第17話 男は黙ってやせ我慢!
「しかし、悟は顔が広いのだな」
「うん?」
「行く先々で、人から挨拶をされているではないか」
「ああ」
確かに、それは魔王の言うとおりだ。
この辺を歩くと、正直、知らない店はないくらいの勢いだからな。
正しく、ホームという感じだ。
「それはでも、俺の顔が広いってのとは、ちょっと違うんだよな」
「というと?」
「うちにはばあさん……正確には、俺のひいばあさんだけどさ。まあ、ばあさんがいるんだよ」
そのばあちゃんが、なかなかの女傑なわけだ。
齢90にしてカクシャクたる、てなもんで。
頭も身体も、ちっともガタがきてやしない。
定年まで教師を勤めてたんだけど、それだってもう30年以上前の話。
ただでも、当時の教え子が今、いい年になってるんだけど、いまだにメッチャ、ばあちゃんを尊敬している。
おまけに、教職当時から、お茶にお花に、おまけに書道にって教えてて、退職後はそれを本職にしてるような人だ。
あと、自分の教室として、ではないけれど、薙刀や合気道の教室に、請われて講師として教えに行くこともよくある。
それをだから、30年以上。
そりゃもう、老若男女を問わず、町中に教え子がいるってなもんで。
必然的に、同居してる俺のことも、子供の頃から知られてるわけだったりする。
「……なるほど」
「な、何だよ?」
魔王が、何かシミジミしたような感じで、隣を歩く俺を見る。
俺は、ちょっと身を引くようにして、その視線にうろたえてしまう。
「いや、お前の、そこはかとない育ちの良さは、その曾祖母殿の教えだったのだな」
「んなっ!?」
「いや、無論、勇者としてのお前の資質があってこそ、だとも思うがな」
「いやいやいやっ、ちょっと待て? 俺、別にそんな、育ちのいいキャラじゃねーぞ?」
確かに、うちは庭が広かったり、ばあちゃんが教室に使えるような離れがあったり、実はお高い茶道具やら何やらがあったりはするけれども。
けど、決して金持ちってわけじゃあない、と思う。
それなのに何か、育ちがいいって言われると、居心地が悪いっていうか……。
「だが、悟よ。お前は最初から、私に親切にしてくれているではないか」
「はぁあああああっ!!??」
何いってんの、コイツ?
そりゃ、お前が魔王だからだよッ!!!
逆らったら、怖くてどうなるか分かんないからだよッ!!!
「ふむ。私が魔王だから仕方なく、という顔をしているな」
「ッ、うっ、おっ、いや……ッ」
「それなら、少し記憶を探ってみろ。お前は何だかんだ言って、人に親切にした記憶の方が多いのではないのか?」
「え……?」
「少なくとも、人に嫌がらせをした記憶は、ほとんどないと思うが、どうだ?」
「そ、れは…………」
言われてみれば、そんな気は、しなくもない。
困っている人が入れば、割りに普通に声をかける。
それはでも、普通、そういうもんなんじゃないのか?
もちろん、人に嫌がらせなんてしたことはない。
それはでも、だって、そんなことをしたら、ばあちゃんが………………ッ!!!???
(つまりッ、俺は恐怖に支配されているッ!!??)
かつては(現在進行形でもあるけど)ばあちゃんに!
そして今は魔王に!
俺は恐怖に縛られているッ!!??
(……いや、まあそれは、ちょっと穿った見方すぎるか?)
まあでも、ばあちゃんって怒らせると超怖いんだよな……。
魔王なんて、怒らせてみようとすら思わないし……。
(女難かっ!? 俺の人生、女難の相に支配されてるのかッ!!??)
こうなったらもう、姉ちゃんだけが俺の癒やしに違いないッ!!
……いや、姉ちゃんも割りに、天然だからなぁ……。
てことは、俺の周りには今、まともな女の子がいない……?
なんてこったい。
「お前、今、何か失礼なことを考えているだろう?」
「いやいやいやいやッ、とんでもないッ!」
「ふん」
魔王はちょっと、うろんな目つきで俺を見てくる。
ヤバイヤバイヤバイ!
ちょっと早く、話題を変えないとッ!!
