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8.カレンフェルテ

 * *





「だめよ」

 背後から飛んできた制止の声に少女はびくりと肩を震わせた。手にしていた小瓶はできるだけ見えないよう、すぐに両手で覆ってしまう。

 そうして身を竦ませているとやがて穏やかな笑い声とともに人の気配が近付いてきた。肩に手が降りてきて、少女はそのまま身体を反転させられた。

「あっ……」

 隠したつもりの小瓶は一瞬で奪われた。

 顔を上げれば琥珀色をした優しげな瞳と視線がぶつかった。青白い肌、それに緩く編みこんだ亜麻色の髪に、明かり取りから落ちるオレンジ色の光が仄かな温かみを添えている。

 ゆるりと膝を落としたその女性は少女と目線を合わせると、今しがた取り上げた小瓶を軽く振ってみせた。一見何も入っていない透明な小瓶は瞬時にうっすら青く染まった。表面の色ではない。中に入れられている何かが明らかに反応し、色付いている。瓶を傾けるたびにまるで水が揺れ動くかのような、だが水よりは粘度のあるゆったりとした動きで青い色の濃さが変わるのである。

 女性はそれを確かめた上で手近な棚に置いた。

「お約束したでしょう? 力を使っては、だめ」

 声は優しく、けれど揺るぎない強さを持って凛と響く。――怒っている面持ちではなかった。ただ、困った子ねと眉尻を下げているだけ。

 それから滑らかな両の手で少女の小さな手の平を優しく包みこんだ。女性の控えめな人柄を表すかのような、仄かな熱が伝わってくる。

 顔を覗きこまれ、じっと見つめる琥珀色の両目には、少女の姿が映りこんでいた。唇をきゅっと引き結び、困惑気味に首を傾げて。

「でもおじさまは……、お手つだいしなきゃごはんあげないって。お手つだいしない子は()()()()()って」

「前のお家のことは忘れなさいって言ったでしょう? このお手伝いはしなくていいの。あなたは私の真似事なんてしなくても」

「さっきの、うまくできてなかった? だからいらないですか? わたし、やくたたず?」

 やおら女性の手が少女の顔近くまで上げられた。

 少女は反射的に目を瞑っていた。叩かれるのだと思った。けれど頭にも顔にも、幾ら待てども痛みはやって来ない。代わりに髪をさらと触れていくものの感触がある。

「……もっと、早く迎えに行くのだったわ」

 そうっと、少女は目を開く。見上げると女性は僅かに口許を緩ませた。少女の頭を何度も何度も優しく撫でるその顔は確かに微笑んでいるのに、何故か悲しそうな色を瞳に宿している。

「髪の色、すっかり抜けちゃったわね……。姉さんと同じ、ぴかぴかに磨いた銅の色だったのに。私、あの色が大好きだった」

 ごめんなさいねと結ばれた女性の声が耳朶に染みこんでいく。

 少女はそっと目を伏せる。肩の上で切り揃えられた癖のない髪が、視界の端でさらさら揺れていた。


 ――どうしてあやまられたのかしら。

 ()()のものをかってにさわったのも、うまく力をつかえなかったのも、わたしなのに――。


 お店についていきたいと言い出したのは少女の方だった。

 女性の店は魔術道具店。精霊の力が籠められた様々な品を取り扱うお店。少女は不思議の力を宿す商品が実際に売られているところをずっと見てみたいと思っていた。

 ――カウンターの奥で行儀よく座っていることが条件よ。

 渋っていた女性は最終的に少女の願いを聞き入れてくれた。実際、少女は女性の接客する様を大人しく眺めていた。馴染みの客に紹介されればちゃんとお辞儀も出来た。

 女性は客に請われると快く力を振るい、商品の効果をより強化させたりもしていた。それは前に住んでいた家で少女がしていたお手伝いと同じことのように見えた。

 今まで面倒を見てくれていた人は少女が力を使うと喜んだ。ならばきっとこの人も喜んでくれるはず。そう思って少女は棚に手を伸ばしたのである。

 まさか悲しまれるなんて、思いもしなかった。


 きっと自分の腕が足りなかったのだと少女はぼんやり考えた。あまりに未熟な技に幻滅してしまったに違いない、と。

 どうすればこの人は喜んでくれるのだろう。もっと、力を上手く使えるようになれば喜んでくれるのかしら。少女がひとりでちゃんと接客出来るようになれば――さっき見たような、あんな風に。

