3.希望は通ったけど
「聞いたわよ! 縁談、めちゃめちゃにしたんですって?」
部屋に入るなり飛んできた甲高い声にセイルは顔を顰めた。全くもって想定外の人物だった。いや、客間に呼ばれた時点で察するべきだったのかもしれない。
「アデレード……今日も来てんのかよ」
「なによ。まるでわたしが入り浸ってるみたいに」
「みたい、じゃねえだろ。そのまんま」
「失礼ね! ちゃんと小母さまから了承貰ってるわ。何か問題ある?」
両手を腰にやりアデレードは胸を張る。そばかすの浮いた小生意気な顔をセイルは目を半眼にして睨み返した。
アデレードはアッシュの姉という立場上、一応旧知の仲である。セイルはこの幼馴染がどうにも苦手だった。たった二歳上というだけで偉そうで口うるさくて、そのうえ顔を合わせれば喧嘩腰で向かってくる相手なんか誰だって敬遠したいに決まっている。
お茶に出されたクッキーの最後の一枚を食べるのは誰か、ゲームをする順番に勝敗の行方――、喧嘩の種は至る所に落ちていた。今思えばどれも本当に他愛ない。だが一度火がついたが最後、先の見えない不毛な言い争いはどちらからともなく手が出、足が出、結果双方の母から大目玉を食らうのが幼少期のお決まりのパターンだった。
学校に通う頃には兄やアッシュが喧嘩を止めるようになった。仲裁に入る兄はいつもアデレードの肩を持っていた。セイルの言を認めたことは一度もなく、それも怒りを助長させる一因だったのは間違いない。
ふたりの喧嘩が急速に減っていったのはアッシュの止め方が功を奏したからだ。アッシュは怒らせてはいけないタイプの人間なのだと、セイルもアデレードもそのとき身をもって知るに至った。笑えない思い出話など記憶から抹消してしまいたい――叶うのであれば。
ともかくあの頃と変わった点と言えばお互いの目線の高さが入れ替わったくらいのもの。仁王立ちで見上げてくるアデレードは相も変わらず気が強くて騒々しい。さすがに取っ組み合いの喧嘩をする年ではなくなったが意見の対立はもはやどうしようもない。
「セイルだっていつもわたしの作ったお菓子食べてるじゃない。文句は言わせないわよ」
視線はセイルに据えたまま、そばにあったテーブルをアデレードがぱんと叩いた。
一番理解できないのはセイルの母がこのじゃじゃ馬娘をいたく気に入っていることだった。定期的に呼んではともにお菓子作りを楽しんでいるらしく、そのたびに顔を合わせるセイルは甚だ迷惑でしかない。毎度試食に付き合わされている兄もよく音を上げないものだ。
一口大の焼き菓子が綺麗に盛り付けられた大皿を目にして、セイルの鼻はようやくバターの香りを捉えた。お茶の用意もすっかり整い、まるで早くつまんでくれと言わんばかりのビスケットにマドレーヌ。
「たまにだろ。オレそんなに甘いもの好きじゃねえし。最近は一応食べられるシロモノにはなってきたから――痛っ!」
皿に伸ばしかけた手に攻撃を受けて、セイルは瞬時にそれを引っこめた。横から鋭い一撃を食らわせたアデレードは「その言い方よ!」と人さし指を向け、セイルの方に一歩踏み出した。
「セイルってほんっと腹の立つ言い方するわ。女の子の気持ち全然わかってない。だから相手の子を泣かせるのよ」
「はあ!? 誰が! 勝手なこと言ってんじゃねえよ」
「ろくに食事もしないまま取り止めになるなんて、普通じゃ考えられないわよ。どうせセイルが酷いこと言って傷つけたんじゃないの。わたしのときみたいに」
「だから何もしてねえって言ってんだろ! 向こうが、勝・手・に、倒れたんだ!」
