第32話 VS お姉ちゃん!
「や~、今日はちょっと暑かったもんねぇ。一日、“デート”で出歩いてたら、疲れたんじゃない?」
「ぁ、ぃぇ、そんな、ことは……」
魔王の家と違って、純和風の居間で。
ちゃぶ台というローテーブルの前で正座した俺は、極力、身体を小さくさせていた。
そんな俺に、台所にいる姉ちゃんから、容赦のない、しかし実にほがらかな声が投げかけられてくる。
「あ、そっか。涼しい部屋で二人でいたんなら、別に暑さは気にならなかったのかな?」
「ぇっ……?」
「でも、それはそれで疲れたと思うんだけど? 割りに汗だくになるしねぇ?」
「ッッッ!!??」
えッ? えッ? えぇッ!?
姉ちゃんがッ、姉ちゃんがそんな下ネタをッ!!??
ていうか、顔が見えないのが余計に怖いよッ!
声はメッチャ上機嫌チックなのに……ッ!
それなのに、身体の震えが止まらないよッ!!
「あの子は、どういうのが好きなの? 案外、ハード系?」
「ハっ、ハード系ッッ!!??」
クッソっ!!! 想像しちまったぁああああッ!!??
もう姉ちゃんッ、ホンット、ごめんッ!
俺が悪かったですッ!
何かしらないけどッ、俺が悪かったですからぁああッ!!!
「意外とでも、和風だったりもしそうだよね~」
「和ッ、和風ッ!!??」
きっ、緊縛ッ、とかそういうッ!!??
くふぉおおおおおッ!!??
妄想力がッ! 童貞の妄想力が止まらないぃいいいいッ!!??
「うん、そうだよね。案外、演歌とか上手そうだよね?」
「…………………………はい?」
えん、か……?
嚥下?
塩化?
あ、いや、演歌……?
「って、姉ちゃんッ!!??」
「うん? カラオケに行ってたんじゃないの?」
「………………」
わざとかッ!?
姉ちゃんッ、絶対、わざとだろうッ!!??
そうやって無垢なチェリー・ボーイの純情をもてあそんでいるんだろうッ!!??
怒るぞッ!? 俺だっていい加減にッ!!??
「はい、お待たせ~」
「ッ……」
俺の、その機先を制するように、姉ちゃんが台所から戻ってくる。
手にしたお盆からは……その上のグラスからは……何て言うか、こう……。
ドライアイスを水に付けたみたいに、ボッコボコ、蒸気だか冷気だかが溢れ続けている……。
「……ね、姉、ちゃん……?」
「うん?」
「それ…………………………何?」
「え? アイスコーヒーだよ? 冷たい方がいいって、悟くんが言ったんじゃない」
「え、あ、はい……」
アイス、コーヒー……?
いや、でも俺の知ってるアイスコーヒーとは、ちょっと違うっていうか……。
だからこんな、ボコボコ煮立ってるみたいに、冷気が溢れてこない、よね……?
「さ、どうぞ? ぬるくならないうちに、飲んでね?」
「あ、は、はい……」
の、飲むの? これを?
俺が?
マジで?
「ッ……」
「ん?」
恐る恐る、姉ちゃんの様子を見る。
「どうしたの?」と姉ちゃんは、ちょっと不思議そうに首を傾げる。
アカン……。
今の姉ちゃんには、もう言葉が通じひんくなってもうてる。
飲め言われたら……もう、飲むしかないわ……。
何でや……?
何で、こないなことになってんねや……?
わしが……わしが何したっちゅうんや……?
わしがしたことは、そない大それたことやった、ちゅうことか……?
そうか……そういう、コトか……。
すまんなぁ、姉ちゃん……わしがアホでした……。
俺は、溢れる涙をグッと飲み下して……。
姉ちゃんが俺の前に置いた、今もゴッポゴッポと怪しげな冷気を溢れさせ続けているグラスに、手を……ッ!?
「ぅおあっちゃうぁああッ!!??」
「きゃっ!?」
俺はあまりの冷たさ/痛さ/熱さに、悲鳴を上げて飛び上がる。
ガンッと俺の膝がちゃぶ台を叩く。
グラスがガンッと倒れて、そして……ッ!?
