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2 焦燥




「お〜う。邪魔するぜ」


 そう言ってその部屋に足を踏み入れた途端、ファルコは室内にあふれかえった衣装の山にうんざりした。


 風竜国の王都、フリュスターン宮。

 その奥の宮にも程近い一室に、いまその女の居室はある。

 基本的に、武官の男がそんな場所へ堂々と足を踏み入れることは許されないのが普通なのだったが、この男だけは特別にそれを許されていた。

 

 この男がその巨躯を窮屈そうに軍服につつみ、相変わらず鷹に喩えられるような金色に光る目で大股に宮殿の廊下をゆくと、そこここに立った衛兵たちはそろって折り目正しい敬礼をするのだった。

 そういう堅苦しい真似は必要ない、と何度この男が言ったところで、兵らはまったく、それをやめようという素振りさえ見せなかった。

 まあ、無理からぬ話ではある。

 なにしろ彼は、今や新王レオンハルトの側近の一人になってしまっているのだ。

 しかも、隣国、土竜王との関係も深く、このたびのレオンハルト王即位に至る顛末の中でも、作戦中、大きな位置を占めてきたことは周知の事実となってしまっている。

 まったく、土竜国の王からの要請を受けて、ただの「何でも屋、探し屋」として山中であの男と初めて出会った頃から考えると、大した立場の変わりようだ。


(……やれやれ)


 ちょっと内心うんざりしつつ、ファルコはばりばりとその茶色い毬栗頭いがぐりあたまを掻いた。

 もとはいくら王家に近い貴族の家に仕えた武官の子だとはいっても、自分はあのレオンとは違って、せいぜいが平民に毛の生えた程度の出自なのだ。こういう待遇は、はっきりいって尻のあたりがむずむずするばかりで、どうにも据わりが悪いのだった。


「あら、ファルコ様。いらっしゃいませ」

「では、ミカエラ様、またお衣装えらびは後ほどといたしましょう」

「わたくしたちは、これで……」


 ファルコがやってきたことで、それまで女の周囲にいた召し使いや侍女たちが、手に手にやたらとぴらぴらした髪飾りだのドレスだのを持ちながら、潮のひくようにして部屋から出て行った。なんだか、申し合わせたかのようだった。

 部屋には、あふれるように置かれた衣装にうずもれるようにして長椅子に座っているその女と、ファルコだけが残される。女はひどい膨れっ面に見えた。

 周囲はもう、長椅子や卓の上までぎっしりと、金糸や銀糸で豪奢な縫い取りのほどこされたドレスやヴェール、西方でとれる真珠をあしらった髪飾りやら飾り帯などが、なだれを起こさんばかりにして置かれている。


「婚礼用の衣装選びか? どんだけ着替えるつもりだっつの。身体は()()()しかねえってのに。女っつうのは大変だねえ――」

「大きなお世話よ」


 ファルコの面倒くさそうな問いかけに、さらに苛立ちを深めたような声で女が答えた。


「機嫌(わり)いな。なんだってんだよ」

「…………」


 女はやっぱり膨れっ面で鼻を鳴らすと、ひどく物憂げな顔で、どんよりと曇った窓の外の空を見たようだった。





 あの、風竜国と土竜国を巻き込んでの大事件だった<竜たちの夜>以降、翌月の<風待ち月>をもって、レオンハルトは風竜王に即位した。


 レオンの血筋については、あの「風の峡谷」で翠に光る見事な黒竜に変化へんげした姿を晒したことで、もはや誰の目にも明らかになった。二頭の神竜の加護をうけて竜に化身することができるのは、この五竜大陸にあっては、王族のほかにはありえない。

 既得権益を手放したがらない貴族連中からの反発は当然避けられない話ではあったけれども、理は間違いなくこちらにある。かつてヴェルンハルト王一家を弑逆したことによって得た権益に、なんらの()()も認められようはずがない。


 しかしそれでも、もちろん、相当のすったもんだはあった。

 そもそもが、理非曲直を説いて納得するような連中であれば、二十数年前にあのような非道の真似をしているはずがないのだ。

 だから当然、そこで行なわれたのは互いの利害の摺り合わせだった。

 奸臣ムスタファについては、あの風竜の神域で直接にゲルハルト王に対して弑逆を謀ろうとしたかどで、王宮にもどり次第、即刻に投獄された。彼の手下てかだった侍従、いやその実、暗殺者だった男も同様である。


 そこでこのファルコをはじめ、コンラディンやベリエス、アネルなどのレオンの側近らが行なっているのは、あのムスタファの懐柔である。

 実を言えば、身体的な拷問という手段については当初から却下されていた。ムスタファのあの年では、ほんのちょっとした尋問だけでもあっけなくあの世に行かれてしまっておかしくはないからだ。それではいかにも具合が悪いことになる。

 だから行なっているのは、主に精神的な「責め苦」だろうか。

 つまり、「貴様から必要な証言をとる代わり、貴様の親族らの今後の待遇について、それなりの『誠意』を示してやれるがどうか」といったような話を、日々延々と、あの老人には仕掛けているというわけだ。