「勝手に」の部分を強調して言い返す。だがアデレードは素知らぬ顔で腕組みすると、つんとそっぽを向いた。
「もういいわ。これから出掛けなくちゃいけないんでしょ、ウィルトールも一緒に。……せっかくのお茶が台無しよ。セイルの馬鹿」
「知るか」
セイルは窓辺に置かれたカウチソファにどっかりと腰を下ろした。頭をガリガリ掻いたあと、組んだ足に頬杖をつき横を向く。
しばらくしてウィルトールが入ってきた。父とは何を話してきたのか、来客中はいつもにこやかなはずの兄は珍しく深刻な顔つきをしていた。
ぐずぐず言うアデレードをなだめすかして見送ると、セイルとウィルトールもすぐに邸を出た。向かうは先日顔合わせした相手の屋敷だ。
「本当にお前の希望通りになるかもしれない」
馬車に揺られる横顔がぽつりと呟いた。セイルは喜びかけて、何故か浮かない顔をしている兄に眉を顰めた。
「破談になったらなんかまずいのか?」
「こちらへの不利益はさほどないさ。ただ……」
「ただ?」
ウィルトールは何も答えなかった。それ以上聞くに聞けず、ふたりの間に沈黙が降りる。黙っているとやり場のない思いが沸々と湧いてきてセイルは兄とは反対側の窓の外に目を向けた。
何故、破談を素直に喜んではいけないのだろう。そうなるように願っていたし、特に不利益もないのなら尚更喜ばしいではないか。勝手に決められた婚約を心から喜べる人間がいるのなら連れてきてみろとセイルは思う。そうすれば、そんなのは間違いだ、有り得ないと強く言ってやれる。
(……いたな、従うって言ったやつ)
先日会った少女に思いを馳せた。魔術具専門店で出会った、いわゆる〝勝手に決められた婚約者〟のことを。
* *
セイルがエントランスホールに向かうともう来客の姿があった。恰幅のいい紳士が執事と挨拶を交わしている。その紳士の後ろから現れた小柄な少女――名はカレンフェルテというそうだ――が目深に被っていた帽子を取ると、周りからは密やかな溜息が漏れた。長い睫毛に縁取られた白藍の瞳がゆるりとセイルに向けられ、さすがのセイルも目を離せなくなった。ここにきてようやく自分の置かれた状況というものが実感を伴いじわじわ這い上がってくる。
胸元にビジューが縫い留められたローズピンクのドレス、そこから伸びるほっそりした手足は雪のように白い。長いプラチナブロンドの髪は一つに結い上げられ、真珠のついた髪飾りでまとめられていた。耳と首にもお揃いと思われる真珠飾りをつけた少女は、店で会ったときより一段と美しく見えた。
会食の用意が整うまで話でもしていろと言われ、セイルは困り果てた。一体何を話せというのか。先達て訪ねた折にアッシュが余計なことを話してくれたおかげで話題が何も思い浮かばない。大体ああいう小細工自体、あまりセイルの気に入るところではない。
ふとカレンフェルテを横目で盗み見ると彼女は窓の外の庭園を眺めていた。庭園を散歩でもすればまだ間がもつかもしれない。セイルは言葉少なに彼女を外に連れ出した。
すっきりと晴れた空の下、初夏の風が爽やかに吹き抜けていった。日向を少し歩けばじっとりと汗ばんでくる。数日前まで肌寒いと感じる陽気だったのがまるで嘘のようだ。
母の指示で管理された庭園は色とりどりの花で溢れていた。残念ながら花に疎いセイルには名前も何もさっぱりわからない。それでも色鮮やかなたくさんの花は目を楽しませてくれる。
引っ掛かるのは背後のカレンフェルテだ。勝手気侭に歩くセイルに数歩遅れてついては来ている。当然、ふたりの間に会話はない。
(本当にどうすんだよ)
