第8章 第6話 月下の約束
国境の森を抜けた先。
黒い森に囲まれた古城は月光に照らされ、青白い光を放っている。
それはあの日、帝国と決別した自分が見た最後の帝都の城ようで、しかし、その視線の先は帝都ではない。
「ヴァナヘイム――」
そう小さく口にしたシアルヴィが視線を落とし、祈るように瞼を閉じる。
静寂を割くように、彼の背後から声がかかる。
「やはり貴様だったのか。
『紅い死神』――シアルヴィ・ヴァン・アウルヴァンディル!」
覚悟したようにシアルヴィが視線を上げ、少し間をおき、そしてゆっくりと振り返った。
視線の先にいるのはアーサー。
その右手にはすでに完成した、炎の魔法が浮かんでいる。
「やはり気づいていたんだな。君の態度から、そうではないかと思っていた」
そう言うと彼は視線を振る。
「ジークは、どうしたんだ。」
「俺の魔法で、眠ってもらっている。
これから始まることを、あいつには見せたくなかったからな。」
問いかけるシアルヴィにアーサーが答え、わからない、というふうにシアルヴィはわずかに首をかしぐ。
「とぼけるな!」
アーサーの声に呼応するように、右手の印が輝きを増す。
「貴様、一体どういうつもりだ。なぜ貴様とあいつが一緒にいる」
「どんな姿をしてようがあいつは魔族だ。お前らはそんなあいつを利用し、魔族へと剣を向けさせている。
答えろ。返答次第ではこの場でお前には消えてもらう」
しかしアーサーの言葉に、シアルヴィはむしろ微笑を浮かべると穏やかな口調で返していた。
「そうか、ジークを思っての行動だな。安心した。ジークが親友だと認めた者が、私怨だけで人を撃つような相手だとは、思いたくはなかったからな」
「愚弄する気か!」
「そんなつもりはない。ジークを思う感情において、私と君は共通している。
魔法を引け。私は、君と戦うつもりなどない。」
「そのためなら、ロシェを倒すこともできる、そういえるのか」
「――!」
シアルヴィの目が、一瞬大きく見開かれる。
その言葉が止まったことで、アーサーはそれが彼の虎の尾であったことを瞬時に悟る。
やがて、シアルヴィは静かに言葉を紡ぐ。
「そうか――君の上官はロシェだったんだな。彼から、私の事は聞かされていたのか」
「……」
「あれは――やはり、ロスクヴァなのだな」
先のシアルヴィの反応に思考を停止していたアーサーが、その言葉によって正気に戻る。
息を飲み、目を大きくするアーサーの反応が、シアルヴィに、彼の予感が事実であると教えていた。
「帝国内でも私の右目のことを知るものはそう多くない。ましてミドルネーム含めた私の本名を言えるものともなれば、その答えは自ずと限られてくる」
「貴様、気付いて――」
「確証をえたのは今だ。――信じたくは、なかったがな」
そう言うとシアルヴィは一瞬目を細め、数呼吸おいて言葉を続ける。
「――彼が、ロスクヴァであるのなら、私は何としてでも彼を止める。それが、彼をこの戦いに巻き込んでしまった私の罰だ」
「ジークは、あいつはこのことを知っているのか。」
「右目の事は知っているだろう。だがその理由までは知らないはずだ。話してはいないし、これからも話すつもりはない」
「あいつを、騙すのか」
「そうではない。だが私は、私と出会ってしまったことで、背負わずともよい多くのものを彼に負わせてきてしまった。これ以上、私たちのことで彼に負担を負わせたくはない」
その言葉に一瞬アーサーは言葉につまり、やがて絞り出すようにシアルヴィに問う。
「貴様――死ぬ気だな」
「無論、死んでやるつもりなどない。私がジークから受けた恩はあまりに大きい。こんなところで死んでいては、その恩に報いることなどできはしない」
「だが――」
そして一呼吸おき、シアルヴィは言う。
「もしもこの先ジークに危機が迫り、私がそばにいられない。そんなときには、君がジークを守ってほしい」
「なっ!」
一瞬、口から漏れた言葉を飲み込むように数呼吸おき、アーサーは再びシアルヴィに言う。
「当たり前だろう!そんなこと、貴様にいわれるまでもない!」
その言葉に、シアルヴィは眉を下げるとアーサーの方へと歩みを進める。
そして、その姿がアーサーの隣をすぎる瞬間、彼の肩へと一度優しく手のひらを乗せ、そのままアーサーの背中側へと歩みを進め、森の中へと消えていった。
残されたアーサーが落下音のような音を残して大地に膝と両手をつける。右手の印が色を失う。
そして天を仰ぐとともに彼の叫びは、月の照らす夜の空へと溶けていった。




