中編
「つまり、あんたは菜子ちゃんがいながら、他の女に手を出して孕ませた。その挙句あたかも非は菜子ちゃんにあるみたいに言って婚約を破棄。その女と結婚したい、そう言うのね」
ここは、赤城家のリビング。
いるのは一史の両親である秀史と良子。 一史と菜子の会社の同僚であり、一史の現在意中の相手である彩梨 沙羅。
そして菜子の五人。
一史のだらだらした説明を、ばっさりと切って捨てたのは、良子だった。
「随分都合の良い事を言っているけど、菜子ちゃんはどうするの」
「菜子はしっかりしているから、俺がいなくても大丈夫だろ。でも沙羅は……沙羅は俺がいないとだめなんだ」
しっかりしている。
それは、確かに菜子が良く言われる事だった。
共働きで忙しい両親の負担を少しでも減らそうと、家事を手伝い、妹の面倒を見た。
しっかりしたお姉さんね。
しっかりしたお嬢さんがいて安心ね。
子供の頃からそう言われてきたのだ。
だからといって、傷つかない訳ではないのに。
「何バカなコト言っているの。会社の同僚の婚約者だって知っていて寝取るような女、あんたがいなくたって平気に決まってるでしょ」
菜子や秀史が口を挟む余裕が無い。
「母さん! 沙羅を悪く言うなよ。沙羅はなんにも悪いことしてないのに、なんでそんな酷い事を言うんだよ」
「は? 人様の婚約者を寝取るっていうのは、十分悪いことの範疇に入ると思うんだけど?」
一史の言葉を、軽くあしらう良子。
その言葉を受けて、沙羅が口を開いた。
「いいの、一史さん。百瀬さんの婚約者だって知っていたのに、好きになるのを止められなかった私が悪いの」
「沙羅……沙羅は悪くない。菜子がいるのに沙羅に惹かれた俺が悪いんだ」
互いを庇いあう二人に、良子は冷たい声をかけた。
「盛り上がっているとこ悪いんだけどね。二人とも悪いに決まってるでしょ。惚れた腫れたは自分でどうしようもないってところは確かにあるでしょう。でもね。あんたたちは筋を通してない。二人で付き合いたいっていうなら、菜子ちゃんのことをちゃんとしてから付き合うべきでしょう」
そしてそのまま一史を声同様に冷たい眼差しで見遣った。
「大体、菜子ちゃんが忙しくて相手してくれないから、淋しかった? ふざけたこと言ってるんじゃないわよ、バカ息子。あんたも一応会社勤めしてるんなら、仕事の大切さを分かってる筈でしょう。しかも、菜子ちゃんが忙しいのは、仕事だけじゃなくて、結婚式の準備もしてるからでしょう。あんたがちゃんと協力してないから菜子ちゃんに負担がかかるんでしょう」
反論出来無い一史から、沙羅に視線を動かす。
「勤務先が同じだって、部署が異なれば仕事が違う。当然忙しい時期やらなにやら違うわよね。菜子ちゃんは残業が多かったみたいだけど、あなたはどうなの?」
「殆ど定時です……」
良子の迫力におされ、沙羅はぼそぼそと呟いた。
「へぇ……。それで、菜子ちゃんと違って、仕事よりうちの息子を優先してるって言ったの? 随分酷い話じゃないの」
黙りこんだ二人に、次々と容赦の無い言葉が投げつけられる。
「私もお父さんも、あんた達の結婚は認めない。一切援助はしないから」
「……母さん!」
流石に反論しようとした一史を、良子は視線で黙らせた。
「私達はね。菜子ちゃんが義娘になるのを、本当に楽しみにしてたの。私が寝込んだ時だって、看病だの家事だの諸々やってくれたのは、菜子ちゃんよ。あんたは菜子ちゃんがしっかりしてるって言うけど、菜子ちゃんがあんたの力になりたいからってどれだけ努力してたと思うの。それを踏みにじって……」
「母さんに何が分かるって言うんだよ。菜子は俺より仕事が大事。別れ話を切り出した時だって、泣きもしなしなかったんだ。俺の存在なんて、菜子にとってはその程度なんだ」
一史の言葉に、すっと良子の表情が消えた。
そして、立ち上がる。
秀史がお茶を手に取った。
派手な音を立てて、一史が倒れた。
椅子に座ったままの一史を、良子がひっぱたいたのだ。一史の頬には綺麗な手形がついた。
幸い、テーブルは若干揺れたもののほぼ無事だ。
「寝言は寝てから言いなさい。お腹の赤ちゃんをだしにして、断れないような別れ話を持ち出しておいて、良くそんな事が言えたわね。今の菜子ちゃんを見て、ショックを受けてないと思えるあんたがおかしい」
そう、菜子の顔色は、化粧でも隠しきれないほど悪かった。
それだけではない。痩せた……というより、やつれた、という表現がぴったりくる有様だったのだ。
「菜子ちゃんはね。あんたに別れ話を切り出された次の日に会社で倒れた。しかもほとんど食事が出来無いのよ。食べてもすぐに戻してしまうって……おそらく、心因性のものだろうって言われているわ」
「あんたはね、それだけ菜子ちゃんに辛い思いをさせたのよ」
一史は驚いて菜子を見た。
一方的な理由で別れを切り出した罪悪感から、今まで殆ど菜子を見ていなかったのだ。
ちゃんと見ていたら、良子に言われる前に菜子の様子に気付けたであろうに。
それほど、今の菜子の様子は、酷かった。
「この件に関して、私もお父さんも菜子ちゃんの味方よ。どう考えてもあんた達が悪い」
良子は椅子に座ると、お茶を飲んだ。
「だから、一切の援助もしなければ協力もしない。結婚式場のキャンセル手続きも全部あんた達がやりなさい。菜子ちゃんとの新生活の為に用意したあのマンションに住むことも許さないし、この家に住むことも許さない。家を借りる保証人にもならない。出産に伴う準備も全部。一切手伝わないし、お金だって出さない」
二人の……特に沙羅の顔色が悪くなった。
「勿論、菜子ちゃんに払う慰謝料もあんた達が払うのよ」
「慰謝料!?」
先に声を上げたのは、沙羅だった。
「どうしてですか。二人は結婚してないじゃないですか。それなのに慰謝料を要求するなんて……百瀬さん、あなたはそんな浅ましい人だったんですね!」
詰め寄らんばかりの勢いで菜子を非難する沙羅に声をかけたのは、今まで黙っていた秀史だった。
「結納もすんでいる。不貞行為を働いた挙句の婚約破棄に、離婚同様に損害賠償金として慰謝料を要求するのは浅ましい行為でもなんでもない」
一旦言葉を区切り、秀史はゆっくりと続けた。
「知人の婚約者を寝取るような行為の方が余程浅ましい」
落ち着いた声に、沙羅は反論できなかった。
良子の言うとおり、この件に関しては誰がどう考えても一史と沙羅に非がある。
それに異を唱えたのは、一史だった。