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2 一触即発




 周囲の驚くべき様相に、会談の場に集まっていた将兵らはしばし目を奪われていたが、やがてゲルハルト側の兵を纏めているらしい将軍が、ファルコたちの様子を見て顔色を変えた。


「きっ……貴様ら! ムスタファ閣下に、いったい何を……!」

「……お」


 そこで初めて、ファルコたちも自分たちがムスタファの太った体と、彼の子飼いの暗殺者の男を縛り上げ、足許に転がしていたことを思い出した。彼らには、ファルコが向こうに居た段階でとっとと猿轡を噛ませている。

 テオフィルスとヤーコブは、ここに到着してすぐに、それぞれ百名ばかりの自分の手下てかの将兵のもとへ戻って、彼らを落ち着かせるべく、その指揮に当たり始めていた。


「無礼であろうが! 何をしておる! 閣下の縄をすぐにお解きせんかッ!」

 フリュスターンの将軍が胴間声でそう叫ぶと、ムスタファとともに「竜眠る山」へ来ていた兵士らは戸惑った様子でファルコや元帥コンラディンの顔を窺うようにした。

 コンラディンがゆったりと落ち着いた様子で男らに頷いて、相手の将軍に向き直った。


「申し訳ないが、それは承りかねる。このムスタファめは、あの山においてこの男とともにゲルハルト陛下をしいしようと試みた。我らはその場でそれを阻止し、即刻捕らえたまでのこと」

「な、なに……?」

 あちらの将軍が、さっと顔に緊張の色を走らせた。

 コンラディンは言葉を続ける。

「ご存知でもあろうが、弑逆の罪は非常に重い。陛下らのお戻りを待って、直々にご裁定を受けるまではこのままにせよと申しつかっている!」


 空に広がる黒雲と雷鳴の音で非常にやかましいため、コンラディンも相当な大声を張り上げている。

 それでもともすれば、その声は遠くの轟音にかき消されそうに思われた。


 相手の将軍は、それでもまったく疑念を払拭したようではなかった。その目は疑いを拭えないまま、凄まじい怒りを湛えてこちらを睨んでいる。

 まあ、ムスタファ自身に語らせることができればいいのだろうが、この爺いは非常に危ない。それこそ、この機に乗じて「こやつらこそが奸悪よ」と、あることないこと言い散らし、こちらを「悪者」に仕立て上げるなどはお手のものだろうからだ。

 決してここで勝手なまねをさせるわけにはいかなかった。


(……まずいな。)


 ファルコはちらりと周囲の将兵らの様子を見渡して、首筋のあたりにぴりぴりと嫌なものを感じていた。

 こちらの兵士たちもそうなのだが、この予測を超える天変地異のこともあって、みな相当に苛立っている。すでに自分の身を守るためにか、腰の長剣やら槍、弓などを手にして殺気立っている者もいるようだ。

 ここで妙な諍いになれば、たかだか数百の将兵同士とはいえ、いきなりの戦闘になだれこんでしまってもおかしくはない。そして、一旦小競り合いが始まってしまえば、それはそのまま、この国の内乱に発展しないとも限らないのだ。

 まさに、一触即発。

 このままでは、いかにもまずかった。


(しょうがねえな――)