「ッッ、て、ていうか、アレッ、だなッ!? お前って、ホラ、魔王オーラって、けっこう消せるんなら、消してればいいんじゃねーのッ?」
「うん?」
俺は、かなり強引に話題の転換を図った。
けど、これはどっかで切り出そうと思っていたことだ。
というのも、魔王オーラの半径って、けっこう変動があることに、俺は割りに早くから気付いていた。
狭いと、2m程度。
広いと……多分、視界に届くくらい? いや、目に映らなくても……?
まあでも、そういう加減は可能っぽい。
その効果の範囲に入ると、足がすくんで恐怖に身体が震え出すけれど……。
その外に出れば、目を逸らしてれば、けっこう何とかなる。
それを魔王は今、範囲を絞るだけでなく、効果もかなり抑えている、はずだ。
だからこそ、俺は普通に町の知り合いと挨拶ができてるわけで……。
「それができるのに、何でお前、いっつもこう、無駄に魔王魔王してんの?」
「無駄にというのも、ひどい言い草とは思うが……言わんとする所は分かる。が、では逆に聞くが、お前は心臓の動きを止められるか?」
「は?」
何言ってんだコイツ、という目で、今度は俺が魔王を見る。
しかし、魔王はまったく動じない。
「私は、できるぞ」
「おい」
「だが、その代わりに別の何かで補完しなければならん。全身の筋肉を操作して、心臓の代わりに血管を圧迫して血液を送り込むだとかな」
「……な、なるほど?」
「あるいは、血液の代わりになる何かで、酸素と二酸化炭素の交換を行うとか。まあ、単純にそういうのも全部我慢しておく、という手も可能ではあるがな」
「いや、それ、お前、何の話をしてるんだよ?」
さすがに、話しについていけなくなって、魔王を止める。
魔王は、何故か偉そうに、片手を腰に当てて、もう片方の手をピッと、俺の顔に突きつけるようにしてきた。
「ッ、な、何だよ?」
「いいか? 私にとって魔王であるということは、私が私である、ということと不可分なのだ」
「そりゃまあ、そうだな。それで?」
「そうして、お前のいう“魔王オーラ”も、私が私である以上、どう足掻いても放出はされるのだ」
「それも分かるぞ。だから?」
「それを加減することはできるが、それは私にとって、心臓を止めるのと同じくらい、面倒くさいということだ」
「う、う~~ん……?」
なるほど、と素直に頷けなかった。
いや、面倒くさくっても、できるんならやれば……という思いが拭えない。
が、魔王はそうじゃなかったっぽい。
「だいたい、お前は耐性があるのだから、問題ないではないか」
「えッ、え~~~? 何だよ、それ? 俺が我慢してればいいって話なのか?」
「では、お前は私に我慢させるのか?」
「ぅっ……ッ!」
クッソ! コイツっ、またそういう物言いしやがって!
俺の中で、“魔王を怒らせるとヤバイ!”という気持ちと、ばあちゃんの教えである“男は、女にはちょっと見栄張って格好つけるくらいで丁度いい”という教えが混ざり合う!
魂に刻まれた本能と、肉体に刻まれた習性!
その二つの行動原理に、“俺”という思考は必死になって抗う……ッ!!
「ハイ、私ガ我慢スレバ問題アリマセン」
「ふふふふふ、悟なら、きっとそう言ってくれると思っていたぞ」
クッソ! もう完全に俺、見ぬかれてんじゃんッ!?
魔王云々を抜きにしても、俺はコイツに逆らえないッ!?
やだよ! ただでさえ、姉ちゃんやばあちゃんに逆らえないのにッ!
これ以上、逆らえない女が増えるだなんてッ!!
「だが、安心しろ。今日は私も極力、オーラは抑えるつもりだ。あまりに周囲を威圧してしまっては、せっかくのデートなのに雰囲気が壊れるからな」
「は、ははは……そりゃ、お気遣い、痛み入りますですよ」
「それで、悟? 私達は今、どこへ向かって歩いているんだ?」
「……着きゃわかるよ、着きゃあ」
「なるほど。そういうのも確かに、デートとしてはありだな」
「ッ……」
魔王は、トトンッと、何か嬉しそうにステップを刻む。
そんな、魔王の姿に。
そして何より、繰り返される“デート”という言葉に。
俺はまた、壁に額を打ち付けたい衝動に駆られていた。