第30話 喧嘩上等! 敵前逃亡!!
「悟?」
「はッ、ははッ、あははははははははッ!」
不思議そうな顔をする魔王に、俺は意味もなく笑い返す。
いや、笑うしかねーってばッ!!!
今、首の辺りが超ヒヤッてしたしッ!!
夢の中で、何度も感じた感覚だよッ!!
ていうか、お前にも何度となく感じさせられた感覚だよッ、魔王ッッ!!
そうッ!!
“殺気”というなッ!!!
「……よく分からんが、そんな所に座っていないで、こっちに座るがいい」
ポンポンと、魔王が、さっきまで俺の座っていた、自分の隣を叩く。
その瞬間、魔王パパの瞳がクワッと見開かれた。
「緋、緋冴ッ……その、手は……ッ!?」
「うん?」
魔王が、言われて初めて気が付いたとばかりに、自分の腕を見る。
その、細く白い、見るからにキャシャな腕には……。
か細い、とても魔王とは思えない、たおやかなその、手首には……。
俺の握りしめた痕が、クッキリハッキリ、赤く刻み込まれていた……ッ!!??
「……ふふふ」
「ッッッ!!??」
「ッッッ!!??」
魔王パパと俺が、同時に息を呑むッ!
何をッ!? 何を笑ってくれちゃってるの、魔王ッ!?
そこ、今、笑うとこだったッ!?
何で、そんな嬉しそうに手首をさすってるのッ!?
いや、俺のフォローをしろよッ!!
一人でニヤニヤしてないで、早くパパンに事情を説明してよッ!!
「ふ、ふふ、ふ、ふふふふふふ……」
「は、はは、は、あははははは……」
魔王パパと俺の、乾ききった笑い声が重なりあう。
っていうかッ!
ていうかていうかていうかッ!?
魔王パパって、前世でも魔王パパだったのッ!? ひょっとしてッ!!??
絶対今、オーラ出してるって! 魔王オーラをッ!!
心臓がッ! 心臓がキリキリ締め付けられるッ!!!
死ぬッ! このままでは死んでしまうッ!!!
息を吸ってるのに、何か全然、酸素が供給されないしッ!?
これも魔王パパのオーラの力なのッ!?
そんな風に焦る俺に、魔王パパがゆっくりと歩いてくる……ッ!!!
「やあ、しかし緋冴が“友達”を連れてきてくれるなんて、嬉しいなぁ(ねぇ、キミ、僕の緋冴に、何しようとしてたの? 返答次第では、楽に殺してあげるから、言ってごらん?)」
「はっ、はひっ!!??」
えッ!? 何これッ!?
“友達”ってメッチャ強調されたのは、まだいいとして……ッ!
今、副音声でメッチャ不穏当なセリフが聞こえてきたよねッ!!??
何、この人ッ? 腹話術師ッ? 声が遅れて聞こえてくる系の人なのッ!!??
だったらもっと、なごやかなセリフにしてよッ!!
何か今の、殺されるの確定してたよねッ!!??
「前の学校では、同性の友達さえ連れて来なかったからねぇ……。親としては、ちょっと心配してたんだよ(とりあえず、一つだけまず、教えてよ? 海と山、どっちが好き?)」
「は、ッ、ははっ、は、ははははっははっ」
ヤバイッ!
魔王パパは、超危険だッ!!!
自分の害になる相手なら、害虫駆除のように淡々と叩き潰せる男だッ!!
そして俺は正にッ、娘に言い寄る害虫ッッッ!!!!
「海と山、どっちが好き?」とか絶対、言ったしッ!!
好きな方じゃない方に埋めてあげるからって意味だろッ、絶対ッッ!!!!
「あ~~っと! 今日はもうッ、こんな時間だぁあっ!!」
俺は、実況アナウンサーもかくやと言わんばかりの勢いで叫んで、立ち上がった。
「マズいマズいッ、これはマズいぞ~ッ! あんまり遅くなると、おうちの人が心配してしまう~ッ!」
迫真の演技で、危機感を演出する俺ッ!!
しかし。
「こんな時間と言っても、まだ5時を回ったところだぞ? まだまだこれからではないか」
「ッッッ!!??」
「ッッッ!!??」
魔王が、すべてを台無しにしてしまう!
魔王パパが、クワッとまた目を見開く!
その目が、俺を射抜いてくるッ!
「まだまだこれから? これからお前、何をするつもりだ?」と!
(しないからッ! これからっていうか、今までだって何もしてないからッ!!!)
俺は、目で必死に魔王パパに訴えるッ!
しかしッ!
魔王パパは「にぃっ……」と口元に残虐な笑みを浮かべて、小さく首を横に振るッ!!??
(魔、魔王や……ホンマモンの魔王が、ここにおる……ッ)
俺の心に、絶望が急速に広がっていく!
だがしかしッ!
俺も前世でとはいえ、勇者を名乗っていた男ッ!
もっと絶望的な窮地にさらされたことくらい、いくらでもあるッッ!!!
あのヤローは、とにかくモテたからなッ!
大貴族の娘といたしている最中に、親父に馬車で乗り付けられたこともあるくらいだぜッ!
ヤツが昨夜、お楽しみした回数は、数えるのが馬鹿らしいくらいだぞッ!
(なのになのになのになのになのにッ!!!)