セイルは今のこの状況を呪った。一体どこまで歩けばいいのか。ぐるっと一周してさっさと中に戻るのが最善だろうか。まさかこんなことで悩む日が来るとは思いもしなかったセイルである。
そもそも彼女の俯き加減の顔はどう見ても楽しそうではなかった。庭園は気に入らなかったか。店ではあんなにも笑顔を振りまいていたのにこの違いは一体何なのだろう。今日はまだ一度も笑った顔を見ていない。考えれば考えるほどわけがわからない。
「……あのさ」
足を止め、おもむろに振り返るとカレンフェルテはびくりと肩を震わせた。唇を真一文字に引き結び、胸の前でゆるゆると両手を組み合わせる。陽の光の元で見た少女の肌は白さがより際立ち、儚さを前面に押し出していた。ふっと息を吹きかければそのまま消えてしまいそうだ。
「この縁談、お前はどう思ってんの?」
セイルはずばり切り出した。少女はしばらくセイルを見つめたあと、逃げるように目を逸らす。
「あの……お父さまのお言いつけですから……できるだけお考えに添いたいと、思ってはいるのですけど……」
「勝手に決められて、文句ねえのかよ」
「……」
「親が好き勝手言ってこんなんなってるけど、オレは自分が納得できねえことに従うのは嫌だし、無理だから」
カレンフェルテはただ俯いていた。何か一言でも言い返せばいいのに、黙られると余計に苛々する。
「……そろそろ戻るぜ」
ついに痺れを切らしたセイルは踵を返し、再び歩き出した。
しばらくして背後でどさりと何かが落ちる音がした。怪訝に思って振り返った先に見たものは――。
「セイル」
突然かけられた声にハッと我に返った。走る窓の外に見ていた横たわるカレンフェルテの幻がかき消える。顔を上げると兄のまっすぐな視線とぶつかった。
「なに」
「雪花人を知っているか?」
「セッカビト? ……ああ、あれだろ。生まれつき変な技が使えるやつら」
面倒臭そうに答えるセイルにウィルトールは「そうだ」と頷いた。
「おおよそ精霊にしか使えない不思議な技が使えたり、精霊が見えたり話ができたり……。そういう力を持つ者を指す。その名の由来も知ってるか?」
「なんだよ、どーでもいいだろそんなの」
「大事な話だ、よく聞け」
再び窓の方へと身体を向けかけたセイルに対し、兄はいつになく鋭い声を投げてきた。わざとらしく溜息を吐き出し横目で見やればウィルトールは強い眼差しで真正面からセイルを射抜いた。
「雪花人の力は無限じゃない。力を使えば使うほど髪や目といった身体中の色素が抜けていく。雪のように白くなるのを喩えて雪花人と呼ぶんだ。肌は陽の光に耐えられなくなり、視力は落ち、最後は失明する。抵抗力も弱まるから最悪――」
「なんだよ! 何が言いたい」
思わず腰を浮かせたセイルは、だが次の瞬間よろけて再び座席に沈んだ。兄は昔からこうだ。核心をつく発言を好まず、一見関係ないような事象を伝えて悟らせようとする。その回りくどい物言いの仕方はいちいちセイルの気に障る。
石畳を行く車輪の振動音が耳にうるさい。だというのにウィルトールの周りには深い海の底を想起させる静けさが満ちていた。何の感情もこもらない凪いだ藍色がまっすぐに向く。
「あの子は、雪花人なんだってな。俺は小さい頃に雪花人と過ごしたことがあるからすぐ気づいたよ。よく似た雰囲気だと……当時を思い出した」
「……は?」
「お前のこの先の未来を介護に費やさせるわけにはいかないそうだ。俺もそれは賛成する。……残された時を共に過ごすのがお前なんて、かわいそうでしかない」
頭をがつんと殴られたようだった。お前には到底無理だと嘆息する横顔に応酬することも忘れ、セイルは小さく呻いた。