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第8章 第11話   夢の終わりに

 ――時は、止まった。


 その一瞬を永遠に、自身の中にとどめおこうとするかのように時はただ、その動きを止めていた。


 永遠にも続くかという氷縛の時を破ったのは、ジークの上げた、悲鳴にも似た叫びだった。


 その名を呼んだ声は周囲に響き、凍り付いた時を溶かし、動き出した時の中、一つの体がゆっくりと、その守るべきものの腕の中へと崩れ落ちた。

 その背から切り落とされた髪の束が、わずかな音とともに床へ散った。


「シアルヴィさん!」

再度その名を呼び、彼を抱くように両手を回したジークが、慌てたようにそれを引いた。

 両手は、ぬるりとしたもので真っ赤に染められていた。


――何が起こった?


――なぜこんなことになっている?


 だが、今そんなことはどうでもよかった。


 急ぎ印を描き、ジークは回復魔法を唱えようとする。

 しかし直後、彼の右手は停止すると、その目は虚空の一点を睨んでいた。


「余計な――真似を――」

声は、虚空から聞こえた。


 ジークの前の空間が裂け目を生じ、そこから鋭い切っ先が、そして鎌全体が現れてくる。

 それがシアルヴィを切り裂いたものだと即座に悟り、ジークのシアルヴィを抱く手に力が入る。


 そして鎌の主が裂け目から姿を見せるとともに、その鎌は最上段へと振り上げられた。

 ジークが翼を一気に開き、自分とシアルヴィを共にかばおうとする。

 そのまま、黒い鎌は二人に向かい振り下ろされ、しかし直後、彼らを包む光により、その姿は一瞬にして消え去っていた。


――転移魔法!


 鎌を振った勢いのままその主が部屋の入口へと視点を移せば、今まさに、そこにいた魔術師の青年と神官の少女もまた、光の中へと消え去っていく。


「逃げたか――、まあいい」

男の言葉が静寂に溶ける。


 そして鎌の主――黒いローブの男は、自身の右手へ視線を落とす。

 掌を通し、向こう側が透けて見える。

「『依代』が破壊された以上、これ以上の滞在は叶わないか。全く、余計なことをしてくれる」


「だが、これで『黒の世界樹』は我が手に戻った。

 それに『黒の世界樹』が潰えた以上、『白の世界樹』は放っておいても我が元へと来る。

 あとは――」

そう言って男は自身の背後を振り返り見る。


 皇帝は今起こったことが飲み込めないように、床へと尻をつき、全身を大きく震わせていた。


「あなたとこの国には感謝しますよ。私のためにここまでしてくださった」


「あなたの夢は私の夢。

 気付いていませんでしたか?それとも気づかぬふりでしたか?」


「それでも、幸せだったでしょう。

 しかし――夢はいつか覚めるものだ」


 そういって、漆黒の鎌は再び、最上段へと振り上げられる。皇帝へと向かって。


 無言のまま振り下ろされた鎌が全てを断ち割る。

 力なく床についた腕の下を、赤い流れが彩っていく。


 そこに動くものは何もいない。


 ローブの男もすでに消え去り、ただ漆黒の鏡だけが、この国の最期を映していた。




 ――森の中に回復魔法の韻が響く。

 だがその声は徐々に小さくなり、やがて全く聞こえなくなる。


「――続けてくれ!」

 懇願するジークに、しかしフィアナは首を横に振るばかりだった。


「だめです……、私の回復魔法は、ある程度、生きようとする力が残っている者にしか、その力は示しません。

 残念ですが、シアルヴィさんには……もう……」


 ジークが大きく頭を振る。

 そこに思考などなかった。

 あるのは拒絶、そして――


 ジークの指が『世界樹』を描く。回復魔法の韻が続く。


 自分の魔法力は低下している。

 フィアナにもどうしようもなかったものなら、自分の力ではどうにもならない。


 だが今のジークにはそれさえも、矮小な問題にすぎなかった。


 だが不意に、彼の右手は掴まれていた。

 魔法を中断したジークが、慌ててその手を握り返す。


 握りしめた手は弱々しく、真紅をまとう指先は、力を抜けばそのまま滑り落ちていきそうになる。


――私などのために、あなたがその身を削る必要はない――


 すでに声さえ出せなかったが、強く手を握る友の姿に、シアルヴィは眉を下げ、唇の端をわずかに上げる。

 自身に残された精一杯の力で、彼は微笑んでいた。


 やがて視界は光に満ち、その身からは急速に苦痛が失われていく。


 今なら言えるだろう。伝えられなかった、ただ一つの言葉――



「――あなたに出会えて、幸せでした――」



 フィアナが両手で顔を覆い、そのままその場に泣き崩れる。

 アーサーが固く目を閉じ、下を向くように顔をそむける。


 ジークは――何も言わなかった。

 何も語らぬまま、涙も流さぬまま、少しずつ体温を失っていくシアルヴィの体を、ただ静かに抱き続けていた。

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