「ッッッ!!??」
「あ~あ~、もう。大丈夫大丈夫、すぐ拭くからね?」
アイスコーヒー(仮)を零した俺を、姉ちゃんはそんな風に慰めて(?)くれる、けど……。
いや、あの……問題はそこじゃなくて、ですね?
何でその……アイスコーヒー(仮)の零れたちゃぶ台が、パキパキ音を立てて凍っていってるんですか? という……。
液体窒素とか、そういう系でしたか?
何でじゃあ、そんなのが家にあるんですか?
姉ちゃん、アンタはいったい、何者ですか?
そして、その怪しげな凍りつく液体を、何をそんな、普通の布巾で平然と拭いておられるのですか?
アナタ、ホントに何者ですか、お姉さま?
「よし、こんなもんかな? じゃあすぐ、代わりを持ってくるね?」
「えッ!? いいいいッ、いいからッ、もうそんなッ!」
「そう? でも、喉が乾いてるんでしょ?」
「いやいやいやッ、もうホンット全然、その辺も大丈夫ッ、だから……ッ!!」
「ふ~ん……?」
姉ちゃんは、ちょっと不思議そうに首を傾げる、けど……ッ。
俺は、そんな姉ちゃんを、固唾を呑むみたいにして、見つめて……ッ。
「じゃあ、ちょっと待っててね? 自分の分を、淹れてくるから」
「あ、う、うん……ッ」
姉ちゃんは、俺にそう微笑みかけて、立ち上がって……。
その姿が台所に消えてから……俺は大きく息を吐いた。
(ッッッふはぁぁぁ~~~~……緊張したぁぁ~……何なんだよ、もう……勘弁してくれよ……)
グッタリと、俺はちゃぶ台に倒れ伏す。
さっきの怪しい液体のせいで、まだ冷たくて、それがでもヒンヤリと心地いい。
(てか、あれを飲んでたら、マジ死んでたんじゃね?)
姉ちゃんが、どこまで本気だったかは分かんないけど……。
それでも、あの普段通りの表情や声色とは裏腹に、メチャクチャ怒っているのは、間違いない。
(……でも、俺が魔王とデートしただけで、そんなに怒るかなぁ……?)
姉ちゃんって、そんなブラコンだったっけ?
いや、まあ、その気があるとは思ってたけど……。
それにしても、ここまでだったけって言うか、何て言うか……。
「ごめんね、お待たせ~」
「あ、う、うん」
姉ちゃんが居間に戻ってきて、俺はとりあえず身体を起こす。
姉ちゃんの手にしたお盆には、グラスが二つ。
「一応、用意してきたんだけど。いる?」
「あ、はい。いただきます……」
俺は、気持ち、恐る恐る、姉ちゃんからグラスを受け取る。
氷の入ったおかげで、普通によく冷えている。
見た目も、少なくとも普通のアイスコーヒーだ。
「……ふぅ」
「ッ……」
姉ちゃんは、自分の分を一口、ストローから飲む。
……とりあえず、大丈夫そうだ。
それを確認してから、俺はまた自分の分に目を戻す。
少なくとも見た目は、普通のアイスコーヒーだ。
「…………」
「飲まないの?」
「あッ、い、いやッ、いただき、ます……ッ」
俺は覚悟を決めて、ストローを口に含んだ。
そして……ッ!
「ッ……ぁ、おいしい」
「えへへ~、良かった♪」
自然と漏れた俺のつぶやきに、姉ちゃんが嬉しそうに笑う。
俺の口元にも、安堵の笑みが浮かんでいた。
良かった……本当に、良かった……。
コレは普通に美味しいアイスコーヒーだ……。
さっきのは、俺のやましさが見せた白昼夢だったんだよ、うん……。
俺が、そんな風に自己解決をした時、だった。
「さて、と。それじゃあ、改めて聞かせてもらおうかな?」
「ん? 何を?」
「それはもちろん、悟くんが、よりにもよって“魔王”とデートをしていた、その理由だよ」
「…………………………ぇ゛?」
その時、その日一番の爆弾が、投下された。