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6 夜道




(王宮仕え? この、俺が……?)

 

 クルトはもうぽかんとして、その美しい人を阿呆のように見上げていた。

 そんなクルトをじっと優しい瞳で見つめながら、ニーナは言葉を続けている。


「もちろん、水竜国クヴェルレーゲンの宮仕えに入るとなれば、家柄のことはともかく、それなりの剣術や学問など、身につけなくてはならないことも沢山あるでしょう。でも、それはこれから、少しずつ学んでゆかれれば良いことです」

「ニーナさん、でも――」

「家柄のことにしてもそうです。父、ミロスラフはいつもわたくしに言っておりました。『家柄、血筋、それに能力そのほかのことが全く無用とまでは言わぬ。けれども、それでもその者の正しき心と忠誠心に勝るものなし』、と」

「…………」

 クルトはやっぱり、呆然とニーナを見返すばかりである。


「クルトさん。あなた以上に、わたくしに対して清くまっすぐな奉仕の心を示してくださる方などありません。その心がある限り、わたくしは胸を張って、父にあなたを推挙することができますわ」


 クルトがもう、返事に困ってきょろきょろすると、部屋の隅にいてこちらを見ていたカールと目が合った。

 カールはにこっと笑って、ただこちらに頷き返してきた。

 それでクルトはますますかっと、体が熱くなったように思った。


「どうか、お願いです、クルトさん。そのようにして下さい。そうすれば、晴れてあなたは、妹のアニカさんを迎えに行くこともできるようになるでしょう。水竜宮では、見習いとは言えそこに仕える者ともなれば、多少なりとも給金が支払われる決まりになっております。わたくしは、せめてものお礼として、あなたと妹さんの二人、誰の手も借りずに生きてゆく助けになりたく思うのです」


(ア、アニカのことも……?)


 妹の名前を急に出されて、クルトもちょっと、現実的なことを考えることになった。

 確かに、そこはニーナの言う通りだ。

 自分は、叔父に預けてきた妹を一日も早く迎えに行ってやらなくてはならないのだから。


水竜国クヴェルレーゲンがあなたの故郷から遠すぎるようでしたら、レオンが風竜国の王になった暁に、そちらで仕えるという方法もあるかもしれません。もちろんそちらについては今はまだ、なんとも申し上げられないことではありますけれど――」

 そこまで言って、ニーナは一度目を閉じると、再び開けて、じっとクルトを見つめてきた。

 クルトの胸は、それでまた、とくりと鼓動を早めてしまった。


「もちろん、お返事は今でなくても構いません。ゆっくり考えて、クルトさんの良いように決めて頂けたらよいのです」

 そう言って、少し恥ずかしそうに目を伏せたニーナは、クルトの手を引くようにして、改めて弦楽隊の前へ進み出た。

「……さあ。踊りましょう、クルトさん」


 クルトはもう真っ赤な顔で、ニーナに教えられるまま、時折りつまずいたりしながらも、彼女に教えられた踊りをくるくると踊り続けた。

 踊りながらも、その胸はいっぱいだった。


 アニカと一緒に、水竜宮に。

 そんな夢みたいなこと、今まで考えてみたこともなかった。

 でも、もしも自分がこれからもずっとニーナたちの側に居られるのなら。

 

(俺……おれ)


 それはなんて、胸の浮き立つような未来だろうか。


 クルトの手をとり、優しく微笑みながら踊ってくれているニーナを見上げて、いつしかクルトも、にこにこと笑いながら踊っていた。

 部屋の隅では、ずっとその様子を見ていたカールが、ただもう嬉しげに笑いながら、そんな二人を見つめていた。




◆◆◆




「おう。こっちこっち」

 事前に落ち合う場所としていた居酒屋で待っていたファルコは、店に入ってきた女を見て手を上げた。そのあたりに住む女とさして変わらない平凡な容貌のその女は、ファルコを見るとつかつかとこちらへやって来て、テーブルの向かい側にさっさと座った。

 目の前にはすでに、ファルコの頼んだ地方の家庭料理がいろいろに並んでいる。根菜と鶏肉を煮込んだシチューはこの地方独特の香草のかおりをまとって、ほかほかと美味そうな湯気をたてていた。


「んで? 首尾はどうだった」

「誰に訊いているのよ」


 不満げな顔で言い放つ女の正体は、もちろんミカエラだ。

 この女と共に、ファルコは今、土竜国ザイスミッシュの地方都市の下町、とある居酒屋の片隅にいる。実はファルコは、この国を中心に各地で様々な聞き込みをしているのだ。その主目的は、人さがしである。


 土竜王国の王太子テオフィルスと宰相ハンネマンに話をしに行って以降、二人はこうしてしばらく一緒にこの国の中で仕事をすることになったのだ。

 すなわち、この女、ミカエラの仕事は主にザイスミッシュからの援助である「竜の結晶」を王宮へ秘密裏に受け取りに行くことだ。これは、いっぺんに準備するのはさすがの王家でも難しいということだったので、何度かに分けて行なわれることになっていた。

