2 月の砦
さて。
各国の王へ必要な書簡を届けるという重要な仕事を終えて、レオンたちへの報告を済ませ、ファルコはミカエラと共にそこを辞し、自分たちの部屋へと戻りかけている。
なんだか知らないが、ここのところファルコはこの女と行動を共にすることが非常に多くなっているのだ。まあ、この女自身がすさまじい魔力の持ち主であり、自分の身ぐらいは自分で守れるわけなのだから、「お付き」は他の武官でも構わないはずなのだったが。
と言うか、そもそも「お付き」が必要なのは、この女を他者から守るためではない。どちらかと言えばその逆で、この女が逆上したときなどにその暴走から他者を守ってやるためにこそ必要なのだ。
その上この女はこういう気分の上下の激しい性格と来ている。そんなこともあって、当の武官らのほうで、この気味の悪い「風竜の魔女」のそばにはあまり近寄りたがらないのだ。となれば自然と、この女の「お守り」のお鉢は自分に回ってくることになるのだった。
「う〜うっと。終わった、終わった。お疲れ、お疲れ――」
ファルコが両腕を上に上げて伸びをしながらずしずし歩くと、城砦の狭い通路がますます狭く見えるようだった。その隣をこの小柄な女がちょこまかと歩いているのは、恐らくかなり滑稽に見えることだろう。
しかしこの城砦に限って言えば、兵らはすっかりこんな風景も見慣れてしまって、この二人を見ても特に驚くような様子はなかった。
今のファルコは、一応以前のあの古ぼけた革鎧姿をやめて、レオンと同じ色合いの「風竜王国軍」の軍服姿になっている。別に自分としては階級などどうでもいいことなのだったが、意外やここまでの「功績」を認められて、なぜか上級将校などという破格の待遇にされているのだった。
はじめのうちこそ、ファルコの出自を知らない輩が「土竜のよそ者が」と白い目で見たりもしたものだったが、幸いファルコはそうした手合いを懐柔する腕には長けている。まあ言ってしまえば「飲み」に誘って、心胆を分かち合うのは得意だということだ。
とはいえ別に、策を弄する必要もなかった。子供時代にあのムスタファによって両親の命を奪われ、命からがら土竜国へ亡命せざるを得なかった過去を話せば、同様の苦労をしてきた兵たちは大抵がすぐに同情的になってくれたからだ。中にはもう涙ぐんで、「実は俺もな」と、己のつらかった昔話を吐露してくれるような男さえいた。
そんなこんなで、今ではすっかり、ファルコはこの軍に馴染んでいる。というか、下手をすれば貴族出身で規律にうるさく、近寄りがたい雰囲気のあるコンラディンやらベリエスなどよりも、下級兵からの人気ははるかに高いぐらいだった。
もちろん上級将校ともなれば、下に相応の部下もつけられている。とはいえファルコは普段からかなりの時間、この女と共に「特別任務」に当たらされるため、部下らは実質、副官の男にほとんど任せきりのような状態だったけれども。
「……いつまでついて来るつもりですの」
「ん? ……おお」
そう言われて目をやれば、もうこの女の居室の前だった。
ファルコは両手を腰にあて、小柄な女をわざとらしく見下ろす風を装った。
「んで? そろそろ話そうって気にはなったかい?」
「は? 何の話ですの」
女はむすっと膨れっ面になると、ぷいと顔を背けてそのまま部屋に入ろうとした。
「まあそう言わずによ。いい頃合いじゃねえか。とうとうレオンが、あのムスタファの野郎と顔を合わせることになるんだろ? あの爺いはあんたやレオンばかりじゃなく、俺にとっても親の仇なんだからよ。ここらでちょっと、毒は抜いといたほうがいいんじゃね?」
ぎらりと鷹の瞳を光らせてそう言ったら、ミカエラは扉の前で、小さな飾り靴を履いた足をふと止めた。
「親の……? あなたも、そうなのですか?」
「あれ? 話してなかったっけか」
そういえば、レオンたちに身の上を話したとき、この女はその場にいなかったのだった。今更そんなことを思い出して、ファルコはちょっと頭を掻いた。それでそのまま、拒否されないのをいいことにするりと女の部屋に入りこみ、ごく簡単にこれまでの自分の経緯を語って聞かせた。
部屋の中は、先日ミカエラが逆上して滅茶苦茶にしてしまった状態からはかなり片付けられていたけれども、壊れたものを相当に運び出してしまっているため、なんだか閑散として見えた。
ファルコの父がムスタファらの姦計にかかって命を失い、さらに子供だったファルコを連れて逃亡中に、母が山中で命を落としたという一連の顛末を、ファルコは女に向かって淡々と語った。その間じゅう、ミカエラは少し驚いた様子で、しかし黙って聞いていた。
「……憎んでは、いないのですか」
ファルコの話が一段落したところで、ソファに座り込んだミカエラはぽつんとそれだけを訊いてきた。
ファルコはにやっと笑って肩をすくめた。
「憎いか憎くないかって言やあ、そりゃ憎いわ。決まってんだろ? なんたって相手は親の仇だぜ。けどまあ、今度、ムスタファの爺いの面ぁ目の当たりにしたとしても、速攻殺すなんてアホな真似、間違ってもするつもりはねえよ。それこそ、筋が通らねえしな」
