5 魔女
荒々しく開かれた扉から現れたのは、国王エドヴァルトと側近ヤーコブ、そして彼らを守る近衛兵ら十数名、それに魔法官たちだった。
窓の外では相変わらず、風と雷の魔法の激突が続いており、凄まじい轟音と、兵らの悲鳴が聞こえている。
「アルベルティーナ、まさかとは思うけんど。勝手に一人で逃げようとか考えとらへんよな? キミ」
少し息を切らせて、やや太めのおなかを上下させているエドヴァルトが、大股にこちらに近づいて来た。
「伯父様……。やはり、相手はミカエラでしょうか」
「ああ。姿はまだ見せとらへんけど、魔法官らが、あれは間違いのう風竜の魔法やっちゅうとるわ。十中八九、そうやろね」
「やはり……そうですか」
ニーナが唇を噛む。
彼女の前で、顔を引き攣らせて今にも泣き出しそうな顔になっているクルトをちらりと見ると、エドヴァルトはもうそれだけで、二人の間で交わされていた会話の大方のことを理解してしまったようだった。
「……あかんで、アルベルティーナ。ワシかって、レオン君やミロちゃんから君のこと、重々頼まれとるんじゃけえ。君はここでおとなしゅう、ワシらに守られとったらええねん」
エドヴァルトのその声も表情も、いつもの軽くて明るいだけの調子は形をひそめ、胆力の備わった一廉の王として、また愛情深い父としてのそれになっているようだった。
「そんなわけには……!」
と、ニーナが言いかけたときだった。
「あらあら。そこの女はまた勝手に、一人でお逃げあそばすおつもりだったのかしら。……笑っちゃうわね」
底冷えのするような女の声がいきなり聞こえて、場の一同はびくりと身を固くした。
兵らがさっと周囲に目を走らせつつ、エドヴァルトたちを取り囲むようにして周囲に剣を向ける。魔法官らは琥珀色をした「雷竜の結晶」を手に、それぞれに身構えた。
「ひ……っ」
クルトの喉は、自分の意思とは関係なしに、引き攣ったような音を立てた。
先ほどまで、確かにニーナとクルト以外、誰もいなかったはずの部屋の真ん中に、今、ひとりの女がすっと立っている。
まるで、壁の中から染み出した影かなにかのようだった。
いったい、どこから現れたのか。
こんな物音ひとつもたてずに、忽然と。
揺らめくような、長い黒髪。陶器のような白い肌。
菫色の夢見るような瞳の中に、黄金色の虹彩が細長く浮かんでいる。
ふっくらとした女らしい体の線が、裾の長い濃緑色のドレスによって強調され、軽い素材のマントによってふんわりと包まれている。
真っ赤な色をした唇が、あの時にも見たのと同じように、不気味な三日月型に引き上げられていた。
それは、凄艶なまでの美しさである。
しかしそれは、同時に人としての美しさだとは、決して言えないような種類のものだった。
(ミカ……エラ……)
クルトの身体はまったく言うことを聞かなくなった。まるで、ぎしぎしとすべての筋肉が悲鳴を上げているような気がした。
あの時、もう少しでくびり殺されかかったあの恐怖を、心よりも先に体が勝手に、まざまざと思い出している。ちょうど、そんな感じだった。
女は自分に突き刺さってくる男たちの殺気の籠もった視線などものともせずに、無造作な足取りでこちらに近づいてくる。
「お久しぶりね、泥棒猫のお姫様。ああ、でも今日は、なにも盗らずに裸足でお逃げになろうとしていたところだったのかしら? なかなか殊勝なお心がけだけど――」
その笑みも、相手を小馬鹿にしたような、こちらを侮りきったものだ。
「おあいにく様ね。今日は、決して逃がさないわよ」
そう言うなり、ミカエラはその細い片腕を、花びらでも払うかのような軽いしぐさでひょいと振った。
その途端。
「ぐ、……は!」
「うおおっ……!」
雷竜王エドヴァルトとともにニーナの周りを囲むようにしていた兵士と魔法官らが十名ばかり、呆気なく壁の方まで吹っ飛ばされていた。
彼らは次々に壁や調度品に激突し、折り重なるようにしてその場で気絶したようだった。
「相変わらず、男たちに守られていい気なものだわね。今ではそんな護衛なんて、本当は必要でもないくせに」
嘲笑うような言葉も足取りも、まったくそのままに進んでくる。
「あんな大きな竜になれる女が、なんのお遊びのつもりなの? レオンの次にはこんなお城で、王様や沢山の護衛兵たちに守って貰って……茶番もいいところだわ。もう笑えもしないわね」
