第59話 女の涙にうろたえる。それが俺のJustice!
「へ~ぇ……ここが水嶋の家かぁ。大っきいんだね」
「まあな」
という訳で、放課後。
まったく気乗りはしていないけれども、拒絶する手段があるはずもなく。
俺は魔王と香月を引き連れて、家に帰ってくるハメになっていた。
まったく。どうしてこうなった?
「それで? 水嶋の従姉っていうかロゼッタっていうかは、いるわけ?」
「ああ、いるってよ。それは確認してるから大丈夫」
こういう日に限って、姉ちゃん、午前中しか授業が無いんだもんなぁ。
それでいいのか、大学生?
正直、羨ましいぞ。
「まあ、いいや。とりあえず入ってくれよ」
「ぅ~、何かちょっと緊張してきた」
「大丈夫だ。取って食われやしねーよ」
俺は香月にそう言って、ガラリと玄関の戸を開けた。
「ただいま~」
「おかえりなさ~い」
俺が声をかけると、すぐに奥から返事があった。
俺の後ろで、香月がちょっと姿勢を正すみたいにしてる。
魔王は何か、不機嫌そうだ。
俺はやれやれと、心の中で溜息をつく。
そして……。
「お帰りなさい、悟くん。お友達、連れてきたって?」
「ああ、ただいま、姉ちゃん。こっちは知ってるだろ? 高城緋冴と、もう一人。うちのクラスの委員長、香月……香月だ」
「下の名前は知らない訳ね?」
「いや、普通、知らねーだろ?」
いや、何か覚えがあるような気はするんだけれども。
香月っていう苗字が名前みたいなんだし、もうそれでいいじゃん的な。
「え、えっと、あの……ッ」
その香月は、姉ちゃんを前にちょっと戸惑っている。
魔王は相変わらず、姉ちゃんに対して非友好的というか、無愛想にしている。
そして姉ちゃんはと言えば。
「初めまして。悟くんの従姉の、水嶋奏です。よろしくね」
「あ、は、初めまして。香月千里……です」
香月に、明るく挨拶をする姉ちゃん。
香月もハッとなって、慌てた感じで、でもまだ戸惑いながらみたいな挨拶を返す。
そこで姉ちゃんが、ちょっと笑った。
悪戯っぽくっていうか……恥ずかしそうにって、いうか。
「でも、この顔ぶれだったら、別な挨拶の方がいいかな?」
「え……?」
「久しぶりだね、“イーリス”」
「ッッッッッ!!!!????」
ブワッと、香月の全身に鳥肌が立つのが、気配で分かった。
何かこう、口元に両手を当てるみたいな感じで、目もまん丸にしてるし。
身体も小さく、震えてたりする。
「ッ、ッ、ッ……あ、あの、ッ、あの、あの……ッ!」
「うん。まあ、お互い元気そうで何より……っていうのも、変かな?」
言葉を詰まらせる香月に、姉ちゃんがそう言って、笑って。
そうしたら……。
「ヒグッ……ぅっ、ぅぐっ、ぐすっ、すびっ……んぐっ、ぅっ、ぅぅぅっ……ッ!」
「お、おぉっ? 何で泣いてんだ、お前?」
「ッ、うっ、うっさッ……ぅぐっ、んひっ、ひぅっ……ッ」
「ちょっとちょっと、悟くん。それはないでしょ?」
「うむ、まったくだ」
いきなり泣き出す香月に、慌てる俺。
そんな俺をたしなめる姉ちゃんに、何故か訳知り顔で頷いている魔王。
それでも俺が、展開についていけずにオロオロしていると、姉ちゃんがサッと三和土に下りてきた。
「うんうん。いっぱい頑張ったよね。えらかったね。うん、頑張ったよ、本当に」
「ッ……ッッ……ッ……ぅぁあああああああああっ! ッ、ぁああああああああああああああっ!!!」
姉ちゃんが、そのでっかい胸に香月の頭を抱きかかえる。
それで我慢の限界にきたのか、香月が、耳が痛くなるくらいの大声で泣き始めた。
それを姉ちゃんは、よしよしと頭を抱きしめ、背中を撫でさすってやる。
俺は、ほとんど訳の分からないまま、ただその光景を眺めるだけだった。
「え~……先ほどは、誠にお見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」
「まあまあ、気にしない気にしない」
という訳で、約10分後。
香月も落ち着いてきたところで、俺たちはリビングに場所を移していた。
「てか、ごめん。何で、あんないきなり泣き出したんだ?」
「……ま、まあ、強いて言えば感情のいろいろが爆発した感じ?」
「ふ~ん?」
香月が、照れたように怒ったように、目線を逸らして言う。
ただ、そう言われても、いまいちピンと来ない。
そんな俺に、香月が若干、イラッとしていた。
「だからぁ。アンタはどうだか知んないけど、私にはけっこう、前世の記憶って生々しかったわけ。でも、そんなの、友達にだってそうそう話せないでしょ?」
