第71話 名前を呼んで。エンドレスに。
「え、え~っと、ですね?」
「うむ、何だ?」
「ですから、その……そろそろ放していただければな~……なんて、ね?」
「ふむ?」
「うぐぅっ!」
クッソ、コイツは!
魔王パワーで抱きしめてくるんじゃねえ!
背骨が折れるかと思ったわ!
そして!
そんな痛みを味わいながらも、伝わる女の子の柔らかさ!
これはもう人体の神秘というしかないね!
「ていうか、痛い痛い痛い痛い! マジ痛いから、いい加減、本気で放せってばっ……ッ……緋冴!」
「ッ……ふ、ふふ、ふ……ふふふふふふふふふふっ!!」
「ぅぐおぉおおおおおっ!?」
何でっ、何でぇっ!?
僕っ、ちゃんと名前を呼びましたやんっ!
せやのに、何で余計に強く抱きしめられなアカンのんですか!
しかも!
おデコがメッチャ、グリグリ押し付けられてるし!
痛い痛い痛い痛い!
肋骨が、すりおろされてまうやんか!!
「ッッぷはあっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ……ふ、ふふふふふふふふふ」
「お~い、コラコラ、お~い、コラ! 何をそんな“堪能した!”みたいに笑ってんだよ? てか、堪能したんなら、マジいい加減放せってば」
「何だ? 悟は私に抱きしめられるのが、そんなに嫌なのか?」
「嫌とは言わんが、クッソ恥ずかしいからマジ勘弁してくれ」
さっきから、傍を通る人達が割りにガン見してくれるんですけど?
微笑ましいなぁ、なんて好意的な目もあれば、「爆発しろ!」なんていう憎悪の目もある。
その辺は、人間性が出るよね、ホント!
「いや、もうホント、いい加減に放してくれってば」
恥ずかしいのもあるし、だからその、女の子の何やかやがね!
魔王のサイズだって、十分立派にだからさ!
ホラ、ね!
「放して欲しくば、分かっているだろう、悟?」
「またそれかよ!?」
さっき俺、ちゃんと名前を呼んだよね?
なのに放してもらえてないよね?
もう名前呼んでも、意味ないんじゃね?
「さあ、どうした悟? ホラ」
「ああ、もう分かったってば! とりあえず放せって。な、緋冴?」
「くふっ……ふ、ふふふふふふふふふふっ!!」
「ぐふぅうううっ!? だっから、お前は、放せって言ってんじゃねーかよぉおっ!」
やっぱりまた魔王パワーでハグされてるし!
一緒じゃん! 呼んでも呼ばなくても!
痛いのに、何かこう微妙にムズムズするっていうか!
頼むからホント、勘弁してくれ!
とか思っていたら、ようやく魔王が身体を離した。
けれども、その代わりとばかりに、俺の手を握っている。
ちっちゃい、女の子の手だった。
それだけで何かもう、ドキッと来てしまう、けど……。
「……ふぅ……ふ~~~…………ふ、ふふふふふふふふふふ……」
「いや、お前、いつまで笑ってんのよ?」
「ふふん。それほど、私の喜びは大きいということだ。そして、ここまで私を待たせたことを大いに反省しろ、悟」
「へいへい、そいつはすみませんでしたね」
「……」
「痛ぁああっ!?」
手がっ!? 手がミシって!?
魔王には全然、力を入れてる雰囲気がないのが、余計に怖いよ!?
「お前、ちゃんと謝っただろっ!?」
「“名前”という誠意が、スッポリ抜け落ちていたではないか」
「ああ、もう、分かったよ! 悪かったな、緋冴!」
「くふぅうっ……!」
「痛ぁああっ!?」
魔王が……魔王が「もう堪らん……!」みたいに幸せそうに笑うけど!
その幸せが、手に力を込めさせているのか、俺の手がミシミシっ……!
どっちにしたって一緒じゃん!?
もうヤダ、この子!
「んで? この手は結局、いつ、放してくれんのよ?」
「無論、私の家に着くまでだ」
魔王が、分かりきっているではないか、とばかりに答える。
土手から町の方に下りてきて、その分、人通りも増えてて。
その人たちに見られてるって思うのは……自意識過剰なだけか?
いや、でも魔王って人目を引く容姿だからなぁ……。
そんな女の子と手を繋いでいれば……。
(見ろ! 今の奴も、“何でお前なんかが?”って顔してたぞ!)
まあソイツも、魔王オーラの設定圏内に触れた瞬間、顔を背けて足早に通り過ぎていったけどな。
まあでも、俺が魔王に釣り合う容姿かって言われたら……客観的には、そうじゃないくらいの自覚はある。
いや、俺だってベースは悪くない……とは思う。
思うけど、魔王に比肩するほどのイケメンじゃあ、ちっともない。
(そんな俺のことを、何でコイツは“好き”なんて言うんだろうなぁ……?)
実は、ソコがちょっと分かんない。
いや、アシュタルは割りに美形だったんだよね。
若干、何か悪そうでもあったんだけど、そこがまたいい感じに魅力的になってたっていうかさ。
対して、俺は?
ぶっちゃけ、彼女いない歴=年齢ですよ?
言ってしまえば、そのレベルって訳ですわ。
こんなハイクオリティな女の子に似合うレベルでは、ちっともありません。
(てことは、中身か? 中身なのか? う~~ん……)
しかし中身がいいってんなら、もっと早くに彼女ができてても良くないか?