「筋……?」
そう訊かれて、ファルコは腕組みをしたままの仁王立ちの姿勢から、座ったミカエラを見下ろした。
「そう、筋。あの爺いにも、ゲルハルトにも、てめえのやっちまったことのケツは持たさなきゃなるめえよ。まあゲルハルトについちゃあ、ここまでで相当に反省もしてるみてえだし、今後のこたあアネルのおっさんが白黒つけることにしてるからいい。俺も、そっちはおっさんに任せることにした。が、ムスタファの爺いのこたあこれからだわな」
「…………」
ミカエラがきゅっと眉根を寄せて、またかちりと親指の爪に歯を立てたのを見て、ファルコは無意識に女に近づき、その手首をぐいと握った。
「……あ」
ミカエラが驚いてびくりと身体をすくめる。
「……おっと。悪い」
ファルコははっとして、すぐに手を離した。
「けど、やめとけよ。爪の形が悪くなる。せっかくキレーなんだからよ」
「え……」
ミカエラがそれを聞いて、びっくりしたように目を瞠り、きょとんとこちらを見上げてきた。
その妙に子供じみた反応に、ファルコは鳩尾のあたりがむずがゆくなるのを覚えた。
(……ったく。なんだってんだよ)
この女は、あれだけ自分からべたべたとレオンにはくっついていくようではあるが、実はあまり男に近寄るのも、触られるのも好きではないのだ。
そのことがもうすでに、この女の過去を物語ってもいることに、ファルコはとうに気づいている。
だから女のその話を聞きだすことに、これまでらしくもない躊躇もすれば、二の足も踏んできたのだ。
そちら方面では、結構な場数も踏んできたはずの、この自分が。
ファルコは知らず、またがしがしと頭を掻きながら、話題を無理やりもとに戻した。
「まっ、とにかくだ。それもこれも、王座にのぼるレオンが決着つけなきゃどうにもならねえ話よ。俺らが勝手に『仇だから、憎いから』って闇から闇に葬りゃいいってもんでもねえ。あの爺いには少なくとも、てめえのしたこと、きっちり分かってからあの世に行ってもらわにゃなんねえ。国じゅうのみんなに公表するかどうかは微妙なとこだが、そこの筋が通せなきゃ、殺す意味は半減よ。……だろ?」
ミカエラは黙って、何かを考えるような様子である。
「けど、今のまんまじゃあ、あんたは我慢できそうにねえわな? あの爺いの面みたら、即座に殺してしまいかねねえ。そうだろ?」
「…………」
「そんだけ、あんたの恨みは深い。そんくらい、見てりゃ分かるわ。でも、その場で殺すのだけは辛抱しなきゃなるめえよ。……どうあってもな」
ミカエラは、そっとファルコの目を見返して、その視線を揺らし、自分の膝を見つめるようにしてうなだれた。
「だから、言ってんだよ。ここでちょっとでも吐き出しとかねえか、ってよ。言い方ぁ変だが『同じ穴の狢』として、俺なら、聞いてやれるかもしんねえし」
「…………」
「ま、そうは言っても、俺は昔っから、こんな面した可愛げのねえ餓鬼だったからな。あんたがしたような苦労はまあ、間違ってもしてねえだろうさ。だからわかってやれるなんて保証はしねえが――」
ファルコはちょっと言葉を切って、あらためてじっと女を見つめた。
「話してみねえ? ま、無理強いするつもりはねえんだがよ」
ミカエラはそれでも、唇を噛んだままでしばらく沈黙していた。
「こないだの、あの坊主の言い方からして、そりゃある程度、話の想像はついてんだが――」
(けど……それでもよ。)
これはどうやら、いいチャンスのように思われた。
ファルコの見たところ、女は今、これまでで最もこちらに目を向けてくれている。
心を開きかかってくれている。
話させるには、絶好のタイミングに違いなかった。
そして実際、もうあまり時間もない。
なにしろあのムスタファやゲルハルトとの会談は、目前に迫っているのだから。
「あの姫さんがああまでして『レオンには絶対話せねえ』って考えるとなりゃ、もう話は決まったようなもんだろし。けど、俺になら話せんだろ? これで結構、口、固えぜ。まあもともと、そういう仕事だっつのもあるしよ――」
「ど……どうしてっ……」
と、突然顔をあげてミカエラが叫んだ。
「どうして、あなたは……!」
それは先日もされたのと同じ質問のようだった。
ファルコはだから、また同じように答えるほかなかった。
「……さあな。それは、俺にもわかんねえ」
そうしてどさりとその場に座り込み、敷物の上に胡坐をかいた。
「けど、同じ風竜国の人間として、あのムスタファに人生狂わされた者同士として、一応、聞く資格ぐれえはあるんじゃねえか? ってまあ、そう思うのよ。……勝手なことかもしんねえけどな」
「…………」
ミカエラは愕然としたように、そして酷く悲しげな目で、じっとファルコを見つめていた。
初夏の宵が、爽やかな夜風を運んでくる。
靄に包まれた「風の城砦」の真上から、白い月が煌々と、部屋の中の二人を照らしていた。





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