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1 風の城塞


        


「あれにございます、皆様」

 壮年の貴族、コンラディンの指差す先に、その城はあった。

     

風の城塞(ヴィント・フェステ)」は、コンラディンの言の通りに、眼下に静かに流れる清い流れの上に隆々とそびえる岩山を利用して造られた天然の要害そのものだった。

 要はここは、「水城ヴァッサーブルク」と呼ばれる類いの城なのだ。

 周囲は、深く美しい渓谷である。クラル川の源流でもあるこのあたりの川はすべて、その上流に存在するあの「風の峡谷(ヴィント・シュルフト)」から流れ出ているものだった。

 数百年前にはこの周囲の川の外側に人々の群れ集う王都が築かれていたということだったが、今となってはその名残もほとんど目には入らない。周囲は鬱蒼とした針葉樹の森になり、人の住まなくなった地によくあるように、小鳥や小動物、鹿などの姿が散見された。


 今、一同はこの「風の城塞」を一望できる川の対岸、少し小高くなった岩山の上にいる。

 日中の時間帯である今、レオンは黒馬の姿でここにいる。

 馬のレオンに乗ったアネルと共に、案内者であるコンラディン、ファルコ、そしてミカエラがそれぞれ馬に騎乗して随伴している。勿論ここへは、ミカエラの魔法によって一瞬にして跳んできたのだ。

 実際にレオンたちが潜伏している王都の郊外からここへ来ようと思ったら、馬を使って十日ばかりは掛かってしまう。


 そんな事情もあって今回、案内役となったコンラディンに対してだけは、レオンはミカエラを素顔のまま、出自を明かした上で紹介していた。もちろん、彼女がいま「風竜の眷属」となっている事実もである。

 コンラディンは彼女がかつてヴェルンハルト王の側近だった貴族の一門の娘であることと、レオンの許婚であるという事実を知ってひどく驚いた様子だった。だが、特にあれやこれやとそれに関して口出しすることはなかった。

 それはこの男のごく生真面目な忠誠心と、腹の据わった性格によるところが大きいらしかった。ここしばらく、この男とあれやこれやと話をする中で、レオンたちも彼に対し、大いに信を置くようになりつつあるのだ。


 レオンに関して言うならば、今のところ「レオンハルト派」になってくれている貴族の面々に対しても、まだ彼がこの特異な体質になっていることは明かしていない。が、いつまでも彼らに対してなにがしかの秘密を抱えているというのも良いことではないはずだった。

 それは互いの信頼関係にわざわざひびを入れるようなものである。だからレオンとしてもなるべく早く、事実は事実として伝えねばならないとは考えていた。とりわけ、このコンラディンに対しては。



「なるほど。中に入ってみなくては分かりませんが、確かにコンラディン殿のおっしゃる通り、利用しやすそうな城塞でございますね」

 アネルがそう言うと、コンラディンはやや嬉しげな目になってにこにこした。

「左様でございましょう、アネル殿。かつていにしえの風竜王が居城だった城にございます。レオンハルト殿下が拠点とされるに、これ以上の場所はないやに思いますぞ」

 アネルはそれに対して控えめに頭を下げると、馬のレオンを促して城塞に向けて歩き出した。

 周囲はごつごつとした山肌の見える場所が多い。

 城塞の入り口へはやや傾斜のきつい狭い坂になっており、それが人の手によってわざとぐねぐねと蛇行するように造られているものなのが分かった。

 これなら、大軍が攻め寄せてきてもなかなか落とすのは難しかろう。城内に井戸があり、糧食の問題さえ解決できるのであれば、相当の長い期間を持たせることも可能に思われた。


 入り口の跳ね橋は上がったままになっていたため、ミカエラがその魔法で皆を城の中へと一気に跳ばしてくれて、一同は城の中をあちらこちらと見て回った。

 崩れかけた大きな石造りの城門にも、その脇にある側塔や門塔の壁面にもびっしりと蔦が覆って、城は全体に緑色に見えた。それはまさに、遥か歴史の向こうに忘れ去られた、古色蒼然たる城だった。

 しかし、よくよく見れば外の敵を弓矢で倒すために設けられた狭間ツィンネつきの回廊やら狭間窓さままどなど、敵襲に備えるための設備はなかなか充実しているようである。

 ただ、どれもこれも人の手入れのないまま長い年月を経たものだけに、古びて崩れ、石壁にもひびが入り、壊れた部分が多かった。


 そんな風にしてひと通り中を見て回ったあと、ファルコがちょっと無精髭の生えた顎を撫でながらこともなげにこう言った。

「城ん中の補強やらなんやらなんだが。土竜の魔法を使える技師やら魔法官やらがいりゃあ、思ったより早く進められるはずだ。俺はちょっくら、土竜王陛下にそいつらをお貸し願えねえかどうか、談判してくらあ」

