第8章 第5話 裏切りの証
アーサーの治療には、想定以上に長い時間が必要だった。
竜の召喚にその生命力を使ってしまったことに加え、強い洗脳の魔法がかけられていたことがその理由だった。
それは回復魔法に長けたフィアナをして、魔法設備に乏しい一般の医務室ではどうにもならず、城内に残されていた魔法医の部屋の魔法陣を使い、ジークの魔法まで使って、どうにかその解呪に成功するほどのものだった。
その間にユミル率いる魔法兵団は本国へと帰り、帝国兵たちもすでに刑場には残っていない。
だがフィアナもジークも、それを語りはしない。
ただ、アーサーが落ち着くのを待って、ジークはただ一言、彼に対して問いかけていた。
「アーサー、皇帝が今、どこにいるのかわかるか?」
「皇帝?」
アーサーは口元へと手をやり、うつむいている。
その様子に、ジークは少し間を置き、質問を変える。
「アーサー、お前はどこまで覚えている?」
アーサーが顔から指を離し、ジークを見る。
フィアナが不安そうに、ジークとアーサーを見比べている。
やがて、
「お前たちを逃がしたところまでは覚えている」
アーサーは静かに語り始める。
「それきりだ。あとは何も覚えていない。気がついたのは、さっきだった」
ジークが、口を覆うように顔に手をやる。
刑場に皇帝はいなかった。
他の場所でなにか行っているのか、あるいは隠されているのか。
「本国か……?」
だが、ジークのつぶやきを否定するように、部屋の入口から声がかかった。
「残念だが、そうではないらしい」
「シアルヴィさん!」
現れた人物にジークが顔を上げ、同時にアーサーの顔が険しくなる。
「なにか、わかったんですか」
シアルヴィはそのまま歩み寄って、ジークともアーサーとも遠い、この部屋の魔法陣の外へと腰を下ろす。
「皇帝は、旧ヴァナヘイム領、アウルヴァンディル公の城にいるそうだ」
「ヴァナヘイム?」
「この城の東、森の中だ。そう遠くは離れていない」
そして、一呼吸おきシアルヴィは語る。
「皇帝は、『断頭台の天使』との和解を望んでいる」
「それって――」
「――待てよ」
シアルヴィの言葉に返すジークに対し、割って入ったのはアーサーだった。
「そのヴァナヘイム、まさか貴様も同行する気か」
シアルヴィがわずかに首を傾いでアーサーを見る。
「無論、そのつもりだが」
「ふざけるな!」
アーサーが腕を振り、腰を上げてシアルヴィを睨む。
「アーサー、やめろ」
ジークが制すが、アーサーの態度は変化しない。
「俺が何も知らないとでも思っているのか。貴様は――」
「アーサー!」
「ジークは黙ってろ!こいつは――」
「いい加減にしろ!アーサー!」
その大声は、本人にしても意外だったようで、ジークはわずかに視線をそらし、アーサーの声はそこで止まる。
「やめてくれ、アーサー」
今度は、いつもの彼らしい口調だった。
そして、視線を戻し、アーサーの目を見据えてジークは言う。
「それ以上は、俺が許さない」
「――っ」
小さく、舌打ちのような音を残してアーサーは座る。
だがその目はいまだ、炎を宿したように、シアルヴィの方へと向けられていた。
「『断頭台の天使』――それって、俺のことですか」
「どうやら、そう呼ばれているらしい」
「なぜ、俺が?」
「わからない。だが今回の争い、黒幕は皇帝ではない。なにか――」
ジークとの会話を進めていたシアルヴィが、自分に重なる影に気づいて顔を上げる。
「ひとつ、条件がある」
シアルヴィのそばに立ち、彼を見ろしていたのはアーサーだった。
「――!」
おもわず腰を浮かそうとするジークを、シアルヴィが小さく手を上げて制する。
そのまま、アーサーもシアルヴィも言葉をかわさず、やがて、
「お前のその、前髪の下を確認しておきたい」
「――っ!」
フィアナから息を呑む声が聞こえ、ジークからも声が漏れる。
だがシアルヴィは先程と変わらず、二人を制するように手のひらを下にわずかに手を振り、アーサーに対して答えていた。
「それが、君の条件か。いいだろう」
そして、アーサーの前に立ち上がると、前髪へと手をかけ、静かにそれを掻き上げていた。
そこには――右目はなかった。
右目のあるべき空間にはただ闇があり、その周囲には鈍い刃物でつけられたような傷が、古傷となってなお鮮明に残されている。
それはフィアナが顔を背け、その開示を求めたアーサーでさえ、思わず息を呑むものだった。
残された目で彼らの反応を確認し、シアルヴィは前髪から静かに指を離す。
そして手のひら全体で『右目』を覆い、誰に聞かせるともなく口にする。
「この右目は――私の裏切りの証」
「――どれほど時が流れようと、立場が変わろうと、我が身が消えるときまでこの傷は決して消えることはない――裏切りの証――」
――裏切りの証。
その言葉は魔族でありながら魔族へと剣を向けるジークにも深く突き刺さる。
胸へと強く手をやり、ジークは床へと視線を落とす。
床に描かれた魔法陣だけはただ静かに、淡い光を放っていた。




