第73話 名付けの秘訣。
「なぁ、ばあちゃん。山本ティファナって知ってる」
「うちの書道教室に来てる子だろう? それがどうしたんだい?」
「あ~……どうしたって訳じゃないんだけどさ」
その日の晩。
晩飯も終わってお茶の時間に、俺はばあちゃんに、そう尋ねていた。
「ちょっとまあ、今日、知り合いになったんだけどさ……。ばあちゃんから見て、ティファナってどうかなって」
「そうだね……いい子だよ。ちょっと難しいところがあるけどね」
「難しいところってのは?」
ここぞとばかりに食いつく俺に、ばあちゃんが「ふむ」と、ちょっと考えるみたいにする。
お茶を一口のんだばあちゃんが、俺を正面から見つめてきた。
「な、何?」
「いいや。まあいい、聞きな。ティファナはいい子だよ。ただ、装ったいい子だろうことも、想像に難くないさね」
「装った……?」
「親の期待に応えるために、一所懸命って感じかね」
「……なるほど……」
それはちょっと、分かるような気もする。
ティファナと、その母のやり取り。
自分が、ある意味、本当の子供ではない、という事実を隠すためなのだろうけれど、母親にメッチャ気を遣ってた感じはある。
気を遣うっていうか……どうだろうなぁ。
まあやっぱり、必死になって隠してるっていうか?
そのために、母親の思うティファナを演じている、というか……。
「そんなことしなくたって、本当のティファナも十分いい子だと、私は思うんだけどね」
「……そうかぁ?」
「おや、何かあるのかい?」
「いやいやいや、ごめん、何でもない」
ばあちゃんの視線に、慌てて誤魔化す。
前世を隠してるって意味では、俺もティファナも同類だな。
ただ、本当のティファナがいい子ってのは、やっぱり疑問符は着くわな。
何しろ、聖導教団だもんなぁ……。
いや、その中でもまだマシな部類だったのは、確かだけどさ。
「静流もねぇ……悪い子じゃあないんだけどさ」
「うん?」
「ティファナの母親だよ。あの子は昔、うちにお華を習いに来てたんだよ。覚えてないのかい?」
「あぁ、いや、ごめん。覚えてないっす」
てか、ばあちゃんの教え子って、どんだけいるんだよ?
何かホントに、この街の住人は全員、ばあちゃんの教え子だったりするんじゃねーの?
「静流もね、悪い子じゃあないんだよ。ただ、あの子の善意を受け取るには、コツがいるっていうかさ」
「何だそりゃ?」
「悪意がある訳じゃあないんだけど、そう見える時があるっていうかね。善意からの行動なのに、過程をすっ飛ばしてるから、悪意に見えるっていうかね」
「ふ~ん……?」
悪意がないってのは、でも、逆に面倒だよなぁ?
悪いことをしてるって、自覚がないんだからさ。
いや、あのティファナ・ママが悪いことをしてるとは言わんが……。
ただ、自分の“可愛い”をティファナに押し付けてるって印象はあったかな?
「何なに? 何の話?」
「うちの教え子の話さ。ティファナってね」
「ああ」
丁度そこへ、洗い物を終えた姉ちゃんが戻ってきて、俺の隣に座った。
姉ちゃんにも、帰ってきてからネタ振りはしていたので、すぐに事情は察してくれたみたいだった。
「でも、天の華でティファナって、私の知ってるキラキラ・ネームの中でも、かなり群を抜いてるね」
「しょうがないじゃないか。静流が……あの子の母親が、この子の名前は絶対にティファナだって、頑として譲らなかったんだから」
「そうなの?」
「そうだとも。私も、静流を説得してくれって頼まれたり、いろいろと大変だったんだよ」
「へ~」
「なにせ父親も、子供の頃に合気道を習いに来てた子だったもんでねぇ……」
てことは、そのばあちゃんの説得さえ跳ね除けて、ティファナって名付けた訳か……。
恐るべしだな、ティファナ・ママ。
俺なら絶対、ばあちゃんには逆らえないっていうか、逆らおうとさえ思わないのに。
「それならでも、いっそ、カタカナとかひらがなとかで良かったんじゃないの?」
「漢字の名前じゃなきゃ駄目、ってのが旦那側の言い分さね」
「その折衷案が、天の華でティファナかよ……」
それ、どう考えても“混ぜるな、危険”じゃん……。
ばあちゃんがいても、そうなったのか……。
恐ろしい話だよ、まったく。
「何にしてもさ。確かに、ちょっと難しいところのある子だけれど。アンタとも縁ができたんなら、仲良くしてやって欲しいところだね」
「あ~……まあ、善処はします」
「ま、それでいいよ」
ばあちゃんはそう言うと、お茶の残りを飲み干して立ち上がった。
何か、自分の部屋ですることがあるらしい。
ということで、姉ちゃんと二人きりです。
「まあでも、天の華でティファナって、今風って言えば今風の名前だよね」
「いや~、かなり今風の最前線っしょ。やっぱり、読めない名前はどうかと思うね、俺は」
「確かに、読みは普通に“てんか”でもいいかな、とは思うよね」
そこ、大事だよな。
正直、魔王の“緋冴”って名前さえ、俺はキラってるって思ってるんだからな!