 そしてファルコのほうの仕事はというと、二十年前に襲われた風竜国の王太子、当時はまだ赤子だったレオンのことを覚えている人間を探すことである。


 あの時、風竜国にいたヴェルンハルト派の貴族や使用人らの多くは、ファルコの家族と同様、隣国であるこのザイスミッシュへと逃れてきたはずだった。もし、ここでひっそりと隠れ暮らしているのであろうその人物を探し出すことができれば、風竜王ゲルハルトと、宰相ムスタファをひきずりおろすための大きな大義名分を掴むことができる。

 すでに土竜の宰相ハンネマンも手を回してそうした人物を探し始めているため、ファルコはミカエラの手も借りながらそちらの動きも注視しつつ、なんとかそれを出し抜きたいと考えていた。

 要するに、彼らに見つけ出されるよりも先に、その人物を押さえたいというわけだ。

 そんなわけで基本的に、ファルコはここしばらくずっとこの女と行動を共にすることになっている。


「ハンネマンの手下たちは、どうやらレオンの乳母だった女を捜しているらしいわね。今ではもう、随分と年をとっているはずだけれど――」

「へ〜。名前は? 分かってんのか」

「もともとは、デリアと言ったらしいわね。もちろん今は、その名では暮らしていないでしょうけれど」

「ま、そりゃそうだわな」


 以前からそう思ってはいたが、こと諜報活動に類することとなると、この女の能力は絶大な威力を発揮する。

 あの火竜の魔法ほどの攻撃力はないらしいが、空間を瞬時に移動できる上、人の視覚を操り、離れた場所の音声を聞き取ることが可能というのは、なかなか恐るべき能力だ。

 もしこの女が本気で世界征服などを企むようなことになったら、いかに五竜王国すべてが結託したとしても、なかなか抗うのは難しいのかもしれない。

 まあファルコは、わざわざそんなことをこの女の前で口にするのは勿論のこと、噯気おくびにも出したりはしないけれども。

 ある意味、この女の頭にあのレオンのことしかないというのは、この世界にとって大変幸いなことなのかもしれなかった。


「お疲れ。ま、お前も食えよ。この店、結構いけるんだぜ。酒は?」

「……結構よ。別にわたくしは、食べなくたってそう困る体じゃないんですから」


 女はなんとなくむすっとして、テーブルに肘をつき、さもつまらなさそうに周囲を見回した。

 夕食時のことでもあり、店は繁盛しているようだ。一日の仕事を終えた男たちがわいわいと麦酒の入ったカップを持ち上げて気焔をあげている。


「あっそ。けどまあ、飲み喰いしたら倒れるとか、魔力がなくなるとかってわけでもねえんだろ? ちょっとぐらい付き合えって」

 言いながらもう、ファルコは店の給仕をしている田舎娘を呼びつけて、ミカエラのための麦酒を注文していた。

「あっ。もう、あなたね――」


 言いかけて、ミカエラがはっと顔色を変えた。

「ん? どした――」

 言いかけるファルコをさっと片手で制して、片側の耳を押さえるようにしている。

「…………」

 女の目がちらりと意味ありげにこちらを見たかと思うと、次の瞬間、いきなり耳の中で声がした。


《……どうなさったのです? ミカエラ様》


(……お?)


 それは、優しくたおやかな男の声だった。声だけで判断するのは難しいけれども、どうやらあの火竜国にいた、えらく綺麗な顔をした文官の青年のものではないかと思われた。

 心の中だけでこうした交信を行なうには、風竜の魔法が必要である。どうやらかの国の青年は、こんな才能まであるらしい。

 ミカエラは今、その声がファルコにも聞こえるようにとちょっとした調整を加えてくれたということらしかった。


《なんでもないわ。ご用件は何かしら、ヴァイス様》

 青年の声が、少しほっとしたようだった。

《良かった。あまり、こちらの魔法は慣れていないものですから。おそらく、あまり長い時間はお話もできませんので、手短てみじかにお伝えいたします。……実は、陛下から風竜国の皆様にちょっとした提案をしたいとのお話がありまして》

 何故だかわからないが、ヴァイスと呼ばれた青年の声はなんとなく申しわけなさそうである。

《提案? なんですの》

 青年は、ちょっと言葉を切った。

《……はい。あの……もし、レオンハルト殿下が蜂起されるにあたり、軍備そのほかでお困りの節がございますれば、火竜から少しのご援助をさせていただければと、陛下がそのようにおっしゃっておいでなのですが……》

 言えば言うほどその声に、どんどん申し訳なさが追加されてゆくようだ。

 これでも一応、あの傲岸不遜な火竜の王アレクシスの側近だというのだから、世の中は分からない。

 ファルコは半眼になった。


(援助だあ……?)


