第70話 フラグはとっくに立っていたのだよ!
「私の名前を呼ぶのは……そんなに、難しいこと……なのか?」
「ッッッ……い、いや、そんなっ? ぜ、全然!?」
「では……呼んでくれ、私のことを……緋冴と」
「ッッッッッッ!!!???」
クッソォォォオオオオッ!!
メッチャ緊張してきた!!
アカンっ、アカンっ、アカンっ、もうアカンっ!?
姉ちゃんの時にも思ったけど、何で女の子って名前にこだわるん!?
ええやん、別に!
いちいち呼ばへんかって、ちゃんと通じてんねんからっ!
だいたい、“オマエ”がアカンとか言うたら、“御前崎さん”とか“大前くん”とか、どないすんねん!?
ていうか、今っ、気が付いた!
“緋冴”て、それ、下の名前やん!!
何で苗字ちゃうのん!?
いや、姉ちゃんの時はしゃあないやん!
従姉やし、苗字一緒やし!
それやのに、僕が姉ちゃんのこと「水嶋」って呼んだら、そらおかしいやろ!?
香月かってせやで?
“香月”ってアレ、何か名前みたいな響きやけど、苗字やから!
アイツの名前は……………………とりあえず“香月”ちゃうし!
せやけど、“緋冴”はそれ、普通に下の名前やん!?
それを呼ぶって……それを呼ぶって、何か……何か……!!
ってッッッ、もう一個、気が付いた!!
コイツっ、俺のこと普通に“悟”って下の名前で呼んでるんちゃう!?
いつからや? あれ? 最初っからやった!?
いやいやいやいやいや!
でも、でもそれは何かアレやん!?
親愛の情って言うよりも、コイツ、そういうのが許されるキャラやったやん!?
誰に対しても、下の名前を呼び捨てがデフォな偉そうキャラ、みたいな!
せやから僕も、そう思うてたのに……!
いつの間に……いつの間に、そこにそういう意味が足されてたんよ!?
いや、もちろん! もちろん、せやから、「魔王って俺のこと、好きなんじゃね?」って思ったことはあったけど!
あったけど!!
今……今、改めて魔王を下の名前で呼ぶって、それは……それは……っ!
「悟……ッ」
魔王が、すがるような目で俺を見上げてくる……。
その姿に……その瞳に……俺の視界から他の余計なものが、消えていく……。
音さえ消えて……ただ、俺を見つめる魔王、だけが……。
その、魔王だけが存在する世界で、俺は……俺は……っ。
「……ッ……」
「………………ひ……」
「ッッッ!!」
「…………緋、冴……?」
「ッッッッッ!!??」
言っちゃったよ、チクショウッ……!!
けどっ、けどけどけどけどけどっっ!!
ここで言わないって選択肢はねーだろ!?
女の子にここまで言われてッ、何で断れんのよ!?
だから言ってんじゃん、「どれだけ良い女に転がされるかで、男の価値は決まるって」さぁ!
「……って、あれ?」
「………………」
魔王が何か、フリーズしてんぞ?
しかも器用に、髪が、ほら、マンガでキャラが感動した時みたいなノリで、ブワッとなってる感じだし。
やっぱコイツの髪の毛って、触手かなんかなんじゃないのか?
いや、それは置いておくとして、だな。
「お~い、どうした? 大丈夫か~」
「ッ……ぁ、ぁあ……ッ、ま、待って、くれ……大丈夫、だ……ッ」
魔王は、何か息をつっかえるように、そう言って。
ホントに大丈夫だからと、俺を手で制するようにしながら、ちょっと前かがみになって深呼吸をして……。
そうして……。
「悟っっっ!!」
「お、おぉうッ!?」
「もう一度だっ!」
「はっ?」
「もう一度っ! いやっ、もう二度も三度も四度も五度も六度も七度も八度も九度も十度も十一度も十二度も……」
「いやいやいやっ、いつまで続けるんだよ?」
俺は、延々と数を数える魔王を押し止める。
魔王は、やたら興奮した様子で、しかも瞳をキラッキラ輝かせて俺を見つめてくる。
「とにかく悟! もう一度、私の名前を呼んでくれ!」
「えぇっ!? 何で!?」
「何でだとっ!? お前は、一度、私の名前を呼んだだけで終わらせるつもりなのかっ!?」
Oh……メッチャ非難がましい目で見られてるし。
て言うか、普通にメッチャ怒ってますよ、魔王さん。
いや、もういいじゃん。ちゃんと一度、呼んだんだからさぁ……。
「とにかく! お前にはもう、私のことを“お前”とか“おい”とか、そういう名前以外の呼びかけをすることを禁ずるからな!」
「はぁああっ!? 何でぇっ!?」
「何で……だと?」
「ぅっ……っ」
魔王が、ギヌロッ……と俺を睨みつけてくるっ。
怖い怖い怖いっ、超怖いっ!
