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7 王の寝室


 その夜、後宮にある豪奢な自分の寝室で、ゲルハルトははっと目を覚ました。

 いつもの自分の寝台である。

 

(なんだ……?)


 不思議に懐かしい夢を見ていたような気がして、なんとなく気分が塞いだ。

 わかっている。

 自分にとっての懐かしい夢というのは必ず、あの颯爽とした美丈夫だった、かの兄に纏わるものだからだ。


 豪奢な織りの寝具をもち上げてのろのろと起き上がり、鬱々とした気持ちを取り払おうと、ゲルハルトが寝台の脇にある小さな卓上の水差しに手を伸ばした、その時だった。


《……陛下》


 いきなり頭の中で声がして、ゲルハルトは思わず、持っていた陶製の器を取り落とした。が、幸い、それは毛足の長い絨毯の上に転がっただけで、大きな音をたてて割れるようなことはなかった。

「な……?」

 部屋に誰かがいるのかと、薄暗い寝室を見回すが、勿論そこにはだれもいない。

 無論、大きな声を出せば、誰かがすぐに飛び込んでくるのは間違いないのだが。

 やはり空耳だったかと、寝床に戻ろうかとしたとき、再び同じ声が聞こえてきた。


《ゲルハルト陛下。聞こえておいででしょうか》 


「兄上……!?」


 思わずそう声に出してしまうほど、その声はあの兄にそっくりだった。

 低く、張りのあるよく通る声。その心根そのままに、まっすぐで曇りのない声だ。


《……いえ。突然申しわけございません。レオンハルトと申します。このたびは『念話』の魔術によって、直接にお話を試させていただきました》

「ね、……念話……?」

《はい。声をお出しにならずとも、お心に言葉を浮かべてくだされば、こちらには届きますので》


 相手の声は非常に落ち着いたもので、淡々と必要なことを説明している。

 ゲルハルトはごくりとひとつ喉を鳴らすと、恐る恐る、頭の中だけで語り掛けてみた。


『こ、……これで、聞こえているというのか……?』

《左様です。お手数をお掛けいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。周囲の者らにはなるべく知られたくないもので》


 ゲルハルトは、ばくばくとうるさい我が胸の鼓動をおさえるのがやっとである。

 そもそも、何かの聞き間違いでなければ、相手は最初、あの名前を名乗ったのではなかったか……?


『そなた、先ほど……レ、レオンハルトと申したか……? まさか……それではそなたが、あの、兄上の……?』

《はい。風竜国フリュスターンの先王、ヴェルンハルト公の遺児、レオンハルトと申します。ゲルハルト叔父上》

『お、……じうえ……いや、わ、私は――』

 

 ゲルハルトは、わなわなと唇が震えるのを自覚した。

 一体、どういうことなのか。

 あのヴェルンハルトの子、レオンハルトが存命であるとの噂はやはり本当だったのか。いや、それにしても、そのレオンハルトが何を思って、自分に直接、こんな「念話」を仕掛けて来ようと思い立ったものだろう。

 自分など、彼の父の仇でしかない存在であるはずだというのに。

 いや、その前に、彼にはいくつも確かめねばならないことがあった。

 唇をじわりと舐めながら、ゲルハルトはまずこう訊ねた。


『そ、……そなたが誠にレオンハルトであるという証拠は……?』

 相手は、少しの間、黙りこんだようだった。

《……申しわけないことながら。ただいまこの場で、それを証明するすべはございません。当時、自分もただの赤子だったもので、風竜国に関しても、貴方様との思い出にあたるようなことも一切お話はできませんし》


(ふむ。それは、そうだろうな……)


『話にならん。それで、どうやって私と話などしようというのだ……』

 困惑したままの思いでそう返すと、相手もただ恐縮したといった様子の声音で、淡々とこう答えた。

《ごもっともかと思います。斯様かように乱暴な方法を取りましたること、どうかお許しくださいませ。……ただ、こちらの勝手な希望ではございますが、どうしても貴方様にお訊ねしたき儀がございまして。大変僭越なことながら、できれば宰相ムスタファなる者抜きで、お話をさせていただきたく思った次第でございます――》

『私と……? いったい、それは――』


 あんなことは言ったものの、もうほとんど、ゲルハルトはこの声の主がまことの甥、レオンハルトであることを確信していた。

 この声、落ち着き、話し方。

 心延こころばえのありかたを見てみても、とてもあの兄とあかの他人だなどとは思えない。


 少しの間があって、その声はさらに威儀を正したように思われた。

《このたび、思うところがありまして、御国のあちらこちらを少し見聞させていただいておりました。各地の民の様子から、ご政道のありかた等々、自分なりにそれなりに拝見できたかとは考えております》

『見聞……こ、この国を……?』

《はい。自分のごとき若造の目から見ましても、民らの困窮は、目を覆うばかりにございました。これほど過度の重税に、もはや民らは疲弊の極に達しているやに見受けられます。これらの実態について、陛下はどこまでご存知であられるでしょうか。また、どうご覧になられていますでしょうか。それをお聞かせ願いたく――》