「おお、なるほど」

 アネルが嬉しげにそれに頷いた。

「土竜魔法の使える御仁が協力してくだされば、確かに作業は相当に早く済みますな」

「左様、左様。あちらの魔法は、岩を加工したり岩盤をくり抜いたりと、非常に土木建築には強いものが多いですから。それはぜひとも、お願いできればありがたい」

 コンラディンも明るい顔で大きくそれに同意した。


「んじゃ、作業中はまた未来の王妃殿下にお願いして、まわりに霧でも巻いといてもらおうか。それでいいよな? ()()殿()()

 ファルコが皮肉げな様子でそう言って見た先は、もちろん隣で馬に横座りに騎乗しているミカエラだ。

 しかし彼女は、その呼び名がことのほかお気に召さない様子だった。すっとその色めいた目を細めてファルコを睨むようにしている。


「その呼び方、やめて下さる?」

「えー? なんでだよ。事実だろ? レオンが王様んなったら、あんた、お妃さんになるんだろうがよ」

「…………」

 ミカエラが、何故かむっつりと黙り込んだ。

 その心の中などこの場の誰にもわかりようはなかったけれども、ただ彼女が、ファルコの台詞で何段階かその機嫌を悪くしたことだけは確かだった。

「だってもともと、許婚だったんだもんなあ? 生まれる前からの、親父さん同士の約束だったんだもんなあ。だったらいいじゃねえかよ。別に今から『王妃サマ』呼びしてたってよ――」


 ほんの一瞬、ミカエラがぎろっと男をにらみつけたようだった。

 周囲の空気がその瞬間、きゅうっと温度を下げたような感じになって、アネルとコンラディンはぎょっと互いに目を見交わした。

 アネルの乗った隻眼の黒馬だけはやや悲しげな目になったようだったが、それにこの場で気付いたのは恐らくファルコだけだったろう。ファルコはじっと、鷹に喩えられるその金色にも見える瞳でそんな黒馬の様子を窺っていたようだった。


 やがて、ミカエラはふう、と一度だけ吐息をつくと、改めてコンラディンとアネルに向かって返事をした。

「……勿論、周囲には結界を張らせていただくわ」

 先ほどの皮肉満載のファルコの台詞を、ミカエラは完全に無視する作戦に出たようだった。

「作業場には、無関係の者は虫一匹、入ることはできませんわよ。勿論、間諜の類いならなおさらね」


 それを聞いて、アネルとコンラディンがふと言葉を失ったようだった。

 実はこれまでにも、どうやらムスタファの手の者らしい不埒な輩がこっそりとレオン側の陣営にに入り込もうとしたことが何度もあった。しかしそのたび、その者はミカエラの張っている屋敷周りの結界に取り込まれ、命を落としていた。

 そいつはまるで、その場で急に肺に空気が取り込めなくなったように自らの喉をかきむしり、窒息したようなていで絶命していた。


「……は、はあ。まあそちらはどうぞ、よろしくお願い致します。ミカエラ殿……」

 コンラディンは困惑したような顔のまま、それでも貴族の男らしく、折り目正しく「未来の王妃殿下」に頭を下げた。

 それを見ても特に、ミカエラの機嫌は戻らなかった。


 むすっと膨れたような顔をしていると、この女は実年齢よりもかなり幼く見える。機嫌の悪いその菫色の瞳と目が合うと、アネルの乗った黒馬がさりげなく視線をそらしたような気配がした。

 が、ファルコはちょっと頬を歪めるような笑い方をしただけで、特に何も言わなかった。


「そんじゃま、早速屋敷にもどろうぜ。俺とミカエラはその足で、すぐに土竜に向かうとすらあ。例の、レオンの乳母だったとかいうばあさんも、とっとと見つけなきゃなんねえしよ――」


 「な?」と横からそう確認されて、ミカエラが一瞬、きょとんとした顔になった。

 どうやらそれは、これまで「風竜の魔女」とか「王妃殿下」とか呼んでばかりだったファルコがはじめて、彼女をその名で、しかも呼び捨てで呼んだ瞬間だったらしい。


「……あ。え、ええ、そうね。勿論、『善は急げ』ですもの――」


 珍しく、ちょっとどぎまぎした様子になったミカエラを、黒馬をはじめアネルもコンラディンも、少し不思議そうな目で眺めていた。




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