俺はまだ、一度もお楽しんでないっていうのにッ!!
こんなところで、死んでたまるかッ!!
何が悲しくて、前世の行いのせいで、今世を童貞で死なねばならんのだッ!!??
「そうだともッ!!! 俺は絶対、生き延びてやるッ!! 童貞のままでッ、死んでたまるかッッッ!!!!」
「ッッッ!!??」
「ッッッ!!??」
………………。
……あ……あれ……?
俺、ひょっとして、ヤっちゃった系……?
今、声に出して言っちゃった……みたいな?
「テ……テヘペロ……?」
「ッ……ま、まったく……お前はいきなり、何を言い出しているのだ、悟」
うっわぁあああああッ!!!??
馬鹿馬鹿馬鹿ッ、魔王の馬鹿ッ!!
なによ考えなしッ!!
何を想像したか知らんけどッ! そんな、赤らめた顔で怒ったみたいに言われたらッ、超カワイイっちゅうねんッ!!
もうホンマにッ、胸にキュンッキュンくるわッ!!!
せやけどッ!
せやけどなッ!?
キミ、ちょっと今、横を向いてキミのお父さんの顔を見てごらんッ?
仁王様がそこにいてはるやろッ!?
悪鬼羅刹を噛み殺す、憤怒の相の仁王様がッ!!!
「そうか~、うんうん。やっぱり、男の子だねぇ? その辺の気持ちは、僕もよく分かるよ~♪(童貞を捨てたい……ねぇ? ……いいとも。知り合いに、キミみたいな子をヒィヒィ泣かせるのが大好きっていう、物好きなホモがいるから、紹介してあげようじゃないかッ!!!! 捨てられるのは童貞じゃなくて、処女だけどねぇッ!!!!)」
「ッッッ!!??」
しッ、心臓、がッ、マジでッ……握りッ……ッ!?
このまま、だと、死ぬ……ッ!?
何、か……ッ!?
何か、手は……ッ!?
俺は、広い広い部屋の中に必死で目を走らせるッ!
けれども、こんなに広いのに、何も解決手段に使えそうなモノがないッ!!
(クソッ……! 諦めたら、終わりだッ……ッ!! 考えろッ……考えるんだッ、悟ッ!!!)
俺は、油断なく魔王パパの様子を窺いながら、手にベットリとかいた汗をズボンで拭う。
その時、俺はようやく“ソレ”のことに思い当たった!!
「はい、もしもし? 姉ちゃん?」
俺は、さも着信に気付いたような素振りをしてから、スマホを取り出した。
「チッ」とか言うような舌打ちと、「20秒ほど、命を永らえたねぇ?」とかいう言葉が魔王パパから聞こえてきた気がしたけど……ッ。
それはその恐怖を押し殺し、電話を続けるフリをする。
「今? 今まあちょっと……え? うん、ショッピングモールの方だよ? なに? ばあちゃんが? うんうん、分かった。はいはい、いや、分かるから。うん、了解~」
俺は通話を終えると、スマホをまたポケットにしまう。
そうして、魔王に苦笑を投げる。
「悪い。ちょっと買い物を頼まれたんで、やっぱり、今日はそれを買って帰るわ」
「そう、か……それなら、仕方ないな」
「いや~、残念だなぁ。せっかく、食事でもしながら“ゆっくり”話が聞きたかったのになぁ?(以後、僕の緋冴に会わないのなら、見逃してあげなくもないよ? 僕は慈悲深いからねぇ?)」
魔王が、そして魔王パパが、それぞれ残念そうに言う。
だが、そのニュアンスがまるで正反対で……ッ。
俺は改めて、魔王パパの恐ろしさの片鱗を見た気がした……。
「悪いな。次の時に、またな?」
「……うむ、そうだな」
「また今度ね?(次は本当に……じっくりタップリ、身体に言い聞かせてあげるよ?)」
“次の時”。
その俺の言葉に、魔王とパパはやっぱり正反対の反応を見せてくれた。
魔王は、ちょっと嬉しそうに。
パパは……うん、もう何も言うまい。
とにかく、俺はこの場の危機を脱し。
パパを大きく迂回する形で、リビングから出て玄関へ向かう。
二人が、俺の後についてくる。
「いや、ちょっと待て。何でお前まで靴を履いてるんだ?」
「無論、下まで見送りに行くためだが?」
「ッ……!」
その気持ちはッ……その気持ちは嬉しいけどッ!!
頼むからッ……頼むからお前は、パパの気持ちも考えてやってくれッ!
お前、自分で言ってたじゃんかッ!
パパは私の事を溺愛してるってッ!
なのにお前、そのパパの前でッ……ッ!!
「いや~、うんうん。何か初々しいねぇ♪(……やってくれるじゃないか? キミ、自分の立場を本当に理解しているのかい? うん?)」
「ッ、な、何を言っているのだ、父は、まったくもう……」
「ははははは、いいじゃないか。なぁ、悟くん?(“殺してください”って泣きながら頼ませてあげるから、覚悟しておいてね?)」
「は、はは、ははッ、ははははははは……ッ」
……正直に言って。
アシュタルが魔王と対峙した時と同じくらいの緊張感を、俺は味わわされていた。
だが、とにかくッ!
とにかく俺はッ、生還を勝ち取った……ッ!!
俺は、溢れんばかりの喜びを胸に、玄関のドアを開けた。