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13.一夜の宿

 とん、と白魚のような指がセイルの胸を突いた。

 触れたのは一瞬のこと。よろけるように二歩三歩と後ずさった足が草地に入った。踏まれた草が立てる軽い音をどこか遠くに聞きながらセイルは呆然と少女を見返した。

 真っ直ぐ伸ばされていた右手は今は小さな拳を形作り、少女の胸元に寄せられている。立ち竦み、その顔が僅かに強張っているのを見つけた途端、突き付けられた言葉が蘇った。人間か、だと。

「決まってんだろ! わけわかんねーこと言うんじゃねーよ。オレのどこに光なんか」

 大きく口を開けたままセイルはぴたりと動きを止めた。今、何かが脳裏を掠めた。捕まえる前にするりと消え去ったその〝何か〟。光という語の一体何が引っ掛かったのか……。


 ――次の瞬間、セイルは弾かれたように自身の胸元を見下ろした。服の上から手を当てて、そこにあるべき物の存在を見つけられないと次は自身の首元を両手で探る。すぐに視線は足元に落ちて辺りをきょろきょろ彷徨った。が、視界に入るのは微かに道のようになったむき出しの地面だけだ。

「ない……」

「……え?」

「おい、オレに光が見えてたのっていつだ!? いつ、見えなくなった!?」

 数歩分の間合いを一気に詰めればカレンフェルテは円らな瞳を更に大きく見開き固まった。刹那、ふたりの視線が絡む。

 彼女の目にはセイルの姿は映っていなかったかもしれない。けれど見えなくとも気配は伝わる。固く身を竦ませ、小さな桜色の唇は何を言えばいいのかわからないとでも言いたげに震えている。

 背後から吹いてきた温い風が首筋をそろりと撫でた。セイルは少女の答えを聞く前に頭を抱えてその場に屈みこんだ。既に問題はそこではなかった。

「やばい……ころされる……」

「あ、あの、何が……」

 物騒な呟きを拾ったカレンフェルテがオロオロと視線を彷徨わせた。セイルにはそんな少女を弱々しく見上げるので精一杯だった。


「……お守り、なくした」





 * *





 繋いだ手は温かすぎるほど温かい。倒れていたのを見つけたとき迷わずに触れていればあんな過去を思い出すこともなかったのに。だが思い出してしまったものはすぐには忘れられないし、何より冒してしまった失態が余計に気分を憂鬱にさせていた。

 視力を失ったカレンフェルテが視ていたという光は十中八九お守りだろう。叔母から肌身離さず持っているようにときつく言われ、首からかけていた魔術道具だ。

 銀の鎖に通された小さな青い石は、いつだったかそれ自体が光ることもあると兄が言っていた気がした。セイル自身は一度も見たことがなく、だけどもしかしたら知らない間に光っていたのかもしれない。

 何より精霊の力のこもった魔術道具なのだから、精霊を見られる異能力者(カレンフェルテ)の目には常時光って見えるものかもしれなかった。でなければ辻褄が合わない。

「あの……」

 遠慮がちにかけられた声に振り返れば相手も遅れて足を止める。小さく肩を上下させ、そろそろと顔を上げた少女の顔は依然として白い。

「……大丈夫、ですか?」

「なにが」

「あの……どこか痛いとか、つらいとか……」

「はぁ?」

「お守り、なくされたって……。探した方が、いいのではと、」

 まるで顔色を窺うように恐る恐る紡がれた言葉にセイルは小さく唸る。次いで空いた方の手でがりがりと頭を掻いた。そうしたいのは山山だけど、

「探せるわけねえじゃん」

「私なら、きっと見えると思います」

「……いいから前見て歩いてくれよ。オレもう潰されたくねえ」

 躓かれ、その勢いのまま少女の下敷きになるのは二度も経験すれば充分だった。懇願の色を滲ませ溜息混じりに呟くと、カレンフェルテは申し訳なさそうに頷いた。その手を引いてセイルは再び歩き出す。


 ふたりの間にあった緊張感はすっかり消えていた。彼女の警戒心は同情へと代わり、またセイルにしてもカレンフェルテを気にかける余裕はなかった。本当にそれどころではない。

『待ってるように言われたときは光が見えていました。でも戻ってきたときにはもう見えなくなっていて』

 気遣わしい声が繰り返し耳に蘇る。その度にセイルは苛々と唇を噛む。言われなくたってわかっている。あれだけ散々な目に遭えばそのどこかで落としたのは誰でも想像がつく。

 カレンフェルテはセイルがお守りをなくしたことで何らかの効果が期待できなくなったとでも思っているのだろう。だからしきりに体調を気にしてくる。けれどそんなことがあるはずもなかった。あれは本当にただの〝お守り〟だ。身につけないことで病に倒れたこともなければ、逆に特別な恩恵を受けたこともない。

 外さなかったのはひとえに叔母の言い付けがあったから。もしなくしたことが彼女の耳に入ればどうなるか――。

 セイルは慌てて頭を振った。今やるべきはこの女をあの屋敷まで連れていくことであり、言い訳を考えることではない。


 ようやく蔦の這う大樹のもとに辿り着いたときはさすがに安堵の息が漏れた。ここまで来れば屋敷は目と鼻の先だ。

 分かれ道を右に進もうとしたセイルはその手に抵抗の力を感じた。

「あの、そちらだと蝶が飛んでいく方向から外れてしまいます」

 蝶? と疑問に思ったがどうやらずっと前方を飛んでいてセイルたちはそれを追う形になっていたらしい。先刻見た黒猫といい案内する理由が何かあるのか、それともただの世話焼きか。