 それはどうやら、目の前のミカエラも同様だった。


《……それは、有難い申し出ですけれど。あのレオンがそんなお話、すんなりとうけがうとお思いになって?》

 相手の青年は、困ったように沈黙した。その沈黙がすべてを物語っている。

《あ、の……はい。いえ、一応お伝えだけしてみたのです。もしもレオンハルト殿下がお困りで、どうしても軍費が足りないということでもございますれば、よろしかったらこちら火竜のことを思い出しいただければと。我が主は、その際には快く援助をさせて頂くと申しておりますので》


 ミカエラはもう、隠しようもないぐらいに呆れ返っている。

 前で彼女の表情を見ているファルコも、ちょっと苦笑してしまったほどだった。

 女はじろりとそんなファルコを睨むと、再び思念で返事をした。


《わかりましたわ。お気遣い、ありがとう存じます。一応は、()()伝えておきましょう。お返事が変わることは、まずないかと思いますけれど――》

《恐れ入ります、ミカエラ様。では、どうぞ殿下によろしくお伝えくださいませ……》


 青年はやっぱり申しわけなさそうな様子で大人しく引き下がり、そこでその「連絡」は途絶えたようだった。

 と、ちょうどその時、居酒屋の娘が大きな麦酒の入ったカップと、豚や野菜、豆を煮込んだ郷土料理を運んできた。


「お、来たきた。喰おうぜ、喰おうぜ――」

 ファルコは何事もなかったように破顔すると、自分のカップを持ち上げて有無を言わさずミカエラのカップにぶち当てた。

「あ! ちょっと――」

 その勢いで吹っ飛ばされそうになったカップを、ミカエラが思わずはっしと両手に握ったのを見てにかりと笑う。


「ほんとにもう……呆れるわね。何を考えてるのかしら、あの火竜の王太子――あ、いえ、もう国王だったわね」

「アレもぶっ飛んだ野郎だかんなあ。ま、考えてもしょーがあるめえよ。せっかくの料理と酒がまずくなっちまうわ。飲むときゃ飲む。喰うときゃ喰う、ってな」


 言いながらもう、凄い勢いで料理と酒を胃の腑に流し込み始めたファルコを、ミカエラはしばらくいやそうな目で眺めていたが、やがてちびちびとカップに口をつけ始めたのだった。




◆◆◆




「いや〜、参った。あんた、酒呑んだこともなかったのかよ――」

「うるっさいわねえ! だあって歩きなさいよ、こんの、木偶でくの坊男――!」

「なんっだ、そりゃあ……」


 たった一杯の麦酒ですっかり千鳥足になってしまった女を引きずるようにして、ファルコは宿までの道を歩いている。

 田舎町は石畳などの敷かれていない、土がむき出しの道ばかりだ。

 そこを今、煌々と月が照らしている。


 ミカエラはその後、その麦酒を飲んだ途端にテーブルにつっぷしてこてんと眠ってしまったのだ。

 それを無理やり起こしてここまで歩かせてきたのだが、今度はこんな調子でずっと意味のわからない()()を巻かれている。

 あまりふらふら歩くので、すぐに側の民家の前に置かれた樽だの荷車だのにぶちあたりそうになるミカエラの首根っこを、ファルコは遠慮がちに掴んで歩いていた。


「ほれ、しっかりしろ。もうすぐ宿だからよ」

「触んないでよ! もう、はなしてえ!」


 言いざま、ミカエラが細っこい両腕を振り回した。

 その拳が危うくこちらの顎に当たりそうになって、ファルコはうんざりする。

 酔っ払ったせいなのか、今のミカエラは素顔に戻ってしまっている。それも完全な膨れっ面で、その目も完璧に据わっていた。


「なにが『夫』よ……『レオンハルト殿下』ですって? ふん……!」


 呂律の回っていない口で、何かずっとぶつぶつ言い続けているのだったが、そのほとんどはファルコにも聞き取れなかった。


「ばか……ばぁか! みんな、みぃんな……死んじゃえばいいのよ――」


 たまに聞こえるのはそんな、ちょっとぞっとしない怨嗟の数々だ。

 まあ、酔っ払いなんてみんなこんなものではあるので、そこはファルコもいちいち目くじらなどは立てないが。

 が、別にファルコが悪いのでもないだろうに、その小さな拳で力任せにがつがつこちらをぶん殴るのはやめてくれないかと思う。まあ、到底顔にはとどかないので、せいぜい胸元を叩いているだけなのだが。


「はいはい。バカだバカだ。世の中、バカばっかりよ――」


 遂に、ミカエラの膝ががくりと折れて、ファルコは彼女の顔を覗きこんだ。

 案の定、ミカエラは完全に眠っていた。


「あ〜あ。しょーがねえな、ったく――」


 そのまま子供でも担ぐようにして、ひょいと女を背に負うと、ファルコはまた、なんでもないような足取りで歩き出した。

 賑やかな界隈を通り過ぎ、周囲は民家ばかりになっている。

 誰もいない夜の道を、ただ月明かりだけが照らしていた。


「……ばぁか」


 背中から、小さな酔っ払いの声がして、ファルコはちょっと溜め息をついた。


「レオンの……ばぁか」


 それは、小さな少女が拗ねてべそをかいている、そのままの声だった。

 しかしその声が、最後に本当に小さく小さく呟いたのを、ファルコの耳は確かに聞いた。



 そう。


「でも、……だいすき」


 と、呟いたのを。




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