「ああ、まあな?」
それは俺にも覚えがある。
笑いのネタにしかなんないしな。
下手に固執すりゃあ、格好のいじめのネタだわな。
「それが今年! 前世で一緒だった仲間と、やっとっていうか、ようやくっていうか、再会できたっていうのに、相手はちっとも私のことに気付いてなくて! あん時、私がどんだけ落ち込んだか、アンタ、分かる? ねえっ!?」
「ッ、お、おう……」
香月がギロリと、涙目で俺を睨み上げてくる。
その迫力に俺は身体を仰け反らせるが、そうすると隣に魔王がいるので逃げ場がない。
試しに魔王に助太刀を求める目線を送るが、魔王は静かにお茶を飲んでいる。
ひどい。
「すっごくすっごく、迷った。前世の話をしたかったけど、ドン引かれたらって思うと、怖くって、できなくて……。そもそも、前世の記憶がなかったらって……」
「ま、まあ、うん……」
「そうしたら先週よ! よりによって、あのっ、魔王が転校生って!!!」
「ッ、お、おうっ……ッ」
香月がダンッとテーブルを叩く。
姉ちゃんと、そして魔王は、すべて承知と言わんがばかりに、その寸前にそれぞれ、お茶の入ったカップを持ち上げていた。
しかも姉ちゃんは、キッチリ香月の分まで。
俺のカップだけが、ガチャンっと音を立てていた。
「そりゃあもう、私もパニックよっ!? 一緒に戦った仲間は、もういない! 私が戦うしかない! どうしよう、どうしよう、どうしようってね……。なのに……なのにっ!!!」
「ッッッ……!」
香月が、往年のヤンキーも裸足で逃げ出すような眼力で、俺を睨み上げてくる。
ていうかコイツ、だから“イーリス”なんだよな?
何かホラ……バチバチ言ってるんですけど?
静電気で髪の毛が逆立ってませんか?
ていうか姉ちゃん、そろそろ助けて欲しいんですけど……?
何をそんな、微笑ましそうに見てますか?
ひょっとして姉ちゃん、香月に同調してる……?
「……聞いてんの? ねぇ?」
「はいっ! はいはいはいはいっ、聞いてますよッ!」
低く唸るようなその声に、俺は慌てて背筋を伸ばす。
何コレ?
何か全然、俺の予想と違う展開なんですけど?
何で今、俺が香月に糾弾されてんの?
「私が一人、悩んで悩んで悩んで、そりゃもうハゲそうなくらい悩んで、不安と戦っている、その間に……」
「は、はいっ……ッ」
「その間に、どっかのアホ勇者が、その当の魔王とイチャコラしてたら……そりゃあもうブチキレるってもんでしょっ!! ねえっ!!!」
「はいはいはいはいっ! わかりました! ごめんなさいっ!」
ああ、うん。これは駄目だ。
下手な言い訳は絶対逆効果。
てか、うん。
香月の心情を考えれば、ちょっといろいろ可哀そうになってきた。
いや、俺だって十分、可哀そうに値するはずなんだけどな?
この一週間、俺がどれだけ魔王相手に奮闘してきたことか……。
まあ、それをとうとうと語っても、香月は同情してくれそうにないけれどもさ。
「……まあ、そういう訳で」
「お、おう?」
俺を睨みつけていた香月が、ふぅ……と息を吐いて力を抜く。
うなだれるみたいにして、そっから俺を見上げて……ちょっちまた顔を背けて。
「え~、だからその、奏さんの対応はね、いろんな意味で、私の理想だったわけ。この一週間の私の苦労をねぎらうっていうのと……」
「いうのと?」
「だからその……前世の仲間との再会……みたいな?」
「……な~るほど。そういうことな」
香月が目を逸らせたまま、ぶっきらぼうみたいな感じでそう言った。
そこで、俺もようやく納得した。
確かに、その気持ちは俺にもよく分かった。
実を言うならば、俺だって空想していたことがある。
前世の仲間と再会したら何て言おう……とかね。
(それを俺……姉ちゃんのことも、香月のことも、気付いてなかったんだもんなぁ……)
いや、もちろん悪気はなかったよ?
素で気付いてなかっただけだから。
ただでも、悪気がなかった=悪くない、じゃあないしさ……。
「……なあ、香月」
「……何?」
「まあ、あれだ、その…………」
「……」
「これからも、よろしく?」
「……ふん」
香月が、「今さら遅いんじゃ、アホ」みたいに鼻を鳴らす。
けど、ちょっとは機嫌が直ったみたいだ。
俺は、ホッと胸を撫で下ろした。
そして……。
「さて? じゃあ、話を聞こうか?」
「ぁ……」
「私、詳しくは聞いてないんだもん。どうして今日、このメンバーで集まってるのかって、ね?」
本題はちっとも片付いてないどころか、始まってすらいなかったことに、ようやく気が付いたのだった。