『た、……確かに、今年は雨も少なく、嵐などの災厄も多かったとは聞いているが。しかし、過度の重税というほどの、そこまでのことがあるものか……? ムスタファからは、困窮している地域の民らには税を緩和してやっておると聞いているのだが』


 そこから、少しの間があった。

 相手の側には、どうやら幾人かの話し相手も同席している様子だった。


《……お言葉を返すようですが、そのような事実はないと申す者がおります。重税はそのまま取り立てられ、払えぬ者らはおのが息子や娘の身売りまでさせて凌いでいると……。大変、不躾ではございますが、陛下のお考え違いでは……?》

『なに? そ、そんなはずは――』


 声の主は、少し考えたようだった。

《陛下。陛下は、実際に民らの生活をご覧になられたことは? ……実際に彼らのもとへ行き、その話を直接に聞かれたことは……?》

『…………』


 ゲルハルトは、思わず返す言葉につまった。

 そう言われてみれば、積極的に地方への行幸を行なうなどして、そうした民らの声を聞いたことは一度もなかった。

 いつも御前会議には出て、宰相ムスタファらをはじめ、貴族の高官らが様々のまつりごとの取り決めを行なうのを見てはいたし、時々は意見もしたが。

 「万事うまく運んでおりまする」という、ムスタファの言葉を信ずるよりほか、自分にできることはほとんどなかった。何より、何か新しいことをしようにも、そのとっかかりが何もなかった。

 ごくたまに、意を決して自ら何か動こうなどとすれば覿面てきめん、あのムスタファが苦い顔をして「どうぞ万事、われら臣お任せくださりませ」とふてぶてしい顔で頭を下げにやって来るのだ。

 それは言葉にこそ出さないが、明らかに「お前は黙ってその王座に座っておれ」と言わんばかりだった。


 そんなゲルハルトの内面をまるで聞き取っていたかのように、深みのある青年の声はこう言った。

《ムスタファとその一派が陛下を軽んじ、その耳目を塞ぎ奉るべく画策し、暗躍しているのは疑いようがありません。彼奴きやつらは事実上、王家の力を私物化わたくししているに等しい。……決して、許されるものではありません》

『な、……なぜ』

 思わずそう問い返したら、相手の声が怪訝になった。

《……は?》

『そなたがまことのレオンハルトだというならば、なぜ私に、そのような事……』


 声は、また沈黙したようだった。

 ゲルハルトは、それで思わず言い募った。


『わ、……分かっているのだろう? 私は、私は……、あのムスタファの口車に乗せられたのだとは言え、そなたの父御、兄、ヴェルンハルトを陥れ、そのお命を奪った男だぞ。言わば、そなたの親の仇ではないか……。そんな男を何故、そなた、恨むどころか、そのような、まるで助言のようなっ……!』

《…………》


 声はただ、沈黙している。


『なぜ、恨まぬのだ……? 聞いておるぞ。いまや、そなたの存命が巷で大いに噂となり、そなたの帰還を待ち望む声、国じゅうに大いに高まりつつあるのだと。そなたが表に出てきさえすれば、早晩、私とムスタファを打ち倒さんとする勢力が集結することにもなろう。そなた何故、そのようにはしないのだ……?』


 それでもしばらく、声は黙っているようだった。

 が、やがて、低く静かに語りだした。


《……それは、民のためになりましょうや……?》


『なに……?』

《反政府勢力を結集させれば、そしてそこに自分が担ぎ上げられることになれば、風竜国の内乱は避けられますまい。貴方様、国王派と、前王太子である自分の一派との、大きな戦乱になりましょう。国中が戦場になり、畑や村は軍馬によって踏み潰され、略奪の憂き目を見る。……が、果たしてそのことは、民の益になりましょうや……?》


(な、……なんと――)


 ゲルハルトは、もはや蒼白で、寝台の上に座り込んだまま口をぱくぱくさせていた。


《自分が私怨のみによって動くことで、民らが悲しむというのであれば、自分はそれを善しとはしません。貴方様への恨みがないとは申しませんが、それと王権を奪うこととは別問題かと考えます》


(この、男は……!)


 ゲルハルトは、知らず、両手で顔を覆っていた。

 体が、おこりに罹った人のようにぶるぶると震えていた。


(間違いない。これは……この男は。)


 紛れもなくあの素晴らしい兄、自分が子供のころから大好きだった兄、ヴェルンハルトの忘れ形見だ。

 彼の言が正しいのであれば、彼はいまだ、せいぜい二十を少し出たほどの年齢のはず。

 その若さで、こんなものの考え方をする男、そうそういてたまるものか。


 親を殺され、本来自分のものだったはずの王位を奪われ、さらには故郷くにを追われて浪々の身となって。

 むしろ大いに血気にはやり、自ら己が賛同者を結集し、「王と宰相、許すまじ」とばかりに復讐と王位奪還に奔走はしるのが、若者の()()()な反応であろうに。


 ゲルハルトが呆然とそんなことを考えるうちにも、青年の静かな声は続いている。


《ですから、ゲルハルト陛下。どうか、お心をしかと持っていただきたいのです。どうかムスタファのような奸臣に、いつまでも翻弄されないで頂きたい。民らは、まことの王の善政を待ち望んでおります。それは何も、自分である必要はない。あなたが、貴方様こそが、そうした王になられればいいだけのこと――》


「レオンハルトッ……!」

 思わず感極まって、ゲルハルトは大声を上げていた。


(そのような……そのような!)


