前編
お約束のシーンが書きたくてやりました。
後悔はしていません。全三話です。
桃瀬 菜子は、その日どうやって帰ったかよく覚えていない。
結婚式場も決まり、招待客のリスト作りやら引き出物の選定、その他諸々の結婚式に伴う面倒な事を、忙しい仕事の合間を縫ってこつこつと進めていた時だった。
婚約者は、幼馴染の赤城 一史。
子供の頃から一緒で、彼のご両親からはこれで名実共に娘になると、喜んで祝福してもらえていた。というより、前から娘が欲しかったらしく、物凄い喜びようだった。
大金持ちではないけれど、いくつかの不動産を経営している彼の家は、かなり裕福だった。新居に、新築マンションの一室をぽん、と用意してくれたのだ。
幼馴染とはいえ、菜子の家は普通の一般家庭であり、マンション購入なんてそんな簡単に出来るものなの? と思ったくらいだ。
まぁ、実際のところ、彼の両親が新しく建てたマンションの一室を、丁度いいから新居に使いなさい、とプレゼントしてくれることになったのだが。
結婚式の費用も全額出す、と言ってくれたが、そこまでは甘えられない、と菜子は断った。
二人の門出を、全て彼のご両親におんぶにだっこでは申し訳ない。
忙しい中でも幸せな新生活の為だから、と頑張っていたのだ、菜子は。
だから、婚約者と久しぶりの食事(彼の家から結構近いファミレスである)に、菜子は喜んで向かったのだ。
まさか、そこに会社の同僚がいて、別れ話を切り出されるなんて、露程も思わずに。
なんでも、仕事が忙しく中々会えなくてさびしかったらしい。
菜子と同じ会社で仕事をしているにも関わらず、時間を作って会ってくれる同僚に絆された、と。
同じ会社でも部署が違えば忙しい時期も何も違う事くらい、社会人なら分かるでしょう、と思った菜子は正しい。
一史が一人でバーで飲んでいたときに、泣いている同僚を見つけたのがきっかけらしい。
以前デートの最中に同僚に遭遇したことがあり、見覚えがあったので声をかけて、慰めた、と。
たかがファミレスの食事だというのに、お洒落して喜んできた自分はなんだったのか。
あまりのショックに、菜子は答えを先送りにし、かつ面倒を丸投げした。
つまり、彼の両親の説得はそっちでやれ、と。
その席に自分も同席する、と。
別れたくなんて、ない。
無駄なあがき、と言われるかもしれない。
それでも、返答に時間をおくことで、状況が変わってくれるかもしれない、そう思ったのだ。
二人がいなくなった後も、菜子はファミレスに居た。
食欲は無いが、動く気力も無かった。
感情がマヒしているのか、泣きたいとすら思えない。
そんな菜子に声をかけてきたのは、よく知っている人物だった。
よく考えれば、近所のファミレスである。知人がいてもおかしくない。
というか、そんな場所で別れ話を切り出す神経が分からない。
その人物、一史の従兄弟の黒桂 雅史は、一部始終を見ていたらしい。
辛かったね、と優しく声をかけられて、麻痺していた感情が戻り、菜子の涙腺は決壊した。
そのまま、雅史と色々と話した。ほぼ愚痴に近い菜子の話を、雅史は辛抱強く聞いてくれた。
雅史にとっても、菜子は子供の頃から知っている、大事な相手だったから。
家が近かったこともあり、従兄弟とはいえ雅史と一史は兄弟のような間柄だった。だから、菜子は雅史にとっても妹のような関係に、なる筈だったのだ。
覚えていないが、状況から考えて、雅史につれて帰ってもらったのだろう。
随分迷惑かけちゃったな、と思う菜子は、その後雅史がどんな行動を取ったかは知らなかった。
それどころではない状況に陥ってしまったので。
「はい、赤城です……あら、雅ちゃん。どうしたの」
一史の母親、良子は突然の電話に驚いた。
雅史からの電話だから、というよりもその内容に。
「え……ちょっと、それ…………あの、バカ息子。それで、菜子ちゃんは大丈夫なの……え。大変じゃない。何やってんの、あのバカは」
「頼み……? ああ、そういうことならいいわよ。というより、そんなこと、許せる訳無いじゃないの。私も旦那もどれだけ菜子ちゃんが嫁に来てくれるのを楽しみにしてたと思ってるの」
「ええ。分かったわ。旦那には話を通しておくから、任せて頂戴」
そんなやり取りがあったことは、菜子は勿論、一史も全く知らなかった。
だから、赤城の家であんなやり取りがなされるなんて、全く分からなかったのだ。