め、一瞬のうちに覚悟を決める。
そうしてきりっと顔を上げ、「は。こちらに」と声を掛けると、大股にそちらへ歩いていった。





夏休みのオトモ企画 検索ページ