 自分のような大罪人が、おめおめとまだ、この王座に座っていろというのか。


 兄を殺して。

 あんなに愛していた――そして同時に、殺してやりたいほどに憎んでもいた――あの兄を殺して。

 その子であるお前から、「善き王になってください」と頼まれて?


(それはいったい……どんな罰だ。)


 胸を掻き毟られるような思いに苛まれているゲルハルトを、あの兄そっくりのその声は、静かに、恐らくは意図せずにであろうが、さらに深くえぐった。


《……もしも、貴方さまが少しでも、我が父をしいし奉ったことの慙愧ざんきに苦しんでくださっているのなら、それこそが、何よりの貴方さまへの罰ともなりましょう。自分がいま言えること、望むことがあるとするなら、ただそれのみでございます》


(慙愧に苦しんでいるか、だと……?)


 ゲルハルトは、今にも叫びだしそうになるのをやっと堪えた。


 苦しまなかった筈がない。

 あの兄をこの世から消し去って、晴れ晴れとした気持ちになったのなど、ほんの僅かの間のことだった。

 その後すぐ、自分は気付かされたのだ。

 あのムスタファとその一派に、自分はしてやられただけだったのだということに。


 考えれば考えるほど、自分の中に育っていった兄への憎しみ、疑いの心を増幅させていたのは、あの老人の巧妙な言葉だったのではないかという疑念が湧き起こった。それがどうしても止められなかった。

 いや恐らく、それは間違いではなかったはずだ。

 そうして次に襲ってきたのは、恐ろしいばかりの悔恨だった。


(兄上は、自分を疎んじておられたのではなかったのでは。)

(もしや、ただ本当に、実の弟として愛し、信頼してくださっていただけなのでは。)

(あの言葉も、下賜された贈り物も、ただ愛する弟を思っての、心からのものだったのでは――。)


(兄上、兄上、兄上――。)


(私は、何ということを……!)



 そんな思いが、この二十年、どんなにこの胸を切り裂き、焼き焦がしてきたことか。

 しかし。


『無理、だ……』


 力なく肩を落とし、首を横に振りながら、ゲルハルトは相手に向かってそう言った。


『無理だ。……もう、遅い。何もかもが、遅いのだ……!』

《…………》

『レオンハルト。そなた、何も分かっておらぬ。今、私の周りにいるのは、側近やら召し使い、侍従に至るまで一人のこらず、あのムスタファの息の掛かった者どもだ。そればかりか……息子、王太子の妃となったは、あのムスタファの孫娘ぞ』


 自分の思念が、どんどん皮肉に塗れてゆくのを自覚する。

 しかし、もう止まらなかった。


『わかるであろう? ……無理なのよ。いまさら私が、どのような()()を出したところで、そんなものは容易くどこかで握りつぶされることになる。たとえ、そなたを次なる王にせよと命じることができたとしても、そのようなもの、次の瞬間には灰に変えられておることだろう。そもそも、無かったことにされるだけよ――』


《陛下……》

『ふ、ふふ……』


 ゲルハルトの喉から、もう抑え切れない自嘲の笑声が零れ出た。


『可笑しいであろう? 国王なのに……余は、紛れもないこの風竜国フリュスターンの国王であるはずなのに……あのムスタファの望まぬめいなど、何ひとつ、議会を通ったこともない。いや、それどころか、議題に載せられたことすらないのだ……!』


 気がつけば、握り締めた拳の上に、ぼたぼたと熱い雫がしたたっていた。

 喉からは、悲鳴のようなくぐもった嗚咽が漏れ続けている。

 それにも構わず、言葉を続けた。


『殺すがいい、レオンハルト。……ここへ来て、我が首を獲るがいい。そうして、堂々と己が王座を取り戻せ。そなたが本来あるべき王座、座るべき玉座に、己が力と、欲望とをもって座るのだ』


《陛下……!》

 相手の声は、愕然としつつも、悲愴な色を帯びたようだった。


『そうして、どうか、終わらせてくれ。この、延々と続く、愚王の茶番をな――』


 そこからしばらく、なんとも言えない沈黙があった。


《……お気持ち、しかと承りました。ひとまず、此度こたびはこれまでとさせていただきます。またいずれ、ご連絡を致しますほどに――》


 その若く深い声は、最後に苦渋と悲しみに満ちた調子でそう言って、この不思議な夜の()()を終わらせたのだった。




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