 ムスタファ本人については、いずれは処刑せざるを得ないというのが大方の見方ではある。したがって、あの老人が生きている今のうちに、彼の口からなるべく多くの過去の事実や、周囲の貴族らとのつながりを聞き取っておくことが肝要なのだった。

 そうやって今後の王権の礎に亀裂を招きかねない事態、つまり後顧の憂いを払っておくことが、目下のファルコらの使命だと言っても過言ではない。


 王家の人々について言えば、こちらの反応は意外にも、貴族連中よりもはるかに()()なものだった。

 王太子ブルクハルトをはじめ、ゲルハルト側の妃やら子供たちは、ゲルハルト王のこれまでの苦悩を実はよく知っていた。だから、ゲルハルトがもしかすると、かつて兄王を弑逆していたのではないかということも、薄々は感じ取っていたのかも知れなかった。


 とはいえレオンは、ゲルハルトが父ヴェルンハルトを殺したなどという話は、ちらとも匂わせすらしなかった。

 彼は飽くまでも、あれは静養に向かった先で、山賊などの野盗によって突発的になされた事件に過ぎず、裏になんらの王家や貴族らの関わりはなかったと、対外的にはそういうことで話をつけたのである。

 だから建前上、これはひとえに、その事件で生き残ったレオンハルトにその正当な権利としての王権を恢復かいふくさせる、そういう話に過ぎなかった。

 

 それから、レオンはもちろん、アネルの一族への疑いをも晴らし、生き残っている彼の親族一同を王都に呼び戻して地位を回復させた。

 同様にして、かつてその事件によって地位を追われたり、所領を奪われたりしたヴェルンハルト派の貴族たちについても、調べられるかぎり調べあげてもとの地位にもどすようにと臣下の皆に布令を出した。

 かの事件にまつわる苦境の中、貧しさのあまりに人身売買の憂き目にあった貴族の子女たちについても、可能なかぎり探し出し、「買い戻す」ための捜索が現在も続行中である。


 当然ながら、ここ二十数年の権益を奪われることになった貴族連中からの不満は怒涛のようにわき起こった。実際、若い貴族連中の中には、血気にはやり、私兵を集めてレオンに対抗しようとする動きもなかったわけではない。

 しかし結局、「ではかつての事件の首謀者を()()()()させて、そなたらの一族郎党、かつて凋落した貴族らと同様の憂き目を見せるがどうか」と内々に打信してやれば、彼らもしぶしぶ黙らざるを得なかったのだった。

 事実、すでに相当のことはムスタファの口から語られており、こちら側ではいつでもそれらの「事実」を公表する用意があった。そんな訳で、大いに後ろ暗いところのある貴族らは、自分たちもいつムスタファ同様の縄目を受けることになるかと戦々恐々としていたのである。


 この王国内には、当然ながら、もとヴェルンハルト派だった貴族たちと、ムスタファ派だった者らとの確執はいまだに残っている。それはまあ、やむを得ない話だろう。数十年、いやことによると百年以上にも及ぶ両派の対立が、そうそうすっきりと消え去るなどということはありえないからだ。

 しかし、とりあえずどうにかこうにか、新しい王のもとであらたな文官、武官らも任命され、国政もよちよちと歩み始めているというところだろうか。


 王国軍元帥の筆頭にはあのコンラディンが座り、文官の長たる宰相の任はベリエスが拝命することとなった。宰相職については、レオンとしては「できればアネルを」という希望があったようだったが、アネル自身がそれを固辞した。

 アネルは、「もともと養父として、家族として陛下と生活してきた自分では、陛下が私情で人事を決定されていると見られかねない」と、なによりそれを危惧したらしい。

 それはもっともな話だった。それで、彼は以前と同様の、医術魔法官として、元の名前であるエリクに名を戻し、再び王家に仕えることになった。

 まあそれでも側近は側近なのだが、この際、元帥コンラディンや宰相ベリエスほどの力は持たないということが、なにより重要なのだった。



(ま、そんでこの女の相手までなんざ、する暇ぁねえだろうがよ――)


 そうなのだった。

 このような中、レオンは当然、非常な多忙を極めている。

 もともと理知的で真面目な性格の男なだけに、まさに日々、寝る間も惜しんで粉骨砕身という風に見えるのだったが、ファルコなどからすれば片腹痛い。「もうちょっと肩の力を抜きやがれ」というのが正直なところだった。


 人の上に立つ者には、それ相応の器量というものが要る。

 それは、自分よりも能力のある者を見つけ出し、その能力を認めて相応の見返りと誉れと矜持を与え、そこに働き甲斐を与えてやること、に尽きるだろうか。それには、己の才だけで突っ走る以上の度量と謙譲の心、そして人を見極める目が必要だ。

 そういう度量についてだけいえば、別に国王だけでなく、商業ギルドの首魁だろうが夜盗や山賊連中のかしらだろうが、基本的に求められる能力は似たり寄ったり。それがファルコの考え方である。