本人には言わないけどさ。
けど、読めはするじゃんか。
でも、“天華”で“ティファナ”は絶対に読めん。
てか、初見で読めた奴は、逆にどうかしてると思うぞ。
「ちなみに、悟くんならどんな名前にする?」
「どんな名前って?」
「子供のだよ。もし、将来、結婚して女の子が生まれたら、どんな名前にする?」
「う~ん……そうだなぁ……」
さすがに、恵子とか美由紀とかは、ちょっと古くさいって気はするよな。
かといって、ライムとかミントとか、そんな読みになる名前も嫌だしなぁ……。
「葵とか、美咲とか、その辺かなぁ?」
「ふむふむ、なるほど。それだったら、水嶋って苗字とも合いそうだしね」
「うん?」
「悟くんとの間にできた子が女の子なら、葵ちゃんにしようね! 漢字一文字っていうのも、丁度だし」
「ぶふっ!?」
いきなりっ!?
いきなり、何いうてはんのん、この人っ?
いろいろ、すっ飛ばしちゃうんっ?
「せっかくだから、男の子の場合も考えとこっか。やっぱり、ここも漢字一文字で何かある?」
「ちょっ、ちゃっ、ちょっ、ちゃいっ! だからそれ、何かいろいろ先走ってるでしょ!」
「そうかな? じゃあ悟くんは、将来的に私とそういうコトをする可能性は、100%ないって言うの?」
「ぅぐふっ!?」
姉ちゃんが、ちょっと小首を傾げるみたいに「ん?」と尋ねてくる。
何なの、この人? 小悪魔だったの?
何でこんな、否定できない質問をするの?
しかもだからそうやって、腕を組むみたいにしながら、人差し指でアゴを支えるとか、あざといポーズも止めてください。
そういった、腕組む系をすると、ほんっと、おっぱいがエラいことになりますからね?
「んふふ~♪ 悟くんはやっぱり、正直だねぇ」
「いやいやいやいやいやっ、すみませんっ。おっぱいガン見してごめんなさいっ!」
姉ちゃんは、隠すどころかむしろ強調するように、ギュッとおっぱいを寄せ集める。
俺は謝りながら顔を背けるのだけれど、その視線はどうしようもなく、おっぱいに吸い寄せられる。
「……ねぇ、悟くん……」
「ッ……は、はひ……?」
腕組みを解いた姉ちゃんが、四つん這いになって、俺の方に身を乗り出してくる。
そうすると、だからその……。
正しく、たわわに実った果実的な何かが、重そうに下を向いてタプンって……!
服の布地越しにも分かる、圧倒的な重量と柔らかさ……。
女体の神秘が正に、そこに凝縮されていると言っても過言ではない……!
俺は、例によってその神秘から顔を背け、身体を後ろへ反り返らせながら、姉ちゃんから距離を取ろうとするものの……。
視線はブラックホールに捕まった光のように、どう足掻いても、そちらへ吸い寄せられてしまう。
そんな焦りを覚える俺に、姉ちゃんがいよいよ身体を寄せてきて……。
耳元に、そっと囁いてくる。
「いっそのこと……今夜のうちに……しちゃう?」
「し、しししし、しちゃうって……な、何、を……ッ?」
「ふふふふ……」
ドモりながらも尋ねる俺は……もちろん、その答えは分かっていた。
俺が分かっているのを分かった上で、姉ちゃんが優しく……甘く微笑む。
そうして……ッ。
「子・づ・く・り♪」
「ッッッッッ!!!???」
ひぃいいいいいっ!? 堪らんっ!!
メッチャっ、メッチャ一瞬で全身に鳥肌がッ!
メッチャ、ゾクゾクきてるっ! メッチャ、ゾクゾクきてるっ!
何なん、この人っ? 何者なんっ?
メッチャ小悪魔やんっ! メッチャ小悪魔やんっ!
こんなふうに誘われたら、こんなん、誰かて……。
(……私は、お前のことが好きだ、悟……!)
「ぐはっ!?」
「うん?」
不意に、脳裏に蘇った魔王の告白。
そのあまりの唐突さに、俺は血反吐を吐くようにして倒れてしまう。
「悟く~ん? 大丈夫?」
「いや、あの……大丈夫、です、けど……ね?」
だから、そんな前かがみになって俺の顔を覗き込むみたいにしたら!
おっぱいが! おっぱいが僕の胸に、ふにゅってなってくるんですよ!
わざとでしょっ、もう!?
(あぁっ、もう! このおっぱいをっ、メッチャ鷲掴みにしたいのに!)
望めば、それができるのに……!
思い出してしまった魔王の姿が、俺にそれを思い止まらせてしまう。
「……あの~、ですね、奏さん?」
「うん」
「…………そ、そういうのは、アレです……。もっと、その……僕が、キチンと自分の心に答えを出してから、みたいな……」
「身体で繋がるのが、その答えを出す手助けになるかもだよ?」
「ぶふっ!?」
何なん、この人っ!?
ホンマにもう、何なんなんだ!?
そうやって、俺がいよいよ瀬戸際に追い込まれた時……!
ジリリリリーン……! ジリリリリーン……!
「うん?」
「誰だろ? 家の電話が鳴るなんて、珍しいね」
いまだ現役の黒電話が、そのベルを鳴らす。
うちでは、俺より先にばあちゃんの方がスマホを使いこなしていた。
それなのに、黒電話が鳴っている。
俺と姉ちゃんは、顔を見合わせた。