第8章 第7話 帰郷
シアルヴィの視線の先には、森に守られるようにして建つ一棟の古城がそびえている。
しばし目を細め、それを見つめていたシアルヴィがやがてかすかに微笑むと、振り向きもせず、名前を呼ぶ。
「――フィアナ」
「!」
小さく息をのむ音が聞こえ、シアルヴィの背後の木立の中から一人の少女が顔を見せる。
「ついてきて、しまったんだな」
フィアナの方へ向きを変えると、シアルヴィが言う。
「神殿の世界樹に、私の運命は告げられていたのか?」
「いいえ、そうではありません。わたしは、ただ……」
フィアナがいいかけるが直後、シアルヴィが小さく手を上げ、言葉を遮る。
そして振り返り、城の方へと視線を戻す。
「フィアナ、攻撃魔法は使えるな」
「は、はい。光の魔法でしたら、少しですが」
「――充分だ。ならばここから回復魔法は考えるな。全ての魔力は攻撃に使え。
――来るぞ!」
シアルヴィが言うが直後、双剣を引き抜き左右に薙ぐ。
音を立てて異形の塊が大地に倒れ、灰燼と化す。
――魔族――!
フィアナが息をのみ直後、先発が一瞬で倒されたことに反応してか、城の周囲から、森の中から、無数の魔族が飛び出してくる。
「――っ!」
フィアナから、悲鳴にも似た声が聞こえ、シアルヴィがその目で一瞬、彼女を確認し、
「フィアナ、そこから動くな!」
そう叫ぶと彼はそのまま、見る間に数を増やし、彼らへ襲いかかろうとする魔族の群れへと、その身を飛び込ませていった。
「予想はしていたが――、やはり素直に入城はさせてもらえなかったな」
白い石造りの壁に囲まれた部屋の中、床へと座り込んだシアルヴィが言う。
羽織っている衣服のあちこちは切り裂かれ、その下からは赤く染まった身体も見える。
その傍らではフィアナが、膝立ちの姿勢を取りながら彼の肩へと身を寄せていた。
「すみません、シアルヴィさん。私が、もっと――」
「気にしなくていい。あの量の敵を相手に、よく頑張ってくれた」
シアルヴィはそう言うが、事実、フィアナは戦うことなどできなかった。
迫る魔族の恐怖に、韻はもとより、印さえまともに書けずにいた。
だがその彼女に、一切の傷はつけられていない。
シアルヴィは彼女をかばいつつ魔族の群れを切り裂き、そして城内の部屋へと逃げ込ませていた。
やがてフィアナはわずかに下を向き、右手で印を描こうとする。回復魔法の印ではない。
しかし、描かれた印は、魔力の灯った輝きは見せず、ただ彼女の指は空に浮かぶ。
フィアナが悔しげに唇をかみ、再度、今度は生命の印を描く。
魔力が印を輝かせ、韻に合わせた回復魔法がシアルヴィの身体を包んでいく。
「思った通りだ。『大導師』など、存在してはいなかったのだな」
「!」
シアルヴィがそう口にし、フィアナが目を見開くと共に、回復魔法が中断される。
「一体、なぜ……?」
「先ほどあなたが描こうとしたのは空間の印。転移魔法を使おうとしたのでしょう。
だが、印は輝かなかった。
あなたは『世界樹』の術者ではないが、おそらく、世界樹との契約なのかなんであるのか――世界樹の元にいるときには、魔法使いとしての力量が上がる。
あの時、私達をヨツンヘイムへ運んだ転移魔法も、唱えたのは『大導師』ではなくあなただった」
「……気づいて、おられたのですか」
「あの時聞こえた転移魔法の韻は、自分ごと繋がっている者達を目的の場所へと送るもの。
『大導師』が我々を送るために唱えたのだとすれば、それは自分以外の対象を送る韻になるはずだった。
そしてあの時、私が『既知感を感じる』と言ったとき、そこにいたのは大導師ではない。あなただった。それなのに大導師は私の放った言葉を指摘してきた。その時、そこにいなかったにもかかわらずです。
おそらくはあの『大導師』もまた、あなたが世界樹の力を借りた魔法により生み出していた、幻覚だったのではないだろうか」
「そこまで――知っておられたのですね」
「おそらくかつてあの神殿には多くの神官や従者がいたのだろう。だが、彼らは次第に神殿を離れてしまった。おそらく、『奇跡の泉』が枯れたのをきっかけとして。
しかしあなたは一人、あの地に残った。最後の世界樹の神官として――」
「大導師様は確かにあの場所におられました。世界樹と対話するすべも、初代フィアナの教えを説いてくださったのも大導師様です。
ですが、従者達が神殿を離れるのと時を同じく、病の床へと倒れられたのです。そして、そのまま――」
フィアナが目を伏せ、シアルヴィもまた、口を結んで瞳を閉じる。
だがシアルヴィはまた彼女に対し、その言葉を繋ぐのだった。
「あなたが私についてきた理由は理解している。
そして、先ほど唱えようとした転移魔法も、おそらくは私をジークらの元へと帰らせるため――」
「お願いです!ジークさんのところへ帰ってください!このままでは……あなたは……!」
だが、叫ぶフィアナに、シアルヴィは目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振るのだった。
「私は、帰るわけにはいかない。この決着は、私自身でつけなければならない。他の、誰にも――」
そしてシアルヴィは視線を高い位置、部屋の奥に見える扉の、上の壁へとやるのだった。
追うように、フィアナもまたそこを見上げる。
そして――
フィアナが両手で口を覆い、そのまま床へと膝をついた。たちまち両目から涙があふれ、床へとこぼれる。
そこにあったのは、一枚の肖像。
この城を治めていたであろう男性とその妻、そして子供たちであろう二人の少年。
「そん……な……」
これから起きるであろう事実を予感し、彼女はその涙をもはや、抑えることなどできなかった。
――その時だった。
城外で唱えられた攻撃魔法の響きが二人の元へと届いてくる。
「ジークたちが、到着したようだな」
言ってシアルヴィが腰を上げる。
「シアルヴィさん!」
「大丈夫だ。もう十分に回復してもらった」
「そうではありません! シアルヴィさん、あなたは――」
シアルヴィが、フィアナの前に手のひらをかざし、言葉を遮る。
そして、ゆっくりと指で、先ほどとは違う扉を指差す。
「その扉を抜けて真っ直ぐに進め。城内へ入ってすぐの正面ロビーに繋がっている。
ジークたちは正面から入ってくるだろう。合流し、彼らを助けてやって欲しい」
「シアルヴィさんは――」
言いかけたフィアナにシアルヴィは答えない。
ただ彼女から顔を背け、言葉を告げる。
「行ってくれ。――ジークのことを、頼む」
「――はい」
もうこらえることはできなかった。
さらなる大粒の涙を流し、唇を噛み、それでもフィアナは気丈に答える。
――泣くな!
涙がこぼれないよう、天を仰ぎ、そして彼女は駆けだしていく。
シアルヴィが一度だけ振り向き、彼女の去った扉を見つめ、そして肖像の下へと歩みを進める。
そして上を仰ぎ、やがて視線を正面へ戻すと、静かに扉へと手をかけていた。