「わたし、おばさまみたいになりたいです」

「……私みたいに?」

「おばさまとおんなじがいいの。そうしたら、おばさまうれしい?」

「勿論嬉しいわ。それにね、もうおんなじものもあるわよ。今のあなたの髪色、私とおんなじでしょう。喩えるならそうね……お日様の光の色、かしら」

 女性の目から悲しみの色がすっと消える。代わりにいたずらめいた微笑みを口許に漂わせ、女性の手の平が少女の頬を包みこんだ。


「だからきっと、本当の親子のようになりましょうね、カレン」





 * *





 動悸が酷い。ゆっくりと深呼吸を試したが一向に落ち着く気配はない。吐き出す息は細く頼りなく震えるばかり。

 ――どうしよう。

 気分は重く落ちこんで他には何も考えられない。思わず胸元に両手をやり、衣服ごと強く握り締める。

 刹那、左手首に走った鈍い痛みにカレンフェルテの息が止まった。

 袖の隙間からこわごわ触れた肌に濡れた感触は全くなかった。恐らく打ち身だろう。気を失っていた間にどこかで打ち付けたのかもしれない。患部を触らなければ特に痛むこともなく、そこは不幸中の幸いだったけれど。


 左手をそっと膝の上に下ろして、もう一度深く息を吐いた。

 今度は右手を目の高さに掲げてみる。ぎゅっと握りこんでは開くのを何度か繰り返す。それから開いたまま恐る恐る顔に近付け、覆った。

 瞬きをすれば小刻みに震える睫毛の感触が指先に伝わってくる。今カレンフェルテは確かに目を開いていた。

 なのに見えない。

 ――否、正確には辛うじて物のシルエットを認識出来るほどには見えている。だがそれも目の前にきて初めて形を識別出来るのであって、カレンフェルテから少しでも離れてしまえば輪郭は曖昧に溶け、あとはただぼんやりとした闇でしかない。世界は果てしなく暗い。

 カレンフェルテは肩を落とした。

 視力の低下や肌の弱さ等、諸々な不調というものは、不思議の力を使い続ける限りいつかは我が身に降るもの。だとしてもそれはまだまだ遠い未来の話であって、こんなに急に降り掛かってくるとは思いもしなかった。


 いつもカレンフェルテを尊重してくれる母は、娘が不思議の力を使うことに関してだけは決して己の意思を譲らなかった。次第に臥せることが多くなってもそれは変わらず、尚の事「力は使わないこと」と言い聞かせた。同じ力を持つ者として、自ら辿ろうとしている道を娘には歩いて欲しくなかったのかもしれない。カレンフェルテにもそれは理解できた。

 けれど理解はできても大人しく従うのはまた別の話である。

 どんなに険しく大変な道であったとしても関係ない。母の役に立ちたい、立てなければ意味がない、そうカレンフェルテは思っていた。だからこそこっそりと力を振るってきたし、その行いに悔いもなかった。

 自分が置かれているこの状態は来るべくして来たもの。頭では分かっている。ただ感情が追い付いてこない。

 この力は一体いつまで振るうことができるのだろう。

 それも今まで通りの強さで使うことができるのか、だんだん弱まっていくものなのか、カレンフェルテには全く見当がつかない。限界がすぐそこにまで迫ってきていると分かった今、できることはきっと多くないのに。力のない自分には何の価値もないのに。



「ぁー……」

 ぼんやりと顔を上げた。高くか細い、まるで子猫の鳴き声のような頼りない囁きが聞こえた気がした。辺りを見回そうとして、それが今の自分には無意味な行為だと遅れて気付く。その間にも微かな音はほぼ一定の間隔で耳に届いていた。

「……て。たー……て」

 窓の隙間から入りこむ冬の風にも似たその音。だが今カレンフェルテが肌に感じる風はほぼ無いに等しく、そもそも季節は夏に移り変わろうとする頃だ。真逆である。

 何か動物の鳴き声だと考えるのが妥当だろう。なんとなく放っておいてはいけないような気がしてカレンフェルテは耳を澄ませた。そうして座った姿勢のままじりじりと音のする方へ近寄れば、

「たー……て。たー……け……」

 だんだん音が大きくなっていく。聞き取れていなかった音が増え、音質はより鮮明に。

 右手を伸ばし障害物を探りながらにじり寄るとすぐに低木の茂みが行く手を遮った。そこで音が僅かに上方から聞こえるのに気付いたカレンフェルテはそろそろと腰を浮かせた。

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