魔王オーラがダダ漏れっすよ、魔王さんっ!
ホラっ、飛ぶ鳥が落ちてきたしっ!?
と、思ったら。
「……あれ?」
「……ッ……」
おいおいおいおいおい、何で急に涙ぐんでんの、この人?
あれ? いや、おい、ちょっと待てよ!
それじゃあ、何か俺が悪いことしたみたいじゃん!?
え? 何で? 泣くようなとこあった!?
「ッ……さ、悟は……」
「お、おう?」
「悟は……悟はそんなに……そんなに、私の名前を呼びたくない……のか?」
「え……? えぇええっ!?」
何で? 何でそうなんの?
え? いや? そうなっちゃうのか?
あれ? アレレ~~~~?
「い、いや、そのっ……呼びたくない、とか……そんなことは全然、ない……ぞ?」
「だったら……だったら、何故……そんなにも頑なに、私の名を呼ぶことを拒絶、するのだ……?」
「いや、だから拒絶って訳じゃなくて、だな? ただ、何て言うかその……ッ」
「その……?」
ぅぐぅうううっ、堪らん!
涙目の女の子の上目遣いって、こんな強力な破壊力だったのかっ!?
こんな視線に、どうやって対抗しろっちゅうんだよっ!?
こんな視線を、サラッと笑顔で受け流しまくっていたアシュタルは、絶対、鬼畜だと思う!
ああ、でもっ、それをするのが一番良いのかも、しれない……けど!
けどやっぱり、女の子を泣かせたままになんて、できないじゃんか!!
「ッ……分かった、ひとまず正直に言おう! お前の名前を呼ぶのが嫌なんじゃなくて、恥ずかしいの!」
「…………恥ずか、しい……?」
魔王が、何かキョトンとしたみたいに、目をパチクリさせる。
ああ、もう! 今の一言だけで、自分の顔が真っ赤になってるのが分かる。
俺は、その顔をなるべく魔王から背けさせながら、言葉を続ける。
「だからな? 下の名前を呼ぶって、けっこう何て言うか、フランク……いや、だからアレだ。親しい間柄、みたいな感じがするじゃんか!」
「私と悟は……親しくない、のか……ッ……?」
「あぁああっ、もう! だからお前は、言葉の意味を逆に取るんじゃねーよ!」
何でそんな絶望的な顔をするんだよ!
クソッ、クソッ、クソッ!
コイツにはもう、ストレート以外に通用しねえ!
「いいか! お前はもっと、自分が美人だってことを自覚しろ!」
「ッ……何、だと……?」
「ああ、そうだよ! お前は美人だとも! メッチャ綺麗です! 慣れたつもりでも、何かのはずみで“うわっ、コイツ、メッチャ美人!?”って思います!」
「……ッ……」
魔王が、驚いたように俺を見上げる。
その頬に、どんどん朱が差してくる。
「そのお前に、下の名前で呼ばれてだぞ? それで下の名前を呼び返すって、何かこう……分かるだろ!?」
「…………」
結局、俺は最後までうまく言葉にできずに、そう誤魔化して。
それでも、ようやく魔王は意味を受け取ってくれたらしく。
目をパチパチッと瞬かせたと思ったら……。
「悟っっっ!!!」
「うぉわあっ!? 何でっ? 何で抱きつきてくんのよっ、お前は!?」
「無論、嬉しいからだ!」
「ふほぉおおっ!?」
マズいマズいマズいマズいマズいぃいいいっ!
そんな全力でハグされたらっ、何かこう、女の子の香りとか柔らかさとかが、ダイレクトに伝わってくるっ!!
アカン、アカンアカンアカン!
これ、アカンやつやんっ!?
「ふふふふふ……だがな、悟よ。先ほどの台詞は、やはり、やり直しが必要だぞ?」
「は……ッ、な、何のこと、だ……?」
魔王の強烈な抱擁に、全身を硬直させて緊張する俺。
そんな俺に抱きついたまま、魔王は嬉しそうに俺を見上げて笑う。
「“何で抱きつきてくんのよ、お前は?”と言っただろう? そこはやはり、“緋冴は”で締めてもらわないとな!」
「………………」
振り出しに戻る。