しかも何?
俺の中身の良さに、初めて気付いてくれた女の子が魔王とか?
てことは、俺の周りには、ロクに見る目のない女の子ばっかりだったってことか!
……ただし、ねーちゃんは除くとして。
「どうした、悟?」
「ああ、いや、うん。何でもない」
まあ、さすがに魔王本人に「俺のどこが好きなの?」とかは聞けんわな。
いや、聞いたら答えてくれそうな気がしなくもないけど……。
その場合、何故か俺の方が精神的ダメージを食らっている未来が、想像に難くない!
「って、おい。お前の家、そっちじゃないだろ?」
「いいではないか。多少の遠回りくらい」
「いや、何でそうなるんだよ?」
「少しでも長く、お前と一緒にいたいからに決まっている」
「ッ……」
クッソ、コイツはっ。
ああ、駄目だ、顔が熱い!
「ところで、悟。今また、私の名前を避けただろう?」
「はあ? どこでぇ?」
「“お前の家”と言ったではないか」
「いやいやいや、それ、言いがかりレベル……痛い痛いたいたいたいたぁいっ! お前っ、もうマジいい加減にしろよなっ!」
俺は涙目で怒鳴りつけるが、魔王は涼しい顔だ。
クッソ、マジ本気で勇者の力が欲しい!
アシュタルなら、この程度の握力勝負、まだどうにかできてた……はず!
「ああっ、もうだから! お前の家はそっちじゃないだろ、緋冴?」
「ふふふ……遠回りしてでも、お前とまだ一緒にいたいのだ。それくら察したらどうだ?」
「ッ……」
クッソ! 二回目なのに、やっぱり顔が熱い!
何か魔王にしてやられてる感が半端ないぞ、これ。
あと、あれ。立場が逆転してる気がしなくもないぞ?
「しっかし、そこまで名前にこだわらなくったって、いいだろうに……」
「いいや、そうはいかん。お前には今まで、散々、名前を呼ぶのを避けられてきたからな! その分、タップリと名前を呼んでもらうぞ!」
魔王が、訳のわからん宣言をする。
何て言うかもう、既にお腹いっぱいなんですけど……。
「とりあえず、悟。“緋冴”と10回、言ってみろ」
「何で?」
「いいから、言え」
「ああ、はいはい。分かりましたよ、まったく」
ピザじゃあるまいに……と思いながらも、逆らっても無駄だから大人しく従う。
「緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴緋冴。はい10回」
「うむ。では、私は?」
魔王が、メッチャ期待に瞳を輝かせながら、自分を指差している。
そりゃもう、瞳がキラッキラしてる。
俺は、バレないように、そっと溜息を零して……。
「魔王」
「何故、そうなるっ!?」
「痛い痛い痛い痛いたいっ! 冗談だろうがっ! 緋冴さんですーっ! アナタは高城緋冴さんですーっ」
「まったく……今のはよくない冗談だったぞ、悟」
「ああ、はいはい。気を付けますですよ、緋冴さん」
「ふふふ、まったく……」
今さっき、俺の手を握り潰さんばかりにしていた魔王が、しょうがないなぁと笑っている。
何て言うかホントにもう……しょうがないってのは、こっちの台詞だわ。
まあ、そんな。
傍から見れば、バカップルと呼ばれかねないやり取りをしつつも。
どうにかやってきました、魔王の居城タワーマンションへ。
「……」
「どうした?」
「ああ、いや、何でもない」
さり気なく周囲の様子をうかがったが、魔王パパの気配はしない。
いや、だが油断はできない。
あのストーカーに娘と手を繋いでいるところを見られでもしたら……。
「どうした、悟? 震えているようだが」
「ああ、いや、だから何でもないって」
そうして俺たちは、いよいよ玄関前にまでやって来る。
どちらからともなく、足を止める。
正面の大きな自動ドアを見つめていた魔王が、俺の顔をゆっくりと振り仰ぐ。
「ッ……」
だから、こういう時に泣きそうになるのって、絶対卑怯だよな……。
もうこんなの、勝ち目ないじゃん。
俺は、零れそうになる溜息を、グッと飲み込んだ。
そして、魔王を見下ろして笑いかける。
「それじゃあな、緋冴。また明日、学校で」
「ッ……う、うむ! そうだな!」
魔王の……緋冴の顔が輝く。
名前を呼んで、手をこちらから握ってやったのが効いたらしい。
絶対、チョロインだよな、コイツ。
「では、悟。送ってくれて、ありがとう! 悟も、気を付けて帰ってくれ」
「おう。じゃあまたな、緋冴」
「うむっ!」
魔王は……緋冴は、嬉しさいっぱいに大きく頷いて。
そうして、最後にギュッと俺の手を握ってから、自動ドアをくぐっていった。
もちろん。
それを見送った俺が、手の痛みに悶絶したのは言うまでもない。
で。
まあ、アレだ。
俺の気が緩んでいたのは、否定できない。
何だかんだで、魔王といい感じだった訳だしさ。
だから、そもそもの、俺が魔王を送ってきた理由。
つまり、“不用意に聖導教団と接触しないため、なるべく駅前を通らない”ってことが、完全に頭から抜けていた。
その結果。
「……見損なったぞ、勇者アシュタル」
駅前のロータリーで、いきなり背後から投げつけられた、その一言に、俺は凍りついていた。