 まあ、かの若き王には、まだそこまで望むのは可哀想かも知れないが。

 そこが若さの良さでもあり、また悪さでもあるというところか。


(こいつのことも、そうだよなあ)


 そうなのだった。

 このミカエラの件についても、あの王は、その「クソ真面目さ」を遺憾なく発揮してくれている。

 レオンはかつて、あの水竜の姫の前で「この女を正妃にする」と宣言して以降、このことについていっさい言質を翻していない。

 婚礼の日取りなども、臣下らに命じて着々と決めてしまい、ミカエラに対しても、

「国庫財源は逼迫している。ゆえにあまり派手な婚礼にはできないが。できるだけは希望に添う」

 とひと言いって、彼女の側付きとして経験豊かな侍女や召し使いをつけ、「万事、怠りなく準備せよ」と申し付けたらしい。


(ほんっと、しょーがねえな――)


 ファルコは、まことに頭が痛い。

 あの男の、あのくそ真面目さだけはどうにかならないのかと思う。

 「もうちょっと女心の勉強をしろ」と言った、自分の忠告など右から左か。


 この女がもはや、そこまでレオンとの婚儀にこだわってはいないことなど、顔を見ていれば分かるだろうに。いや、そもそも忙しすぎて、ゆっくり女の顔など見ている暇もないのかもしれないが。

 実際彼はここのところ、執務室に籠もって仕事をしているか、各地の視察に走っているか、新たな王として各地の貴族や商業ギルド連中との顔合わせやらで不在にしているかのどれかなのだ。

 なにしろ竜の身になれる身体になったもので、思い立ったらその場で黒竜に変化へんげして、あちこち自在に飛びまわれる王だというのも、これまた始末に悪いのだった。

 あれで隣国の領土を侵そうなどという妙な色気のある王だったらと思うと、他国の王らもさぞやぞっとしないことだろう。これのお陰であの火竜のぼんぼんが多少静かになってくれたのは、まあ万々歳というところだが。

 かつてあのアレクシスが雷竜国と水竜国から奪い取った領土についても、返還のための交渉がすでにかの三国の間で着手されているとのことである。

 

 まあそんなこんなで、レオンハルト王はご多忙なわけだ。

 食事すら、まともに王族の食卓で摂ることもないらしい。

 執務室で書類を片手に、片手で食べられるようなものを口にすることがほとんどなのだとか。これではミカエラと話をする機会などほぼないのに違いない。

 まあ竜の身になって、只人のような睡眠時間も食事も、さほど必要とはしないらしいのはいいのだが。

 それでこの女と話をする時間もなくなっているのだとすれば、なにやらもう、皮肉としか言いようのない状況だった。


 ファルコはちょっと半眼になり、部屋のなかでこちらを睨んでいるミカエラをちらりと見た。


(最近じゃもう、うまい具合に()()()()()()きてんのによ――)


 ファルコの見たところ、この女はもう、レオンの正妃になることには拘っていない。

 ただ、どうにもそう言い出す切欠きっかけをつかめないまま、ここに至ってしまったというだけのことなのだ。

 それが証拠に、この通りこの女は、こうして毎日続いている婚儀の準備が苦痛でたまらないばかりになっている。

 これほど豪華でたくさんの、宝石をちりばめた宝飾品だのドレスだのを見たところで、ひとつも心が浮き立たないのだ。


 それはもう、答えが出ているとは言わないのか。


 ファルコはそこでまた、黙ってしばらくミカエラを見ていた。女は色とりどりのドレスを見下ろして長椅子に座り込んだまま、鬱然と俯いている。

 その指先が、さもつまらなさそうに、リボンの縁飾りになっている真珠をつまんで玩んでいた。


 ファルコはちょっと顎など掻くと、ちらっと何もない天井を見上げた。

 そして、何の気なしにぽろっと言った。


「……逃げるか? 俺と」


 ミカエラがはっとしたように、ぱっと顔をあげてこちらを見た。

 その台詞は本当に、勝手に口から転がり出てしまった感じだった。

 ちらりと「しまった」とは思ったが、もう後の祭りだった。


 女の瞳に、今まで失われていたあの生気が甦ってきたのを見てとって、ファルコは苦笑する。


(……ほんっと、分かりやすいねえ――)


 とは言え、自分も処刑はされたくない。

 相手は曲がりなりにも、これから王の妃になろうかという女なのだ。それを勝手に攫って消えたりなどした日には、この風竜国の追っ手から一生付きまとわれる羽目になる。

 そして万が一、捕まりでもした日には、自分の首と胴とは早々に、永遠のおさらばという憂き目を見るは必定だ。

 それはさすがに御免だった。


 そんなわけで。


「一応、作戦、考えようや。……な?」


 そう言って、ファルコは首を回し、ごきごき言わせながらその女に近づいた。


 女はやっぱり、無言だった。


 しかしそれでも、その唇に、

 今まで見たこともないような、

 綺麗な笑みを浮かべていた。



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