その瞳の中に紛れもない殺意を見て、クルトは背筋が凍るようだった。
それでも必死に、ニーナの前で立ちはだかる。声を出したら無様に震えてしまいそうなので、そうすることは諦めたけれど、持った短剣は女に向かって構えたままだ。
女はちらりとクルトを見下ろして、さも気の毒そうな皮肉な笑みを浮かべた。
「あら、小虫ちゃん。まだ生きていたの? そこをどいてくれないかしら」
「…………」
無言のまま、クルトは女の竜の瞳をにらみ返した。
と、背後にいたエドヴァルトとヤーコブ老人、それにまだ残っていた近衛兵らも、ばらばらっとニーナの前に走り出てきた。エドヴァルトも抜刀している。
が、エドヴァルトはすぐに他の兵らの背後へと押しやられた。
「陛下! なりません!」
「陛下はどうか、お下がりを……!」
「ここは我らが!」
兵らはそう言いながら、銘々に自分の得物を構えてミカエラに立ち向かう様子である。
「こ、こら! なにすんねんな、おんどれら……!」
エドヴァルトがぐいぐいと体を押しやろうとする兵らを叱りつけるが、彼一人では武官数名の力には到底かなうはずもなかった。それに、今回ばかりはヤーコブ老人も、彼を後ろへ押しのけるほうへ回っているようだった。
女が、すっとその目を細める。
「……あまり、無駄な時間をとらせないでくださる?」
その声音は、さも面倒臭そうだった。兵らの姿など、まるで眼中にないと言わんばかりだ。
「長々とやっていると、またこちらの守護竜様が目を覚まされて、要らぬお叱りを頂いてしまうわ。皆様、命はもう少し、大切になさったほうがよろしくてよ……?」
その腕がまた上がろうとした瞬間、ニーナが鋭く叫んだ。
「やめて!」
そして、背後からそっと、その手がクルトの肩に触れた。
他の兵らに対しても手をあげて、「手をださないで」と頷いて見せている。
そうして、ニーナは改めてミカエラの方を見た。
「やめてください。貴女の目的は、わたくしでしょう」
「……!」
クルトははっとして、脇からニーナを見上げた。
「ニーナさん……!」
が、ニーナはクルトの方を見ないでいい続ける。
「貴女の望むとおりにします。ですから、ほかの方にはもう、手をださないで」
「ダメだって、ニーナさんっ……!」
そこで初めて、ニーナは静かにクルトを見下ろした。
「……クルトさん。もういいのです」
自分が今ここで彼女の言いなりになろうとなるまいと、結果に大した違いはない。
ここにいるクルトやエドヴァルト、他の兵士らや魔法官らを全員殺して、ミカエラは自分を攫ってゆくばかりなのだ。
それなら、これ以上被害が広がらないうちに、自分から行ったほうがまし。
ニーナはそんなようなことを、淡々と言ったようだった。
そして、躊躇いのない足取りで、ずいとミカエラのほうへ歩き出す。
「お、お待ちください……!」
武官らも数名がはっとして前へ出て、クルトの視界は男らの体によって遮られた。
「……あら。今回は随分と聞き分けがよくていらして、助かるわ」
ミカエラの口角がさらに引きあがり、その体を不思議なつむじ風が包み始めた。
と、あっという間にそれが強さを増して、部屋中の布をばたばたとはためかせた。
(ニーナさんっ……!)
クルトは必死で、目の前を邪魔している武官らの足の間に体を潜り込ませ、めちゃくちゃにもがきまくって前へ出た。
そのまま、転がるようにして床を走る。
もう、無我夢中だった。
そうして、黒い靄のような風の渦がニーナの姿を包み込むより一瞬はやく、どうにかこうにか彼女の濃紺のマントの辺りにとびついたのだった。
次の瞬間、ぐわっと体が持ち上がって、急に天地がひっくり返ったような気持ちがした。
足もとにあったはずの床が消え、ぐるぐると木の葉のように体が空中で放り投げられるようだった。
「うわ、……あ……!」
クルトは必死で、目の前にあったものにしがみついた。
それは、ニーナの腰のあたりだった。
ニーナの腕がクルトを力いっぱい抱きしめてくれたと思ったら、急に物凄い高さから落ちてゆくような感覚があって、クルトの意識は遠のいた。
そしてそのまま、心も体もまるごと、すうっと真っ暗な壷の中に落ち込んでいったようだった。





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