 相手がたの将兵らと、こちら側の兵らの距離は、およそ二百ヤルドほどである。

 ファルコはぐいと足を前に踏み出すと、大股にずんずんと進んで、彼らの中間地点あたりまで歩いていった。

 そこでぴたりと足を止めると、ファルコは仁王立ちになり、先ほどのコンラディンよりもはるかにでかい胴間声で朗々と怒鳴り上げた。


「こっちの元帥閣下のおっしゃる通りだ。慌てんじゃねえ。こっちは嘘なんぞ言ってねえしよ。んな事よりも今は、ここで争ってる場合じゃねえぞ。そうだろうが」

 そしてぐいと、暗黒の雲の渦の広がる頭上を顎で示した。

「見てみろ。空じゃあ神竜さまが大暴れをなさってるんだ。こんなとこでちまちまいさかってたら、尾っぽで踏みつぶされっちまうぜ――」


 と、言いかけた時だった。

 ぴう、と風を切り裂く音がして、ムスタファの陣営から放たれた矢が数本、ファルコめがけて飛んできた。

 あちらの将軍が、「あっ」と声を上げたのが見えた。

 その途端、左肩に鈍い衝撃が走った。

 もう一本の矢はファルコの額の左側をかすめ、つきりと熱い痛みを覚えた。

 一応は矢筋を見て身をかわしたのだったが、どうやら躱し切れなかったようである。

 周囲の地面には他にも数本、矢が突き刺さっている。


 鷹の目を怒らしてあちらの陣営を睨みやれば、蒼白になってがたがた震え、自分の手許を見つめておろおろしている、まだ若い兵士の顔が飛び込んできた。

 恐らく、恐怖のあまりについ弓弦ゆんづるを引いた手を離してしまったというところなのだろう。他にも似たような顔をしている兵が数名いるようだった。


「ファルコ……!」


 背後で高い声がして、次にはもう、目の前に小柄な女が立っていた。

 瞬間的に、魔法で移動したらしい。ミカエラだった。

 ミカエラは、ファルコの肩に突き立っている矢を見るや、その菫の瞳を竜のものに変えて、ぎらっとあちら陣営を睨みつけた。

 そして、がっと右腕をあげ、自分たちの前に風の魔法による「盾」を出現させてから、矢を射た青年に狙いを定めたようだった。

 が、ファルコは即座にその腕を横手からがしりと握った。


「やめろ」


 額の脇にできた傷から、たらたらと血が流れ落ちて目に入る。

 それでもぐいと顎をしゃくって、ファルコはミカエラに相手の青年を指し示した。


「見りゃ分かんだろ。わざとじゃねえんだ。勘弁してやれ」

「でもっ……!」


 唇を噛み締めてこちらを見上げてくる女の顔を、ファルコは肩の痛みなど毛ほども感じていないかのような笑顔で見下ろした。


「いいってことよ。『やられたらやり返す』、んなことばっかしてたんじゃ、人生、らちがあかねえだろ」

「…………」

「お前だって、そりゃあいろんな目に遭ってきてよ。相当、復讐はしまくってきたんだろ。……そんで? ちゃあんと気は晴れたのかよ」

 ミカエラが、急にはっとしたように眉を曇らせた。

「気分が良かったのなんて、どうせちょっとののことだったろうが。……違うかよ」

「…………」

 ミカエラの表情は、まさに「図星」と言っていた。


「そりゃまあ、お前に散々なことしやがったブタ野郎どもに関しちゃあ、地獄送りが相当だろうよ。それはそれでいいとしてもだぜ。けどお前、水竜国クヴェルレーゲンやら雷竜国ドンナーシュラークやらで、関係ねえ奴らも相当、殺してきたって話じゃねえか」

「……!」


 ぎょっとしたようになって、ミカエラが目を剥いた。

 ファルコは自分の目が、今、金色に光りながらも氷のような色をしていることを自覚していた。


 ここで、逃がしてはならないと思った。

 この女を踏みとどまらせる、これが間違いなく殺所だと思った。


「考えたことあるか? そいつらにもちゃんと、連れ合いだの、きょうだいだの、子供だのがいたのかも知んねえってことをよ――」

「…………」

 ミカエラは沈黙している。

 菫の瞳が、きらきら光ってこちらをじっと見つめている。


「あの兄ちゃんをよく見てみな」

 ファルコはミカエラの腕を掴んでいないほうの手をあげて、相手陣営を指差した。腕を動かすと矢の刺さった肩に激痛が走ったが、ファルコは眉も動かさなかった。

「まだわけえ。子供に毛が生えたようなもんだ。あれじゃあ母ちゃんだって、相当若えだろうよ。そんな兄ちゃん、こんなことであっさり殺してみな。故郷くにで待ってる母ちゃんは、どんな風に思うのかってよ」

「…………」


 ミカエラは、黙ってそちらを見やった。

 相手の青年が、がたがた震えて真っ青な顔のまま、こちらを恐怖の溢れた目で見つめていた。


「なんでもかんでも、やり返しゃいいってもんじゃねえ。まして、関係ねえ奴を巻き込むな。一度、余計な恨みを買っちまったら、もう取り返しなんぞつかねえんだぞ。……命は、帰ってこねえんだからな」

 ファルコはひとつ息をつくと、一度だけぎゅっと眉間に皺を立てた。

「そんなことで、わざわざてめえの価値を下げんな。……お前はそんな、くっだらねえ女じゃねえよ」

「……!」

 

 ミカエラがはっとしたようにこちらを見上げた。

 それは分かっていたけれども、ファルコはそちらを見なかった。

 その目は、自分を間違って射てしまった、あちらの青年をじっと見ていた。

 彼方かなたで、その若い兵士が必死にこちらに頭を下げているのが見えた。


「…………」

 ミカエラもそれを見て、少し黙った。


 彼女の目から、次第に狂気の色が去ってゆく。

 きりきりと奥歯を噛み締める音が聞こえるようではあったが、明らかに彼女から戦意が失われてゆく様子を、ファルコは上からじっと見ていた。

 やがて、掴んでいた腕から力が抜けたことを確認してから、ファルコは彼女の腕を離した。そして、ごく惚けた声でこう言った。


「さぁて。ってことで、あっちとこっちの間に防御魔法ってのか? 掛けといてくれや。そんで、この草原全体も守る障壁が欲しいわなあ。何しろ神竜さまがた、容赦ねえし。頭の上でのんびり泳いでらっしゃるだけでも、こちとら踏み潰されかねねえ圧力だかんなあ――」

「……わかったわよ。しょうがないわね」


 ミカエラはさも不承不承といった顔でそう言って、言われた通りに魔法障壁を作り出し、草原全体を包むように半球状の「盾」で囲って、あちらとこちらとを仕切るように、ちょうど半分に分けたらしかった。

 やがてその仕事を終えると、くるりとこちらを振り向いて、膨れっ面でこう言った。


「でも、ちゃんと怪我の手当てもさせなさいよ! 一応わたくしにだって、少しは『治癒』が使えるんですからね」

「お。ありがてえ。よろしく頼むわ――」


 ぎりぎりと襲ってくる矢傷の痛みなど噯気おくびにも出さないまま、ファルコは女ににかりと笑い、片手をあげて見せたのだった。



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