「こっちでいいんだよ。どうせこの先でまた繋がるし、向こうは崖になってる」

「そう、なんですか?」

「そう。落ちたければ別だけど」

 オレは行かねえからなと言葉を結ぶ。セイルのきっぱりした態度にカレンフェルテはしばし小首を傾げ、やがてその瞳に承諾の色を宿らせた。

 ふたりは大樹をぐるりと回りこむように下っていく。すぐに合流地点に差し掛かり、ほんの瞬きほど思案したセイルはそこを左に折れることにした。

 わざわざ袋小路のようになった箇所まで誘導するとその斜面に少女の手を触れさせた。小さな顔が得心し、ゆるゆる解けていく様を目に留めてセイルは疲れの混じった溜息を落とす。



 足元がなだらかになってきた、そう思った矢先に視界が開けた。橋だ。簡素な橋の向こうには夕方に見たとき以上のおどろおどろしさを纏った屋敷がある。こちら側に面した窓は全て暗く沈み、ポーチにただひとつ小さな明かりが灯る以外はどこにも光など見当たらない。

「近くに川があるんですか?」

 カレンフェルテが辺りを窺うように首を巡らせた。川のせせらぎが小さくともしっかりと耳朶に響いている。

「屋敷に着いた。これから舟を借りる手筈になってて」

「舟……。あの、今音が聞こえているあの川を行くのですか?」

「そうなるな……」

 そういえば舟とはどんなものなのか。恐らく小さいとは思うが操舵は必然的にセイルが受け持つことになるだろう。夜闇が落ちセイルでさえ視界が判然としない今、橋の下に目を凝らしてもその流れを認めることはできない。さほど大きな川ではなかったはずだが場所によっては急流であるかもしれず、ここにきて僅かに不安が湧き上がる。

 先のことをつらつら考えつつも橋を半分ほど渡ったところでようやく、目指す小さな明かりが手持ちランプの光であると気付いた。同時に小さな影がぴょんと跳ねて、光とともに近付いてくる。

「とても待ちくたびれましたわ」

「言われた通り、連れてきたからな」

 円らな瞳はセイルの隣に立つ小柄な少女の姿を認めておやと丸く開かれた。その虹色にランプの光が差しこんでどこか幻想めいた雰囲気を醸し出す。幼女は小首を傾げ、自身の頬に思案気に人差し指を添えた。

「あなた、雪花人(せっかびと)ですのね」

「え、あの……どうして」

「見ればわかりますわ」

 おかしなことを聞くとばかりに幼女は素っ気なく言い捨てた。ぎこちなく唇を引き結んだカレンフェルテにはお構いなしで再びセイルに振り返り、注意を引くようにランプを少し持ち上げる。

「それではご案内致しますわね。ついていらしてくださいな。オルジュさまはおやすみになられたので、どうぞお静かに」

 やはり老婆はもう夢の中らしい。まだ日が落ちたばっかだろうがと内心毒づきつつもセイルは彼女を半眼で見下ろすにとどめた。


 小さな案内人の後に続いて邸内に入ると何か清涼な香りが鼻腔を満たした。こぢんまりとしたホールはやや薄暗く、真っ直ぐ続く廊下の先はすっかり闇の支配下である。そんな暗闇など物ともせず迷いのない足で歩いていく幼女を追っていけば、導かれたのはある部屋の前だった。

「本日はこちらでおやすみくださいまし」

「はぁ!? 舟はどうなったんだよ。オレ早く帰りてえんだけど」

「舟は早朝にしか出せませんの。朝早いですからちゃんと起きてくださいましね。寝坊したら知りませんわよ」

 そうして開けられた扉の先は、外観からは想像もつかないほどきちんとした部屋だった。

 まず目に入ってきたのは小さなテーブルに乗せられた焼き菓子に陶製のポットとカップ。真正面の壁にはカーテンの引かれた窓があって、その下でカウチソファがまるで早く座ってくれとでも言うようにセイルたちの方を向いていた。狭い部屋の半分近くを占めているのは飾り気も何もないシンプルなベッドだ。――明らかに、一人用の。

「では明日またお迎えに参りますわ」

「おい待てよ。もうひとつの部屋は?」

 セイルが慌てて声をかけると優雅にお辞儀をしていた幼女はきょとんと顔を上げた。もうひとつって何ですのと首を傾げる仕草に、左右二つに結われた長い髪がふわふわ揺れる。

「ここ、一人部屋だろ。オレたち二人なんだけど」

「ご一緒にお使いになればよろしいじゃありませんの」

「どうやって! ベッドも一つしかねえのにどこで寝ろって言うんだよ」

「二部屋も用意する意味がわかりませんわ。お部屋に不満がおありならどうぞお外へ。……お言葉を返すようですけれど、招かれざる客をもてなす義理はありませんのよ。全てオルジュさまのご厚意ということをお忘れなく」

 きらりと光る虹色の瞳はセイルとカレンフェルテを順に見据える。押し黙ったままのふたりに反論の余地なしと見るや、幼女はその口許ににっこりと笑みを浮かべた。

挿絵(By みてみん)

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